「ありがとうございましたっ」
ピンクの髪をはずませて、アンシェは階段をかけあがります。
「ああ、また来いよ」
軽く片手を上げて見送ってくれているのは、この盗賊ギルドの責任者アッシュ。
”生徒”のアンシェは、ぺこりとお辞儀をして、扉を出てゆきました。
パタリと扉を閉めてから、アンシェは「ほぅ・・・」と息をつきます。
人通りのない、静かなスラムの脇道で、アンシェの心だけは、いつにもまして甘くざわめいているのでした。
(ほめられちゃった・・・!)
それもまた、今日は一段と幸せな笑みをこぼしながら、アンシェは帰路へとついたのでした。
一方。
「おう、アッシュ! 嬢ちゃんの腕前は上がったのかい?」
テーブルで談笑していた盗賊のひとりに声をかけられて、アッシュは振り向きながら答えました。
「あ? そうだな・・・腕は確実に上がってるぜ。ナイフの持ち方もサマになってきたし。あいつ、なかなかコツを掴むのが早いと思うぜ」
満足げに話す”指導者”アッシュに、盗賊はニヤニヤと笑いながら返しました。
「ほぉ〜、どうりで・・・。嬢ちゃんのあの嬉しそうな顔!」
「ほめてやったんだろ、アッシュ!」と声を上げる別の盗賊に対して、アッシュは「まあな」と続けました。
「あいつが上達すんのは、オレにとっても嬉しいことだからな」
冒険者の少女・アンシェは、彼女自身は盗賊ではありませんが、「器用さを鍛える」ナイフ投げの指導を受けるために、よくこの盗賊ギルドへ足を運んできています。
「それにしてもよ、アッシュ。おめぇも結構楽しんでるだろ? 他のヤツに教えてる時とは、なんかこう・・・やる気が違って見えるぜ」
「ははっ・・・そうか?」
笑いながら、アッシュはジョッキを受け取りました。
「そう・・・だな。ああ、楽しいよ」
それから、中身を一気に飲み干します。
「さっきだって、順調に的の真ん中に飛んでんなーと思ってたら、次に投げたのがいきなり、あさっての方向に飛んでいっちまったりしてな!」
「ハハハ!! そりゃ良いな!!」
「まったく、あいつを見てると飽きることがない。面白いヤツだよ、あいつは」
アッシュの話す状況が、まじまじと頭に浮かんできて、居合わせた盗賊たちはドッと笑い出しました。
・・・そのときです。
「ずいぶんと楽しそうじゃねぇか・・・」
戸口に続く階段から、暗い気配が姿を現しました。
湧いていたその場の空気が、一瞬にして妙に張りつめ、ある者はジョッキを置き、ある者は驚きとともに立ち上がります。
「バートン」
低い声で、まっすぐと、口を開いたのはアッシュでした。
バートンと呼ばれた男は、冷笑を浮かべながら、ゆっくりと段を下りていきました。
仕事が早く終わったので、その日もアンシェはナイフの訓練に向かいました。
さすがに少し疲れはありますが、ギルドに行けば・・・あの人に会えるのです。
・・・が、今日は珍しく、その人・アッシュの姿がありませんでした。
「なんだ。奴に用か?」
思わず意気消沈していたアンシェは、ふいに声をかけられて、びくりと振り向きました。
「は・・・はい! アッシュさん・・・どこかに行ってらっしゃるんですか?」
テーブルの隅で、ここの盗賊であろう男がひとり、ジョッキを傾けています。
男は目も合わせずに答えました。
「ンなこと、俺が知るかよ」
「・・・・・・」
アンシェは一瞬、ムッとした気分になりましたが、とりあえず今日は諦めようと思い、男に背を向け帰ろうとしました。
ですが、そのあと聞こえた男の一言が、アンシェの足を止めました。
「ったく・・・どいつもこいつも、アッシュの野郎に寄りつきやがって・・・」
アンシェの止まった身体が、じわりと熱を帯びるのを感じます。
男はさらに続けました。
「だいたい、奴がココを仕切れるのだって、マノンのおやっさんのお気に入りだからだじゃねぇか! 奴の実力じゃねぇ! ここをホントに任されるべきなのは」
この俺なんだよッ――。
その言葉と、アンシェの声が相殺しました。
「違います・・・!!」
「・・・ああ・・・?」
いつのまにか、自分に鋭い視線を向けている少女に対し、男は不満そうに顔を歪めました。
そして、つかつかと、アンシェの前に歩み寄ります。
「なんだ、おまえ・・・おまえもアッシュの野郎にダマされてやがんのか? ああ!?」
そのとき、この場に続く階段に、気配を消したひとつの人影がありました。
盗賊と少女の「対決」にある、まさしくその渦中の人物・・・・・・アッシュその人です。
彼は、男――バートンの、聞き慣れた罵声を耳に流しながら、二人の間に出ていこうとしました。・・・が。
「アッシュさんは・・・アッシュさんは、そんな人じゃありません!!」
室内に響く、凛とした声。
アッシュの歩みが、壁際でぴたりと止まりました。
「私にだって・・・盗賊じゃなくても、器用さは鍛えたほうがいいって、いつでもナイフを教えてくれるし・・・・・・さ、最初は的にも届かなかったのに・・・それでもちゃんと、持ち方から教えてくれて・・・・・・」
と、思わず自分の例ばかりを出しているのに気がついて、アンシェはハッと言葉をあらためました。
「と、とにかく、アッシュさんは皆に慕われているんです! 実力です!!」
見知らぬ娘にここまで言われて、男が逆上しないわけがありません。
「んだとォ・・・ッ」
「・・・きゃっ!」
男は片手を振り上げました。
――と。
「痛っ・・・!?」
・・・カッ、と小さな音がしたのと同時に、男が上げた右手をおさえます。
「いいかげんにしとけ、バートン」
低く告げる声がしました。
小ぶりのナイフを転がしながら、そこに立つ人物に、アンシェは驚きを隠せません。
目と口をまんまるく開き、それから気づいて自分に手を上げた男の方に顔を向けると・・・・・・後ろの壁に、ナイフが1本、しっかりと突き刺さっているのを見つけました。
「アッシュ・・・てめぇ・・・」
「かすり傷だろ。だが・・・次は当てるぜ?」
「・・・・・・ちっ」
目の前の少女を押しのけて、男はアッシュをぎろりと睨み・・・そして、去っていきました。
「大丈夫か?」
アッシュはナイフをしまいました。
「あいつはバートンってヤツでな。最近までずっと、遠くへお宝探しに行ってたんだが・・・・・・ま、あのとおり、オレのことを恨んでるみたいでな」
苦笑を含んだその言葉に、アンシェは不安そうな瞳を浮かべます。
恨まれることなんかないのに・・・と。
こころから、心配して。
アッシュは、そんな少女の気持ちを察して、彼女の頭に優しく手をのせました。
「ありがとな」
憧れのその人の、大きな手。
胸は高鳴り、ぼぅっ・・・と上気した表情で、アンシェは夢見心地に微笑みました。
・・・・・・ですが。
(そういえば・・・!?)
彼女はふと、気づきました。
「アッシュさん・・・。さっきの・・・。き、聞いてたんですか・・・・・・!?」
おそるおそる尋ねるアンシェに、アッシュは悪戯っぽく答えます。
「・・・さあ。どうかな?」
それでも答えは、一目瞭然。
アンシェの顔が、みるみる真っ赤に染まりました。
その反応を楽しみながら、アッシュはもう一度、ふわりと少女の髪に触れました。
――オレのために、あんなに必死になってくれるなんてな。
頑張りやで、ときにはその意気の空回りが面白くて・・・。
そんなこの”生徒”の印象に、新たな部分が加わった気がします。
彼女はアッシュにとって、ますます目の離せない存在となったのでした。
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