かえるの絵本 最終話
英雄
一年前と同じ風景。 「ただいま・・・帰りました!」 そのまなざしには、揺らぐことない確信の希望が満ち。 「アンジェよ。よくぞ竜を倒した!!」 その声色には、大いなる賞賛と待ち望んでいた安堵が深く表れる。 アンジェは、ここに戻ってきた。 偽りの姿・・・かえるという姿から、今の自分に。そしてたくさんの経験と冒険をして一年、自らの運命をその手で勝ち取り、戻ってきた――。 「これで、おまえにかけられた竜の呪いも解けることじゃろう」 杖に手を置き、静かな変わらぬ立ち居にて、賢者ラドゥが穏やかに告げる。 「アンジェ!」 そのとき、後方の木々の中から、少女の名を呼ぶ複数の声が駆け寄ってきた。 「どうやら、おまえに会いに来てくれたようじゃな」 賢者の言葉に振り向く間もなく、盗賊の少女がいち早く帰還のその身を掴まえる。 「あー、生きて帰ってくれて、ホントよかったよ・・・!」 「ルー・・・」 ・・・うん、ただいま! ルーの後ろには、この街・コロナで出会った、たくさんの仲間たち。 「みんなにもおまえのすごかったところ、見せてやりたかったな!」 アルターが誇らしげに笑う。 職も境遇も違うさまざまな友たちがアンジェを囲み、勝利を祝い、絶えることなき喜びを表したのだった。 「アンジェ、よかったね」 その輪のなか、すっと少女の前に進み出た女剣士。 大事なひとを託した友。 「あなたのおかげで、あたしの目的も終わったみたい」 十年間・・・。彼女も同じく、棄てられぬ過去を宿して生きてきた年月。 「レオンを助けてくれて、ありがとう」 そしていま、その表情には、真の安らぎが訪れている。 アンジェは小さくうなずいた。 「レティル・・・、レオンは・・・」 瞳にわずかな冷静さを浮かべたアンジェに応えて、レティルも、しっかりと事を伝える。 「ええ、診療所にいるわ。あとで会いに行ってあげて・・・」 「――その必要はない」 と・・・。声が重なった。 「私にも、礼を言わせてくれ」 「レオン!!」 現れた剣士の目前に、アンジェは駆け出していた。それは、親友のもとへと駆け寄る、ごく自然な行動だった。 「ケガは・・・? そんな動いて、大丈夫なの!?」 見上げるみずいろの瞳に向けて、レオンは自らの無事の証を知らせる。 「そこの御仁たちが、傷を回復してくれた。もう痛みはどこにもない」 ――心の痛みも・・・な。 回復魔法を得意とする仲間たちの厚意を知り、アンジェは彼らに大いなる感謝を抱いていた。 「ありがとう、アンジェ」 「・・・!」 いま、この時。本当に穏やかとなった心を表した剣士。 「・・・フッ・・・。いや・・・やはり、私にはこの呼び方のほうがしっくりくる」 『アンジェリシア』――。 「おめでとう。そして・・・さらばだ」 レオンは、忘れえぬ友の瞳をまっすぐと見つめ、告げた。 呪われた運命に切り離され、やがて失くしたものを取り戻し、ようやく再会できた友。 ・・・十年の月日は、おたがいの年齢さえも、それだけ離してしまったけれど・・・。 「うん。・・・レオンも、はやく『ただいま』を言わなくちゃね」 「アンジェリシア・・・」 「ジムさんや、バレンシアの人たちに、はやくその無事な姿を見せてあげなくちゃ」 アンジェは・・・アンジェリシアは、にっこりと笑って答えた。 背中を押すように、光のように微笑んで、そうしていつも少女は親友の心の力となっていたのだ。 「ありがとう・・・、元気でな」 「あなたもね、レオン」 故郷へと足を向けた剣士の後ろを、同じ街に生まれたひとつの姿が続いていく。 流浪の女剣士・レティルは、しなやかな長身を颯爽とひるがえして、同郷の勇者とともに旅立っていったのだった。 ・・・二人の背中が見えなくなるまで、アンジェは大きく手を振り続けた。 「・・・! あっ・・・」 と。それまで様子をあえて黙って静観していた魔術士の少年が、そのとき一番に声を上げたのである。 「おお、この光は・・・!」 ラドゥも思わず、杖の握りに力をこめる。 少女の身体を、ゆっくりと神秘の光が包み込んでいく・・・。 ほのかな輝きが静かに消え去ったとき、そこには。 一年前の賢者の魔法は、ほぼ正確にその姿を映しとっていたのであった。 森の奥に、再び大きな喜びとねぎらいの声々が響いた。 呪いという少女の運命は、ここに完全なる終わりを迎えたのだった。 それから・・・。 この世の恐怖・赤き竜フレイスを打ち倒した『英雄』アンジェは、連日のように街中の至る所へ呼びに呼ばれて、人々の感謝と賞賛を一心に受け入れた。 街をあげての沸きあがりは尽きることなく続き、二週間あまりたった今でも、世界中からたくさんの声や表情が次々と届いてきている。 ・・・そんな喧騒をふっとわずかに抜け出して、アンジェは桜咲く並木道の中に佇んだ。 「アンジェ」 やがて待ち合わせていた人物も現れて、ふたりは近くのベンチに身を寄せる。 「・・・さすがに、疲れちまうよな」 そして、微笑。 竜に挑んだ英雄の一員。 並木の向こうの魔法学院から、生徒たちの楽しげな声がそよ風に乗って聞こえる。 「マーロ・・・」 いつか自分の記憶のかけらが少しずつ甦り始めたとき、アンジェはここでこうしてマーロに話をした。 「私・・・そろそろ旅に出ようと思うんだ」 だから今日。この決意の答えを、一番に伝えるために。 「もう、旅の準備はできてるの・・・」 ・・・マーロは驚かなかった。 「うん・・・。故郷の、ヴィエナって街に・・・行くんだろ?」 それは、ずっと考えていたこと。 うなずいた傍らの少女を感じて、マーロはゆっくりと瞳を向けた。 「・・・でもさ。故郷に帰ってしばらくしたら、またここに戻ってくるよな?」 この、コロナの街に――。 桜が風に揺れる。春色の花びらが、ひとつ、またひとつ。 「・・・・・・」 答えは、返らない。 「・・・・・・アンジェ・・・」 ・・・返らない・・・。 「アンジェ!!」
けれど、ひらかれたその口は、違う答えを伝えていた。 「コロナの街には、必ず戻るよ」 ――でも・・・それがいつになるかはわからない――。
瑠璃の少年は立ち上がって、ただ、無言のまま。 「・・・・・・わかった」 そして、それだけ言い。 (――!) 走り去るローブの影。 |
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