かえるの絵本
第22話 運命の決戦
足元からびりびりと響くような。
「この世でもっとも、強い竜だ」
尊大なる”自己紹介”は、決して誇張されたものではない。
す・・・っと、アンジェは剣を抜いた。
身を取り囲む、威圧的な空気も、今は何より必然とさえ――。
(負けない――。絶対に)
両傍らの二人の仲間も、同じ瞳で戦場に立つ。
「卑小な人間どもよ、本気で我に勝てるとでも思っているのか?」
竜は、わずかに眼を細め。
「その愚かさのツケ、死をもってあがなうのだ!」
「行くぜぇーッ、受けろ――!!」
――アルタースラッシュ!!
敵に先手は許さない。
「・・・・・・ちっ」
しかし、シュウシュウと音を立てる爆煙のなか、竜の真紅の顔面が無傷で現れてきた。
「どけよ・・・! 巻き添え食うぞ!」
瞬間、山上に広がる空が、みるみるうちに暗く・・・星の瞬く夜空となし。
「・・・降れ!!」
杖をかかげ、叫んだマーロの魔力に引き寄せられ、大気を抜けた星の欠片が、次々と熱をまとって降り落ちてきた。
「時間がないんだ・・・さっさと終わらせて・・・・・・、!!」
「・・・・・・何のつもりだ・・・・・・」
ガラガラガラ――。
「我に熱を浴びせるとは・・・無知にも程がある!」
「――来るぞ!!」
今度こそ、赤き竜フレイスはカッと口を開いて大火を発した。
「はぁぁ――ッ!!」
暴風にあおられ揺れる、ピンクの髪。若草色のマント。
刹那、再び少女の勇ましい一声。
「グアァッ・・・!!」
・・・竜の巨体がよろめいた。
「・・・・・・、すげぇ・・・」
アルターが、思わず構えをゆるめて讃えをこぼした。
そんな仲間ふたりへ、くるりと振り返って、微笑のアンジェは自らの胸元に手をあてる。
「ロンダキオンの、真の力か・・・」
まさかこれほどだとは予想だにしなかった。
「ぐっ・・・」
信じられない、というように、フレイスが歪んだ表情から腕を離す。
アンジェは、その眼をきっと見据えた。
「ふたりとも、続けて攻めよう!」
「・・・お、おう!!」
「わかってる! ・・・行くぜ!」
少女は攻撃の中心であり、また、一同の精神的柱にもなっていた。
アルターもマーロも、早々に繰り出した己が奥義が、こと竜に対してはほとんど痛手を与えることができなかったのだ。
けれども彼らは攻め続けた。
「まだまだいくぜぇーっ!!」
「・・・星の光よ・・・!」
竜を倒す――。
アンジェは、抜群の動きを発揮していた。
「なッ・・・」
(――何だと――!?)
正面から斬り込んできたはずの少女の身体が、いつの間にか背後にあった。
「ギャアッ!!」
竜の巨翼に、ざくりと剣筋が入った。
――ありえない――。
「いい気に・・・なるな!」
振りかぶった腕の大爪がアンジェを襲う。鈍い音がして、少女は勢いのまま後方に弾け跳ぶ。
「・・・・・・!」
ザザザザッ・・・と、靴底が地面を擦る音。
敵の意識がアンジェに集中してくることで、アルターとマーロの攻めの効力をも、少しずつだが上昇している。
・・・・・・フレイスには、この時、すべての事実が誤算だった。
一瞬にして始末されるはずの人間たちが、今も縦横無尽に動いていること。
吐いた炎を、またも断ち切る。その刃をつつむ、ほのかな光。
尾の旋撃をかわして、高く跳び上がる。瞬間生まれる、熱き光。
光・・・。
(・・・・・・・・・・・・)
・・・フレイスは、そのとき突如何かに貫かれたかのように、攻撃の手を止めた・・・。
脳裏を流れる過去の声・・・。
「・・・・・・フ・・・」竜が、笑った。
「フフ・・・フハハハハ・・・」
不可解な敵の行動に、アンジェたちは思わず顔をしかめる。
そして・・・笑みがとだえた次のとき。
「・・・っ!」
アンジェの足が止まった。
「アンジェ――?」
地を蹴り、竜の心臓めがけて剣を突きたてようと駆け出したときである。
「・・・!」
と、アンジェの手から、するりと剣が抜け落ちた。
様子は、すでに尋常ではなかった。
「・・・・・・、はぁ・・・はぁっ・・・」
荒い息をもらしながら、膝が徐々に下りていく。
身体が、とてつもなく重い。目の前が闇になり・・・意識が遠のいていく。
(・・・こ・・・この感覚・・・・・・)
「思い出したか」
「――!?」
「貴様の内に流れる我が呪いを、さらに強めてやったのだ。どうだ、心地よかろう?」
フレイスが、ニヤリと嘲笑った。
再会という、真実。
(はぁっ・・・はぁっ・・・)
「ア、アンジェ・・・」
「野郎・・・きたねぇマネしやがって!!」
我をなくしてしまいそうになるアンジェの耳に、マーロとアルターの声が届いた。
・・・なくしちゃいけない。
(・・・・・・今また、自分を失うわけにはいかないの・・・・・・!!)
胸元のロンダキオンを、アンジェはぎゅっと握って自分に言い聞かせた。
「だ、大丈夫・・・、大丈夫だよ・・・」
か細くも、精一杯の笑顔。
(許さねぇ――!!)
アンジェを助けるために、二人の奥義が爆発。・・・・・・だが。
「――愚か者どもが」
吐かれた業火が、すべてを消し去る。
「あぁ・・・っ」
かすれた声で、アンジェが叫んだ。
あの竜の巨体が、いとも軽々と二人の側に移動していた。考えられないスピード。
「ぐはッ!!」
「おまえたちのようなカスの身など、我が手が触れるまでもない」
さて・・・、と、竜は続けた。
「もうひとりの愚か者よ・・・。貴様、何ゆえ、ここにいる」
ゆるやかに、フレイスが歩みを進めた。
「我が変えてやったあの姿はどうしたのだ? なぜまた、人間としてここにいる――ッ!!」
「・・・!!」
再び腕からの風圧で、アンジェは激しく吹き飛ばされた。
生意気な知性と、無意味な力。
「・・・うっ・・・、くっ・・・」
気丈に上体を起こそうとするアンジェへ向けて、フレイスはさらに言葉を継ぐ。
「貴様のような人間を、我は最も忌み嫌う。・・・だが」
言いながら、背後で大剣を振りかざしたアルターを尾でしたたかに打ち弾いて。
「あのとき、我は貴様にトドメをささず・・・生かした。そうだな?」
「・・・・・・」
「そのことは、しかし、我のなかで長く疑問として残ったのだ。・・・いかにみじめな生き様を与えたとはいえ、なぜ、このフレイスが愚かな存在を『生かした』のか。長い間、理解できずにいた」
・・・いったい、何を言っているのか・・・。
「今、こうして再び貴様とまみえるまではな」
(――!!!)
・・・・・・アンジェは震えた。目を大きく見開いて、鼓動の速さが最高潮に達していく。
「・・・アンジェ・・・」
よろめきながら、マーロが少女の側をめざす。
「あれから我は、胸に大きな風穴が開いたような、奇妙な空しさを感じていた。人間どもを襲う気さえも消え失せた。・・・しかし・・・この一年あまりのことだ・・・。我は何かに引かれるようにして目が覚めた。身体が自然に動いた」
そして・・・竜はアンジェの目前にて断言する。
「引いたのは貴様だ。貴様が我を呼んだのだ」
くっ・・・と、アンジェは歯を食いしばって竜を見据えた。
「貴様は我の運命だ。我を満たす唯一の存在。だからこそ――」
――我の、一部となれ――。
「・・・・・・!!」
・・・ふざけるな・・・と、マーロが声を発した。
「貴様のすべてが、我と一体となる。呪いなどとは比べ物にならぬ強大な力が貴様を取り込むのだ。これほど栄誉なことは・・・」
「黙れ・・・っ!!」
(・・・く・・・っ・・・)
「おまえの・・・一部になんかならない・・・、ならない・・・!」
しかし、締めつける呪縛。意思に反する不自由。
戦意に燃えるみずいろの瞳だけが、何にも屈せずとの心を竜に知らしめている。
「・・・そうか」
フレイスは、小さく息をついた。
「・・・呪いより。我が一部より。やはり・・・死を選ぶということか」
『愚かな・・・』ため息のような仕草。
「ならば・・・仕方あるまい・・・」
キラリと、爪先が陽光に光る。
「望みどおりに・・・してやろう――ッ!」
(・・・・・・・・・!!!)
・・・・・・・・・。
「・・・・・・・・・」
・・・・・・わずかな風。
(・・・・・・あ・・・あ・・・)
・・・目の前に、『盾』があった。
屈強な赤い盾が、少女を、守った。
「・・・・・・・アルターーーッ!!」
両腕を広げ、敵に対した体勢のまま、戦士の身体は仰向けに崩れ落ちた。
「アルター・・・っ、アルター・・・ッ!」
アンジェは声の限りに叫んでいた。
「・・・ア・・・ンジェ・・・」
言うと同時に咳き込み、口から血が溢れ出す。
悲痛に見つめる少女の瞳へ、しかし、アルターは小さくニヤリと微笑んでみせる。
「・・・な・・・? ・・・盾に・・・なっただろ・・・?」
(――!!)
アンジェは、コロナで言われたアルターの言葉を思い出した。
――オレを一緒に連れていけよ。
「・・・おまえが、無事なら・・・それで・・・いい・・・」
アルターは苦しそうに笑顔を浮かべる。
こんな・・・。
動きたい――。動きたい――。どうして動かない――。
「ハァッ、はぁ・・・、・・・けど、くやしい・・・ぜ・・・。こんな・・・一撃、くらった、ぐらいで・・・」
「ばか野郎! しゃべるんじゃねぇよ!!」
我に返ったマーロが、怒りの形相で制止に入った。
「待ってろ、いま霊薬を・・・!」
懐を探った少年を、そして、戦士もまた、制した。
「よ・・・けいなこと・・・すんな」
「・・・!! おまえ、何言って・・・!!」
「・・・マーロ」
伝える青い瞳に・・・一瞬の強光。
――守れよ――。
・・・・・・それは、最後の光。
「・・・!!・・・」
「・・・虫けらが一匹減ったようだな」
フレイスは、いつの間にか数歩離れた場所からこちらをあざ笑っていた。
人の滅びる景色こそ、この邪竜の最高の嗜好。
・・・そのとき、アンジェはとてつもなく悪い予感がして、倒れた戦士から瞳を外した。
「マーロ・・・!」
瑠璃のローブが、ゆっくりと前に歩み出ていく。
マーロは、それから静かに杖を地面に置くと、空いた両手をまっすぐに敵へと向けた。
強く、かつ繊細に伸ばされたその腕の片方に、かけられていたもの。
『虹の宝珠』。
「・・・マーロ・・・!!」
「大丈夫だよ、アンジェ」
少年は、わずかに振り向き、微笑んだ。
「おれ・・・もう、力を暴走させたりしないから」
それだけ伝えて、すっと両手を天へと向ける。
空にたちまち星が満ちた。
竜は、すでに微動だにさえしていなかった。
(――!?)
じわじわと・・・『何か』が迫る空気・・・・・・。
(星の光よ――。虹の宝珠よ――)
(アンジェを助ける。そのために――)
・・・・・・おれのすべてよ!! 魔力に変わって星を呼べ・・・・・・!!
「!!!」
瞬間、すさまじい魔力が上空へと舞い上がった。
それは、もはや『かけら』というにはそぐわない、大きな大きな熱石の塊――。
「・・・・・・グアァアァァーーーッ・・・・・・!!」
巨大な流星に潰された、竜の絶叫がこだまする。
と、同時に。
「――っ!?」
ふらりと、アンジェはよろめいた。
竜の呪縛が途切れた――。自由を縛る邪力の鎖が消え去ったのだ。
「マーロッ!!」
アンジェはすぐさま立って前方に走った。
「・・・!」
けれども、アンジェの目の前で・・・そのローブの膝は、がくりと地をついた。
かたむく身体を、少女が腕で受け支える。
「・・・・・・動けるように・・・なったん・・・だな・・・・・・」
『アンジェ・・・』
大切な人を救う。そのために、自らの力を使い切るのは本望だった。けれど。
「・・・・・・」
「マーロ!!」
「・・・・・・ひとりに・・・したくなかったのに・・・。最後・・・まで・・・一緒に・・・・・・」
瞼が、すぅと落ちていく。
「ごめん・・・アンジェ・・・・・・。・・・ごめん・・・・・・」
「・・・・・・!!」
・・・・・・アンジェの腕に、哀しい重みが伝わった。
何も言えず、ただ、その身を強く抱きしめる。――そのとき。
静寂を裂く振動。
「・・・・・・」
ゆらりと現れた邪体が、不敵に口角を上げる。
「ほう・・・、どうやら、邪魔なゴミが片付いたようだな」
それは良い・・・。フレイスの哂いが響く。
アンジェは、静かにマーロを横たえた。
それから、視線を後方にうつしていく。
少女は立ち上がった。
「フフフ・・・さあ来るがよい、我が運命よ」
――しかし。
「・・・・・・・・・!?」
・・・・・・・・・。
戦地をさらりと透きとおってゆく、それは、やさしい、やさしい、少女の歌声。
驚愕の念に苛まれるフレイスに、さらに信じがたい光景が眼を襲った。
「・・・うっ・・・」
治癒の歌。・・・内より、外より、命を灯す、清き旋律。
「アンジェ・・・」
アルターが、マーロが、起き上がって少女を見つめた。
「ありがとう。二人とも・・・ありがとう」
歌を終え、礼を述べて、アンジェはそのみずいろの瞳を少しばかり潤ませた。
そして、ふっと一度瞬きをして、力強く微笑んで。
「私も、頑張るよ。・・・竜を倒す」
ピンクの髪が、ふわりと風に乗る。
「だから一緒に・・・。一緒に・・・ここにいてね」
にこり。
「――!? アンジェ!!!」
瞬間、どちらからともなく叫びが飛んだ。
三人をたちまち大火が取り巻いていく。
「・・・もう止めだ。やはり貴様は卑小な存在」
轟々と燃える自らの炎を眺めて、フレイスは呟いた。
「偉大なる我が力の中で、骨さえ残らず朽ちるがよい!」
・・・・・・そのとき。
炎の中から、またあの歌声が響いてきた。
静かな旋律に込められた、はかり知れない怒りと闘志。
炎が、一瞬にして消え去った。
アンジェは胸元に手をふれた。
一緒に勝とう――。
この邪悪によってもたらされた、哀しみ、嘆き、悲痛――。
・・・・・・一緒に・・・・・・!!
それは、十年前に足りなかった心。
「行け!! アンジェーーーッ!!」
胸の片手を柄にそえて、アンジェは剣を構えて大地を蹴った。
きらめく刃が、竜の炎を巻き取った――。
「・・・・・・!!」
「フレイス――ッ!!」
アンジェは高く跳び、剣が――熱き力が敵を突き向く。
(・・・これが、おまえの生んだ邪悪の痛み・・・)
悪意の力は浄化され、正しき聖なる力に変わる。
「その身に・・・返す――!!」
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次回はいよいよ最終話!
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