〜彦根&関ヶ原〜
井伊直政公おっかけ旅行記

2001. 5 .3〜5. 4

琵琶湖の湖東、滋賀県は彦根。
徳川譜代の重臣として西国監視の要職に就いた、井伊家35万石の城下町です。
関ヶ原合戦の戦功によって、石田三成の居城・佐和山城を与えられた井伊直政が、湖岸に築いた新領地であり・・・合戦の2年後に、直政が42歳の若さで亡くなった地でもあります。

・・・というわけで! 自他共に認める直政ストーカーの私としては(爆)、昨年(2000年)10月の「関ヶ原合戦400年祭」、そして今年2月に訪れた浜松城&井伊家ゆかりの龍潭寺(静岡県)に続き、3度目の史跡旅(・・・あ、ちなみに前の二つは写真がないので、旅行記書いてません・・・(^^;)。そんでもって、彦根からは関ヶ原も近いので、ついでに行ってしまおう!ということで、1ヶ月前に宿と新幹線を予約し決行ーっ!!

まずは一泊二日の一日目から・・・いってみよう! ←いかりや長介ふう


■ 5月3日(一日目) ■

新横浜より、新幹線で米原へ。そこからJR彦根駅までは1駅です。
そして、彦根の駅を出てみれば・・・・・・

JR彦根駅前・井伊直政公銅像

いたーーーっ!!直政さん!!

・・・何? 小さくて良く見えないですと・・・!?

馬上の直政・・・カッコイイッ(><)   でもお顔はねぇ・・・間近でも良く見えないんですよ〜。

では、直政公にズーーーム!!

周りのベンチに若いおにーちゃんたちがいるにも関わらず、水を得た魚のようにシャッターを押す私。(イヤ、ちょっとは恥じらいもあったケド・・・)。そんな私を温かい目で見守る(笑)友人。彼女は、「ディズニーランドに行ったときに、ダンボのてっぺんにいるティモシー(ネズミ)を激写する」私の姿を知っているので、今回も存分にはしゃがせてもらうコトができました。銅像直政さんとの2ショットも撮ってもらったし(爆)。うれしい♪

井伊直政公像・説明書き  

井伊直政公像

 永禄四年(1561年)現在の静岡県井伊谷に生まれ、幼少の頃から文武両道に励み、慶長五年(1600年)に徳川四天王の一人として天下分け目の合戦で知られる関ヶ原の戦で功をあげ、石田三成の居城であった佐和山城を与えられ、十八万石の大名となった。
 その後、城を現在地の彦根山へ移そうとしたが、同七年(1602年)四十一歳で病没し、子らが直政の遺志を受け継ぎ二十年の歳月を費やし元和八年(1622年)彦根城を完成させた。
 こうして、彦根三十五万石初代藩主井伊直政公は、今日の彦根市発展の礎を築いたのである。

・・・で、さらに続きを見て頂ければおわかりになると思いますが、今回の旅行の写真、半分くらいこの直政銅像なのです・・・(核爆) あぁっ、でも後半は関ヶ原の写真もちゃんとありますから、呆れて帰らないでくださぁーいっっ。

☆その中の一部、「直政後ろ姿コレクション」☆

真後ろから・・・。   後ろに乗せてもらいたーい!(お馬鹿)

背中に抱きつきたーーい!!(壊)

さてと、ホントはもっといっぱいあるんですけれど、いいかげん次の目的地へ行きましょう。
彦根といったら、国宝・彦根城! 彦根城といったら、彦根城博物館!
駅から大通り(「駅前お城通り」というらしい)をまっすぐで、10分くらいでしょうか・・・(^^)

 案内板の一部  ←その途中で、こんなの見つけちゃいました。
周辺の案内地図・・・に、しっかりと「直政公銅像」が。

駅から歩いてくる道の感じでは、けっこう人もまばらだったのですが、城のお堀あたりまでくると観光客も多くなってきました。(車で来る人のが多いのかな) 博物館と城は隣接しているので、まずは博物館のほうへ。自分的に、城よりもこっちのほうがすっごく見たかったので!

彦根城博物館の中は、展示室が6つに分かれていて、それぞれ「武家の備え」とか「幽玄の美(能衣装など)」その他、書物や調度品etc・・・井伊家と彦根藩の生活・文化の数々をじっくりと見てまわることができます。なかでも笑えたのが、?代藩主(直政とか息子ではないことは確か。子供用だったかも)の「ポシェット付き甲冑」!! 腰のところに布の小物入れみたいなのが付いていて、説明書きにしっかり「ポシェット型の」って書いてあるんですよ。悪いケド大爆笑してしまいました(こらえ笑い(^^;)。

・・・そ・し・て! ここに見に来た最大の目的、井伊の赤備え!!
きゃあぁあぁぁ・・・ついに・・・ついに鎧とご対面・・・・!! あの例の金の脇立(ツノ)つき赤甲冑が、どーんとガラスの中に座っているっ。ってゆうか、脇立めちゃくちゃ長いっすよ・・・(驚愕) それから、大っきい「井桁紋」の旗印。マジでかいですって、コレ・・・(^^;;; これを一人で軽々と(?)掲げて進軍してる「関ヶ原合戦図屏風」の使い番の人・・・スゴイなぁ!!

ところで、今こうして振り返りながら自分、肝心の”直政が関ヶ原で実際に着用した甲冑”(脇立無しのもの)の記憶がぜんぜん残ってない・・・(うーん)、というか、展示の中に無かったような気さえするんだけど・・・・・・。
それともまさか、同じ甲冑展示にあったポシェット鎧の衝撃が、直政鎧の印象を消し去ってしまったのかッ!??(・・・そのくらい”笑撃”だった(号泣))

さてでは、お次は彦根城内へ、レッツゴー!

彦根城  

彦根城を撮影。
なんかすごく自分の「ヤル気のなさ」が表れているというか(他に比べて(^^;)・・・城も中心から外れてるし(爆)

この適当感の理由は――。

・・・だって、だって・・・。
この彦根城の実現が叶う前に、直政は苦しみのなか、この世を去ってしまったんだもの・・・(;;)
もちろん、息子たちが立派に遺志を引き継いでくれたし、その後の永き井伊家のつながりというのも、忘れてはならないところだけれど・・・。

やっぱり私は井伊直政個人のファンだからさっ!(←本音)

この城に直政さんが住んでたわけじゃないしなァ〜・・・(^^;

それにしても、このお城。中の階段、すごいですよ。階段というより・・・むしろハシゴ?・・・いやいや、階段は階段なんだけれどハンパじゃないくらい急で・・・・・・。ほぼ垂直。
手すりに掴まりながらでないと、上がるのも下りるのも超危険。みんな慎重にいくので、階段待ちの列ができておりました(笑) 行かれる方はお覚悟を〜!

広い彦根城の敷地を出てすぐの、「夢京橋キャッスルロード」という江戸の町屋敷風の食事・土産店通りへ。イメージ的には倉敷みたいな感じでしょうか。
この通りの中に、「宗安寺」(佐和山城の城門を移築)というお寺があったのですが、ここで意外な発見を! 発見、だなんて軽々しく言っちゃいけないのでしょうが、木村重成公の首塚がありました。木村重成といえば、大坂の陣で井伊直孝隊と激戦して若くして討死。いろいろと美談を残している武将ですよね。

ア○フルとかレ○クとかをバックに(笑)  

彦根駅に戻ってきて、またパチリ☆
街の風景をバックに。

二日間あわせ、直政公像の写真だけで約20枚ありました・・・(大笑)

彦根から電車で20分くらい。宿泊地のある長浜へ。

この長浜の駅前に、有名な(?)「秀吉と三成の出会い」の像がありましたよ。少年三成が秀吉に茶を出している、あの像です。その前が横断歩道で、通行人の邪魔になりそうだったので、写真は撮りませんでしたけど。(「決戦ワールドガイド」(KOEI)にも載ってるし)

宿泊は、琵琶湖の湖岸の「長浜ロイヤルホテル」。大浴場と露天風呂(長浜太閤温泉)がありますよ〜♪(^-^)

ホテル内の居酒屋で、地酒「七本槍」発見!!
「賤ヶ岳七本槍筆頭、福島正則じゃー!」と名乗りながら、元気に一騎打ちに臨んでくれる『決戦』の福島正則が思い浮かびます(^^)

お味のほうは、意外に(?)さっぱり系でした。

   地酒のステキなお品書き

彦根にも長浜にも、見た感じゲーセンが見当たらなかったので、婆裟羅を想いつつ風呂上がりのゲームコーナーで、シューティングをプレイ・・・。(ゼビウスとか)

明日は、お寺と関ヶ原だ!

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