井伊直政公おっかけ旅行記
■ 5月4日(二日目) ■
この日はまず、ホテルから5分ほどの同じ公園内にある、長浜城へ! 縄文時代〜秀吉の城下町形成〜近代と、琵琶湖北の歴史を様々な展示から見ていくことができます。そして最上階の展望台から、伊吹山(と思われる)方向を眺めて・・・「あの山の向こう・・・関ヶ原。あとで行くからねぇっ!」(←心の声(笑))
駅を境に、彦根城とは反対の方向。目的のお寺は二つ。
〜直政の墓所・清凉寺〜
彦根初代藩主井伊直政公が関ヶ原戦の傷がもとで亡くなった為、この地を墓所としました。以来「清凉寺」として井伊家代々の菩提所となりました。また、幕末の大老井伊直弼公が参禅修行した寺として知られています。
このお寺、ガイドブックに「拝観許可必要」と電話番号が書いてあったので、前日に連絡してみたのですが・・・・なんとお答えは「拝観は出来ないんですよ」とのこと。ええっ!??(@@)
実際行ってみると、とりあえずお寺の敷地内には普通に入れました。全く人影がなかったので、ちょっとドキドキしましたが・・・(^^; とにかくココには直政さんのお墓があるのですからッ! とりあえず、どこにあるのかわからないけど、墓地内を探すしかありません・・・お寺の裏山の墓地にずいずいと登っていく姿は、さぞバチ当たりだったことでしょうなぁ(大汗)
そして! お墓がいくつか並んでいる所に、井伊家の家紋の入った塀の一部(?)みたいなのを発見! 真ん中の墓石には「井伊家代々」という文字も見える・・・。ここが――!!
・・・それにしても。直政さんのお墓は・・・・・・どれじゃい???
墓所が6つくらい並んでいて、それぞれ下(地面)に1、2、3・・・と手書きで書かれたものがある。墓石の文字がよく見えないんだよなぁー、法名でも書いてあればわかるんだけど。うーん。
〜彦根藩井伊家の菩提寺・龍潭寺〜
龍潭寺は、井伊家出身の遠江国(静岡)井伊谷龍潭寺に、ちなんで元和三年(一六一七)に創建されました。見所は、蕉門一哲の森川許六の襖絵、枯山水のふだらくの庭、池泉式の書院東庭がみごとです。
清凉寺のお隣にある、龍潭寺。静かで、しっとりとした雰囲気のお寺です。静岡のほうよりかは観光客も少なかったですね。
PHP文庫「井伊直政」で最後、直政が、幼少の頃から自分を守り付き従ってくれた、井伊谷の龍潭寺の昊天和尚に、「和尚よ。彦根に来て、ちからを貸してくれぬか」と言う一文があります。
時間の関係で、丁度この裏辺りにある佐和山城址には、今回は行くの断念したのですが、ここら一帯は見所が多いですよ・・・。またいつか来なければ、ね!
・・・で、JR関ヶ原駅に着いたのは、午後4時くらいだったでしょうか・・・。
やってきました、関ヶ原ーッ!!
まずは、前回来たときに見つけ損ねた(阿呆)、井伊直政&松平忠吉の陣跡へ! |
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ここは道路に面していて、すぐ下に線路もあったりするので(電車からも旗が見えた!)、あまりこう・・・当時の雰囲気というものを感じられないのですが・・・、まあ、このあたりに赤備え軍団が集まっていたのだなぁ〜ということで。
同じ場所には、「東首塚」と「首洗いの古井戸」も。
それから、直政がらみといえば、「抜け駆け」で有名な開戦地!
あと、やっぱり、笹尾山(石田三成陣)の目の前、黒田隊や細川隊、島左近隊などが激戦を繰り広げた「決戦地」も見ておかなければー。
・・・写真ばかりで、コメント少なくてすいません。ここ関ヶ原は、言葉抜きで本当に良い所で(戦場を良い所というのもなんだが(^^;)、歩いているととても気持ちのいい所なのですよ・・・。
そして最後に、黒田長政&竹中重門が陣を敷いた、丸山烽火場へ――。
さてさて、旅行記もこのへんでそろそろ終了です。
急ぎ足だったけど、関ヶ原・・・好きだわぁ〜やっぱ(*^^*)
っと、最後に、関ヶ原駅のホームから見えるステキな看板を載せて、終わりにしましょう☆
長々とここまで読んで下さり、どうもありがとうございました! |
written by yumi 2001. 5.16
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