★開店三か月目の報告

●ますだあーと書店、開店三ヶ月目の報告――
                   クズ本・ダメ本の行く末について思うこと。

              
       
 ますだあーと書店と富士見堂がネット上に立ち上がって3ヶ月目に
なった。報告するのも気が重いが、現況と今の“気分”を書かないわけ
にはいかない。
 まったくの無名の、しかもパソコン初心者の素人が古本屋を始めて3か
月程度でメシが食えるはずはない。でもネット古書店先人たちの本や
話を読んで、何となく始めれば多少でも売れて、小遣い程度の金になる
のでは、と思っていた。まったく甘かった。大誤算だった。目録の本の
数が少なく売れ線の本がないのもいけないのだろうが、そもそも一体、
お客がどれほど来ているのか知りたくて8月の終わりにカウンターを
トップページに設けた。で、現在のところ、10月1日の時点で500人を越え
たところ。これが一般的な数字なのかわからないが、ただ、一日に換算
すると20人弱、この中には僕が新ページ更新の度に実際に表示される
画面を確認して訪れた回数も含まれているのだから、その分を除くと一日
10人前後。おそらくそれは、サイト関係者とか、友人知人たちがアクセスした
分だと思うし、そう考えるとこの数字はあまりに少ないのではないだろうか。
 最近になってようやく検索システムで多少はひっかかるようになって来たが
依然「富士見堂」と「ますだあーと書店」は、世に存在はしてはいるものの、
ネットの世界では無名のままなのだ。
 古本屋に関してだと、それでも3ヶ月たてば何冊かはお客から反応がある
だろうと漠然と気楽にタカをくくっていたが、結果としてこの三ヶ月で0冊。
友人間で何冊か引き合いはあったものの、一冊も売れていないから1円にも
なっていない(僕は友人相手に商売しようとは考えていない)。
 これまでの折々の報告では、自らを叱咤激励すると共に、対外的には内面
の不安や悩みはオクビに出さず、無理してでも“平静”を装って、まあ売れない
けど大丈夫、そのうち何とかなると威勢のいいことを書いてきたが、今回こそ
正直な今の気持ちを書こう。
 「増坊日記」にも書いたが、先日、マスダがこの古本屋を始めるきっかけを
作ってくれたKちゃんという“影のオーナー”に呼ばれて彼の自宅まで会いに
行った。そしてたくさん話をして大変刺激を受けた。いろいろ考えさせられた。
行って良かったと思っているが、ただその場で、彼から言われたこと、「読み
捨てられた本を流通させたいとか、大きな志を宣言したって結局、本は一冊も
売れていない=動いていないじゃないか」――こんなキツイ言い方ではないが
――という矛盾を突いた鋭い“指摘”がそれ以来頭の中から離れずに、さらに
それまで深く考えてこなかった疑問が次々と湧いてきて混乱してしまった。
 本気で商売する気があるのか? いや、商売は抜きで捨てられ処分されようと
している本を求める人に手渡したいだけなのか?、いや、そもそもそうした本は
売るにしろたとえタダにしろ動くのだろうか? だとしたらどういう手段がある
のか? いろいろ考えあぐねているうちにもう何がなんだかわからなくなって
心臓はドキドキ常に高まりドウキを打って、呼吸も苦しく、夜もよく眠れず
(いや、実は何もしたくなく早く寝てしまう)胃ももたれて何を食べても消化
せずシクシク痛んで、些細なことにイライラして家族に当たりちらしたりで
こりゃまた心療内科にかからなくてはと考えた。これからどうやっていいのか
答えが出ない、わからないという状態。古本屋をやめようとか、サイトそのもの
を閉じてしまおうとまで深く考えないが、これまでは、コツコツ続けていけば
そのうち何とかなる(ひょうたん島のドン・ガバチョのように)――やがては世に
知られ本も売れるようになると盲信して一応、これでいいのだ、と“納得”して
気楽に構えていたのだが、急にその自信が崩れて、このままではダメなままだ、
そろそろ何とかしないとと焦り始めた。ともかく客をまず増やさないと。
 全然関係のないレディースマンガ家のホームページに相互リンクを申し込んで
断られたり、ひたすら妄動を繰り広げ、ますます袋小路に入り込んで五里霧中から
さらには闇の中を手探りで徘徊するような出口の見えない精神状態が続いた。
 基本的悩みというのは、本が全然売れない→流通させられない→商売になら
ないのか→ならないのならしょうがない→ある程度のところで見切りをつけるか
→このサイトは書評とか古本に関する趣味のページと割り切って続けていくか
→そしてまた工場とかでアルバイトを探して「本業」をきちんとみつけるか→
その場合、たまった本、これからも増えるであろう古本をどう処分するか→
こんな古本屋でも10円、もしくはタダだと宣伝すれば本はさばけるのだろうか
→いや、そもそもたまった古本を流通させる案としてネット古本屋を考えたのは
間違いだったのか→それともマスダの手元に集まった本はどのような売り方
宣伝をしても“流通”することのないただの「紙ゴミ」なのか?
 いくら考え悩んでも答えはまだ出ない。
でもひとつだけ確かなことはまだ三ヶ月、たかが三ヶ月で結論を出し、見切りを
つけることは性急すぎるということだ。僕マスダの当初のもくろみ、発想は
はなはだ甘かったことは認めよう。世は不況のまっただ中、世間はそんな甘く
ない。拾ってきた本や、他人が読み捨て処分に困った本で商売になるはずが
なかった。Kちゃんの勧めるように、今あるクズ本は思い切って本当に処分し、
売れる本を揃えて本気で商売に真剣に取り組むべきか。
 商売のコツは、売り方だ、発想とセンスと工夫、そして努力だ、と彼は教えて
くれた。彼の言うことはすべて正しいと頭ではわかっている。でも心の部分、自分
の中ですっきりと割り切って“商売”に徹することには迷いが未だある。
 甘い夢物語だと笑われようとも、手元にあるクズ本、ダメな本たちをせめて
もう一度誰かの手に渡してページを繰ってもらえるようにしてやりたいと思う。
 商売なんかならなくたっていい。持ち出しにならなければタダだっていい。
ともかく今あるダメ本たちを一冊でも流通させたいと思う。この気持ちだけは
今もまったく変わらない。夢物語だろうか。
 古本屋を始めようと思った当初、ネットの世界ではあらゆる情報が飛び交い
網羅されているから一般的古本屋で扱わないクズ本、ダメ本でも必ずどこかで
求めている人がいてその人の手元に、あるいはその存在を知りふと読んでみたい
と思った人の所へ流通するに違いないと考えていた。それは幻想か。
 あらためて考えてみる。では、僕はそのための努力や工夫を十二分にしたのか?
精いっぱい力を尽くしたのか? 否、NO!だ。
 つげ義春のマンガの中で、拾った石で商売を始めようとした男に対しその妻が
「あなたはいつだって本気じゃなかったじゃないの!」と泣きながら抗議する場面
があった。いつだって夢のようなことばかり言って…と。
 僕にはこう言ってくれる妻はいないが、自ら問いただしたい。「オマエはいつ
だって本気じゃなかったじゃないか! と。
 3ヶ月たった。ここらでもう一度、本当にもう一度、初心に戻って本気になって
真剣に古本屋に取り組みたい。おかしな話だが、商売抜きで本を売りたいと思って
いる。そして本当の結論が出て、僕自身が夢から覚めるまで古本屋は何があっても
続けていく決意を今ここで改めて宣言しよう。夢からは覚めないが目は覚めた。
 今後のことは随時またご報告していく。期待はしなくていいし、励ましの言葉も
いらない。ただ刮目して時々でいいからサイトを覗いてもらいたい。
                               【03年10月1日記】

トップへ
トップへ
戻る
戻る