大人になってもいやいやえん

●日本語についていやいやえん

最近、ちゃんと日本語がしゃべれない人が増えてるって思い
ませんか? 読み違いとか、いい間違えなんかならばともかく、
間違いそのものに気づいてないことが多い。「この人、誰かに
教えてもらわなかったのか?」「ずっとこういってきたのか?」
なんて真剣に思っちゃいます。ま、ささいなことなんですけどね。

 試写を観に行くと映画の前に短い前説(?)があって、宣伝
部の人がその映画についてのデータ=上映時間・公開日・劇場
=なんかをいうんですが、そのときに日付がちゃんといえない
人がいます。24日(にじゅうよっか)が「にじゅうよんにち」
なのはまだいいとして、27日(にじゅうしちにち)が「にじ
ゅうなのか」なのはいかがなものか。17日=「じゅうなのか」、
18日=「じゅうようか」なんてものあります。当人は間違い
だと思ってないので、全然平気で流れるようにしゃべってるの
ですが、聞かされる方はつらい。「誰か教えてやれよ」と思う
けど、誰も指摘しないようでで、奇妙な日本語はさらに蔓延
していく一方です。
 
もうひとつ気になってるのが「いらっしゃいませ」。こっち
は言葉というよりアクセントなんだけど、あの平坦語で語尾が
下がる「いらっしゃいませぇ〜え」、なんとかならないもので
しょうか。いやでいやでたまりません。声を張り上げて連呼さ
れればされるほど、鳥肌が立ちます。だいたいあのアクセント
って、誰にも呼びかけていないんですよね。普通の「いらっし
ゃいませ」ならば、相手がいるんだけど、「いらっしゃいませ
ぇ〜え!」は誰にも向いてない。強いていうならば、自分に向
かっていってる(仕事してるっていう自己確認みたいなものか
?)。たいていの場合、「いらっしゃいませぇ〜え!」はあら
ぬ方向に向かって叫んでることが多いようです。棚の商品の整
理をしながら、あるいはものを運びながら、下向いて在庫チェ
ックしながら「いらっしゃいませぇ〜え」。要は「いらっしゃ
い」という気持ちが入ってないんですね。なのになぜか大声で
腹の底から連発(原点は魚屋の呼び込みにあるような気もする)
するものだから、呪文のように聞こえて、不気味に響くのです。

 この「いらっしゃいませぇ〜え!」、最初はマツモトキヨシ
とか、ダイソーなんかが主だった気がするのですが、気がつい
たら「遊星からの物体X」みたいに深く静かに侵攻してました。
最近では若いバイトくんだけじゃなくて、中年のパートの「お
ばさんの中にもこのアクセントでしゃべってる人を見かけます。
「だれにいってんだ」「はずかしくないのか?」といいたくな
ってしまいますが、これも日本人的な「長いものには巻かれろ」、
あるいはシャイな国民性の裏返しなのでしょうか。
 マツモトキヨシで耳塞いでやっとの思いでハミガキを買ったら、
レジのにいちゃんが、語尾下がりの平坦語でいいました。
「ありがとうございましたぁ〜あ」。ああ、やっぱりいやいや
えん。
 《富士見堂通信04年6月30日号掲載》

●バレエの発表会でいやいやえん

いやあ、もうたいへんなんです。バレエの発表会。いやいやえん
は先週よりさらに深刻化してます。「こんなはずじゃなかった」って
のが本音です。
 はじまりは一年くらい前でした。「発表会に出る?」と聞かれて
「はい」と軽く応えた私。子供のころから集団行動が苦手で、人見
知り過多で、偏屈な私は、習い事にもあまり縁がありませんでした。
これについては両親の多大なる無関心が根底にあるのですが、この
ことについて書くと一晩くらいかかっちゃうのでやめときます。ま、
そんなわけで多くの人が幼いころに経験してる「発表会」について
何も知らない私は興味津々で返事をしたのでした。
 バレエのレッスンは土曜日の午前中です。1時間半のレッスンの
中で先生は少しずつ時間を割いて(発表会に出ない人もいるので)
振りをつけてくれました。演目は全員参加のフィナーレを含めて全
部で3つ。どれも短いものです。それでも猫ほどの記憶力の私には
かなりへヴィでしたが、「まだまだ時間もあるし」とのんきに構えて
いました。

 空気が変わったのを感じたのは春になってからでした。いつもの
レッスンのあとに1時間の特別レッスンが加わって、他の教室から
も生徒さんがたくさんやってくるようになりました。
4月後半には発表会に向けたGWのスケジュールが伝えられました。
29日:プログラム用の写真撮影&メイクのレッスン。
1日:いつものレッスン。2日:通し稽古(10〜21時)。
3日:通し稽古(10〜20時)。GWの「たまった原稿一掃作戦」
は見事玉砕しました。通し稽古には総勢100人強の生徒さんたちが
集まりました。ベイビー・クラスからマダム・クラスまで「夢見る
永遠のバレエ少女」たちが勢揃いした光景は壮絶なものがありまし
た。いや、それよりもその熱気というか、気迫というか、情熱にく
らくらきました。みんな命かけてるって感じ。ちょっと不安になり
ました。

 連休が明けにはさらに気迫に拍車がかかり、先週はいつものレッ
スンのあとに有志による自主レッスンが組まれました。今週末も自
主レッスンがあるとのお知らせがきてます。どうやらみんなは通常
の土曜日以外にも別の教室のレッスンに行っているようです。週一
のレッスンで発表会に望めると考えてた私が甘かったのかもしれま
せんが、こういう展開は考えてなかった。週に1時間半が時間的に
も体力的にもやっとなのに、さらに追加の自主レッスンとは(しか
も自分たちでスタジオ借りて)。
 発表会というのは時間を食うものだということをはじめて知りま
した。それからお金も。そうなんです。お金、これがまたたいへん
なんです。参加費、衣装代、個人持ちのタイツ&シューズその他、
スタジオ代、メイク用品、プログラム代、さらに先生へのお花代、
先生へのお礼……。まだ他にも記念写真代やDVD代などが出てい
きそうです。お金もない、時間もない、体力もない、心に余裕もない
私には大打撃です。

 発表会までひと月を切って、さらにみんなの気迫に加速がついて
てます。その気迫に押されれば押されるほど、いやいやえんになっ
ていく私。どうしてみんなこんなに力が入っちゃうんだろ? 命か
けちゃうんだろ? って思ってしまう。あまのじゃくなんです。生
まれつき。今はただ発表会が風のように過ぎ去ってくれるのを待つ
のみです。先生も好き、いっしょにレッスンしてる仲間も好き。も
ちろんバレエも大好き。でも、このままだと全部がいやいやえんに
なってしまいそう。たすけてください、バレエの神さま!
《富士見堂通信04年5月31日号掲載》

●とんだ雨漏り騒動でいやいやえん

「ベランダから下の部屋に雨漏りがしているようなので部屋を
見せてほしい。水道屋を連れて行くから」と、マンションを管
理している不動産屋から電話がありました。普通の生活を送っ
てる人ならば、なんの問題もない話です。「はい」と答えてす
ぐにでも通すでしょう。でも、わが家の場合は違いました。問
題のベランダはツユクサが這いまわって、ついでに植木鉢いっ
ぱいになった植物の根っこも排水用の穴から這い出して、タコ
の足のようにベランダを埋めつくしています。たぶん、ふたつ
ある排水溝は根っこと土でいっぱいです。ベランダの表面には
ひび割れどころか、穴が空いてるかもしれません。これではと
ても見せられない。というわけで、掃除をすることになりました。

 ところが、片づけはじめてすぐに難問にぶつかりました。掃
除するのはベランダだけではない。不動産屋は玄関から入って
くる。ってことは、玄関からベランダに至る道をつくらなけれ
ばなりません。ルートはふたつあります。2畳ほどの玄関から
仕事場を抜けて寝室からベランダに至るコース。もうひとつは
玄関からダイニングを通ってベランダに至るコース。ものを捨
てるということを知らない私の部屋は、数年前に入った空き巣
もびっくり仰天した筋金入りの満杯度です(足の踏み場は残っ
ているが、至るところ本やビデオや新聞や映画の資料で雪崩直
前のアルプス状態)。最初は全部の部屋を片づける気でいまし
たが、ぐるっと見渡して3秒であきらめました。さてどっちの
コースを取るか? 簡単です。3つより2つです。玄関→ダイ
ニングに決定。気の遠くなるような作業がはじまりました。
〈中略〉あまりにも長い行程なので自主的に省略。

 さて、気がつけば当日。不動産屋の「査察」の日です。前々
日、深夜にこれはどう転んでも片づかないと判断した私は翌日、
電話をかけました。不動産屋は明るく屈託のない声で「水道屋
にもたのんでるから無理」といいました。そして2時間だけ
時間をずらしてくれました。いい忘れましたが、この大掃除の
週は少ない仕事の私のレギュラーの〆切りが集中する週でもあ
りました。「このくそ忙しいときにどうして。ほんとにまった
くいやいやえん」と呪いの言葉を吐いたことも10回や20回
ではありません。タコのように手が8本あればと本気で思いま
した。当日、8:00に資源ゴミである雑誌をの束を20あま
り出し、その前の日にはベランダの雑草やゴミ&室内の燃える
ゴミなどを15袋くらい出しました。廃園状態のベランダはツ
ユクサの絨毯のようになっていました。ベランダをなんとか片
づけ、ダイニングの床を見えるようにして、掃除機&雑巾をか
けたのが査察の1時間前。玄関は時間的にも体力的にももう無
理でした。で、でかいシーツやタオルをかけてカモフラージュ。
なんとか間に合いました。
 
で、結果です。水道屋曰く「う〜ん、どこも漏れてませんね
え」。早い話が古いマンション(築30年以上)なので、全部
引っ剥がしてみなければわからないということでした。たぶん
3階のベランダから洩れているんじゃなくて、前回防水工事を
する前にたまってた水がしみだした可能性大といってました。
 近いうちにベランダにさらなる防水加工をすることを決めて
査察は終わりました。玄関に向かう不動産屋&水道屋の後ろ姿
を見ながら、「うん、それでもなんとかうまく片づけたぞ」と、
ほくそ笑む私。その気配を感じたのか、不動産屋が振り返って
いいました。「これじゃあ、コソ泥がきても大丈夫だね、三留
さん、なんたって入れないもん」。私の1週間がかりの努力は
なんだったんだ! ああ、ほんとにいやいやえん。
《富士見堂通信04年4月30日号掲載》

●いやいやえん仕事着について考える。

 みなさん、お元気ですか? 私はまあまあ元気です。年末進行に巻き
込まれ、鬱だとかぶーたれてる間もなく、気がついたら今年もあとわず
かです。残る仕事もあと少し。で、今日は仕事の話、ううん、仕事着の
話です。
 みなさんはどんな格好で仕事をしてますか? サラリーマンの方は
スーツですか? サラリーマンでなくても男の人はネクタイが多いので
しょうか? 女の人も、やっぱりそれなりのちゃんとした格好でしょう
か。高い靴履いたり、ストッキング履いたり、なんかそれだけでたいへ
んそうな気がします。
 私のようなフリーの仕事だと、原則、自由です。試写室に行くのに思
いっきりおしゃれしてくる人もいますが、たいていの場合、もの書きは
ものぐさなので、家で原稿を書いているときとほとんど変わらない格好
で出かけます。ま、サンダル履きとか、ジャージ姿ではさすがにきませ
んが……。試写室とかできれいな格好をしている人は、どっかの広告代
理店の人だったり、編者者だったり(もちろん一部の)、電波関係だっ
たり(現場以外の)、原則フリーではない人たちと考えて間違いないで
しょう。
 今日のお題の仕事着はずばり仕事をするときの格好です。私でいえば、
絵を描いたり、文章を書いたりするときの服のことです。何を着てるか
といえば、楽な格好。しめつけるタイプのものはいけません。文章を書
く(打つ)場合はそれほど、着るものにはこだわらないのですが、絵を
描くときは少々、神経質になります。しめつけるものはもちろんNGで
すが、ずるずるとゆるい感じのものもいけません。特に袖のあたりがポ
イントで、ここが長すぎたり、ゆるすぎたり、もごもごしてたりすると、
描いているあいだに、腹が立って切り落としてしまうことになります。
なるべくぴったりとした、無駄のない、それでいてしめつけすぎたりし
ない、そんな機能的な袖が理想です。もちろん、その他の部分もふわふ
わとのったくったり、無駄に長かったりするのは言語道断なのですが
(ドレスを着てるんじゃないんだからさ)、やっぱ問題は袖でしょう。
 ご指摘されるまでもなく、半袖とか、ノースリーブなどの選択肢もあ
ります。でも、我が家は完全暖房ではないので、冬は冬の服装が原則で
す。スモックのような仕事着を羽織るというアイディアもあることはあ
るのですが、袖口のゴムがイヤ。お役所の人たちがしてるアームカバー
も当然×です。
 そんなわけで、絵を描くときはなるべく薄手の(袖口のぴしっとした)
長袖Tシャツなどを着ています。でも、これ結構寒いです。上にはもち
ろんセーターやトレーナーなんかを着込んでいるのですが、なにせ袖口
が命なので思いっきりめくってるからです。ぴしっとしたはずの長袖T
シャツも着ているうちにだんだんのびて「でれん」としてきます。そう
したら、早々にお役ご免。後釜を探すために仕事は一時中断です。
 実はかれこれ20年くらい前から、考えてる仕事着があります。はずか
しいのでほとんど誰にも話したことがないのですが、これはとても機能
的だと思っています。伸縮力抜群。着心地まあまあ。袖回り無駄なし。
まさに夢の仕事着です。それはレオタード。保温性もすぐれて、どんな
動きにもぴったりです。問題はトイレくらいかな(なにせ水着と同じ構
造なもんで)。それと、見栄え。もちろんレオタードの上には(もちろ
ん下にも)ちゃんと何か着ますよ。それに誰かに見せるわけじゃないし。
でも、どこかふとはずかしい気がするのはなぜでしょう? 私にもよく
わかりません。
 しばらく休んでいたバレエをまたはじめたので、今はレオタードが常
に身近にあります。けれどもまだ仕事着にする勇気はなし。やっぱあれ
は他のことに使ってはいけない代物でしょうか。
 なんかこんなシーンを思い浮かべるのです。「つるのおんがえし」で
絶対に開けてはいけない部屋の襖を開けると、そこにはレオタードを着
て機を織っている吉永小百合の姿が。すみません。話がそれてしまいま
した。ともあれ、どなたか私に究極の仕事着を教えてくれませんか? 
          
《富士見堂通信12月23日号掲載》

●うつになったいやいやえん

みなさん、お元気ですか? 私はちょっとうつです。いいえ、「うつ」
なんて自分でいえるうちは「うつ」なんかじゃないのかもしれません。
まあ、ちょっとうつ気味。沈んでる。気持ちが悶々って感じです。先週
末は「もう映画観に行くのもやめちゃおうかな」なんてふと考えたりし
ました。そしたら、試写室の入り口であれこれめんどくさいこともないし。
きっとすごく楽かも……。現実逃避ってやつですね。
 映画の仕事は20年ちょっとになります。最初の仕事が情報誌だったと
いうこともあって、試写室ではいつもプレスと呼ばれる(映画の)資料
と共にスチール写真をもらってきました。もちろんイラストを描くときの
資料用という理由もありました。ところがこの数年、スチールをもらう
のが困難になってきたのです。前にも書きましたが、今や映画会社の宣伝
部はそのほとんどが若い女の子たちになり、入れ替わりも激しい。昔は
「映画が好きなのでこの道に」という人が大多数だったのですが、今は
必ずしもそうではないらしく、映画という共通語でのコミュニケーションが
はかれないこともしばしばです。

 試写室の入り口で「スチールください」というと、マックのバイトみた
いな口調でこんな言葉が返ってきます。「どこの媒体ですか?」「いつ掲
載ですか?」。こちとらフリーの身。ましてやまだ観てない映画について
「どこで」「いつ」なんて答えることもできません。「イラスト描くとき
の参考に」なんていったら首を傾げて「???」。最初のうちは「掲載の
予定とかがわからないともらえないの?」とか「前はそんなこといわなく
てももらえたのに」とかいって抵抗を試みた私ですが、相手にはまったく
通じず、最近はすっかり弱気になって、「まだわからないけど、もらえる?」
なんて下手に出る始末です。今まで当たり前のようにスチールを出してくれ
る宣伝マンがいて、当たり前のようにもらっていた自分が恵まれすぎていた
のかもしれません。スチールだってバカにならない経費がかかってます。
この不景気の今日、絞るところは絞りたいでしょう。でもなあ、もう少し
ましな「ものいい」があってもいいんじゃないかと、中年イラストライター
は考えるのです。通り一辺倒の感情の入らないやり取りじゃなくて、もう
ちょっと人間味あふれる言い方。いきなり「どこの媒体で?」なんて無粋
に聞くんじゃなくてさ。昔は宣伝部とライターの間にも「阿吽の呼吸」
みたいなものがありました。お互いを知っている安心感というか、信頼感
みたいなものが。それが現場から消えて久しい(もちろん今もきちんとした
人もいますが)。ときに宇宙人と話してるような錯覚に陥るときがあります。
 友人のイラストライターはもう何年も前からスチールはもらわなくなった
といってました。「だってめんどくさいじゃん」といっていた彼の気持ちが
今はよくわかります。たしかになくても原稿が描けないわけじゃない。でも
あればやっぱりありがたい。だけど、入り口でのやり取りはもううんざりで
す。たかがスチール、されどスチール。ああ、いやいやえん。考えるだけで
試写室への足が鈍ります。

 先日、『●●●●●』というとても面白い映画を観ました、アメリカのフォ
ークソングの原点を追った女性音楽学者の物語です。もうスチールをもらう
のはほとんどやめにした私でしたが、映画がよかったので、帰りにもらうこ
とにしました。「ください」というと、やっぱりいつものお応え。「どこの
媒体になりますか?」「まだわからないんだけど、それでももらえますか?」。
彼女は気持ちよくスチールを出してくれました。ところが、次の日、留守番
電話にこんなメッセージが入ってました。「先日、お持ち帰りいただいたス
チールですが、掲載誌は決まりましたでしょうか?」。おいおい、きのうの
今日だ。それに「まだわからない」といったばかりだろう。それよりもなに
よりも、電話の頭につくのは「掲載うんぬん」ではなくて、「映画はいかが
でしたか?」じゃないか。で、その週末はうつに(他に漠然とした仕事への
不安もあったけど)。まったくこんなことでうつになるなんて、ほんとに
いやいやえん。                         
《富士見堂通信03年10月6日号掲載》

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