本の相談室2

お客が全然来ない。ヒマを持てあました店主は、頭をひねって販売促進の一助に
少しはなるべく、本に関する相談室なるものを設けて、お客様から持ちかけられた
本に関するご相談に親身になって精一杯お答えすべく努力いたすこととなりました。

お客様からのご相談A
 ――日本のオススメ作家をおしえて

★前略、店主様。普段はあんまし活字などは
読まない人間ですが、たまには、日本の小説と
いうものを読んでみようと思いました。店主さんは
古本屋なので、小説をたくさん読まれ、いろいろと
面白い小説をたくさんご存知だと思います。
出来れば古い読みにくい小説ではなく、現代
ので、今を感じさせるような新鮮で才気あふれる
面白いのが読みたいです。(ぜいたく言ってスミマセン)
でも最近話題の十代の女の子が書いたようなのは
有名な賞を取っててもちょっとなあ…。
                       ――――西新井大子

店主からの返答

●マスダがオススメする4人の作家。

大変良いご質問だと思いますが、正直に告白すると、古本屋だからと
いって本をたくさん読んでいるのではなく、ただ単に本を目にしたり、
手に取る機会が一般的な人よりも多いだろうというだけで、実際はそう
大して本を読んでいるわけでも詳しいというわけでもありません。でも、
やはり売る手前、まずざっとでも目を通したり、その本と作者に対して
調べたりする必要はあります。そうして出会った本の中には、いろんな
意味で面白く意欲的な現代作家の小説もありました。ご質問には日本の、
現代の、今日的で新鮮、才気あふれる、というキーワードがありました。
そうした要素をすべて満たしているかはわかりませんが、私マスダが、
回答するに値する思いつく作家をとりあえず、4人あげておきます。

●森絵都
●佐藤多佳子
●阿部和重
●佐藤正午

 前者2人は女性、後者は男性と男女半々としました。4人ともポっと出の
新人ではなく、もはや中堅どころ、特に正午氏はベテランの域に達して
いると思いますが、4人ともベストセラー作家ではなく、文学好きの
間では有名でもご質問者の方はおそらくご存知ない名前かと思います。
この中で、森絵都さんは児童文学畑出身の方なので、テイストが異なる
こともあって今回はあえて外して、他の3人についてご説明します。
当店に現在在庫のある彼らの作品にふれながら。

→のあとの価格は当店の販売価格です。

 
★しゃべれどもしゃべれども
 佐藤多佳子 新潮社 1997年 1600円→600円
★神様がくれた指
 佐藤多佳子 新潮社 2000年 1700円→850円

 
★インディヴィジュアル・プロジェクション
 阿部和重  新潮社 1997年 1300円→400円
★無情の世界 
 阿部和重  講談社 1999年 1400円→600円


★ジャンプ 
佐藤正午 光文社 2000年 1700円→400円

●佐藤多佳子
『しゃべれども〜』の主人公は、今昔亭三つ葉という二ツ目の落語家。
26歳だがなかなか目の出ない、頑固でめっぽう気の短い江戸っ子だ。
ケンカっ早く、女の気持ちには疎く、吉祥寺の実家にばあさんと二人で
暮らしている。そう、気づかれたように、彼は漱石の『坊っちゃん』を
そのまま現代日本に蘇らせたものなのだ。そんな彼がふとしたことから、
しゃべりのプロとして請われて渋々話し方教室を開くことになるはめに。
生徒は、従兄弟でドモリのテニスコーチや、黒猫のような謎の美女、それ
に関西弁の小生意気小学生と赤面性の野球解説者。主人公も含め誰もが
生きるのが不器用な落ちこぼればかり。果たして彼らはダメな自分とお
さらばできるのだろうか。ハートウォーミング小説の名人・佐藤多佳子
が贈る、落語家になって蘇った“現代版坊ちゃん”
「本の雑誌」が選ぶ`97年度のベスト10の第1位に輝いたそうだが、この
ベスト10、さるトンデモ本を1位にしたり、あまり信頼が置けないような
感もあるが、本作はまぎれもなく1位になる資格がある。世には面白い
本はいくらでもあるが、本書は面白いだけでなく、読後深い感動と余韻を
与え、満ち足りた幸福感が残る。こんな本はめったにない。この本を未だ
読んだことのない人はそれだけで人生を損していると断言します。作者は
古いタイプの作家だと言われようが、生きることが下手くそな善人たちが
繰り広げる人情話を巧みに描き読み手をほろりとさせる。登場人物全員が
たまらなくいとおしい。本書は当店1番文句なしオススメの良い本です。
この本を読んでもらいたくて僕は古本屋になったと言っても過言ではない
くらいです。
 『神様が〜』は、一転して今度は善人ではなく、天才的スリの男を主役
にした悪人たちの物語。ふとした偶然から彼は女装の占い師と知り合い、
彼の家に転がり込む。刑務所を出たばかりの帰途、電車内で目にした若者
スリグループに肩の骨を外されその復讐を誓いながら若者たちを探し続け
る。けっこう派手な活劇場面もあり、前作とはだいぶ趣が違い戸惑うが、
そこはやはり変わらぬ作者の世界で、読み終えると非道の世界の住人たち
でさえも愛おしくみんな好きになってしまう。落語から、スリ、タロットカードと
まったく違う設定を巧みに書き分ける作者の力量にも感心するが、胸底に
流れるダメ人間たちに対する深い愛情は変わらないからだ。近作に、
『黄色い目の魚』(2002年刊)がある。心温まる小説を書き続ける佐藤
多佳子という作家は殺伐とした読後後味の悪い小説流行の今日、とても
貴重だと思います。

●阿部和重
『インディヴィジュアル〜』
 ジャケ買いという言葉がある。レコードやCDなどの音楽の世界で、中身は
聴いてないからわからないから、ジャケット、つまり外の表紙だけでカンで
商品を買うことだ。ジャケットがいいから中身も良いとは限らないが、外見と
中身の音、けっこう密接な関係があり、気に入ったジャケットのレコードは
買って帰って針を落としてみるとけっこう良かったことがある。そう、こんな
ことは、音楽だけの話で、文学の世界ではまずありえないと思っていた。この
阿部の作品が出るまでは! 別にポルノでもないのに、下着姿の女の子が露わ
な姿でポーズをとっている。表紙の女の子は当時現役の人気風俗嬢だったそう
だが、この本がけっこう売れた裏には、ジャケ買いが大いに影響したに違いない。
この常磐馨の装丁もだが、阿部の本はどれも表紙が常に意欲的だ。日本作家
で彼ほど表紙に気を遣っている人はいないのではないか。というのも彼は日本
映画学校出身で映画評論もこなし、映画、影像に関しては一家言を持っている。
蓮実重彦との対談を読むとかなりクレバーで新しい感覚の小説家だと理解した。
本書はそんな彼の自伝的な?要素の濃い暴力的かつ狂気に満ちた破滅へと
向かう若者たちの物語であり、しかも表紙とはまったく関係ない純文学なのだ。
『無情の世界』も装丁が常磐馨で、波の出る屋内プールでビキニの女の子達が
はしゃいでいる表紙である。何でなんだよ、まったく!。中身については…
 新世代携帯電話と高速ネットから妄想が続々と吐き出され、“リアリティ”が
ヤバいほど希薄になった現代ニッポン。昨日は、快楽殺人の犠牲者が夜陰に
転がり、ガキたちが覚醒剤を吸う。今日も、大バカ者が超レアなブランド腕時計
を命を賭けて万引きし、ストーキングを純愛と誤解する。この国を覆い尽くす
狂気を抜群のユーモアとドライブ感で描破し、野間文芸新人賞に輝いた傑作
作品集―――同タイトルの文庫レビューより転載。というのでご想像いただけ
ただろうか。
 阿部は近作『シンセミア(上)(下)』朝日新聞社(2003年刊)があり、書評など
でも盛んに取り上げられ力のこもったフォークナー的問題作を発表し続けて
いる。彼はこの病んだ飽食の現代日本において純文学を描くという可能性を
模索し続けているように思えるが…。

●佐藤正午
『ジャンプ』
 今は文学が全然ダメな時代だから、一昔のような文学全集などおいそれとは
出せないことはわかりきっているが、もし、戦後文学全集などという企画が
あって、しかもそれは、全24巻程度でまとめなくてはならないとして、どうして
も制約上、カップリングを余儀なくされるとするなら、僕がその選者である
なら村上春樹と合わせて一冊に編む作家がいるとしたら佐藤正午だろう。
 恋人が突然行き先も理由も告げず“失踪”し、残された“僕”は彼女の行方
を探し求めていくが、その行為は不在の大きさを確認するにほかならない――
というストーリーは村上春樹のお得意のパターンであるが、実はこれは本書、
佐藤正午のものなのだ。これを見るように、村上と正午はきわめて近しい世界
をもっているように思えるが、その実、南極と北極が「寒い」という共通点が
あるだけで対極に離れているように正反対の作家なのだ。正午はよく「うまい
作家」だと評価されている。このうまさとは、ストーリーテーラーとしての
うまさに違いない。一方村上もウマイ作家だが、それは、あくまでも比喩や
会話やしゃれた言い回しのそれであり、肝心の「物語」の方は、このところ
いつも中途半端というか、尻切れトンボでうやむやで終わってしまう。昔からの
ことだが、村上は雰囲気の作家であり、その雰囲気をうまく書くことで読者を
気持ち良くさせ作家生活を続けてきた。一方正午は、あきらかに村上作品に
影響を受けつつも、昔風の小説家として、長崎県佐世保という地方都市に身を
置きつつ、地道に起承転結のある「物語」を書き続けてきた。文壇などもはや
存在しない今日においても作家は便利な東京や大阪など大都市に住み集い
たがるものだ。それを思うと正午のスタンスは変わっている。昔はこんな文人が
よくいたことを思い出す。
 話を本書に戻す。村上なら結局、失踪した彼女を見つけられぬまま、その“謎”
も読者は解明されないまま消化不良気味に物語は終了するところだろうが、
正午は、きちんと彼女を見つけだし、彼女の口から意外な真相が語らせられる。
その違いは大きい。それが、小説のうまさには定評がある、と評価される所以
だろう。ちなみに本書は2000年度の本の雑誌、年間第1位であり、2003年、
映画化され主役を演じたネプチューンの原田泰造のシリアスな演技も話題に
なったのは記憶に新しい。
 
▲以上とりあえず、当店にある作品を通してご相談にお答えしました。この4人
の作家は好き嫌いもあるかもしれませんが、基本的にハズレはありません。当店
でお買い上げいただけなくても、頭の隅にでも名前を覚えて、偶然どこかでその
名と作品を目にしたらぜひとも手にとってみてください。
 森絵都の作品では、『カラフル』、『つきのふね』などをオススメします。

では新たなご質問、ご相談お待ちしております。 
   《04年11月中旬記す》
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