本の相談室

お客が全然来ない。ヒマを持てあました店主は、頭をひねって販売促進の一助に
少しはなるべく、本に関する相談室なるものを設けて、お客様から持ちかけられた
本に関するご相談に親身になって精一杯お答えすべく努力いたすこととなりました。

お客様からのご相談@
 ――詩の本をおしえて

――――本に関する質問ですが、
ぼくは詩をほとんど読んだことがないんです。
教科書に載っている程度のものは
もちろん読みましたが、いままでの人生どれもこれも
ピンとくるものがありませんでした。
以来、私には詩のセンスたるものが欠落している
人間なんだ、と決め込んで20年以上になります。
しかし、最近おもしろい小説などないし、
涙を流すような歌も聴きません。
自民党が嫌いで、寿司が好きで辛口の日本酒も好きで、
くだらぬ些細なことに腹を立てることができず、
でもくだらぬことで文句を口にする者に同情し、
暗闇で一条の光をみるとその元を確かめ、
犬のまなざしに身をただし、そして犬を抱きしめ、
水溜りにその理由を考える私に
ぴったりの詩人の本を探しています。
説教臭いのはイヤです。
でもミョーに乙女チックなのは勘弁です。
女子プロレスのようなのはもってのほか。
よろしくお願いいたします。
             ――――――――――ガンガリ太郎。

店主からの返答

●心に愛唱詩をもってください。

いい質問です。ところで、詩とはそもそも何でしょうか。小説や短文と違い、
短い個々言葉の羅列ですね。私は言葉の「イメージ」だと考えます。
そのイメージを喚起するために効果的に並べられたものが「詩」と呼べる
のではないでしょうか。文学論的なことはさておき、昔の人々はみな愛読書、
及び愛唱詩というものを持っておりました。愛読書、の場合、枕頭にいつも
おいて折々開く書のことであり、大江健三郎の場合、それはブレイクの詩集
だったり、武田百合子の場合、毎年8月の声を聞くと、井伏鱒二の「黒い雨」を
紐解いているのがその日記に記されています。そのような本と出会いが今の
人たちにあるのか疑問ですが、話を愛唱詩に戻すことにして、この場合の
詩とは、詩集としていつも持ち歩いてもいいいのですが、カラオケでの貴方の
「愛唱歌」、つまりオハコと同じく、歌詞を見ないでも頭に、つまり心にいつも
入っている詩のことです。そんな詩(うた)をぜひ心にひとつでも持ってほしい
と店主は願います。

   

●左より、ハイネ詩集/藤森秀夫訳 東西文庫版 昭和22年
 ●ボオドレエル「悪の華」/齋藤磯雄訳 世界文学選書 三笠書房 25年
●ハイネ 歌の本・ドイツ冬物語 アッタトロル・ハルツ紀行
舟木重信他訳 河出書房 昭和27年
●ランボオ詩集/小林秀雄訳 創元選書 創元社 昭和23年

   

●左より、現代日本名詩集大成2 北原白秋 河井酔茗 木下杢太郎
三木露風 創元新社 昭和39年
●現代日本名詩集大成4 佐藤春夫 室生犀星 西条八十 萩原朔太郎
創元新社 昭和39年
●高村光太郎詩集 浅野晃編 白鳳社 昭和55年
●現代文学大系15 北原白秋 高村光太郎 宮澤賢治 集
筑摩書房 昭和40年


●山之口貘詩集 金子光晴編 世界の詩60 弥生書房 昭和43年


●改造文庫 石川啄木 一握の砂 悲しき玩具 改造社 昭和4年

ここに表紙だけあげた本の数々は店主の家に代々伝わる愛読書、詩集です。
むろん販売もしますが、値段は個別相談とします。むろんご希望の書を手に
取って実際に中身を見てもらうことをオススメします。一度当店へ直接来て
ください。簡単な説明もつけました。

この中で、外国の有名な詩集は別として、お奨めとして、高村光太郎と
山之口貘を個人的に推します「智恵子抄」などで知られる光太郎は非常に
力強く誰にでもわかりやすい良い詩をたくさん残しています。有名な、
「道程」の一節、

僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる 

などは、知らずとも聞いたことがあると思います。彼には、冬に関した詩が多く、
中でも(冬に備えて)汝の薪をたくわえろ、との内容の詩など全部掲載できない
のが残念ですが、ガンガリ太郎さんには、最適の詩ではないかと考えます。

また、沖縄出身の山之口貘は、近年再評価が高まり名前ぐらいはご存知かも。
店主が彼を知ったのは、高田渡のレコードの中の一曲からでした。今も必ず
ステージで歌われる名曲「生活の柄」は彼の詩集から同名詩に曲をつけた
ものです。

歩き疲れては
夜空と陸との隙間にもぐり込んで寝たのである
草に埋もれて寝たのである
ところかまわず寝たのである

というフレーズはいかにも高田渡的カントリー調のメロディにぴったりで今では
詩も渡氏のもののように一体化しています。

秋は浮浪人のままではねむれない と結ばれるこの詩など、山之口のユーモアが
よく表れた代表作です。彼には、祖国沖縄を舞台とした反戦詩のようなものもあり
ますが、多くはこうしたホーボー的生活と、常に貧しい生活を諧謔を交え詩った
ものが多く、詩とは難解で理解に苦しむものだとの認識をいっぺんさせられる
ことを保証します。
こうした詩集から気に入った詩を一つ選んで、声に出して読んで頭の中で反芻し
覚えて心のファイルに挟んでおくことをお奨めします。ふとした折りにそのフレーズ
一節、もしくは全部が声となり出てきて、きっと疲れたり哀しい心を癒してくれると
思います。

そうです古来、詩、つまり和歌、短歌などは折々の人々の自然な心の発露でした。
例えば、秋になり、サンマを焼くとき誰もが無意識に口に出る一節

さんま、さんま、
さんま苦いか塩つぱいか 

などは、佐藤春夫の 

あわれ
秋風よ
情あらば伝へてよ 
 
で始まる「秋刀魚の歌」から出たものですし、さらに「ふるさと」と言えば、誰しもが
思い浮かべる一節、

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの

は、室尾犀星の詩集「抒情小曲集」の中から採られたものであるわけで、詩とは、
本来こうして日常と密接な関係を持ったものでした。ですから難しく考えずに
ともかくいろいろな詩人の詩集をお手に取られて、自分の感性にマッチした大切な
詩人と詩集をみつけることをお奨めします。

最後に詩人ととらえるかは異論があるところですが、石川啄木の歌集をぜひとも
一冊入手してください。今回、画像を掲載した文庫は、昭和初年に出た改造文庫
版のものですが、巻末に解題として以下のような解説文がついていました。

 先年、小田原で鉄道自殺をとげた一青年労働者の、よれよれになった菜っ葉服の
ポケットには、持ち物としてただ一個、手垢に汚れたこの石川啄木の歌集が
ひそめられてあつた。また、最近、世をはかなんで津軽海峡の怒濤に身を投じた
一青年詩人の遺書には、もし墓を建ててくれるのだったら、函館の立待岬なる
啄木の墓の傍らにとあった。
我々は、石川啄木の歌集の価値を説くに、この悲しくも痛ましい挿話以外を
語る必要を感じないであらう。《略》
彼が荊棘の道を血みどろになりながら踏み越えて、力強く投げつけた一個の
手榴弾ともいふべきこの七百余首の短歌。うたびと以外には開かれずとなした
短歌の扉を、一般大衆の前に開き示したこの七百余首の短歌こそは、ひとり
短歌史のみでなく、日本文学史上特筆大書されて永遠に伝へられるべき金字塔
であらう。《以下略》

究極のダメ人間、天性の嘘つきで女たらしで困窮のうちに若死にした啄木に
ついては説明は不用かも。でも、彼の遺した短歌は、誰が読んでもわかりやすい
平易な言葉を用いつつも切れ味の良いナイフのように今日でも人の心に
突き刺さります。世俗的にも落伍者のまま失意のうちに病死した彼の歌は、
人間にとって永遠に変わらない真実の魂の叫びなのだと思います。今でも
文庫で簡単に手に入ります。ぜひ未読であられるのなら読んでみてください。

人がみな 同じ方角に向いて行く。それを横より見てゐる心。

人とともに事をはかるに 適せざる、わが性格を思ふ寝覚めかな。

笑ふにも笑はれざりき―― 長いこと捜したナイフの 手の中にありしに。

《04年6月記》
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