林 博行


ガンガリータ゛の目

日本人にもほんとにいろんなひとがいるけれど、
アボリジニを追いかけ早10年。自分でも未だに
こんなアボリジニファンは研究者以外会ったことがない。
追いかけているうちにいつのまにか自分がミイラとなり、
ガンガリーダ氏族に入ってしまった。
成人の儀式を受けてしまうともう普通の社会生活は
歩めないので、思い止まっているぼく。
でも心のどこかでは、こんな物質主義の市場経済と
効率最優先の世界から足を洗って人間らしい生活を
歩みたいと日々思っていたりする。
そんな矛盾とどっちつかずの曖昧さから生まれた
靄(モヤ)のような人間がアボリジニと日本人の感覚で
つくるコラムです。


その8.トラッカー

その昔、私の友人に強面の男がいてよく冗談で金融機関に入店したら警戒
されるタイプだね、などと言っていた。数年後その男、自分の天性のものを
活かし、借金取りになった。ぼくは銀行だったら雇ってくれないだろうがマチキン
なら一発で採用だな、と常々思っていたが、本当になってしまったので驚いた。
今までごく普通にやってきた極道な行為をそのまま仕事に活かせるのだから、
こんなにすんなり研修もなくやれた仕事で、ここまで儲かる仕事もなかった、
と本人も語っていた。北は青森、南は四国まで出張取立ての旅は日常的に
続いたそうだ。現金で取れないときは車や貴金属まで持ち帰った。

 そんな彼にもちょっと厄介なのが、取立てに行ってみると夜逃げを
している時だった。合法・非合法あらゆる手を尽くして相手を探す。
彼に言わせると会えれば取れるがいないんじゃ話もできない、連絡さえ
取れればそれでいいそうだ。ここが一番この仕事の厄介で時間と手間の
掛かる大変な部分らしい。それだけにやっとめぐり合えたときには、
それまでの苦労の分まで相手に理解していただくそうだ。

「どうやっても逃さない」という言葉を聞いたとき思い出したのが、
アボリジニの「追跡者」だった。彼らも同じ事を言っていた。
「生き物は逃げれば必ず跡を残す、それを拾って付いて行くだけ」なのだ。
そんな彼らのことをトラッカーと言う。ハンターというひともいるが、多くの場合
トラッカーと呼ばれている。ハンターと呼ばれるわけは、もともとはハンティングの
大事な仕事のひとつなのだ。ブーメランや槍を投げるのは狩り全体の
5%の力も使わない、とまでいわれている。

トラッカーのすごいところは、たとえばカンガルーを追いかけている時、
そのカンガルーがオスなのか雌なのかがわかり、その理由はおなかに子供が
いるかいないかで、その足跡と尾が地面を叩く強さが違うということを知っている、
ということだ。トラッカーというくらいだから鳥のように空を飛ぶものは
やっぱりダメ? と聞いたことがあったが、夕方になれば巣に帰るから太陽の
位置と飛ぶ方向を覚えておけば、足跡を追うより簡単だよ、と言われた。
ナビ付きの車で友達の家にたどり着けない僕には何とも言えないが、
跡を濁さない鳥ですらトラッカーにかかれば自宅を見つけられてしまうのだ。

トラッカーというのは、たいていの成人のアボリジニなら上手下手はあるものの、
できてあたり前らしい。ガンガリーダの地でも同じく、子どもの行方がわからなく
なったとき、彼らは大声で呼びながら、よく地面を見ている。
自分の子どもの足型をごくあたり前に覚えていて、あらゆるところについている
いろんな足跡の中から、自分の子どものだけを追いかけることができるので、
彼らのトラッカーの力は日々日常生活でも使われているところがおもしろい。
もちろん行方だって間違うところはない。途中まで方向がつかめれば、あとは
いつもの川原へ行ったのか、友達の家に行ったのか、少ない選択肢の中から
すぐに判明する。親たちもまず見つけられなことはない、という。

映画「裸足の1500マイル」に出てくるトラッカーだが、あの話に出てくる
トラッカーは追跡に失敗している。しかし、ぼくは施設を脱走した主人公を
わざと失敗して逃がしたんだと思う。砂漠の危険な見当違いの方向へ逃げて、
衰弱死する前に施設に連れ戻すためだけに彼は自分の能力を使用し、
安全に自分の土地へ帰れそうなことを予感した段階で、ギブアップのフリを
したのではないだろうか、そう感じた。

ところで、強面の友人はその後、借金取りから足を洗った。
指も無事に付いているので、ひとまず良かったと思う。なぜやめたのか
聞いてみると、やはり良心が痛んだらしい。
ぇええ? 今さら? とも思ったが、世の中からこういうトラッカーはひとりでも
減ったほうがいいと思ってぼくは彼の退職を歓迎した。
 
【04年2月記】

その7.映画「Rabbit Proof Fence」

アボリジニが出演する映画ができるなんて、たぶんクロコダイルダンディ以来
ではないだろうか。クロコダイルダンディでは主人公のちょっと変わったお友達
として出演して、その文化の一面がコミカルに描かれていた。今回話題にしたい
映画は、邦題「裸足の1500マイル」としてDVDにもなった。ぼくは映画ブッシュ
マンみたいにコミカルを通り越し、笑いものとして出てくるようなことがあったら
悲しいなぁ、と思っていたがかなり真面目にストールンチルドレンのことを題材
にしていたので、安心した。大嘘もなかったように感じたし、ひとまず良かった。

 観てない方のためにストーリーは書かないが、あの話はオーストラリア全土の
アボリジニに対して行われた政策で、アメリカに習ったとも言われている。

数年前デニス・バンクスだったかトム・ドストーというネイティブアメリカンに
アボリジニのことを話した時、その話を聞いた(たぶんトムだったと思う)。
アメリカでは「インディアンの野蛮な文化」を根絶するために、幼い子どもを
親からさらって施設に入れ、キリスト教と英語・算数・理科・社会を教え込み、
古い土着信仰を野蛮なものと教え込み、願わくばネイティブの言葉すら忘れ
させる計画があった。結果的には自由と平等ということを教え、英語をしゃべ
れるようにしてしまうことで、ネイティブアメリカンの人権問題を英語を武器にア
リカの司法制度に訴え、アメリカ政府を悩ませることになった。ベトナムやアフ
ガンよろしく、同じ過ちをその後も繰り返すアメリカらしい展開で、この大しっぺ
返しは実によくわかる。

 映画の話に戻ろう。あの映画でちょっとだけ不満なところがあった。実際に
あの隔離政策を体験させられたアボリジニのお爺ちゃんお婆ちゃんたちに
当時の話を聞くと、施設のひとたち(白人の宣教師やシスターたち)は、あんなに
親切な対応ではなかったらしい。映画を作る際に、いろいろなところから資金を
調達するのだろうが、その関係でアボリジニの子どもを徹底的にいじめるシーン
を割愛したんだろうと思った。だからしかたないのかもしれないが、事実はもっと
陰惨で、こんなに時間がたった今聞いても怒りや憎しみの感情が沸き立つ。

 現在70歳近いペギー婆ちゃん(ガンガリーダ氏族女性長老)によれば、施設
に入ったら英語以外はしゃべらしてくれない。許されないのだ。だから「トイレは
どこ?」とか「水は?」など施設に着いてすぐに出る質問もその場でただちに
注意され、ぶたれたあげくに石鹸で口の中を散々洗われたそうだ。施設に
よっては死なない程度に吊るされることもあった。

 アボリジニはネイティブアメリカンと少し違い、教えられた共通語と言う武器を基に
世界を証人に政府に損害賠償や土地返還を求める裁判を起すものが少ない。
性格の問題かもしれないが、そもそもおとなしい民族なのだとぼくは思う。

 今、隔離政策時代に子供だったひとたちは、60代後半になっていてそう
遠くない将来、話も聞けなくなってしまうだろう。ぼくはガンガリーダの長老
たちのこんなひどい目にあった話は聞いてるとつらいが、何より胸が痛む
のは、聖書をいまだに大事にしている行為だ。キャンプサイトの明るいところで
補修だらけのボロボロの老眼鏡で、聖書を一生懸命読んでいるのだ。
「つらい目にあった施設で無理やり読まされた本を読むのはどうして」と聞いた
ことがある。
答えは「いいこと書いてあるのよ。よく読んでみるとアボリジニの考えに似た
とこもあるの」とにこにこして言う。施設で唯一褒められる行為は、聖書を
きちんと読んで暗証することだったらしい。刑務所のような施設でやったことの
ない労働や勉強を外国語で強いられる中で、救いがそれしかなかったのだろう。

 今、ストールンチルドレンの孫たちは、アボリジニの文化と文明社会の両方
を歩いている。文明の最先端の国に暮らすぼくとしては、こっちの水は
酸っぱいぞ、と言いたい反面、この世界を知らないとアボリジニ文化のよさを
理解できないだろうなぁ、とやるせない気持ちになる。


【04年1月記】

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