退屈文法入門−荻原裕幸論−
山田消児
 荻原裕幸という歌人のことを私は長く「嫌い」だと思ってきた。新奇で難解な作風から一般的にもしばしば敬遠がちに遇されてきた彼の作品を読みながら、その嫌悪感やわからなさの源を少しでも明らかにしていこうというのが、この文章の目的である。
 まずは荻原裕幸といえば誰もが思い浮かべる「記号短歌」の実例から入っていくことにしよう。

 ▼▼▼▼▼ココガ戦場?▼▼▼▼▼抗議シテヤル▼▼▼▼▼BOMB!

 現代短歌に関心を持つ人なら一度ならず目にしたことのあるはずのこの歌は、荻原の第三歌集『あるまじろん』(沖積舎・一九九三)に収録されている。歌集を繙くより以前、誰の文章でだったか忘れてしまったが、この「▼▼▼」が空から降ってくる爆弾を表しているという解説を初めて読んだ時は、エッと驚き、「ほんとか?」と首をひねったものであった。
 「▼▼▼」を使った歌は全部で八首、「日本空爆1991」と題された一連二十首の十三首目以降に並べられている。八首全てが「▼」を含み「BOMB!」で終わる三十一文字+感嘆符で構成され、音数の面からも「▼」を一拍と数えることによってちょうど三十一拍となるように統一されている(「BOMB」はそのまま「ボム」と読み、「?」と「!」は読まない)。一見したところおよそ短歌らしからぬこれらの歌は、実は見かけ上の短歌形式に徹底してこだわった作品でもあるのである。
 さて、一首あるいは数首の文中における引用ではなく、歌集『あるまじろん』を机上に開いて八首全てをまとめて読んでみると、これらが読者の視覚に訴えることを強く意識して作られた作品であることを一層明確に感じ取ることができる。歌集で見るのとなるべく近い形で八首全てを紹介するので、まずは御一読(御一見)いただきたい。

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 世界の縁にゐる退屈を思ふなら「耳栓」を取れ!▼▼▼▼▼BOMB!

 ▼▼雨カ▼▼コレ▼▼▼何ダコレ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼BOMB!

 ▼▼誰カ▼▼爆弾ガ▼▼▼ケフ降ルツテ言ツテヰタ?▼▼▼BOMB!

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 ▼▼▼▼▼ココガ戦場?▼▼▼▼▼抗議シテヤル▼▼▼▼▼BOMB!

 しぇるたーハドコニアルンダ何ダツテ販売禁止?▼▼▼▼▼BOMB!

 ▼▼金ガ▼▼▼アマツテ▼ヰルノカ▼▼遊ブノハ止セ▼▼▼BOMB!

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 ▼▼▼街▼▼▼街▼▼▼▼▼街?▼▼▼▼▼▼▼街!▼▼▼BOMB!

 ▼▼▼▼▼最後ニ何カ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼BOMB!



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 見開き二ページの左右に各三首ずつ、二ページ目の裏側に当たる三ページ目に残りの二首が印刷されている。
 読者の目にはまず六首目までが一個の画像として入ってくるはずである。「▼」と「BOMB!」、このふたつがまず脳裡に焼きつけられるに違いない。「▼」はそれ自体意味を持たない図形である。一方「BOMB」は本来爆弾もしくは爆弾が爆発する音を表わす言葉であるが、ここでは、視覚的効果に訴える像としての性格をも同時に持たされているといえるだろう。読者はこのページを開いた瞬間に、何やら爆弾に関係のある歌が書いてあるらしいということを、事前の知識として強制的に叩き込まれる。その上で、「▼」と「BOMB!」以外の意味のある言葉を、普通は第一首目から順番に、読み進めてゆくことになるのである。
 ところで、先にも述べた通り、これらの歌は「日本空爆1991」二十首の十三首目以降に位置している。したがって、歌集の読者は一首目から十二首目までを先に読んでから、それらに続くものとして「▼▼▼」の八首に対うことになる。

 おお!偉大なるセイギがそこに満ちてゐる街路なりこの日本の街路
 戦争で抒情する莫迦がいつぱいゐてわれもそのひとりのニホンジン
 四月のある日に猫にどうでもいいことの履行を求めてゐるひるさがり

 一首目、五首目、十二首目を引いた。前年八月のイラク軍によるクウェート侵攻に端を発した湾岸危機は、一九九一年一月米軍を中心とする多国籍軍のイラク空爆開始により湾岸戦争へと発展し、直接戦闘に参加していない地球の裏側の国日本においても、テレビの映像を介して多くの人々がミサイルの飛び交う戦争を体験したのだった。荻原は、傍観者たらざるをえない日本人の平和で間延びした日常を、わかりやすい言葉で、時に鋭く、時にけだるく描いてみせているのである。この十二首において作者は、戦争そのものやテレビを通じた疑似戦争体験を直接的に描こうとしたり、それらの愚かしさいかがわしさを嘆きあげつらったりはせず、ひたすら「莫迦なニホンジン」のひとりである彼自身の問題として、自問自答しながら歌を作り上げているように見える。
 『あるまじろん』では、各章の冒頭に小文が付されていて、決して理解しやすいとはいえない荻原の短歌作品への道案内の役割を果たしている。次に引用するのは「日本空爆1991」に付された前書きの全文である。

  湾岸戦争でのアメリカ軍の力はもの凄かつたけれど、湾岸戦争そのものが
 世界にふりまいた力は、そのアメリカ軍もかすんでしまふくらゐに烈しかつ
 たと思ふ。流れ弾の飛んで来ない日本にあつてさへ、「言葉の力」がすべて
 奪はれてしまつてゐたのだ。何を語つてもみんな欺瞞になる。かと言つて黙
 つてもゐられなかつた。一九九一年、それはぼくたちが、そして言葉が、い
 かに無力かといふことを思ひ知らされた年だつた。

 特に説明の要もない、わかりやすく、内容的にも共感の得られやすい文章だといえる。この一連を成すに当たっての作者のスタンスを示すものとして、素直に読んで間違いはないだろう。
 問題の八首に戻ろう。
 まず一首目。「世界の縁にゐる退屈」とは、直前の一首「四月のある日…」で具体的に描かれている「われ」を含む日本人の日常の有りようである。その退屈を自覚し、少しでも疑問や不満を感じるのなら、「耳栓」を取って耳を澄ましてみるがいい。遠くかすかに、しかし確かに爆弾の音が聞こえるはずだ。「BOMB!」と。
 この歌を境に、平和で退屈な日常はたちまち爆弾の降り注ぐ「戦争」という非日常へと転換する。二首目から六首目。爆弾の雨をかいくぐりながら、いまだ事態を呑み込みきれずにあたふたする「われ」の様子が描かれる。ページをめくって七首目、八首目。もはや、抗議の声さえも聞こえぬ街にただ爆弾は降り続け、言葉を遺す暇(いとま)もなく、最後の一撃をもって街は滅びる。そして、読み終わった読者の目には、最初見たときには何の意味も持たなかった「▼」の群れが、所かまわず降り注ぐ爆弾の雨に見えてあらためて慄然とさせられる、というのが作者の狙いなのであろう。
 この八首で、荻原は文字による表現形式である短歌によって、受け手の視覚と、間接的にではあるけれど聴覚にまで訴える(BOMB!)という、もともとかなり無理のある試みに挑んでいる。それゆえこれらの歌は普通の意味でいう「解釈」にはそもそもなじまないともいえるのだが、その点を差し引いても、八首全体としての視覚効果が優先された結果、一首一首が作品として自立できず、いわば全体を構成する部品のひとつにおとしめられてしまっていることは否定できない。そう考えたうえでなお私がこの八首の価値を認めたいと思うのは、実際に自分の目で読んでみて、言い知れぬ不安感をかき立てられるというのか、何か感覚的にピンとくるものがあったからである。この点に関しては人を納得させるような説明は難しいのだが、明らかなフィクションとして提示されることによって作品が逆にリアリティを獲得したということはいえるであろう。そしてもう一点、重要なこととして、これらの作品からは大方の時事詠や社会詠につきまとう胡散臭さが感じられないということを指摘しておきたいと思う。詠われる事柄の渦中に作者がいる場合を除き、時事詠、社会詠における作者の立場は、否応なく評論家的、傍観者的にならざるをえない。作者の態度がどれほど真摯で誠実であったとしても、必然的に紛れ込む紋切型や信じこみや、それらを警戒しての形ばかりのずらしや裏返しが、短い詩形であるゆえに一層作品を薄っぺらなものにしてしまうことがあまりにも多いのである。その危うさから何とかして逃れようと荻原が苦闘しているさまは、連作前半の十二首からも十分に感じ取れるのだが、ことに「▼▼▼」八首は、言葉の意味から一定の距離を置き読者の感覚に直接訴える手法によって、一首の独立性の欠如という大きな犠牲を払いつつも、かなりの成功を収めたといえるのではないだろうか。

  何を語つてもみんな欺瞞になる。かと言つて黙つてもゐられなかつた。

 湾岸戦争によって心の内に惹き起こされた動揺、それ自体は紛れもなく本物であるにもかかわらずひとたび言葉にしようとすると限りなく類型にはまりこんでしまうことの矛盾を乗り越えようとするところから、この連作は生まれている。ここでは、記号短歌は自己目的的な趣向などではなく、作者の内なる作歌動機を実現するために主体性をもって選ばれた手段に違いないのである。
 『あるまじろん』にはほかにも「だだQQQミタイデ変ダ★★ケレド☆?夜ハQ&コンナ感ジダ」などの記号短歌がいくつも含まれていて、それらの多くは、正直なところ私にとっては解読してみる気にもならない無意味な活字の羅列に過ぎない。だが、「日本空爆1991」を読み解く作業によって得られた視点は、記号短歌以外の「荻原語」ともいうべき奇妙な日本語で書かれた作品も含めて、この作者の歌を理解するためのささやかな手掛かりになるように思うのである。以下、もう少し視野を広げて荻原短歌を論じてみることにしたい。

 第一歌集『青年霊歌』(*1)において、荻原裕幸は確かに自らの貌をもって人生に対き合っていたし、作品は行きずりの読者の心に共感を喚び起こす普遍性を備えていた。それが、第一歌集の傾向を引き継ぎつつややプライベートな色彩を強めた第二歌集『甘藍派宣言』(*2)を経て、第三歌集『あるまじろん』で突如読者を拒否するような作風に転換するのである。次の第四歌集『世紀末くん!』(沖積舎・一九九四)も、記号短歌こそ姿を消しているものの第三歌集の延長線上にあって、日本語として普通に読んだのでは理解の難しい歌がかなりの部分を占めている。
 何首か引いてみよう。

 朝のパンがジャムでべたべた恋人の曰く火星ぢやみんなこーなの
                           『あるまじろん』
 ビジネスマンの疲労とわれの倦怠とαの麒麟を詰めて電車は
 最近は(5×2)よりも(3×3)を好んで犀のやうです
 これでも恋と言ふんだらうな恋人とピザを演奏してゐるゆふべ
                           『世紀末くん!』
 潜水艦はマフィアなものに思はれて屋根裏部屋を父にせがんだ
 名刺にはこんな不思議な肩書きがあるのにぼくは雲雀のままか

 『世紀末くん!』でも『あるまじろん』同様各章ごとに前書きが付されていて、「ぼく」が就職も結婚もせずに二十代を過ごしたこと、一九九三年にコピーライターとして就職したこと、父親が陸軍軍曹だったことなどが、フィクションではなく実際の作者自身のこととして読めるような書き方で書かれている。作品の方も、第三歌集以降、明らかに作者「荻原裕幸」自身が舞台上に姿を曝し始め、恋人と過ごすマンション(アパート?)の一室や、ひとりで歩く街の景色や、職場での出来事などの日常的な素材が多くを占めるようになってくる。短歌読者の多くがいちいち作者の持つ属性や置かれた境遇と結びつけて作品を読もうとする傾向に私はかねがね疑問を抱いているのだが、荻原の場合、歌集の作りからも、また一首一首の作品からしても、そういう読まれ方をすることを自ら望んでいるように思えるのである。そのこと自体は、意図的な戦略としてなされているのであれば、格別否定すべきことでもないのだが、問題は、そのありふれた素材が、まるでわざとのようにわかりづらい比喩を使って作品化されていることにある。掲出歌における「αの麒麟」や「犀」や「雲雀」からすんなりと(でなくてもいいが)何らかのイメージを思い浮かべることのできる読者はきわめて少ないのではないだろうか。
 ここで再び「日本空爆1991」の「▼▼▼」八首を思い返してみよう。私はそれらを論じて、類型を免れるための手段として記号を使用したのではないかと述べた。ならばそれ以外の「荻原語」短歌にも同じことが当てはまるのではないかと、今考えるのである。すでに述べたとおり、『あるまじろん』以降の荻原の歌は、内容から言ってその多くが作者自身の日々の生活や感慨から直接的に詠い出された日常詠である。そして、その日常詠を作者独自の作品として成り立たせているのは、素材を捉える目の独自性ではなく、比喩の突飛さであるように思われるのである。
 作品や各章前の前書きから窺われる作者(=主人公)の日常は、およそ変わりばえのしない退屈でありふれたそれである。そして、おそらくはそれこそが、作者の内に浮上してきた最大の作歌テーマであるに違いない。

 三十にちかくはるけきわが生の水より淡き日日続きをり
                            『甘藍派宣言』

 しかしながら、退屈な日常をそのまま詠んでも退屈な歌ができあがるだけであり、そのような歌は、もとよりこの作者の忌避するところでもあるはずである。この矛盾を乗り越えようとして、彼は記号短歌を試み、また「荻原語」で語り始めたのではないのだろうか。そして、凡庸に陥らぬために選ばれたこの手法が、湾岸戦争という例外的に強い衝迫力を持ったモチーフに巡り合ったとき、思いがけず効果的に生かされたとはいえぬだろうか。

 永遠などがけふも生産されてしまふ三十五歳のぼくのあをぞら
 運転免許を持たないぼくがディーラーの葡萄のやうな広告を書く
 冬の水平線て感じでほほゑんできみはしづかに麒麟を生んだ

 角川『短歌』平成十年一月号「永遠の生産される場所」十五首から引いた。相変わらずというほかはない。「葡萄」や「麒麟」といった荻原作品に繰り返し現れる単語をはじめ、一連中に出てくる「夕映」「虹」「サボテン」「海王星」などは、いずれも日本語として本来指し示すべき事物を指してはおらず、比喩をさえ通り越して独自の意味を持つに至った「荻原語」たちである。しかし、悲しいかな、「荻原語」を解しない一般読者にとって、それが意志の疎通を妨げる言語障壁でしかない。
 日常詠の多くがつまらないのは、表現方法の平板さもさることながら、より本質的にはそのモチーフの脆弱さ、ものの見方の平凡さに由来しているといってよい。そこをそのままにしていくら新奇な技法を駆使してみたところで、歌が魅力的なものになるはずもない。技法が単なる技法であることを脱して作者独自のモチーフと結びつくに到ったとき、初めて新たな可能性は開けるだろう。

 フェミニストの犀がデスクの抽斗にゐるのがなぜかばれて窮地に
 サフラン氏にレタスを贈つた正午より電子メールの洪水となる

 『短歌朝日』平成九年九・十月号「人魚の飼ひ主」八首から引いた二首だが、これらの歌では「フェミニストの犀」や「サフラン氏」や「レタス」が理解不能な「荻原語」であることから脱して言葉としての実体を持ち始め、いわば「荻原語」起源の外来語として日本語で書かれた一首の中に自然に融け込んでいるように見える。普通の意味での「わかりやすい」歌でないことに変わりはないが、この一連は日常から詠い出されながら日常詠を超えており、新しいステップを踏み出すための重要な芽を孕んだ力作であると私は思う。一旦歪んだ日本語(*3)が新たな姿を結び始めたと言ったらよいか。「嫌い」な歌人を「好き」になるかもしれない不確かな予感が今、私の中に萌しつつある。

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*1 書肆季節社、一九八八年刊。三首のみ引く。
    誘(いざな)へどすぐさま拒む人生のたとへば「ペンキ塗りたて」の椅子
                                 『青年霊歌』
    旅もせずひととせ街にこもりゐて旅嚢のなかの寂しき玩具
    しみじみとわれの孤独を照らしをり札幌麦酒(さっぽろビール)のこの一つ星
   なお、『青年霊歌』については歌集未見のため、『現代の第一歌集』(ながらみ
  書房・一九九三)収載の自選五十首によった。

*2 書肆季節社、一九九〇年刊。同じく三首引く。
    殉職よりカナリアの死が美しい午前十時の刑事ドラマは   『甘藍派宣言』
    棚に飾るガラスの馬を核として二人つきりの寂しさに棲む
    履歴書へ嘘まとめ来てやはらかく冬のポストに手を噛まれをり

*3  「(前略)現在の混沌きはまるあれこれ、この翻訳不可能な状況を、どうにか他
  者に届かせようともがくうちに、ぼくの日本語は歪みはじめてゐた」(『世紀末く
  ん!』巻頭の一連「みづいろ前線」の前書き)

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