ノート・作為と愛唱性の問題−塚本邦雄から荻原裕幸へ− 渡部光一郎 |
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いったい、作為なくして歌を作るということがあり得るのだろうか、という、ごく素朴な疑問を抱いてみる。すると自分の中からすぐ返ってくる答えは、かなりはっきりとした「否」である。歌にかぎらず書かれたものは、絶対に人に見せない記録のようなものでもなければ、そこに作為の介入を認めないわけにはゆかない。第一、五七調に意味を託そうとした時点から、作者は巧拙を問わず、一種の技術者たらざるを得ないには違いない。まずこんな素朴な事実確認からこのノートは書き始めることにする。というのも、短歌には無作為にうまれたように見える作品があまりにも多いからである。そのなかには明確な作為によって無作為的な様相をもつ作品と、自分が作為をもって短歌を作っていることにすら極めて鈍感な作者による作品とが混在している。ここでは、後者の鈍感な「作者」はあまり問題にしないでおく。問題は前者である。ところで短歌作品は、愛唱されることをもって幸とする面があろう。そして万人に愛唱されやすいタイプの歌と、読者を選ぶタイプのそれと、両タイプの歌が存在するようである。さてここらで現代の歌人、わけても荻原裕幸の作品を見てゆくことにしよう。
・秋深し落花生など鳴らしつつ「みんなのうた」を一人し聞けり 右の四首は荻原裕幸の歌集『青年霊歌』から。私は同歌集をおおう、こうした叙情にあらためて感服するものである。ここにはまぎれもなく一人の青年の孤独が、すぐれた技術によって歌われている。こうした作品群は私の愛唱するところであるが、荻原のこの種の作品は、啄木の自己劇化の手法を洗練させ、さらに抑制をきかせたものだといってもよい。啄木と荻原の決定的な違いはなによりその背負った時代の空気にある。あくまで時代の空気、であって時代そのものではない。時代そのものを背負うのはもっと巨大な、手に負えない何かである。しかしその巨大な何かが動くとき、空気も一緒に動かざるを得ないのであって、その空気圧を受けるのは、文学の宿命であると言っていい。話が逸れたが荻原はおそらく「空気の動き」には人一倍敏感な歌人であろうと考えられる。それは次の一首などにもよく表れている。 ・桃よりも梨の歯ざはり愛するを時代は桃にちかき歯ざはり 残念ながら荻原は梨の歯触りをはじめより失った世代の人間である。桃を食うことが、梨を食うことよりしあわせだと手放しで言えるはずがない。逆もまた真なりである。荻原はもはや桃の歯触りのかなしみを、桃の時代の孤独を歌うしかない。 ・フランスパンほほばりながら愛猫と憲法第九条論じあふ 荻原を噛み殺す時代の「牙」は、あくまで「優しい」それであり劇的であるのは、劇画であって現実ではない。荻原はそのことへのいらだちと向かい合いつつ歌を作る。 ・ぽぽぽぽとみづいろの昼ぽぽぽぽとさみどりの夜/ボクニ出口ヲ! まだ引きたい作品は多いが、この辺にしておく。これらの作品群には、『青年霊歌』からまっすぐにつながる、淡いかなしみ、自嘲や孤独感、そして時代と自己の間に生じる違和感などが表現されている。しかもここで明らかにきわだって見えるのは、確信犯的「作為」である。これはある種、すがすがしいほどのあからさまな作為なのであり、ほとんどの歌人が採っている私小説的話法からはっきりと遠ざかっている。これは荻原の師である塚本邦雄が、日録的な短歌の製法を断固として拒否し、架空の事象を歌にすることで事実よりも事実に迫ろうとした態度と酷似している。ただ違う点は塚本があくまで一種の短編小説的手法を短歌に用い、日本語の基本的な文法を壊さぬ範囲で歌ったのにくらべ、荻原は日本語の話法そのものの解体を、記号や意味不明に見える比喩をふんだんに活用して行ったことである。荻原がこのような方法を獲得するためには、まぎれもなく師の塚本邦雄の大いなるトライアルが必要であった。方法という点に関して、荻原は塚本邦雄の「つぎの段階」を示した作者ともいえよう。つまり作為、方法論の推移といった観点で、塚本・荻原という順に並べてみることも可能である、ということである。無論、どれが良いという訳ではない。ただ、はじめに述べたように、作品が読者を選ぶという現象は否応なくあり、いかなる作為が作品にはたらいているかによって、その歌の読者は決まってくるのである。俵万智にしても、漫然と作歌して多数の読者を獲得したのではないことは自明のことであり、むしろ彼女はすぐれて私小説的であった。この場合も確信犯には違いない。結局我々が忌むべきは、明確な作為をもたずに作歌することなのかも知れない。 ・原爆忌昏れて空地に干されゐし洋傘(かうもり)が風にころがりまはる 原爆を素材にした歌を塚本・荻原両名の歌集からこうして引いてみたが、あらためて両者の大きな隔たりを感じざるを得ない。塚本の作品の場合、原子爆弾はすでに投下され、「原爆忌」が生まれ、「原爆展」がひらかれ、すでに原爆の悲惨の客観化がはじまっている。そうした状況を塚本は黒く笑っているのであり、厳密に言えば対象にされているのは、戦後の思想ともいうべきものであって、原爆そのものではない。一方、荻原の作品では核兵器はこれから投下されるかも知れないものとして登場している。そしてその作品にあるのは、明らかに核兵器の絶対的な脅威と、それに対してほとんどどうしようもない一市民の底知れぬ不安であり、また一種救い難い自嘲である。塚本は『日本人霊歌』の跋に「全作品の主たるモティーフは、不条理にみちた外部と、日本人である僕たち一人一人のきずついた魂の拮抗と融和であ」ると記す。このことは、ほぼ荻原の作品にもあてはまるのではなかろうか。先の原爆の歌であるが、塚本は投下された原爆の茸雲を実際に見た人間である。世代としては戦中派にあたる。すなわち、彼の場合、政治状況が極めて危機的であることは始めから与えられた条件なのであり、そこから出発すればしぜん、そののちの戦後という時代には嘲笑すべき一種のなまぬるさが見えよう。しかし荻原はそのようなスタート地点を持たなかったがゆえに、かえってこれから起こるかもしれない戦争の恐怖におののきもするのであって、それはどちらが不幸か知れたものではない。幸福な者はただ鈍感な人間だけであろう。 ・おおはるかなる沖には雪のふるものを胡椒こぼれしあかときの皿 これらは日本の和歌史に刻まれるべき作品である。さて荻原であるが、彼が『あるまじろん』などでみせた作品は、その制作意図もある程度共感できるし、ある意味で時代を代弁しているといってもよいのであるが、これらから音楽性(しらべ)はあらわれてこない。かつて、古今集を痛烈に批判した正岡子規は、 ・心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花 といった歌はつまらないというのである。子規がこの歌から見落とした(もしくはわざと無視した)ものの一つは、この歌が持つ音楽性(しらべ)であった。この歌は、決して意味のみで成り立つ作品ではない。これは人の愛吟しやすいように作ってあるものではないだろうか。まさに人が口ずさむための歌というものもあるのだ。岡井隆の言葉を借りると、歌は(しらべ)であり、佐佐木幸綱に言わせれば、歌は(ひびき)らしい。(しらべ)も(ひびき)も、音楽性ではないか。これを意識に入れない歌人などいない。荻原の記号羅列型の作品にしても、最低限のリズムの計算はちゃんとしてある。しかし、はっきりと口ずさむことがそのまま快感たりえる短歌作品だとは言い難い。 ・だだQQQミタイデ変ダ★★ケレド☆?夜ハQ&コンナ感ジダ これらは音楽面からいえば、記号と日本語の単語で、最低限のリズム感を作るにとどめ、口誦性は故意に切り捨てた作品であると言える。視覚面で細心の注意をはらっていることは言うまでもない。荻原と塚本との相違点のひとつは、作品に口誦性を残すか否かということであると、もう一度確認しておきたい。その意味で荻原は「うた」を作っているとは言い辛い面がある。しかしこれが、散文詩とも言い難いのは確かである。その理由はさきほど書いたように、短歌的リズムを最低限のラインで守っていることと、他の記号の少ない歌と連作にしてあるという点にもあろう。先に私は、「前衛」は「本隊」があってはじめて成立するということを述べた。とくに荻原の場合、「本隊」の存在があってはじめて彼の作品は短歌だという認定がなされるといえる。この場合、彼自身の『青年霊歌』も、その「認定」に一役買っている「本隊」であるとみなしてよい。「意味」を壊すことの意義は、「意味」がまだ壊れていないことに寄りかかってはじめて成り立つことを荻原は忘れるべきではない。彼の師の塚本達が切り拓いた道があってはじめて、荻原は彼の「形」を「認定」させることに成功したのである。 ・たはむれに釦をはづす妹よ悪意はひとをうつくしくする |