『うたう』と「場」の問題
 短歌はどうあるべきか(一首、連作、歌集等において、何が大切で何がすぐれた作品なのか)と、歌人はどうあるべきか(どのような活動、仲間、メディア、生活、世界観が創作にどう刺激や価値をもたらすのか)とは、一体とまではいかないにしても、地続きの問題である。だが、一般に、前者は歌論において徹底して問われ、後者は入門書などに散見する程度である。現在のように、作品の価値をはかる尺度がエコールの単位を超えた地点まで細分化されている場合、前者だけを考えてゆくことは、ただ声の大きさを競いあっている感をまぬがれないし、後者をからめたトータルなビジョンで短歌に接することは、避けがたい状況になっていようか。
 昨秋、安永蕗子らが中心となって熊本で開催された現代短歌シンポジウムのディスカッションで、飯田有子の、

 たすけて枝毛姉さんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中になで回す顔

という一首が執拗なまでに問題にされた。問題にはされたけれど、時代の状況の反映、その負のエネルギーがこの文体から読めるという肯定的な意見と、歌の姿としては望ましくないという否定的な意見とに二分したまま、それ以上には進まなかったように見えた。シンポジウムの祭的な特質が、それを要求しなかったと言えばそれまでだが、結局、飯田有子という歌人をビジョンに入れなかったからだとぼくには思われた。短歌はどうあるべきかという視点に偏向し、飯田が作品を提示した「場」の問題を欠いていた。歌はどうあるべきか、という本質的なことに向かったはずだったのに、実は、岡井隆がかつて『現代短歌入門』(一九七四年)で指摘した、写実派と前衛短歌という二つのエコールの間に起きた困惑を再現してしまったのではないだろうか。むろんそれを徹底的に浮き彫りにしたという点で、このシンポジウムは「現代短歌の現在と明日」を照らす明るい一枚の鏡だったとは言えるけれど、課題が残ったということである。
 短歌はどうあるべきかと歌人はどうあるべきかをトータルで考えることは、現時点では「場」の問題としてぼくたちの前にあらわれている。たとえば、少なくとも飯田有子を発育させたとも言える短歌誌「かばん」の持つ、明るく不思議なエコールを考えることなしに先の一首を読むというのは難しいだろう。価値の尺度が細分化され、同時に「場」が細分化されてしまった現在、作品から「場」の問題を離してしまうのは、困惑をどんどん増幅させることになるのだ。

 本誌創刊800号記念の臨時増刊となった『うたう』を手にとったとき、編集部、あるいは責任編集の穂村弘、加藤治郎、坂井修一が考えていたのは、作品と「場」とをセットで提示することなのだと感じた。企画の経緯を仔細に記述するのは、「短歌研究」の個性としてふだんから展開されている方法だが、「別冊フレンド」「ホットドッグプレス」に募集要項を掲載したとか、たとえば、杉山理紀「だんだん」36歳女、メール8回、加藤(担当)、といった初期的な選考の経緯およびその具体的なやりとりの掲載とか、さらには選考座談会に加えて、企画の是非そのものを検討するような内容の座談会を併載したりとか、賞の選考基準とも言える責任編集たちの短歌入門を掲載したりとか、一見些末に見えることから歌の本質におよぶことまでが、ポイントを絞らず、大量の応募作品と併せてまるごと提示されているのだ。作品だけを読み進める場合とこれらの情報を併せて読み進める場合とでは、作品全体の表情があきらかに違ってくる。諸情報の持つ意味は、極言すれば、応募作に付された膨大な「詞書」にあたると言えるかも知れない。
 「短歌研究」をはじめとした総合誌が、電子ネットワークなどの、非・歌壇的な「場」から発信される作品を、選考というフィルターをかけたにしても、これだけ大量に掲載したのははじめてのことである。面白い、わからない、わけるけどよくない、いやこれがいいのだ、という反応は、非・歌壇的な作品をかなり読んでいる責任編集の三人の選考座談会にさえ頻出したくらいだから、読者間にも当然のように起きる反応だろう。そこで活きてくるのが「詞書」的情報だ。インターネットを活用した、あるいは、インタラクティブな、という点が前面に押し出されているが、むしろメディアの問題以上に、非・歌壇的なファクターを含んだ諸情報全体を一本の糸でつなぎ、一冊の本にまとめあげ、作品と「場」とをまるごと提示してみせたところに、現代短歌の現状を踏まえたこの本の先進性があると思われる。
 『うたう』の掲載作品が、こうした事情を踏まえずに語られるとすれば、それはまた短歌はどうあるべきかという視点に偏向した議論の繰り返しであり、先の熊本のシンポジウムに見られたような困惑の風景はさらに広がり続けるに違いない。多少のもどかしさはともなうにしても、しばらくぼくたちには「場」の吟味が大切な要件となりそうだ。

 視点がやや飛躍するかも知れないが、現在の「場」の問題を考えながら、記憶からたちあがってきた文章がある。三枝昂之が歌集『塔と季節の物語』(一九八六年、雁書館)の覚書として収録している一文だ。歌集出版の企画が成り立ってから、新作の原稿依頼があってから、という外発的なプロセスが、作者を勇気づけ、詩的内発性の母胎になる。これはさかのぼれば古典和歌の「定数歌」の持つ意義にも似て、表現の内的エネルギーを生む。「定数」の意味を拡大して考えれば、短歌とは何かというこだわりが生む作品もこだわりから自由になった折々の作品も、外発性が内発的なエネルギーに変換されるという点で同じ範疇のものだと考えたい、というのが一文の骨子である。
 三枝の語っているのは、自身の作風の変化についての説明ではあるが、ぼくには、外発性が詩的内発性の母胎になる経緯を考慮しなければ、当時(一九八〇年代)の短歌を掴めないという宣言のようにも読めた。ある意味で、ぼくたちは二十年近くも困惑し続けているわけである。女歌、ライトバース、ニューウエーブ、あるいはそれ以後、視点はくるくるかわったが、本質的なところでは、「場」の問題を適切に扱いかねているということではないだろうか。『うたう』が、問題意識を深める端緒として読まれることを期待したい。


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