不思議な境界線
 森本平の歌集『個人的な生活』(北冬舎)は、痛快な実験作が話題を呼んで、物議をかもしているらしい。「短歌研究」二月号の特集「作歌法−音と意味の多重性を生かす」では、執筆者十九人中の十人までもが彼の作品を引用しているので驚いた。特異な詠風に拒否感を示しがちな歌壇では、椿事に類することではないかと思う。一方で、著書の出版も盛んで、読者数もかなり多いと考えられるのに、歌壇的メディアでは名前を見ることのきわめて少ない歌人がいる。たとえば枡野浩一であり、林あまりである。枡野の場合、既成歌壇の拒否感をばねに自己を奮い立たせている様子も見受けられるが、ともあれ、森本はあきらかに歌壇の「内」に、枡野や林は歌壇の「外」にいる、というような不思議な境界線の存在を感じないではいられない。

 「女の子はボタンの左右が逆なんだね」
  はしゃぐあなたにあふれる乳房

 いいパンチをもらったようにゆっくりと
  からだの力が抜けてゆくキス

 引用は、林の歌集『ふたりエッチ』(白泉社)と『ガーリッシュ』(集英社)から。十代から二十代の女性がイメージされ、恋愛におけるエッセンスをやわらかに絞り出したような詠風は、快くこの世界を享受できる純粋な読者と短歌の「歴史」に鑑みて拒否感をおぼえる歌人とに読者を二分するのかも知れない。けれど、拒否感をおぼえてもおぼえなくても、こうした一九八〇年代以来の会話体や口語体、また若い恋愛をモチーフとした作風が、若年の入門者たちにもっとも大きな影響を与えているという事実は変わらない。
 見たところ「歴史」を飛び超えて短歌の世界に流れ込もうとする作品を堰き止めるような境界線から、いい未来が生まれるわけがない。「外」と見なされている作品が論じられてはじめて「内」なるものの本質も見えるのだと思う。境界線が存在する限り、内外はともに居心地のいいぬるま湯なのだから。


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