昭和六年、白菜の内側、黴

 昭和六年・コップ・のらくろ・桜会・つゆのあとさき・満州事変

                     三枝昂之『甲州百目』

 三枝作品は「せりなずなごぎょうはこべらほとけのざすずなすずしろ春の七草」等で知られる、短歌定型による列記形式である。初期の頃より三枝の得意とするスタイルの一つだ。昭和六年という時空に深くかかわる名詞だけを列記し、その間に入るべき辞を省いている。名詞の情報に反応できる読者は、それらをつなぎあわせる辞を自己のうちに回復しようとして、それぞれの昭和六年にたどりつくのである。列記によって作者の昭和六年観を見せながら、読者を巧みに歌の世界へ招く佳品と思う。ふと、元年から六四年までの昭和の連作などを夢想した。一見したところ古風だが、古典和歌以来のスタイルに前衛短歌の辞の断絶風な手法をフィックスした、三枝流の新しさがうかがえる。

 子には子の電車来るべし「白菜の内側でお待ち下さい」と言ふ

                  小島ゆかり『獅子座流星群』

 小島作品は子供の聞き間違い・言い間違いを面白がって素材にしている。駅のホームでのアナウンスを真似しているのだろう。どちらが内か外かわからない「白線」よりも、内と外のある「白菜」の方が、子供流に辻褄があっているのかも知れない。現代の日本語における同音異義語の取り違いは駄洒落にしか思えないが、似た音の取り違いには、どこか外国人風のエキゾチックな感性が見え隠れする。子供というものは、実は言葉も文化も異なる「子供の国」に棲んでいるのだ、ということを鋭敏に察知した佳作だと思う。

 幸せに定型はなくジーンズをはきか黴ぬま黴布団に黴ぐる

                    森本平『個人的な生活』

 森本作品は伏せ字の手法を効果的に用いて面白い空間を創出している。伏せ字に用いている「黴」をきれいに拭うと、たぶん「幸せに定型はなくジーンズをはきかえぬまま布団にもぐる」となるのであろう。幸せをうまく掴めないで悶々とする青年が、やるせない気分のまま帰宅してそのまま布団にもぐりこんだシーンであろうか。想像をたくましくすると、一人暮らしでどこか黴臭い感じのある部屋という設定に読める。空間も心象も黴に蝕まれてゆくような印象が、この不思議な伏せ字を通してこちらに伝わって来る。


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