メディアとしての批評会

 歌集および歌書が出版されると、著者自身も同席してのディスカッションというスタイルで、批評会が企画されることがしばしばある。著者の所属結社やあるいは出版社がとりしきる場合が多いが、パーティ風にお披露目をおこなう出版記念会とはいささか趣を異にし、日頃交流のない人たちから厳しい批判を受けることに価値を見出すといった傾向がある。むろん業界の通過儀礼のようなものではあるので、ときとして著者に無用な刺激を与えることもあろうが、忌憚のない意見を聞ける稀少な場には違いなく、メディ

アに準ずる独特の場を形成しているようだ。他のジャンルで類例がどれほどあるのかはさだかでないが、短歌結社間の方法的差異がどこかしらおぼろになりつつあるからこそ、活発に批評会も実現できるのであろう。そう考えると、ちょっぴり複雑な気分でもある。
 昨年末発行の石井辰彦の歌論集『現代詩としての短歌』(書肆山田)をめぐって、そうした批評会が企画された。岡井隆と田中槐のアイデアで、三回連続の小シンポジウムの形式で進められることになっている。先日、第一回が開催され、ぼく自身もレポーターとして参加した。岡井隆、高橋睦郎をはじめ、著者の石井辰彦自身もディスカッションのメンバーに加わっていた。参加者は五十人弱。第一回は、石井の打ち出した韻律論(古典和歌の韻律に溺れない現代短歌の文体の様相)と朗読をめぐる議論で、一参加者としてなかなか興味深いものだった。また、参加者たちとのコミュニケーションであらためて確認できたのは、すでに一年近くの間、メディアであまりとりあげられなかったこの本を、多くの人がとても重要な本として位置づけていることだった。歌壇的なメディアの大筋に偏向があるとは思わないが、重要でも扱われにくい本は、避けがたく生まれるということだろう。メディアとしての批評会は、本来そうした本にこそ求められているのかも知れない。


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