引力と微熱
 氾濫する歌集や歌書の中で、強く印象に残る本の特質は、それが歌人たちの内輪の世界だけに向いているわけではない、ごく「普通の本」であるということだ。二冊紹介する。
 藤原龍一郎が『短歌の引力』(柊書房)を刊行した。本紙掲載の短歌時評をはじめ、著者が一九九〇年代に訴えつづけた歌人としての主張をまとめた散文集である。目次の章題を見ると、歌人たちの肖像、ロング・グッドバイ−夭折の歌人たち、時評は踊る、詠まずに死ねるか−短歌の方法、抒情が目にしみる、という具合に、どこか戦闘的で、かつどこかリリカルな構成になっている。先人にも同世代にも下の世代にもそして歌壇にも、万遍なく「爽やかな毒」をまきちらしていて痛快な一冊である。批判の対象を全否定的に扱うのではなく、あくまでも期待をこめて、諭したり説得したりするかのような文体で語るのが印象的だ。また、エッセイ集でも評論集でも歌論集でもなくて「短歌発言集」と題されているのが面白い。ともすれば書き散らしが多く、軽視されがちだった時評的文章の価値を、あらためて考えさせる力を備えている。
 千葉聡の第一歌集『微熱体』(短歌研究社)が刊行されている。一九九八年に短歌研究新人賞を受賞した作者が、受賞前後の新鮮な作品群をまとめたものだ。散文的にモチーフを理解しやすい連作で全章が構成され、読者を歌集の世界にひきこむ斬新な方法を打ち出している。新しいタイプの連作として久々の連作議論の対象になるだろう。

 明日(あす)消えてゆく詩のように抱き合った非常階段から夏になる

 「Y」よりも「T」よりも「个」になるくらい手を振り君を見送る空港

 引用は受賞作「フライング」から。連作としての魅力はここに紹介できないが、こうした現代短歌の軽快な部分を吸収した一首一首の作品がまとまって読み物風な連作が構成されている。動向に注目したい作者だ。


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