奇妙に明るい空気
 短歌が停滞していると言われて久しい。たしかに、年々にぎやかにまたはなやかに作品が書かれながらも、どこかで何かが滞ってしまっているのを感じる。端的に状況を語ってしまえば、読者の感覚を揺り動かすような決定的なテーマがたてられない。一方で修辞の秀でた作品のみがそれなりに読者に刺激を与え続けている。この二点に尽きる。本欄を担当することになって、氾濫する雑誌や歌集や歌書にあれこれ目を通しながら、この停滞の感覚はさらに強くなり、深まっていった。
 ところで、総合誌「短歌」一月号に掲載された座談会「次代を担う新鋭歌人を読む」では、岡井隆、小池光、栗木京子、米川千嘉子の四人が、この厄介な状況の行方を、三十代以下の作者の活動を通して占っている。辛口の批評とエールをおくりながらの討論は、楽しい読み物として仕上がっているが、この楽しさの裏には、停滞打破の決定打を見出せないという現状が隠されている。現在もっとも充実した活躍ぶりを見せる歌人たちの討論に流れる奇妙に明るい空気が、深刻な状況をむしろより強く物語っていると見えた。「短歌研究」でシリーズ化されている座談会「個人的体感の世代」にも同様の現象がある。内容が混沌としていた初回、第二回と比べ、一月号掲載の第三回は、坂井修一、加藤治郎、穂村弘ら連続しての参加者の発言に明晰さが増して読みやすくなったが、奇妙なまでに明るい雰囲気の中で進められる同世代の作者たちへの分析や批判が、停滞の深刻さをさらに色濃くにじませているように感じられた。
 小池光は座談会の中で、停滞を打破する大型新人の出現を予想している。古典から現代にまで精通した第二の春日井建が出現するのではないかと言う。状況の打破を切実に願う小池の、予想と言うよりは願望であろう。新人が出るか否かはともかく、新人が待望される時代、すなわちもっとも悲惨な状況に現代短歌は直面しつつあるのかも知れない。

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