間違へてみどりに塗つたしまうまが夏のすべてを支配してゐる 『世紀末くん!』 |
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なかはられいこ(川柳展望・ラエティティア) |
荻原さんと知り合って八年か九年になる。 知り合ってまもなく頂いた『青年霊歌』を読んで「このひとはこんなに若いのに、こんなにいろんなことが見えてしまって、この先ちゃんと生きてゆけるのだろうか」と、まだ二十代だった青年のこれからを本気で心配してしまったことであった。 そんなことやあんなことをいま、ぽぽぽぽと思い出しながら書いている。 第一歌集の『青年霊歌』からこの歌が掲載されている第四歌集の『世紀末くん!』まで、荻原裕幸の歌を通じてわたしが受け取るものは、ある種の「せつなさ」である。 ところで、せつないという感情はなかなか定義しがたい曖昧で高度な形容詞であると思う。ほんのり甘くて、ほんのり苦くて、しょっぱい。 さて上記の一首。 わたしが荻原裕幸という歌人に感じるせつなさは、そういう世界のからくりを自覚してしまったひとであるにもかかわらず、いや、だからこそ、穏やかな不幸に耽溺することを自らに許さないという姿勢にある。そういう彼のささやかでまっとうな抵抗の爪跡を目にすることのせつなさなのである。 ねじまき鳥がギィーと鳴いて、わたしはスコーンと抜けるような夏空を見上げる。 |