まだ何もしてゐないのに時代といふ牙が優しくわれ噛み殺す
『青年霊歌』
松平盟子(プチ★モンド・ラエティティア)
 昭和末年(1988年)に刊行の最初の歌集『青年霊歌』から選びました。この1首は当時、いろんな機会に引いた記憶があります。
 ときあたかもバブル期全盛。実際に作られたのはそれより前でしょうから、バブル期へ向かう熱っぽい上昇気流が街々を舐めながら立ち上っていたころ、それが時代背景でしょう。そんなころに荻原さん世代が青春を生きるっていうのは、逆に辛いだろうな、という一種の同情心とも共感ともいえないものが私の中にあったのは確かです。
 いかがわしくて猥雑で、安物の甘味料にコーティングされたような<時代>の気分が大都市を中心に急速に広がり、日本人は自分の足が3センチほども空を掻いているのを、知ってて知らないふりをしていました。それを二十代の鋭敏な感性がキャッチしないわけはなくて、苛々しながら毎日を送らざるをえなかっただろうな、と思うのです(少し? 年上の私ですらそうだったんですから)。
 まだ見えていないけれど、きっとこれから果たさなくてはいけない何か。漠然と予感しているけど、どこから手をつけていいかわからない何か。そんな「まだ何もしてゐない」空虚さと無為の今日こそが、めまいのしそうな激しい現実感としてここにあるのに、<時代>は、薄笑いを含んだ優しさで視界を遮り、まあまあゆっくりしろよ、と囁いていました。<時代>は内深く牙を隠しながら、それと見せずに私たちを懐柔し、骨抜きにし、そのはてに捨ててしまおうとしているのに違いなかったのです。<時代>は飽きっぽくて、酷薄でした。
 私の記憶の中のあの<時代>が、荻原さんの<時代>と完全に一致するかどうかは、わかりませんが、私も<時代>に噛み殺されそうな危うさを感じていた一人でした。私事でいうなら、結婚生活が内側からゆっくり壊れていく一部始終を肌身に感じていたころですので、<時代>の空気のちょっとした動きにさえ心は擦過傷を受け、いつもひりひりしていました。だからこの一首は、当時の私のなにかを代弁していたともいえるでしょうね。
 ひとつだけ疑問を述べるなら、結句「われ噛み殺す」というところでしょうか。本来なら「われを噛み殺す」となるべきで、普通は動作の対象を表す「を」をはずしては使えないものです。「〜が〜を〜する」という用法が日本語として通常ですから。ただこれですと字数が1字オーヴァー。字余りは短歌でよくあることですが、この場合はどう考えても字余りでは収まりが悪い。7音(7字)きっちりで止めないと、この歌は死ぬ。それで苦肉の策として、やむをえず「を」をカットしたのでしょう。荻原さんの一瞬の迷いが伝わるようです。
 『青年霊歌』から12年。<時代>はどう変わった? 『中年霊歌』なんてタイトルはありえないとして、荻原さんの今が読みたい私です。
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