ネロのごとわれは見おろす誕生日卓のケーキの上の大火事
『青年霊歌』
加藤治郎(未来・ラエティティア)
荻原裕幸の作品から一首選ぶというのは、楽しい苦行です。
話題性ということでは、ぼく自身よく引用しましたが、『あるまじろん』の「日本空爆 1991」。

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情報としての湾岸戦争をクールに解析した傑作だと思います。
やはり、方法は、主題と結びついたとき、輝きますね。

さて、さんざん迷って選んだのが、「ネロのごと」です。
これは『青年霊歌』(1988年5月、 書肆季節社)の「夕映感覚」という一連に収められています。短歌研究新人賞を受賞した「青年霊歌」に続いての作品。
一連では、この歌の前に

 二十五をむかふる前夜くれなゐのカフス釦のひとつ失ふ

があります。この誕生日は、二十五歳と分かるわけですし、実際の年譜的誕生日もそうですね。

前置きが長くなりましたが、この歌の見所は、「卓のケーキの上の大火事」という幻影の迫真性ですね。どうでしょう。蝋燭の灯がおそろしくデフォルメされ、めらめらと燃え上っているのがみえませんか。
どこからこのリアリティーは来るのでしょう。「卓のケーキの上の大火事」自体は、おそらく嘘っぽいイメージです。
そうですね。やはり、これは「ネロのごと」の喚起するものの強さということでしょう。ローマの大火をみおろす暴君ネロ。この像が強烈で、最後まで残るのですね。それが迫真性の根拠です。

表現史から見ると、この作品には前衛短歌の余光が感じられます。
大火事というメタファー。それから、自らの生誕に、ある種の負性を帯びさせる点。ただし、余光であるところに、この歌の新しさというか、前衛短歌を継承しながら、自らの表現史を切り開いてゆくという作者のスタンスが明らかだと思います。


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