ベッドならぬ心軋ませこの恋の冷ゆる日が今われには見えず
『甘藍派宣言』
佐藤りえ(短歌人・ラエティティア)
 恋は永遠、ではないことに気づいたのはいつだっただろう。永遠に君だけを愛す。誓いは、その瞬間は真実であったとしても、変わることもあるんだ、と、知ったのはいつだったろう。そしてそれを受け入れることができたのは。
 見えないけれど、彼はもう感じている。抱きしめた恋人の肩越しに見える暦のどこかに、この恋の冷える日が含まれているかもしれないことを。「今」だけを見ていた、幼い日々は過ぎ去った。否応なく流れる時間を、いつしか彼は全身で受け止めつつ、時にはベッドを軋ませたりしながら、さらに恋へと落ちていく。一瞬を永遠に変えようとするかのようなその最中にあっても、背中にはりついた終末の予感は、引き剥がしようもないのだけれど。
 『甘藍派宣言』に収められたこの一首は、単に恋愛に殉ずる一青年のモノローグというだけでなく、青年期の自己の変容をやや俯瞰的に歌った、興味深い世界観の露出した歌であると思う。どこか冷めているようなその視点は、決して熱を失っているわけではなく、終わりがくるとわかっていながら心を軋ませていく、自らのアンビバレントなしたたかさを憂えているようにもとれる。そういえばいつからだったかな、終わりを意識しながら恋をするようになったのは。永遠でなければ意味がない、若かりし日は確かにそう思っていたよ。
 永遠より短く、一瞬よりもずっと長い物差しを手に入れてから、無限に続くはずだった世界は、限りある場所だということに気づいてしまう。そのことを認めつつ、認めたくないという揺らぎをもこの一首は抱えている。実はこの「揺らぎ」こそが、氏の根底に流れる「自分と世界との違和感」の一部分ではないかとも思うのだ。
 おそろしく平凡な日常にまみれ、手放してまいがちな、微妙な違和感を感じ続けながら、あくまで現実に真向かう氏の姿が、うたの向こうに見えてくる。

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