BL学園リレー小説
第2話 濃いからはじまるラブモード(仮)@

あのめくるめく悪魔の宴が終わったあとのことはほとんど覚えていなし、思い出したくもない。
おぼろげな記憶が正しいなら、片桐の肩を借りて自室まで戻った後、倒れるように横になった。
そしてそのまま強烈な睡魔に襲われ、眠ってしまえば何もかもが夢で、全てを悪夢として忘れられるような気がして、そのまま意識を手放した。
しかし、次の朝目覚めてみてもやはりそこは見慣れたアパートの一室ではなく、広大なお屋敷の一室だった。
腰には昨夜から巻きついている紫の薄物、そしてさらに片桐が巻きついていた。
「おはよう、三枝。昨日は一人で寝てしまうなんて、ずるいよ」
んーっと伸びをする半裸の片桐。俺はコイツと一夜をともにしたらしい。
もちろん、何もなかったはず…だけど。なかったよな…?
なんだか気分が悪くなってきた。体の節々も痛いし、何よりものすごい倦怠感。
そのうえ寝起き機嫌の悪さも手伝って、俺は片桐に向かって叫んでいた。
「…で、で、で、出て行けー!」
きょとん?としている片桐を無理やり部屋の外に放り出す。
何やらぶつぶつ不平を言っているようだが、無視。
カギを閉めて、ようやく一息ついた。
そして、また強烈な睡魔が襲ってきた。
もちろん、俺はそのまま眠りについた。
今度こそ、きっと夢なんだ…と希望的観測にすがって。
そして、その後俺は丸二日眠り続けた…らしい。
心配した笠原が二日目の夕方、合鍵でドアを開けて俺を起こすまで、俺は眠り姫のように眠り続けていた。

「おはようございます!三枝氏!いいかげん起きてください!」
うっすらと開けた目に映ったのは、メガネっ娘メイド。
「…あぁやっぱり夢じゃないんだ」
思わず声に出していた。
「もう、いい加減に現実逃避はやめてください!素直に現実を受け入れるべきです。お嬢の趣味にちょっと我慢してつきあえば、三食・昼寝・恋人付!こんな条件のいい職場はないんですから!」
ちょっと、って程度じゃないと思うんだけどなぁ。
「さぁ!起きて!おなかも空いてるんじゃありませんか?夕食の用意ができてますから食堂へいらしてくださいね!」
そう言われてものすごく腹が減っていることに気がついた。丸三日何も食ってない、あたりまえだ。

部屋についているシャワールームで熱いシャワーを浴びて、着替えをすませ、廊下に出て歩き出す。
二つ隣の部屋の前で、ワゴンを押した笠原とぶつかりそうになった。
「三枝氏♪ちょうどよいところでお会いしました♪」
なんだか妙に嬉しそうだ。
「コレを環嬢の部屋に運んでくださいませんか?後で三枝氏のお食事もお運びしますから、ね?よろしくたのみましたよ♪」
笠原は、そう言って回れ右して、まるで逃げるかのように走り出した。
二つ隣の部屋は環の部屋だったらしい。
ワゴンには二人分とおぼしき食事がのっている。食事というよりつまみのようなメニューだ。
俺のは後で運ぶとか言っていたから、部屋の中には環の他に誰かいるらしい。
頼まれたからにはしかたない。なんとなくイヤな予感がしたが俺は目の前のドアをノックした。

コンコンコン…がちゃ
「あれ?三枝だ。起きたの?」
「片桐…?」
驚いた事に現れたのは片桐だった。思わず身構える。
「お姉さま〜、つまみと三枝がきましたよ〜♪」
そう言いながら、片桐はワゴンと俺を部屋に引っ張り込んだ。
よろけながら見た環の部屋には、ワインボトルや一升ビンが転がっていた。
「おう!三枝!この間の舞はなかなかよかったわよー!アンタもこっち来て飲みなさい!」
広い洋室の隅の一段高くなった六畳の和室部分で、環は完全に出来上がっているようだ。
八海山のビンを片手にスーツの襟元も裾も乱れきっている。
笠原が、俺にワゴンを押し付けた理由が、うすうす理解できた。
「お姉さまはね、あぁ見えても本当は酔ってないんだよ。でも、あぁならないと愚痴が言えないから酒乱のフリしてるの」
後ろからこっそりと片桐が耳打ちした。
どお見ても泥酔状態なんだけど…。
「ところで!三枝!」
「はい!」
いきなり呼ばれて、思わずいい返事を返してしまった。
「アンタ、まだ片桐とやってないんですって!?この甲斐性なし!」
「は…はぁ?」
や、やるって…何を???
突然の、思いもかけない問いかけに俺が返答に困っていると、
環は俺の後ろの片桐を引っ張り寄せ、ぎゅうっと抱きしめて嘆きだした。
「こんなにかわうい葵ちゃんのドコが気に入らないというの!?この子は私が手塩にかけた極上品なのよ!魅惑の誘い受けなのよ!何が不満なの!?」
「い…いや、あの、不満とかそういうことじゃなくて」
「あぁ〜、かわいそうな子猫ちゃん!お姉さまの仕込みがいけなかったのね?こんな三枝一人タラシこめないなんて、ごめんなさいね〜」
「お姉さま、泣かないで」
「あ…あの…」
一見麗しき姉妹愛的ビジュアルだが、言ってることはむちゃくちゃだ。
「こんな事じゃ、不安だわ…会長から新しいペットの捕獲と調教という重要極秘の任務を仰せつかったのに、三枝もタラシこめない子猫ちゃんにできるかしら…」
「お姉さま、私がんばりますから、泣かないで」
「ええと、あの…話が見えないんですけど…会長とか、極秘任務とか」
「ほんとに、アナタ忍の者なの?その様子じゃココがどこだかも分かってないみたいね?」
環は心底呆れた声と蔑むような眼差しを俺に浴びせた。
そんなこと言ったって、たった今まで寝ていた人間に何をどうしろって言うんだ。
反論しようと口を開きかけた俺をさえぎって、環はミエきった。
「知らざ知らざぁ〜教えてさしあげましょ!ココは『世界にはばたけオガマワラ!』でおなじみの世界的複合企業小釜原グループ会長、小蒲原樹恒氏の別宅よ!」
小釜原グループって、世界を股にかける大企業、世界的な大金持ちのあのオガマワラ!?
表情から俺が理解したことを感じとった環はさらに続けた。
「そう!そのオガマワラよ!そして、この屋敷の主であるお嬢こそ会長の一人娘!小釜原桃子さまよ!」
ひえー!!!!!
俺はそんなスゴイところに拉致されてきたのか!?
「驚くのはまだ早いわ!お嬢はそんじょそこらのお嬢様とはわけが違うの!純文から大衆ポルノはては少女小説まで七色の文章を書き分ける鬼才の小説家、オカマモモコその人なのよ!」
オカマモモコだとー!?
オカマモモコと言ったら、文壇の鬼才、教科書に載る作品を書きながら、スポーツ誌のエログロ連載小説を持ち、そのうえ少女小説文庫まで出している節操ない物書き!
それが、アノお嬢さんだったなんて!!
多少なりとも出版界に身をおいた俺は、謎の天才オカマモモコの噂をいろいろと聞いていた。
ホンモノのオカマだとか、実は70のじーさんだとか、主婦だとか、マッドサイエンティストだとか…
オカマモモコの正体見たり…お嬢様
そのお嬢様は、夜な夜な半裸の男の舞を眺めながら高笑い。
放心している俺を無視して、環は今度は一人芝居をはじめた。
会長から極秘任務の電話を受けた模様を再現しているらしい。

「はい。環です」
「久しぶりだね。みんな変わりないかい?」
「…!会長!?おひさしゅうございます!お嬢も私もかわりなく…」
「その桃子が、運転手をクビにしたそうだね」
「…!お耳にはいりましたか」
「最近はね、いろいろとうるさいんだよね、労働なんとかとかが。企業イメージとか。」
「…(そんなもの、いくらでもなんとでももみ消せるくせに)……」
「わかるね?桃子のわがままで、この忙しい私の手を煩わせたんだ、当然見返りがあるんだよね?」
「…はい(この狸…いや、狐おやじー)何をご所望で?」
「そろそろ新しいペットがほしいと思ってたんだよ」
「はぁ」
「せっかく君に仕込んでもらった片桐を桃子にとられてしまったからねぇ」
「お誕生日のプレゼントでしたね」
「かわいい娘にねだられれば、しかたなたったが、まだ未練はあるんだよね」
「はぁ」
「そんなわけで、極上のペットをたのむよ。君と片桐で仕込めば必ず一級品に仕上がるだろうからね」
「…承知しました」

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俺はあっけにとられた。
もちろん美人秘書の一人芝居に…ではなく、その内容に。
(ペット…人間のペットって…人道的にどうなんだろう。しかも手に入れて、いったいペットで何をしたいんだ…?)
金持ちの考える事は常軌を逸している、と俺は目を覚ますべくパンパンと顔をはたいて、頭を振る。
俺は真人間だから、こういう展開の先が全く読めない。行き着く先に何があるのか。俺がペットになったとしてどういう生活が待っているのか。
すでにペットとして飼われている先輩、片桐を見れば…乱れ乱れた環のひざにちゃっかり頭を横にしてゴロゴロ喉を鳴らしている。
そしてふいにマニキュアに色づく指先があごの下を滑って、ゆっくりと撫で上げる。喉を鳴らす音に混じって、「ん…ふ」と漏れる片桐の吐息。
「ペ、ペ、ペ、ペット先輩ーーー!」
衝撃的な現場を見たような気がして叫んだ俺に、くだんの二人は見て分かるくらいビクッと飛び上がった。
「な、なに? 突然大声出さないでよっ」
「心臓に悪いな〜、もう」
すいません、すいません、とひたすら平身低頭の俺。
意味不明な言動で場をしらけさせてしまったからではない。妙に艶っぽいビジュアルを目の当たりにして、ゾクゾクと背にはしらせてしまったことに対して、心から反省していたから…いや、これも違うかもしれない。
ともかく、何かが妙にうしろめたくて、異常なくらい頭を下げて環の部屋の扉に手をかけた。一刻も早くこの場を立ち去りたかったのだ。
バーンッ!
「うわっ!」
急に廊下から扉が開けられて弾き飛ばされる俺。
「環ィー、原稿上がったわ。宮廷社の真巣を読んで頂戴。真巣マス夫よ。早く!」
叫びながら入ってきたのは、瓶底のようなメガネにひっつめ髪、シルクと思わしき浅黄色のネグリジェの上に真っ赤なドテラといういでたち…もしかして、あのお嬢さんなのか…? パッと見、まるで別人だぞ?
それよりも俺は彼女の言葉の方が気になっていた。マス…マスオ…? その野比のび太のような響きには聞き覚えがあった。
こんな名前、他に誰がいるだろうか。間違っていなければ業界でその名を知らぬものはいないと言われている敏腕編集者、真巣マス夫。まさかオカマモモコとも繋がっていたとは…やはり侮れない。
「…ああ、真巣? オカマモモコの新作、書きあがったわ。…なあに? 思いのほか早くあがって嬉しいでしょ? さっさと引き取りに来なさい。30分以内に現れなければ他に渡してしまうわよ」
ハーリアップ! と快活な声を電話口に叩き込むとプッと回線を切る。先ほどまでの泥酔ぶりがまるで嘘のように環は「有能な美人秘書」していた。
「お嬢、今回の宮廷者の生ける屍探偵シリーズ新刊の締切は10日後でしたよね? ずいぶん早く上がってしまったように思えますけど…」
振り返った環がお嬢さんを心配そうに見つめる。
「ああ…書きたいものができたので、つまらない仕事はさっさと切り上げたの」
つまらない仕事!? オカマモモコの「生ける屍探偵シリーズ」と言えば、日本のミステリファンの注目をかっさらったベストセラーじゃないか。それをつまらないの一言で切り上げてしまうなんて…
「まあ、それは素敵。して、その書きたいものとは?」
「うふふ…その名も『小公子・三枝』よ!」
バーンと背景に書き文字が躍るように、お嬢さんの指が俺を突き刺す。
ガーン!!
「小公子・三枝」…なんてくだらない! タイトルからも絶対売れそうにない匂いをぷんぷんと放っている。
「ああん…もうゾクゾクするわ、久しぶりの手応えを感じるのよ!!」
この手が! とまるでアル中末期症状のようにブルブル腕を震わせてわななくお嬢さん。
「忍の長となるべくして生まれた少年が、修行の厳しさに里を抜け出すの。そしてそれまでに体得した技でもって現代社会の底辺を生き抜いていく。もちろん山田風太郎御大の例に基づいて幼くして性の限りをつくして技を極めてきた三枝は身体で取り入って、とうとう富豪の養子におさまる…」
く、くだらない…つーか、まんまじゃん!!
「養子として入った先で、屋敷の人間たちからことごとく苛められる三枝。苛めはどんどんエスカレートしていくの。フフ…ここは日本中の涙を誘うわ。そして彼を養子にした富豪の死。三枝は自由になる。でも三枝はその屋敷にとどまるの」
なぜだか分かる…? と瓶底メガネの奥から流し目を向けられる。
俺がふるふると首を振ると、お嬢さんは片桐を手招いた。
「おいで…」と側に座らせると、彼に向かって左の指を差し出す。
片桐は慣れたようにあごを突き出してたなごころに押し付けると、ゴロゴロと、先ほど環に見せたように甘えはじめた。
「ふふ、かわういわ、片桐。いい子ね」
もう一方の空いた手で頭を撫でる。
俺は…俺の神経は騒いでいた。何かわからないけれど、いてもたってもいられないもどかしい気持ち。
ぷつ、ぷつ、と肌が粟立つ。耳の後ろにゾワゾワきている。
「三枝!」
厳しい声でお嬢さんが俺を呼ぶ。
「お前もおすわり」
ふらふらとその声に従う俺。お嬢さんの正面にかがみこむ。
「ほら…これがほしかったのでしょう?」と差し出された手の甲。くらくらする。
そ…と顎を持ち上げて、指先に触れた、その瞬間。
ぱしーん!
と、軽やかな音を響かせて振り払われた。俺は面食らう。
「…お前には早いわ。もっと仕込まれてからでなければ、可愛がってあげないつもりよ」
ほらほらと白い指先をちらつかせる。それを俺は残像が残るほど見つめてしまう。
お嬢さんはその場にいた面々を確かめるように、くるりとあたりを見回すと、言った。
「ねえ、ご覧になって? この表情。期待を裏切られて愕然としつつも、その絶望感に新たな悦びを感じてしまっている…三枝、お前はペットとして長く私を楽しませてくれそうだわ」
オーホホホホ…とこだまする笑い声。背後からは「うわ…三枝って真性のMだったんだ。すごーい」と感嘆する片桐の声が聞こえる。
俺は、俺は、断じてマゾなんかじゃない! と言えるだけの自信もない俺は打ちひしがれた。
つまり「小公子・三枝」はMの悦びを捨てられず、屋敷に残ったというオチなのか!?
「し、しかしお嬢。ペットになさりたいとのお話ですが、実は三枝は会長がその身を受けたいと…」
「まあ、お父様が…?」
お嬢さんの顔が曇る。そのままツーンと横を向くと、
「私、彼を手放すつもりなんか、なくってよ。私が拾ってきたおもちゃですもの」
「ですが…」
「しつこい!」
バシッと切り捨てて、お嬢さんは言った。
「お父様がどーしても、とおっしゃってきかないつもりなら私にも考えがあるわ」
ピーンと張りつめた空気に誰かしらの息をのむ音が聞こえる。
「このマゾ一匹をかけて…全面戦争よ」

****************************************************(M)

高らかに響き渡ったお嬢さんの声に、俺以外の人間は即座に反応し「えいえいおー!」と勝ち鬨の声をあげた。
お嬢さんをはじめとして、環、笠原、片桐まではともかく、宮廷社の真巣マス夫氏まで皆と円陣を組んで鼻息を荒くしている。
 もしかして…慣れているのだろうか?
その時、俺は傍目には放心しているように見えただろう。騒ぎに加わることも出来ず、かといって無視するわけにもいかず、
突然あわただしくなった部屋の片隅でぼけっと突っ立ったままだった。
いや、あくまでも傍目には、だ。あっという間に「酔いどれからみ酒姐さん」から、
「ピンヒールをカツカツならして歩く美人一級秘書(ダイエット中)」に戻った環なんかから見れば、
たしかに今の俺は、木から落ちたままの姿勢で固まるナマケモノ以下の存在だろう。
しかし、である。その時、俺はある一つの、しかも非常に重大な命題と立ち向かっていた。
…今まで気が付かなかったけど…俺ってM?
 この屋敷に来て以来、俺は自分(特に性癖)に自信がもてなくなっていた。
その結果、行き着いた先がよもやまさかの「M」判定。
しかも「真性の」と、あのどう見てもマイノリティ的肩書きが片手では足りない男、片桐にそう指摘されたのは少なからずショックだった。
 俺はよろよろと壁際まで移動し、革張りのソファに座り込んだ。
「いや、まて…。まてよ、俺」
俺は必死で、本当に必死で、今にも押し当てられそうなMの烙印をふりほどこうと、懸命に記憶をたどった。
ちがう、違うはずだ!
 俺は今まで地味ではあるが、ごく平凡に人並みに満ち足りた生活を送ってきたのだ。かわいい女の子に恋もしたし、
小学校5年生の運動会ではリレーのアンカーだってやったんだ。人と違っていたことなんて、家が忍者業を営んでいたことくらいなんだー!!
「ねえ、『忍者業』ってなに?…ちょっと三枝、独り言が大きいわよ?」
「マイノリティ的肩書きってなんだよ、三枝。そうやって必死に否定することが何よりの証拠。あきらめなね」
 気がつくと俺は椅子から立ち上がり、拳を握りしめ叫んでおり、目の前には段ボールを抱えた環と片桐があきれ顔でたたずんでいる。
部屋にはもうその二人しかいない。
「三枝、忙しいんだからしっかりして。これを持って1階の写場へ行ってちょうだい」
 環はそういうと、俺に持っていた段ボール箱を手渡した。さらに片桐が自分の持っていた箱を重ねる。
箱は一つが一抱えもある結構大きなものだったが、持ってみると意外に軽い。
「何ですか、これ?」
 俺の問いには答える暇も無いらしく、二人は連れだってあわただしく出ていってしまう。
「写場に行けばわかるから。一階の東棟の一番奥の突き当たりいっこ手前右!」
 ぽつんと一人残された俺には、「1階の写場へ行く」以外の選択肢はなさそうだ。俺は箱を抱えなおして階下へと降りる。
何も考えないで出てきてしまったがこの屋敷は想像以上に広大で、東棟の一番奥までに行き着くまでには、さすがに手がじんわりとしびれてしまった。
 二つの箱を床に下ろし、レトロな文字で「写場」とかかれた表札の掲げられた部屋の大きなドアをノックして開けるといきなりの罵声。
「おそーい!!三枝!」
「か…笠原」
 そこには茶色のツイードのニッカポッカパンツにサスペンダー、焦げ茶色のハイソックスに革靴、同系色のベストにキャスケット帽という出で立ちの笠原が、
仁王立ちで怒り狂っていた。
「もー時間がないの!とにかく早く着替えて!」
 笠原は、三日前の夜に俺に見せた、服はぎ取り&お仕着せの技を駆使して、あっという間に俺にウエディングドレスを着付けた。
 …ウエンディングドレス????
「ど…どえええええええええぇぇぇ!!」
 俺が運んできた箱の中身はこれだったのか!
「か…か…笠原〜!」
 俺は事と次第を問いただすべく、笠原につかみかかかろうとしたが、次の瞬間、ベールが足にからみつき思い切り転んだ。派手な音がする。
「あっ!!大丈夫か?! ドレス!」
 笠原が血相を変えて飛びついてきたが、どうやらドレスは無事だったらしく俺はなんとか解放された。
「私の傑作の一つよ! 壊すなよ〜」
 どうやら笠原の手による物らしい。それはそうだ、こんなサイズのウエディングドレスは少なくとも特注しなくては手に入らないだろう。
よくよく見るとこのドレスは下半身はズボンになっており、俺は少し胸をなで下ろした。
しかしそのズボンも、もちろん上半身もフリルとリボンとレースの洪水であることは間違いなく、やはり気を失いそうになる。
「はい、これ持って」
 笠原がブーケを投げてよこした。俺が手の中の物をしげしげとのぞき込んでいる内に、頭にはベールとティアラが取り付けられ…
どこからどうみても花嫁姿にされてしまった。しかも下半身はズボン、倒錯色がよけいに強まっている。
最後に仕上げでぱちんと音を立てて黒い首輪まではめられる始末。
 大きな姿見に映る自分に、俺は不思議な気持ちになる。最後にはめられた首輪だけが冷たく硬質で、
そのほかの真っ白なふわふわひらひらとのコントラストが著しい。そのせいか首輪ばかりが恐ろしく目立つような気がする。
耳の中にさっきの「ぱちん」という音がこびりついたようで、ぬぐい去ることができない。
…やっぱり…まさかとは思うが…Mなんだろうか…。
 その時ドアが開き、高らかな笑い声。
「ほーほほほほほほ…準備はどう?笠原」
「整いました!」
「結構」
 お嬢さんは満足そうにうなずくと、振り返り俺を見つめる。俺はお嬢さんのいでたちに度肝を抜かれ言葉も出なかった。
ゴージャスな真っ赤なドレス。大きくあいた胸元にノースリーブ、編み上げられた背中とくびれたウエスト。
バッスルスタイルのスカートを翻してこちらへ向かって歩いてくる。なによりすごいのは、そのドレスがすべて革でできていることであった。
古典的なシルエットながら、まるでボンテージのような倒錯衣装。
 お約束というか予想通りというか、お嬢さんは乗馬用の鞭をヒュンと音が出るほど振ってから俺を呼ぶ。
「三枝、こちらへいらっしゃい」
 俺はあらがうこともできず、ふらふらとお嬢さんの指し示したソファへ腰を下ろす。
「笠原、まわして!」
 お嬢さんはそういうと、俺の隣へ腰を下ろす。笠原が壁際のスイッチを入れると、俺とお嬢さんは光に包まれた。
撮影用と思われるライトが俺達二人に注ぎ込まれている。笠原はプロ仕様とおぼしき大きなビデオカメラを肩に担ぐ。
これから何を撮影しようというのか。俺の胸は期待と興奮に高まった。
 しばらくの間、部屋は静まり、俺には俺の息づかいしか聞こえない。やがてお嬢さんの手の乗馬鞭がしなり、俺の顎をとらえた。
「お父様、私、宣戦布告に参りましたわ」
 それは親娘がペット(すなわち俺)をかけた全面戦争の宣戦布告ビデオレターだった。
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