BL学園リレー小説
第1話 出会い〜それはほんのプロローグ〜@

初めて彼らにあった時のことを、俺は今でもはっきり覚えている。
衝撃的な日であったし、それほど昔のことではない。
今、俺がこうして暮らしているのも、その日がすべての始まりだった。

月曜の朝、いつものように出社すると勤め先の出版社はあっさりつぶれていた。
厳重に鍵のかかった玄関のガラスドアには殴り書きのような文字で
昨日をもって倒産したという趣旨の張り紙が少し曲がってへばりついていた。
ずいぶん前から危ないとは聞いていたが、ずいぶん急な話じゃないか。
俺は途方に暮れてアプローチに座り込む。今日はこんなにいい天気なのに、
人生こんなつらいことがあるものか、と深いため息をついていた俺に
さらなる追い打ちが。ぴかぴかの黒塗りベンツが、昨日の雨でできた
水たまりの水を思い切り僕にぶちまけて走り去っていった。
コーヒー牛乳みたいな泥水が、一瞬にして俺の頭のてっぺんからつま先まで
まんべんなく雪印色に染めてしまった。俺はこの不幸の連続に一瞬唖然としたが、
なんだか投げやりな気持ちでそのまま車を見送ることにした。
今さらスーツなんかどうでもいい。少なくとも今日は仕事をしないわけだし。
ところがさらなる不幸。さっきの黒塗りベンツが十メートルほど進んでから
引き返してきたのだ。この道の先には頭にヤのつく自由業の方々の事務所が
あるという噂で、よく会社の前をこんな黒塗りベンツや、黒塗りシーマが
びゅんびゅん走り抜けていたのを知っている。全身を縄文式土器色にされたうえに、
ヤのつく自由業の人の相手もしなくてはならないとは、今日は何だ?天中殺か?
鼻の先からぽたぽたカフェオレを垂らした俺に何の用だ?そこまで心の中で毒づいた
とき、目の前に黒塗りベンツがぴたりと止まり、中から人形が出てきた。
人形?
ちがった。まるで人形のような少女だった。
腰まで流れる美しいストレートヘアに囲まれた抜けるように白い肌に、
黒い瞳と桜色の頬。桃色の唇。地味な灰色の制服のような格好をしていたが、
光り輝くように華やかだった。細く長い手足を動かして俺に近づいてくる。
少女は立ち止まると遅れてやってきた運転手の男を力一杯けっ飛ばした。
そして男に人差し指を突き立てて宣言。
「あなたクビ」
「お…お嬢さん!…そんな…」
これには俺もあんまりだと思った。今日みたいな日に仕事をなくすのは、
世界に俺だけで十分じゃないか?しかし、俺の聖人君子みたいな考えも、
次の少女の言葉でぶっ飛んだ。
「あなた、運転はできる?」
「は?…え、えぇ。」
 自慢じゃないが、俺の運転免許証はけん引二種まで埋まっているのだ。
「運転手になってちょうだい? あなたお名前は?」
「さ…三枝祐倶です。」
「じゃ、よろしくね?三枝」
 少女は猫のように満足そうな顔でほほえむ。
俺はこのように失業後わずか30分で職を得たのだった。

今まで見たことも聞いたこともないほど広大な庭先で、自分の雇い主になった
美しい少女と、そのボディガードを紹介されて、僕はバカみたいに口をぽかんと
開けたまま、恐ろしく間抜けな顔でつったっていた。…その原因は三つある。
一つは信じられないほど広大な庭につながる、これまた信じられないほど
バカでっかい「お屋敷」を見上げていたから。
二つ目は、俺の雇い主である美しいお嬢さんが、その花のかんばせをほころばせて
俺を見つめていたのに、少し、いやかなり見とれていたから。
三つ目はそのお嬢さんの口からこぼれ出た言葉のせい。
お嬢さんは自分の傍らのボディガードを僕の前に立たせてこう言った。
「三枝? こちらは片桐。わたくしのボディガード兼ペット。
今日からあなたの恋人になってもらうわ。」

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^(B)

ボディガード兼ペット?相反する二つの言葉。そのうえ恋人とは?
当惑する俺の前に立っていたのは、キレイな男だった。

綺麗とはいっても、大輪の牡丹の花ようなお嬢さんとは違う。
真夜中の月下美人のような儚さと冷たさ、そしてどこか毒気さえ感じるその肢体。
体も首も指も白くて細い。背中まである黒髪もさらさらと絹糸のように細い。
一見女と見紛うような彼、片桐はにっこりと微笑むと、カフェオレ漬けでドロドロの俺の首に腕を絡ませて…
口づけた。
「…!?」
一瞬、何が起こったのかわからず眼を見開いて立ちつくす。
その見開いた目に映ったのは、くすくすと楽しそうに笑いながら歩き出すお嬢さん。
しばらくして、片桐は俺に絡ませていた腕を満足そうにはずし、お嬢さんの背中に向かって言った。
「今度のはなかなか面白そうだよ」
くすくすくす…かすかな笑い声が耳に届く。
いったい、ココは何処で?あの少女は何者で?そして、目の前の「片桐」とは?
あまりの展開に、俺は眩暈を感じた。

少女が屋敷の中へ入ると、カツカツというピンヒールの音が近づいてきた。
「お嬢、運転手をクビになさいましたね?先ほど泣きついてきましたよ」
現れたのは、ダークレッドのスーツに印象的な三角めがねの茶髪の女。
「面白そうなおもちゃ拾ったから。いらなくなったのは捨てただけよ?悪い?」
「ただ、お父様のお耳に入ってしまいましたので、いろいろと面倒なことに…」
「それを片付けるのが、環(たまき)、アナタの仕事でしょう?それとも、私に意見するつもり?」
キッと睨むお嬢の視線にひるむことなく、能面のように眉一つ動かさずに環と呼ばれた女は答えた。
「いいえ、お嬢のお好きなようにになさいませ。ただ、面倒を引き受ける分、私にも楽しませてくださるのでしょう?」
そう言って、口の端だけかすかに上げて笑う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(S)

お嬢と呼ばれたその少女は、それまでの荒々しい気を一瞬にして治めると、今度は風のない水面のような静けさで優雅に屋敷の奥へと歩を進めた。
振り向きもしない背中で言う。
「そうね。いいわ、好きになさい環。…それから片桐……」
「………」
まるで舞台のような人工的な間に、緊張が走る。皆、この少女の作り出した演出に酔いしれていたのかもしれない。誰しもが彼女の唇に、紡ぎだされる次の言葉に、期待を寄せていた。…もちろん俺も、心ならずも釘付けになっていたことは言うまでもない。
お嬢さんは、たっぷりと時を溜めたことに満足したのか、ようやく言葉を発した。後ろ向きのままで。
「今日の私はとても気分がいいみたい。今夜の夕食の席にステージを設けるわ。片桐…いつものあなたの舞で私をもっと満足させてほしいの」
片桐が「心得ました」と重々しくこたえ、環はひどく納得したようにうなづく。そして俺ひとりが何のことだか合点がいかないまま。
生乾きの下着を身につけたみたいな気持ちの悪さを俺に残してお嬢さんはお屋敷の廊下の先へと消えていった。
まさしくこの空間は芝居の一幕だった。その証拠に、完全に幕が下りるまで、俺たちは身動きひとつとれなかったからだ。

「…さて、と。あなた、お名前は?」
静寂を破ったのは環という女の一言。俺は思い切りそっぽを向いてやった。何かが気に入らないんだ、この女は。
「さえぐさ、だそうですよ…三つの枝でさえぐさ?」
違った…? と首を捻じ曲げて俺の顔をうかがう片桐。
「三つの枝…あら、まるで桂三枝みたいね」
「あっはは…本当だ、さんしだね」
「さんし師匠だわ」
全くもって何がそんなに面白かったのか、さんし、さんしと口々に言い合って、あーっはは…、オーホホ…とひとしきり笑った後、何事もなかったかのように、
「それで三枝。ときにあなた、スカーレットとパープル、どちらがお好みかしら?」ときた。
「フフ。どちらも煽情的。でも私はパープルかな…うん、パープルがいいと思う」
人を舐めまわすように見つめて、満足げにうなづく片桐。その目線が、とても卑猥だった。
「パ、パープルって…?」
不安に思わずどもった俺の口元に手を伸ばした環は、唇の際をなぞるように指を動かすと、
「あなたの身体、調べさせてもらうわ」
と腰に腕を回してきた。
思わず心臓が跳ね上がる。
「待ってよ、彼は私の。…なんでしょう?」
だから、私が責任もって調べてあげる…と、海の軟体動物みたいに片桐がくにゃくにゃと絡みつく。
「あ、あ、ちょっと待って、そこはダメ…」などと言ってる間にふたりはさっさと手を離し、開いた環の手帳の向こうであーでもない、こーでもない、と論争をはじめた。
「あの…俺、どうしたら…?」
とまどう俺に二人はキッと視線を投げつけると、
「なによ三枝、あなたその格好汚いわよ。風呂入ってきなさいよ」
「ホント、ホント、どーりでお屋敷が泥臭いと思ったー」
などと(彼ら自身にも泥は付着しているというのに)責められる。
諦めて俺は環に指示された通りに屋敷を進んで、浴場にたどり着いた。
金持ちらしく、デカイ風呂だった。

精神的にどっと疲れがきていたのか、与えられた部屋でうとうとまどろんでいるうちに気が付くと陽も落ちていた。
「…ウフフ、おめざめ?」
いつのまにか、ドアの内側に環が入りこんでいて、こちらをうかがっている。
「そろそろショウタイムが始まるわ」
ついてこい、と言わんばかりにあごを動かして、さっさと歩き出す環。勝手も知らないお屋敷の中では俺は彼女の後を追うしかない。
ずいぶんと長い廊下を進んでたどり着いたその大広間では、めくるめく宴が繰りろげられていた。
紫色の薄物を腰巻にして華麗に舞う青年の姿がまず目に入り、それを楽しげに眺める少女の晩餐。それは一種異様な光景だった。
もちろん絡みつくような音楽に合わせて中央で身体をくねらせているのは紛れもなく片桐で、白い首には鈴のついた首輪をしていた。
チリ…チリ、チリン…チリン…。動きが激しくなるたび、鈴の音も軽やかに踊る。
呆然と見守る俺に気が付いたお嬢さんはナイフとフォークを下ろすと、ナプキンで口をぬぐってから手招いた。俺は環に背中を押されるようにして前のめりに彼女の前に立つ。
目が…目が合う。何かを見透かすように視線を動かさずにお嬢さんは言った。
「三枝。あなたも踊るのよ」
ニッコリ。
そしてそのまま後方を示す指を目で追いかけると、そこには環が腕に紫色の薄物を引っ掛けて何かを待っていた。
「さあ、楽屋はこちらです」
待たれていたのは…俺だった。
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