Cyber Japanesque


私の日記より日本舞踊関連のものを抜粋します

歌舞伎座で行われたものなど一部は歌舞伎関連と重なっています


2002/7/31

 そう、先週は月曜日に芝雀さんと会い、土曜日に玉三郎さんを観る、というまさに脂の乗り切った美形女形の2人を堪能できるという、夢のような週であった。

★★★★☆ 7/27 坂東玉三郎舞踊公演 at ル・テアトル銀座

この日は千秋楽。久しぶりとの玉三郎の対面にワクワク。喧騒の湘南の海を横目に、横須賀線に乗り有楽町まで来る。しかし、有楽町からの道のりは暑い!

ウッ、オペラグラスを忘れた・・・。ということで、今回はB席から肉眼報告。

ル テアトル銀座に入る。


“雪” : そう、最近の私の格闘作である。もう、見るのは3回目かな、4回目かな。本来はお茶屋さんで目の前で踊ってもらえると最高の作品なのだろうが・・・。だから、自分に引き付けて見るべくトライトライ。“鷺娘”なんかは美しさと動きの大きさにおいて分かりやすい作品なのだろうが、この“雪”は最小の動き心を表現する作品なのだろうが、正直まだ私はこの作品を完全に楽しめているわけではない。CDでは、結構BGMで流しながら聞いたりしているので、音は心に染み入ってくる。さあ、今回は如何に!
 会場が暗闇にすうっと包まれ、次の瞬間幕が開き暖かい蝋燭の光が会場に流れる。


 傘の向こうに白無垢の玉三郎さんが現れる。顔を隠しながらこちらへ向いてくる。


 ”まるで深い谷に隔てられて、向こう側で愛しい女が悶え踊るような、De Ja Vu に思えてくる・・・。傘に雪が降り積もり、寒く凍てついた空気の中で、女の心が次第に熱を帯び光を放ち始める。昔の私との恋のことを思い出したのであろうか。私の心にも、なぜか熱い思い出で、心臓が強く鼓動を始める。そう、私はあの女の裾を直す仕草が好きだった。傘の柄をなでる、あの女の細くしなやかな手で、私の身体を弄るのが心地よかった。しんしんと降る雪の中を一緒に連れ立って歩く事が、外気が寒ければ寒いほど、私の右腕にそっと寄りかかる女の心と身体は熱く濡れるのであった。二人が生きていると、実存をまさに感じる瞬間であった・・・。そんな女が、また雪の向こうに消えていく。傘の中に顔を隠し、私の目の前に姿を現した時と同じように消えていく。しかし、谷の向こうの女を私は止めるすべを持たない。輪廻転生。そんな言葉が頭をよぎった、静かな夜の出来事であった。”

 舞台を観ながら、こんな夢を私は見ておりました・・・。

“鐘の岬” : さて、“雪”により焦らされた私の心をうまく捕まえるように、鐘の岬では、玉三郎は躍動する。同じ白の世界でも、が舞い散る春は、廓も華やぐ。楽しげに得意げに手毬で遊ぶ。
そうか、わかった、動きが全てスローモーションなんだ。まるで、ハイビジョンの映像の如く、動きが全てつながっていく。そして、そうだ、“岩井俊二”の映像に似ている。昔、中山美穂が北海道の小樽へ亡くなった彼氏を訪ねていく“Love Letter”という映画があった。そう彼の、画像の粒子が不思議につながりスローモーションの様な効果をもたらす雰囲気と似ているのだ。人の喜怒哀楽を淡々と描いていくあの撮り方。そしてこれは、もしかして小津の”東京物語”にもつながるのかな。 見ながら、映画”夢の女”の吉永小百合も思い出してしまった。運命に翻弄させる女と、そして最後に意思を示す女。そんな多様な女を次々に演じる玉三郎。でも、(オペラグラスが無いので表情が見えないのであったが、)舞う玉三郎の表情は、単に冷たい怨念に満ちた顔ではなく、吉永小百合の顔の様に優しげなものであったように受け取れた。

 そうそして、玉三郎の周りに桜の花びらが舞い散るシーンだけで、なぜか私の心は切なくときめくのであった。 人の心を、瞬時に恋心へと導く玉三郎・・・恐るべし。

”楊貴妃” : うーむ、どうも楊貴妃だけは、他の作品に比べて感じるものが今ひとつなのですよ。これは私が和風好きの故なのか、玉三郎が日本の作品の方が向いているからなのか、私は合理的な結論を下せないのであるが。はたまた、オペラの如くカーテンコールをするために、敢えて和物を最後にしないのか・・・カーテンコールで白い袖を風にたなびかせながら挨拶をする玉三郎は実に楽しげであったのだから・・・笑。 きらきら光り輝く頭のダイヤモンドか水晶のような装いも、周りの女性からは「きれい・・・」と嘆息が出ていたので、女性サービスの意図もあるかも(笑)。

 ということで、いつもながら短い時間ですが、楽しい創造的な時間でありました。 当日席が一時間前から売り出されるので、こちらを利用して何度も堪能するのもお勧め。来年にも期待!


2002/7/28

 すっかり月記と化しているこの徒然日記(笑)。最近は鎌倉で家のすぐ裏が由比ガ浜という地の利を活かし、ついに海のスポーツ ボディボードを始め、結構はまっているので、休日は海にたゆたうことが多い。もう少しボディボードが身についたら、”ボディボードと日本舞踊”なるテーマで、書けるでせうか(笑)。

 7/27、28の土日は逗子マリーナで恒例のユーミンのコンサート。海を隔てて、由比ガ浜まで、音が聞こえてきた。逗子マリーナでのコンサートも今年で25年目だそうです。逗子、葉山、鎌倉の地元住民にリハーサルを公開したそうですね。すっかり地元に根付いた湘南の一歳時記ですな。たまに聞くとあの”青春を思い出す切なさ”は、心地良いんだよね・・・ということで、今日はYumingの”時のないホテル”をBGMに書いております。

 ★★★★☆ 7/22 ”歌舞伎の魅力と女形 中村芝雀の世界”  at 鎌倉プリンスホテル

 芝雀さん初のホテルでのイベントということで、工夫された演出でした。(とは言っても、私はホテルのディナーショーとかに行った事が無いので、他のその道に長けた方々がどの程度の内容かはわからんので、比較のしようが無いが・・・)。誠実そうな芝雀さんのお人柄もとても身近に感じられました。

  構成は、プロジェクタで映像を写しての紹介 → 芝雀さん挨拶 → 芝雀さんと松竹 竹中さんの対談&会場からの質問 → 静御前への化粧と着付け → 静の舞 → テーブルを廻っての記念撮影 → 希望者は2ショット撮影 と盛りだくさん。企画の方々も随分と考えられたのではないでしょうか。

 それでは、特にこのような時にしか知ることのできない話の一部を記しませう。

 対談編:

・歌舞伎には大人数が関わる。前日の鎌倉芸術座での歌舞伎公演は、出演者20数名であるのに、総勢95人が様々な担当を担う。

・お父さんからは、舞台で転んでもいいが、その時にも女形として転べと言われる。

・化粧については、昔は指一本で仕上げていたところも、今は各種の筆で緻密に描く。一番前からオペラグラスでご覧になる方もおられますので・・・と笑わす。

・女形としてやってく決心は18歳の時だそう。それから20キロもダイエットをしたとか・・・驚き!

・女形で大切な事は、1.声、2.姿、3.顔 だそうです。なるほど、四階席から顔は見えなくとも、声は聞こえますもね。

・お父さんから演技で言われるのは、「横に胸で八の字をかけ」。・・・・そうか、これが玉三郎さんのクール系とは正反対の、芝雀さんの女らしい女形の秘密だったのか!

 化粧編:

・13:14に浴衣姿で、頭に鬘の下用に帽子と呼ばれるものを付け始めてから、13:55に着付けまで完了しました。私たちにとっては41分間の大ドラマでございました。

・目はりと口紅をつける部分は、役者さんが化粧で最も集中する瞬間なので、話しかけては駄目だそうです。

・難しさでは、眉毛が一番難しいとおっしゃてました。

・私見ですが、紅で目はりをし、口紅をつけ、そして まゆを薄紅で書いた瞬間が、妖艶な女らしく変身をした瞬間だと感じました。美しひ・・・。

 ということで、テーブルに来られ一緒に写真も撮れたし、間近でも美しい姿を見られたし、ファンにはたまらない企画でしたでしょうし、それだけではなく、一般の方が歌舞伎に興味と理解を深めることにもとてもつながる企画だと感じました。やはり日本人だもの、こんな深くおもしろいものを、ほって置く手はないぜぃ!ということで、今後も期待。

20020623_SEA.JPG

20020623_SEA.JPG

20020623_SEA.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 


2002/1/27

 この週末に見たTVの話題を。

★★★★☆ NHK芸能花舞台 1/26 − 伝説の至芸・武原はん 

 非常に良かったのが、地唄の名曲””を、武原はんさんが、54歳から88歳までの舞台を次々につなぎながら一曲通しで流したこと。例えば歌舞伎でも日本舞踊でも、30歳40歳はまだ子供、50歳からがやっと一人前みたいな風潮も一部ある。この考え方に、私は封建的なにおいを感じて反対なのであるが、そうは言っても実際に年齢何歳の時に最高潮が来るかというのは、私の中で実証されていなかった。もちろん人によって違うであろうが、実際に同じ曲を同じ人により年代別に見るというのは、TVやビデオならではの企画である。私が一番上手くて気に入ったのは、74歳の武原はんさんの舞である。一番”切れ”と”艶”の絶妙なバランスが良いような気がした。

 もちろん88歳まで、きちんと見ごたえのある舞台ができるのは、解説でもあった印象的な言葉であるが、武原はんさんは”プロポーションが良い”のである。日本舞踊を評するのに、「プロポーション」という言葉を使うことは意外であったが、たしかにバランスの良いスタイルとしっかりとした筋肉が欠かせない。かつ、武原はんさんは、普段も舞台も”男顔”かなとも思った。だから歳を重ねても、舞台でくっきりとした顔で、見栄えがするのであろう。

 いやあ、以前玉三郎の”雪”も観ましたが、この地唄は良いねぇ。出だしの高いトーンが胸に突き刺さるねぇ。(私の心も恋に焦がれているせいであろうか・・・笑)

2002/1/21

 先日本屋にて「痛快 オペラ学」(小学館インターナショナル)を読んでいたら、いきなり「サッカーとはまさに”戦争”の代わりであり、オペラは”愛”と”SEX”の代わりである」と冒頭から書いてある。絵は池田理代子さんか。オペラが”愛”と”SEX”の化身ならば、我らが”歌舞伎”は何も化身か? ”粋”と”華”と”官能”か!?

 評判が高いので、今月歌舞伎座二回目で、勘九郎の”鏡獅子”を見に参る。

 ★★★★★ 歌舞伎座 ”春興鏡獅子” 

 いやあ、後半の疾走感、ドライブ感が凄い!身震いが三度くらいしたぞ。オペラのソプラノの搾り出す声の快楽も良いが、股の下で荒ぶるリッターバイクを操り、きれいにカーブを切って曲がって行った時の様な高揚感だ。研辰は今一つだったが、今回はBravo!

 前半の女小姓での踊りは、美貌も背も女らしさも中庸の勘九郎が、少々足がきちっと踊りすぎている様に感じた。四階席から見ているのであるが、妙に片足がきちんとぴょこんと上がる感じと、摺り足も元気が感じられてしまった。さっそうとした感じを出しているのかもしれないが。

 一挙に本領を見せたのが、飾ってあった獅子頭を右手に持ち、獅子頭の口が”カチッ、カチッ、カチカチ”と鳴り出すシーン。身体のスローなスピードと獅子頭のはやいスピードが非現実感と緊張感を高める。ここで一気に魅入ってしまった。あのアンバランスさと怯えてでも没入していく表情も良し。

 後半の獅子になってからも、切れの良い動きは非の打ち所が無い。片方の膝を曲げたまま床に落ちる見得の部分も、痛いであろうに果敢に挑戦し、素晴らしいきっぱりとした音が心地よい。普段大向こうをかける時に恥じらいが残るShyな私も、最高潮の部分で自然に”中村屋!”と腹から声を出していました。その瞬間、勘九郎と共にエクスタシーを感じていました(笑)。

 一幕見席で立っている人が5、6人という状態であるが、この演目は玉三郎の鷺娘並みの価値のある作品だ。なお、怪しげに不饗和音を作り出す横笛の演者が上手い。存在感のある伸びのある音を聞かせてくれる。 さあ、皆で歌舞伎座へ急げ!私ももう一度見ることにチャレンジするぜぃ。 

2001/7/22

 7/21(土)に待ちに待った歌舞伎 地方公演を相模原へ観に行く。うーむ、さすが銀座と違い、横浜線に揺られて、JR相模原駅からさらにバスで7分くらい、多少入口は閑散としているか。

★★★★★ 松竹大歌舞伎 東コース

 出し物は、「忠臣蔵 五段目、六段目」と新之助&芝雀さんの「男女(めおと)道成寺」だったのですが、これが非常におもしろかった。面白さが凝縮されており、歌舞伎座に一回行って三幕見るよりも、お薦めしたくなるぐらいです。なお、私の場所は、前より七列目ということで、良い場所でした。

 会場は舞台より遠い席が五分の一くらい空いていましたが、もったいない。

 さあ、いよいよということで、いきなり新之助 定九郎の五段目だ。幕が上がる。舞台は後方が黒い緞帳(どんちょう)なのが地方巡業らしく良いなぁ。團十郎 勘平が昔の同輩に会うシーンが終り、いよいよ私が待ちに待った場面である。お軽の父親が掛稲で雨宿りをしながら娘を売り五十両を得た事を語りながら、懐から五十両を取り出していると、稲の間からニュウッと腕が伸びる。観客がオオッとどよめく。素直な驚きの反応が観客から返される。稲の中に引き込まれ、そして刀を突き刺されたお軽の父の背後には、黒縮緬(ちりめん)の色悪 新之助 定九郎の登場だ!(以前歌舞伎座で通しで観たが、ここの掛稲に引き込まれ方、そして殺されての出て来方は、なにか以前の振りつけと違う様に感じたが真相は如何に!?) 刀の血をぬぐい、髪のほつれを直し、濡れた服を絞る、その姿を見た時に、背中にゾッという感動の電流が走りましたよ。一連の動作を行うときに、新之助は目を閉じながら行っているのですよね。クールな凄みに溢れています。五十両を懐に、花道で眼を剥く様も、相変わらず眼力すごし。

 しかし、今回新たに心に残ったのは、その後イノシシをやり過ごした後に、勘平の鉄砲を浴びのたうつシーンの虚無感の素晴らしさ。撃たれた後に、観客に顔を向け、手の平を上にして空を何度もつかもうとする。しかし、何も手に取る事はできないのだ。虚無と哀感に溢れた眼。そして唇からは白塗りの腿(もも)に、鮮血が滴り落ちる。ビトッ、ビトッと、血が白い肌の上に広がり、糸を引き垂れていく。・・・究極の悪の美しさである。定九郎は、虚空に何をつかもうとしたのか。塩治判官の家臣の息子だが、家を勘当され、その後も悪事を重ねた人生。そんな最期に、あがく理由は・・・。うーむ、新之助 主演で、定九郎の人生を描く芝居も観て見たいのぉ。そして、一度でも良いから、私も定九郎を舞台で演じてみたいなぁ。うーん、藤娘も良いですが、立役としては定九郎。もちろん、踊りのお師匠さんに、こんな願望は、めっそうもなくて口に出せないだろうが・・・(笑)

 さて、六段目に移り、團十郎さんの勘平は、誤ってお軽の父親を殺してしまったことを詰問されたときに、千崎と不破の二人の刀の鞘(さや)を掴み、申し開きを哀願する場面の語りが良かった。新之助に負けない、真っ直ぐな迫力に溢れていた。あと、浅葱色の着物を身につける際に、長刀を鏡に見立て、自分を映し髪のほつれを直すシーンは、定九郎のほつれ毛を直すシーンと呼応しているのですね。

 配役では、お軽の母親役の市川升寿さんという役者が、声は少々小さい場面もあったが、意外と上手かった。夫を殺され、娘が祗園に売られて行く切なさを、見せましたよ。お軽役の芝雀さんは、少々首の振りなど、女の動作を意識し過ぎかなぁ。お化粧等の外見と動作が少々合っていないか。

 

 次の、男女(めおと)道成寺が、初めて観たのですが、これがまた良かった良かった。ストーリーは、二人の白拍子が鐘を拝む為に舞うが、途中で白拍子の桜子(新之助)が実は狂言師の男であることがばれてしまい、それでも所化達にせがまれて二人で舞い、最後は二人で清姫の妄執に化けてしまう、というもの。

 新之助って、踊りも上手いですね。無駄な動きが無く、しかし狂言師の部分はおかしみも醸し出し、技の切れがあります。出だしの道成寺の艶やかな白拍子姿の女性舞いの部分では、芝雀さんとの対比でよくわかるのですが、高貴な表情で、最低限の動きで、玉三郎さんに少々似ているかな。狂言師の部分では、顔の表情も踊りも躍動感があるし、義経千本桜の狐の欄干歩きの様な動きもありますが、猿之助と比べても、新之助さんもイイ線いっています。クドキ以降なんかは、眼に二人の踊りが飛び込んできて、視覚的にも豪華でありました。一人での娘道成寺よりも、私はこちらの方が観客にとっては変化が大きく、二倍の刺激があり、楽しめました。

 ということで、この後この公演は埼玉から静岡に行き終わってしまうようですが、これは買いです。機会があれば、お見逃しないよう。昼と夜の部を続けて観る事を、お薦めしたいくらいです。


2001/7/3

 以前より楽しみにしておりました、テアトル銀座へ行って参りました。玉三郎さんの公演初日観覧!

★★★★★ 坂東玉三郎 特別無踊公演 at ル・テアトル銀座

初日のせいか、始まり予告の拍子木が鳴ってもまだざわつくし、入場者が続く。シンと静まるのを待ち、満を持して幕が開く。

「雪」

 横に静々と幕が開くと、一本の蝋燭と傘の蔭に玉三郎。白い着物が、蝋燭と白熱灯色の照明に照らされ、妖しい夜の世界を作り出す。傘を持ちじっと音を聞いている玉三郎が、僅かばかり上半身を揺らせたのは、緊張のせいか、はたまた狂おしくなる前兆か。

 細かい表情や仕草まで見たかったのと、やはりこの作品は表現者と真っ直ぐに対峙して観るべきだと感じ、オペラグラスに眼を押し当てて見てしまった。本当は、お座敷に二人っきりで三メートルくらいの距離から、見てみたいのだけれども。舞台の玉三郎を観ていると、恋に狂おしくのたうつ女を、襖のすきまより覗き見る、イケナイ事をしている、でも目を放せない、という気分になりますね(少々危ないか・・・句苦笑)。

 全体の構成としては、出だしの暗闇に包まれる部分から蝋燭一本で踊る場面、そして着物の袖を噛み、浮世を断ち切りながら後ろ髪を引かれる所まで、私自身は“美に沈む”というような時間を過ごした。

 鷺娘を観た後に考えると、内に秘めた感情を表情にはまったく出していないクールさが、かえって昂ぶる心を表しているのが、後半のどこかで眉や視線だけでも良いので一瞬感情を出しそれを打ち消すと、もっと深みとおもしろさがでるかなと感じた。

「羽衣」

 すっきりとしてわかりやすい作品。前半の桃色の着物をきた天女の玉三郎は、ちょっとだけオデコのしわが目についた。この服装からするとこの天女は若そうであるが、もうすこしかわいらしい表情があっても良いか。

 このテアトル銀座のホールは、音響が抜群に良い。澄み渡る唄と、横笛の音色がストレートに飛んで来る。

「鷺娘」

 舞台はもう少し床が青味がかったほうが良し。舞い散る雪が、幻想的で撒き方が上手い。

 始まりの天から一条の光が指し一握りの粉雪がヒラヒラと舞い落ちる様は、潜水家のジャック・マイヨールを描いた映画”グランブルー”のエンディングの様。一条の光の中で、海底でイルカに会うシーン。そして、鷺娘は逆にそんな光景から始まる。

 前回も同様だが、町娘はちょっと冷静過ぎか。その次の紫の芸妓姿は、これは思わず惚れてしまうほど似合っている。そしてそして、傘の中で赤い着物に引抜で変化した瞬間からが、エンディングの畳み掛けるような美の洪水の始まりだ。紅いおべべの鷺娘が、一瞬射るような恨みの視線をする。ドキリ。そして白無垢に戻り、苦しみもがく。反り返る時にもしっかりと目を見開いている瞼の下の紅が、赤い瞳が恨みで充血した様を想像させる。表情が、苦悩と諦観と激しく交差する。地面に伏した直後、最後にもう一度目を開く。哀れみか、プライドか。そして、羽で顔を覆う。

 ”鷺娘を観て、生きていて良かった” ではなく、” 鷺娘を観る為に生きているのだ”と、私は感じた。コギト・エルゴ・スム。本当はカーテンコールの時に、思いっきり”Bravo!”と大向うをかけたかったのだよ。

2000/4/8

 4/8(土)放映のNHKスペシャル「祇園・京舞の春」を見る。井上流の四世井上八千代から五世への継承の記録。随分とカメラのアングルをはじめとして丁寧で気合の感じられる作り。淡く庭の木立が映る障子をバックに、「虫の音」を踊る映像が美しい。また、石灯籠の向こうのガラスの窓越しに、練習する祭の手のひらの動きを丹念に追う映像も同様。ハイビジョンカメラでの映像の美しさは特筆に価します。

 ところで、始めて知ったのだけれども、祇園には110名ほど舞妓・芸妓さんがおり、舞踊は皆 井上流を稽古しているのですね。そして、その年一回のお披露目が、4月に開催される「都をどり」なのですね。そして、井上流は女性でしか後継ぎをしていかないとのこと。今度五世になる井上三千子さんも結婚するまで、四世の八千代さんと寝食を共にするというのも、厳格な継承方法ですね。

 踊りの方は、切れの良い裾さばき、踏むべき所では強い足の用い方が印象的でした。至近距離から見られるお座敷を意識した舞のせいでしょうか。女性が女性を舞うといっても、凛とした強さと透明感が感じられました。あと、顔の表情はあまり表現として使わないのですね。ストーリー性が強い表現ではないからでしょうか。

 三世井上八千代の96歳、そして100歳の踊りのモノクロの映像が圧巻。100歳の際には、踊りの途中で後見役である娘さんに座った振付のあと立たせてもらうというハプニングはあるものの、年齢を知らないで見ていた時に「年をとった人がすっきりとした切れの踊りをするなあ」と感じていたくらいだ。そして、「虫の音」という無常感を表現している踊りは、年端が行かないと演じられないそうで、四世も初めて踊ったのが57歳!だそうである。私は「年齢が高いから偉い」という日本に強い考え方には反対だが、「年齢の高い人も凄い」という事を改めて感じました。(でも、もっと若い人が踊っても、別に問題は無いと感じましたが・・・)

 以上、是非再放送を望みます。そして、「さゆり」なんかを読んで、祇園の秘密に興味を持つ人にも、必見であろう。一つの完成そして昇華された日本のスタイルである。

 


2000/2/11

 歌舞伎座 夜の最終演目の一幕見席に行ってまいりました。演目は「春待若木賑(はるをまつわかぎのにぎわい)」として、舞踊の人気ナンバー「正札附 根元草摺」(通称 正札附(しょうふだつき))「手習子(てならいこ)」「お祭り」の三演目を、6〜12歳の二世達が踊るというもの。入場料500円(!)を払い四階へ。これが結構混んでいるので、驚いてしまいした。通常の歌舞伎同様の入りです。そして、大向うも威勢良くしっかりと、どんどんかかるのです。もちろん伴奏も、生のライブで(当たり前か・・・笑)迫力あるもの。

 この、1.後継ぎは幼少時から徹底教育、2.普段も一流のものしか目にしない、3.遺伝子的に芸に対して優性の確率が高い、4.若くして本番体験、という世襲育成システムは、これはこれでよく出来ている仕組みだと、改めて考えてしまった。ある道を目指す人間が非常に多くかつ基準が明確な時には、完全に平等にチャンスを与え、選抜をどんどんかけるという方式の方が有効であろう。今はやりのフリースのUIQLO社長 柳井氏が、「自分の息子には、社長はさせない。大株主として、経営監視の意味で、役員や副会長にはなってもいいかも。」という意味の事を言っていたが、ビジネスの世界だと、二世に全てを任せるよりも、選ばれた経営のプロを雇った方が正解だろう。しかし、現在日本の芸術は裾野が狭いので、1.きちんと世襲者の中で競争原理が働けば、2.進化を進める為にも外からも少々異なる良さも持つ優良な人材を登用する仕掛けも持てば、世襲教育システムはすばらしく機能するであろう。舞踊における、観客の声やスポットライトを浴びての本番体験って、とても貴重ですものね。

 踊りの方はというと・・・。私も以前習った正札附は、萬太郎君がきりりと化粧の目元も勇ましく、一生懸命足を踏み鳴らし見得をきっていたのが、微笑ましい。でも、迫力も結構ありました。舞鶴姫の梅枝君も、丁寧に女らしさを出していました。お祭りの威勢の良い鳶頭の種太郎君は、自分の2倍の身長はあろうかという因縁をつけてきた相手を、豪快にけちらしたのが可愛らしいです。

 私が後見として差金で蝶々を飛ばした事の有る「手習子」は、ついつい後見の方に目が行きがちでした〈苦笑)。娘踊りの壱太郎君の後ろで、二人の羽織袴の後見の方が向かいあい、片や右手に、片や左手に差金を持ち、蝶をとばしておりました。棒に親指を上にして、手首のスナップを思いっきり効かせ、一秒間に4回ほどプルプルと振っていました。あれを左手でも表情を変えずに爽やかにできるのはさすがにプロですね。

 ということで、決して手は抜いていない華やかさを500円で楽しむ夜も、なかなかおつな物です。


2000/1/15

 歌舞伎座 寿新春大歌舞伎 夜の部の報告です。 今回は、1/11の四階一幕見席とは異なり、一階の上手真中位でした。

○「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき) 角力場」:

 吉右衛門の人気力士と、富十郎の素人力士の、女性をめぐり勝ちを譲るやりとりの物語。富十郎が小柄で実直・元気な力士を、きびきびと小気味良く演じているのが好印象。

△「京鹿子娘道成寺」:

 勘九朗のこの演目に△をつけると、ファンから大いに怒られそうだが、期待が大きくかったことと、私の趣味嗜好により、敢えて辛い評価をさせていただきます。なお、私の頭のどこかに玉三郎の道成寺があり、それと比較している面もあります。

1.全体的に、キビキビしており、'おきゃんでちょっと恋を知って女になったばかりの町娘'、'ショムニ道成寺'、'新体操アクロバティック道成寺'という印象でした。身体に固定した鼓や、手持ち太鼓(?)を叩く所も非常に元気良く、手拭を振るところも、新体操の如く素早い動作でした。

2.最後の鐘の上での表情に、怨念・執念というものが感じられず、あっさりと終わった(籠釣瓶の次郎左衛門の狂気の表情のような凄みを期待していたのだが・・・)

3.体形的なものですが、手指と首の少々の短さ、手首の少々の太さ等、視覚面で。

 ただし、個性的という面では、元気と切れが良いので○だと思います。記憶には残るでしょう。

◎「阿古屋」:

 前回は良くない評価でしたが、今回は一転してBravoでした。一度音楽面を頭に入れておいたので余裕を持って音色を聞けたことと、玉三郎の演奏の表情が良く見えたことが大きいと思います。たしかに心地よい緊張感の続く、すばらしい作品です。

 最初は、「恋人の居場所を聞くためにまた拷問にかけるのね」という冷笑的な玉三郎の阿古屋が、楽器を演奏させるという意外な詮議の手法に、ほろりと心を開いていく、表情の変化。そして、透明な部分と、恋人への熱い想いの部分を交錯させながら響く、玉三郎の琴の音色と唄。これが、本当に微妙な強く触れれば崩壊するような、繊細な声で歌われると、心の琴線に触れるのですよ。

 階段での、身体を横たえて、客席に横顔を見せる見得も、背中がゾクゾクするような美しい見得なのですよ。(と、盛りあがっても、文字ではどうしようも無いが・・・苦笑)

 あと、文楽人形のような動きで、阿古屋をいたぶる弥十郎が上手い。まさに、人形そっくり。そして弥十郎の言葉の部分を担当する浄瑠璃の方も、大いに熱の入った力強い語りで、素晴らしかった。

 しかし、三種の楽器と唄を主演女優に実際に演じさせる + 人形の如きの動きをさせる + 劇中にショッカー軍団の様な一団を登場させる 歌舞伎の荒唐無稽さって、凄いです

 


99/11/16

 最近贔屓(ひいき)にしている、歌舞伎座 一幕見席にて今月の演目を観て参りました。

 まず、吉右衛門と芝翫さんの「壷坂霊験紀」。鬼平さんで有名な吉右衛門さんですが、私は彼が主役の舞台を見るのは初めてです。確かに、4階からオペラグラスで見ると、顔の表情、身体のちょっと芝居がかった仕草といい、上手いと感じますね。最初は、大げさに妻の不実をなじりながらヨヨと泣くシーンなどは、少々大げさだなと思いましたが、後半の盲目が直って妻と喜びを表現する場面などは、思わず引き込まれました。私が残念なのは、美しい妻という設定なのだから、(申し訳無いけれども老いており必ずしも美形ではない)芝翫さんは今一つ見ている側の感情移入ができなかった。確かに昔で歌舞伎独自のルールに暗黙の了解で慣れ親しんでいるときは良いのだろうが、テレビやゲームからゲームまでリアリズムが当たり前の世界で生きている私達にとっては、性差は気にしないが、美しくあるべきものは美しくあって欲しい。もちろん、外見だけではなく、演技も美しくあって欲しいが・・・。

 次に期待の八十助と染五郎の「竜虎」。染五郎って、きりっとした浮世絵の様な隈取が似合いますね。地顔も二枚目だが、歌舞伎顔でも歌舞伎の二枚目でした。カッコ良い!以前、三田寛子の横でデレッとしている橋の助は虫が好かなかったのだが、コクーン歌舞伎の「かみかけて三五大切」(ちょっと違ったかな?)の時に、唇の端が下がる歌舞伎顔の彼のカッコ良い変貌ぶりに感心した記憶があるが、染五郎はそれを超えているかもしれない。

 踊りの方は、荒ぶる魂とパワーの対決を踊りで表現しており、見ていて楽しめた。連獅子のように地面まで届いている髪を、ぐるんぐるんと二人とも廻すのだが、髪の色が紅白ではなく、竜が真っ黒、虎が黄と黒ということで、髪のパワーのインパクトが増していた。長い髪で相手を打ち据える動作、床をドンドンと響く音で踏み鳴らすシーン、そして舞台を上下左右に掛けまわる演技、脂の乗っている二人であった。

ああ私も、藤娘をはやく終えて、カッコの良い見得をたくさん切りたいものである。そしていつか、獅子の頭を舞台の上で豪快に振ってみたいものである・・・。


99/11/7

 今日、川崎市の宮前区文化祭(場所:宮前文化会館)という行事において、日本舞踊の「手習子」の後見を務めました。今日は芸能部ということで、新舞踊、民謡唄、お琴、そして日本舞踊と様々な内容が並びました。

 その中で興味深かったのは、着物の着付&新作着物ショーでした。スモークマシーンによるドライアイスの煙の中からの登場というオープニングといい、宇多田ヒカルの音楽にのせての着物ショーによるエンディングまで、なかなか度肝を抜く内容でした。そうそう、着物のモデルに、金髪白人の美しい女性もおりました。そのプログラムの時に私は、自分の出番が近かったものですから、羽織袴のいでたちで舞台裏より観ていたのですが、自分が和服を着ているときにウタダの曲を聴くというのも不思議な甘酸っぱい気持ちでした。私自身普段、MisiaやBirdという和製R&Bの曲は好きなのですが、羽織袴で身体に一本芯が通っている感覚と、宇多田のちょっと切ないがうねって腹に響くグルーヴ感と、非常に異質な二者が心の中で交じり合い反発しながら交じり合うのです。心の表面ではイケナイと思いながら、身体が反応してしまう快感・・・(笑)。きっとロックやジャズやだと固すぎたりアバンギャルドすぎたりするのでしょうが、R&Bは不思議と和服にあっているかもしれないと認識させられました。この演目の次が、北島三郎の曲による新舞踊というのも、なかなかシュールな世界でしたが・・・(苦笑)。

 さて、私が後見(こうけん)として羽織袴で蝶々を飛ばす役を務めた「手習子」ですが、意外に本番中は緊張したのですが、無事そそう無く終わりました。高校生のお弟子さんがピンクの着物で可愛らしく寺子屋帰りに恋に胸をときめかす役を躍る晴れの舞台だったものですから、蝶々の私が失敗する事は許されませんでした。本番前までは、自分が主役で踊るときに比べリラックスでき、他の人の躍りを舞台裏から眺める余裕もあったのです。しかし本番では、やはり強いスポットライトを浴びたことと、舞台上手より静々と出ていって蝶のついた棒を持ち、腰を落としつま先で歩きかけた時に袴のすそを踏んでしまい、瞬間的に転ぶかとあせったこともあり、意外にも緊張をして汗をかいてしまいました。当初は舞台の上から観客席を見てやるぞと思っていたのですが、あっという間に終わってしまいました。それでも表面上は何も無く、りっぱに躍りを蝶々でサポートでき、良かったですよ。女子高生の晴れの舞台を、後見の私が転んで台無しにしてしまったら、その子の明るい未来に汚点を残す事になってしまいますから・・・(笑)。

 ということで、後見として躍り手をたてる役も、舞台に参加するという面と、舞台裏で様々な人と演目との生の係わり合いが見られるという面では、なかなか良い経験でした。自分として初めて花道にも立ちましたし(と言っても、蝶々をひらひらさせながら腰を落とし後ろ向きに通過しただけですが)。後見や黒子が日本舞踊の際に必要な方は、どうぞ私目にお声をかけてください。内容の保証はできませんが、男のほうが見栄えがするとう話もありますので・・・(苦笑)。

 

 


99/10/22

 またまた、昨日玉三郎さんを観に、一幕見席へ行ってまいりました。昨日は18:25開演のところ、18:10にはもう売り止めがかかっていて、盛況。寒い夜だったが、心はわくわく暖かい。700円を払い、4階まで苦も無く駆け上がる。ダイビングで潜ったサイパンのグロットの海中の光を思い出させるグラン・ブルーの光の中で、三味線の音が響き、いよいよ始まる。白無垢で、もったいぶった様に角隠しで顔を見せぬ鷺娘。引き抜きで紅色の町娘へ。そして衣装を替え、紫の服へ。ここの踊りが、大人っぽい風格と艶やかさがあり、私は好きだ。でも、何の描写なのだろうか?芸者、それとも女房?私は芸者かなとも思ったのだけれども、玉三郎のちょっとぶっきらぼうな演技、男を突き放したような演技が良い。彼(彼女)のクールな表情が似合う。そこから、ピンクの着物と傘の場面。玉三郎が傘を、右手から左手、左手から右手へひらりと持ちかえるときに、重力の法則を無視し、傘がふわりと浮き上がり、ゆるゆると降りてくるのである。無重力状態の様に、なぜか印象的。夢を見ている様。そして、一瞬傘の間から、真紅の衣装で袖を噛みながら、恨めしげな表情をする、迫力あるシーン。一瞬のシーンだが、なぜか心に突き刺さる。そして、いよいよまっしろな狂乱の雪の場面へ。前回書いたので割愛するが、最後の苦悩の表情でもがいていたのが、一瞬虚無・無常を悟った透明な表情になり、最後に静かに果てていく。その果てる際の、玉三郎の苦悩と達観と官能が入り混じった目が良いのだ。目の淵の紅色と黒い目が、女の情念を表している。

 ということで、玉三郎さんの鷺娘、何度観ても、思わず涙腺が緩んでしまうほどの感動です。

 (でも、玉三郎さんの舞台での顔って、坂本龍一に似ているとなんて思うのは、私だけだろうか・・・)


99/10/18

 ついに念願の、歌舞伎座 玉三郎 鷺娘(さぎむすめ)を観てまいりました。玉三郎さんは少々ふっくらとした印象でしたが、美しさは筆舌に尽くし難いものでした。「玉三郎ワールド」。一幕見席で、歌舞伎座の一番上で、オペラグラスを握り締め見ていたのですが、前のフランス人の一行なんかは、最初はがやがやとうるさかったのですが、引き抜きで白から艶やかな衣装になる頃から、シーンと無口になり、最後は「Bravo! Bravo!」と絶叫しておりました。やはり圧倒的に美しいものは、文化的背景を超え、共通のものなのですね。素直に、オペラのごとく、Bravoという賛辞を贈っていた姿にも好感が持てました。

 最初の、おどろおどろしい音楽をバックに、白無垢姿の玉三郎が登場する。相変わらず、機会仕掛けの人形の様に、スムーズでつなぎ目を感じさせない人間を超越した動作である。ほつれ毛も艶っぽく美しすぎる苦悩の表情。そして、鷺の足先を真似、そおっと片足ずつバレエダンサーの様につま先を深く折り曲げる姿が印象的。引き抜きで町娘になってからは、クールで清楚な感じで、現世の楽しさを無常勘を持ちながら表現する。そして、真紅の火焔の衣装ではっとさせ、また白無垢に帰っていく。苦悩と最後の生に向けたエネルギーを、舞台の上をくるくると何十回も、地面の桜吹雪を円状に巻き上げながら回るシーンが、あまりにも美しい。そして、瀕死の白鳥の様に、絶えて行く玉三郎の鷺。

 我を忘れ、超絶的な美しさの中で、時間と空間が止まった一瞬であった。


99/10/4

 10/3(日)に、浅草公会堂でいお日本舞踊協会の「第二三回 城東ブロック舞踊会」の夜の部に行って参りました。途中から観たのですが、感想を少々。未熟者なのに、失礼な批評があればご容赦を。

 二人三番叟(花柳凰幸さん、花柳寿紫沖さん):日本舞踊の公演で、はじめて狂言系でかつ狂言師のかっこをした2人の踊りを観ました。男性と女性の演技者でした。途中興が乗ってきて面白かったのですが、最後の見得がちょっときまらなかったという気がしました。でも、狂言でも、表情でおかしみを出すのが大事ですね。

 新曲浦島(坂東 峰喜さん):うーん、サイボーグの様に完璧な踊りでした。体操の技術点10点満点とうところでしょうか。見得を切り、止まるシーンでも、踊りの後半ですら、ピタッと止まるのですよね。鍛錬をきちんとされているのでしょう。ここまですごいと、溜息ものです。

 お祭り(花柳基さん、坂東朋奈さん):かなり、歌舞伎色の強い演出でした。噂に聞く、花柳基さんの、緩急自在で、切れの良い演技。周囲からは、勘九郎さんに芸風が似ているとの声もありましたが、ううん、きっぷの良い縁起さすが。そして、お多福の面をつけた、おどけた仕草も堂に入ったもので、芸風の広さも感じさせました。しかし、坂東朋奈さんの美しさが、勝っていた。都はるみの若かりし頃(?)の様な潤いと憂いの有る顔立ちと、華奢な腕と、そして細やかで感情の入った動き。すばらしい!私が男で、女形を研究しているせいか、朋奈さんには見とれてしまいました(苦笑)。この演目は最高でした。

 河(坂東勝彦さん、花柳秀瞭さん、花柳勝伸さん、花柳沙世音さん):大和楽の演目。最初の出だしの、ハーモニックな響きと、4羽の鳥が飛ぶ様は、玉三郎とバリシニコフの演技を思い起こさせた。美しい。4人で踊ると、身体の動きもありますが、顔の表情を含めた表現力の優劣が出るような気がします。

 団子売り(花柳秀さん、坂東勝友さん):城東ブロックのドンのお二人の演技。楽しく軽快に、そして締めは団子を舞台からまき、パチパチ。余裕と貫禄のあるお二人の演技でした。

 というわけで、以前は眠くなった日本舞踊の公演会でも、上手い人達の演技をみると、はっとした感動と、心のリフレッシュをさせていただけるこの頃です。いやあ、浅草の雰囲気ともあいまって、楽しかったです。


99/9/25

 9/19(日)に、国立劇場 大劇場で開催された花柳流の「いづみ会 50周年記念公演」を観に行って参りました。時間の都合で一部しか見られませんでしたが、その中でも新たに名取りとなられた方の踊りが印象的でした。まず、「名披露目口上」ということで、お師匠さんと名取りとなられた方2名が壇上より挨拶をされました。ご本人の挨拶はシンプルなもので、名前と「よろしくお願い申し上げます」ということだったが、舞踊の会で見たのは始めてでした。以前、片岡孝夫が仁左衛門になる際の、20名位並んだものを観た事がありますが、役者として重々しく演じるという部分と、内容に微妙な本人との上下関係の駆け引きの様なものが感じられて興味深いものでした。でも、名取りまでに何年かかるかは個人差があるのでしょうが、国立の舞台で口上をできるというのも、稀有の良い経験となると思う一方、随分と気合が入らざるを得ないですね。

 踊りの方は、新しいお名前が花柳幸恵里香さんは惜しむ春は、ご本人の誠実な性格が踊りにも現れているようで好ましいものでした。もう一人 名取りとなられた花柳都寿京さんの「京鹿の子 娘道成寺」は、圧巻でした。15名のお坊さん(所化)を率いて登場し、嫉妬の道行から、白拍子、町娘、名前入りの手拭を壇上からばら撒き、そしてクライマックスの鐘の上での見得と、衣装が美しいばかりではなく、演出も本格的だと感じました。それに加え、踊りの表情と心のこもり方がすばらしいのである。女のほとばしる執心というか執念が、十分に目の表情からも感じられました。プロの演技を観ている様で、すばらしかったです。40代の方かと思いますが、人生経験と練習の賜物なのでしょう。

 振り返ってわが身を省みると、あのレベルの踊りを演じるのに、数十年いや一生かかっても到達できないかもしれないと、自分の練習不足と才能不足を棚に上げ、秋の夜長に、ため息をつくのであった・・・(苦笑)。


99/9/18

 松屋銀座の「歌舞伎衣装展」に9/15に行ってまいりました。衣装展よりも、それの特別イベントである女形の化粧実演の方に大いに興味をそそられました。良く考えると、女形の躍りはお稽古をつけていただいておりますが、お化粧は経験も指導されたことも、まだありません。松屋を16時過ぎに訪れると、1階のイベントスペースがおばさま達で一杯なのです。何事かと思って覗くと、華奢で色白の男性が一人 上半身裸で鏡に向かい実演中で、スーツを着た男性一人が マイクで化粧の方法を解説中でした。確かに歌舞伎のイベントではありますが、プロのお化粧の方法という意味では、女性全員にとって非常に興味のあるテーマであったこともあるでしょう。私が最初に見た場面は、顔に白い下地を作っている段階でした。そこから首の周囲にも下地をつけ、いよいよ顔の細部をつくっていきます。凄いと思ったのは、目に「めはり」をいれ、唇に紅をいれていく段階から、実演している方の集中そして陶酔の様子が一気に深まったことです。メバナを入れるのは、筆で入れるのが普通だが、人によってはこだわりを持って指で描くと解説していましたので、ここら辺から、女をの顔の作り方で、個々人の独自の技法が出るところなのでしょうか。細かく筆を用いるよりも、大雑把に指で描いた方が、近くで見ると変な場合もあるが、舞台として遠めに見ると素敵に見えるものとのことでした。その他テクニック的になるほどと思ったのは、眉毛を描く所は、黒一色で塗っているだけでなく、事前に下地として紅を塗り その上に黒を塗っていました。また、相手役の衣装や自分の鬘(かつら)に白粉(おしろい)がつかぬように、手を白く塗った後に、指の内側の部分の白粉を丁寧におとしていました。

 男が女形をやる場合に、どこのタイミングから女になっていくのかというのは、いろいろ議論があるところです。役者によっては、舞台の直前 端に立った時に一気になるそうです。この女形の化粧の実演を見て、30分〜1時間という集中の時間、そしてその中でも紅を入れて行く特に集中する場面で、ぐっと役に入り込んでいく凄みを感じました。あれを、他の人の手ではなく、自分の手で自ら行うところにも、より役の世界に陶酔できる理由があるのだろう。さすがプロの技であった。(女形の化粧の方法は、市村萬次郎さんのサイトに詳しいので、ご参照ください)


99/7/27

 25日の日曜日に国立劇場 大劇場における坂東流「扇の会」に3歳の息子と行って来た。

 まず、今お稽古をしている「藤娘」。日本舞踊の代表作にもかかわらず、本物を見るのは初めて。真っ暗な舞台から、一転 舞台一杯の紫の大きい藤のセットと、赤と紫の艶やかな衣装に、場内よりどよめき。私もはっと息をのんだ。この世のものとは思えぬ美しさである。踊り自身は、音のテンポが少々遅かったこともあるだろうが、少々全体的に間延びした印象。また、表情も少々能面みたいか。しかし、衣装は途中引き抜きで桃色の着物に変わる場面もあり、舞台効果の美しさでは圧倒的であった。

 「旅情ところどころ」こういう小気味良い踊りは、坂東の人は上手いと思う。踊っているほうも表情豊かで、テンポの乗りよく、見ているほうも楽しかった。

 「連獅子」親子で獅子面を持って踊る前半は踊ったことがあるが、通して生を見たのは初めて。二匹の蝶が舞い踊る中半、そして、長い髪を振りまわす後半と、見せ場が多い。この演目は2階席より見ていたのだが、後半の花道の白獅子と舞台の台上の赤獅子のポジションもすばらしい。腰で髪を動かすと言い、年をとりすぎると踊るのが難しいという話なので、私もあと10年くらいのうちにトライしたいものである。

 上手い人達が踊ると、それぞれ個性があり、観ているだけでもわくわくするものである。


99/6/24

 初めて日本舞踊において、自流(坂東流)以外の流派(今日は花柳流)の踊りの会を観た。国立劇場 小劇場の花柳小富の会である、新しい発見があり、感動であった。「群舞による美しい女性の踊り」という観点では、振付も細やかでおもしろく、衣装も艶やかであり、こういう理屈抜きのハッとさせる美しさという意味では、すばらしかった。Bravo!

 クライアントとの打合せを2つこなし、40分遅れで、「娘道成寺」の途中で入場。本日の主役である花柳小富さんの踊り。病気の後とのことで、膝が痛そう。道成寺なのだが、鐘が出てこなかったのが残念。

 一番良かったのが、「俄獅子(にわかじし)」。5人の芸者が次々に舞い踊り、最後に獅子頭を持って終わり、という美しく興がある作品。演技者も脂がのっている人達だったし、着物が黒基調に真紅の襦袢(?)を片腕出して、小気味良く踊るさまは美しく気持ち良かった。順次踊る際に比較すると、踊りの切れが良い人、まろやかな人など違いがわかり参考になった。

 最後に「二十五里」という、これも花柳小富さんが、粋に男の旅行者を演じるもの。踊りは、こういう重鎮の年を召されたなりのかわいらしさが表れてはいるが、少々小さくきれいにまとまっている気がした。昨年、坂東三津五郎と八十助の「寒山拾とく」を観た際に感じた自由奔放さがあるともっとすばらしいと感じた。踊りでも、守・破・離の3段階があるのかもしれない。今回の踊りは守の完成形に近いのだろうし、三津五郎のそれは離の境地に達しているのだろう。別にどちらが良いというものでもないが。

 と、偉そうな事を言っているが、男役なら坂東流、女役なら花柳流、というのを強く感じました。一緒に観たのが知的で美しい女性3人だった故もあるが、非常に触発され楽しいひとときであった。


[Cyber Japanesque Home]   01/07/23 02:05