カセットビジョンの歴史

CASSETTEVISION, What That?

 カセットビジョンは1981年7月発売。1983年7月にファミコンが発売されるまでの2年間、日本でもっとも売れていた家庭用テレビゲームです(2年間だけですけどね)。任天堂のいなかった1982年末の時点で、エポック社はカセットビジョンで市場のシェア70%をほこり、残りの30%を数社で争っていた、と、当時の市場分析データ本は記しています。※1

  その人気の原動力は、なんといっても価格でした。カセット1本4,980円というのは、まあ、高くもなく安くないといった感じでしたが、本体価格は13,500円(12,000円+アダプタ1,500円)というのは、当時では安い部類に入るもので、しかもこれがカセット方式テレビゲームとなると、はっきり言って激安でした。なにしろカセットビジョンが発売された1年後ですら、カセット方式テレビゲームは平均50,000円もしたのですから。
  もちろん、ゲームソフトの魅力もありましたが、
現在のように、ゲームソフトの魅力がどうだ、というより、カセット方式のテレビゲームが買える、いろいろなテレビゲームが家庭で手軽な価格で遊べる、ということが、消費者にとって目新しく貴重な時代であったのです。

 しかるに、発売からちょうど1年後の1982年7月、「パクパクモンスター」や「モンスターマンション」という、当時のアーケード人気作を意識したものが出てくると、この2本が本体の売上をも上げるという現象が起こりはじめるのです。※2
”あのカセットで遊ぶから、あの本体を買う”。当然といえば当然ですが、そういうことを日本で初めて実証せしめたのも、またカセットビジョンと言えるでしょう。いくらディグダグがやりたくても、49,800円のゲームパソコンは、子どもにはかんたんにおねだりできるものではなかったのです。

 さて、前置きはこれくらいにして、カセットビジョンの歴史を詳しくたどっていくことにしましょう。


カセットビジョンが企画された時代

 カセットビジョンの開発がはじまった1980年とはどういう年だったのでしょう?

 アーケードシーンでは、ポストインベーダー筆頭のギャラクシアン、そして、その後を受けたパックマンが世界的大ヒットをとばし、電子ゲームの世界では、任天堂のゲーム&ウォッチが人気を博しはじめていた頃です。安定した柱が見えてきたこれらの市場に比べて、家庭用テレビゲーム機市場はピンとこない状況が続いていました。79年から80年にかけてメジャーメーカーのバンダイ、任天堂がはなったスーパービジョン8000コンピューターTVゲームはいずれも50,000円前後という高価格が災いして鳴かず飛ばず。家庭用テレビゲーム自体からも疎遠となってしまう結果を生んでしまいます。

 しかし、そんな不況の中で、毎年家庭用テレビゲーム機をリリースしていたメーカーがエポック社でした。上と同時期のカセットTVゲームこそ他社と同じく伸びませんでしたが、これはアタリ社から輸入販売していた間接的商品であり、本業(?)のオリジナルマシンの方は毎年順調なセールスを記録していました。その流れにのる形で企画されたのが、1981年発売のカセットビジョンというわけです。

 カセットビジョンの最大の特徴は、カセット方式でありながら低価格という点でした。
この時代、正統的にゲーム機本体をモジュール式マイクロコンピュータとし、ゲームプログラムを書き込んだROMをカセットに搭載しようとすると、先の例のようにどうしても高価になったわけです。
しかし、カセットビジョンの場合、ゲームシステム/構造そのものは、3年前に発売したテレビ野球ゲームそのもので、コンピュータをカセット側に、電源と操作部を本体側に分離させるという、ものすごい荒業によって、安価なカセットシステムを実現したわけです。このやり方は効率はよくないかもしれませんが、今まで蓄積してきたゲーム作りのノウハウをそのまま生かせるという点や、マシンの安定した動作、過去に発売したテレビゲームをカセット化できるというさまざまなメリットを含んでいました。

 こうして、2本の新作と、旧作2本、そしてオクラ入りになっていたポンテニス(スーパー10改めビッグスポーツ12)が復活し、5本のラインアップを得たカセットビジョンは、1981年の東京国際玩具見本市での発表をへて、同年7月30日に発売されることになります。


発売初年度(1981年)
 
 カセットビジョンが発売されたこの当時は、10,000円以上するおもちゃなんて(そう、81年の時点で家庭用テレビゲームはおもちゃだったのです)めったにありませんでしたから、そんなぜいたく品をいくつも買い与えるものではない、という親の意識が一般的でした。また、本体とゲームソフトが一体型という製品がかなりの割合をしめており、何台もテレビの近くにおけない日本の住宅事情がありました。特に1981年のカセットビジョンの場合、前年に発売したテレビベーダーが大ウレに売れていたようです。
 つまり、条件的にはやや逆風とも言えなくはなかったのですが、実際には、本体の販売の伸びはこの1981年度が一番高かったようで、その数はおよそ15万台と言われています(⇒*1)。ハンディゲームが市場の中心で、情報誌の後押しも全くありませんでしたが、実際はいかにこういったゲーム機が待望されていたのか、という証明なのかもしれませんね。

 こうしてスタートダッシュに成功したカセットビジョンでしたが、最大の敵は他機種ではなく、己自身でした。なにしろ、ソフトリリースが遅かったのです。カセットビジョンの開発機はハンドメイド製の1台しかないため、基本的に1種類ずつしかゲームが開発できず、かつ「NECの説明を聞いてもよくわからなかった」(カセットビジョン開発監修:堀江氏・談)というほどに特殊なハードウェアでしたから、なかなかソフトが増えませんでした。特に、一年で一番おもちゃが売れる歳末に、1本のソフトもリリースされなかったという事実がこれを端的に示しており、後に発売された他社のテレビゲームが、何十本ものゲームソフトが遊べる、とこの弱点を踏み台にしていたのは印象的でした。


黄金期(1982年)


  サードパーティと呼ばれるものが(日本では)考えられなかったほど、テレビゲームの市場はノンビリしていましたし、エポック社としてもリリースを急がなくともという意識があったのかもしれません。ただ、新作とされたきこりの与作などは、当時すでに古いゲームという印象がありましたし、3本も旧作と新鮮さに欠けるきらいがありました。この1982年の初頭は、本体の売れ行きもおちていたそうです。
 そんな状況が変わるのが、第II期カセットと呼ばれる82年の6月以降にリリースされたゲームソフトでした。それまでのゲームが、インベーダー時代までの2方向レバーやパドル、そして光線銃を使った内容だったのに対して、アーケードで大人気のパックマン、そしてドンキーコングのエッセンスを取り入れた「パクパクモンスター」と「モンスターマンション」の2本が発売されたのです。
  このリリースは当時かなり衝撃的でした。アーケードゲームの興奮に肉薄するかなどという問題ではなく、この2作品に近いものが家庭用テレビゲームで遊べること自体がすごいことだったのです。82年のこの2本はまさに牽引役と言え、再び本体が売れ出すという現象が起こりました。ゲーム機はソフト、いつの時代もかわらないと言えるでしょう。

 結局、1982年だけで本体が推定約15万台。カセットは約120万本を販売。TVゲーム&ホビーパソコンの販売数量シェアにおいて、エポック社は70%のシェアを確保し、業界のトップとなりました。

  以前のように、大衆誌やエレクトロニクス誌の記事掲載がなくなった一方、この時期は低年齢層向けの「電子ゲーム大百科」といったホビー系ミニ図鑑がコンスタントに出版されるようになり、カセットビジョンはこういう本にさかんに露出していくことになりました。カセットビジョンのゲームは、アーケードゲームやマイコンゲームでならした高学年層には物足りないのものでしたから、ファミリー層をターゲットにした低年齢層へのアピールは、結果的に年少組の囲い込みに貢献したように思われます
 1982年においては、例えば低学年のアサヒ芸能と呼ばれる((笑。by浅草キッド)「コロコロコミック」で人気の「ゲームセンターあらし」がテレビ化されたり(その提供はエポック社で、カセットビジョンのCMが流された)、イメージキャラに花のイモ欽トリオを採用するなどの宣伝効果も見逃せないと思います。

(※以下作成中。しばしお待ちを)




見本市での初公開

1981年東京国際見本市の模様。これがカセットビジョンの一般初公開。10台以上のテレビがならべられ、看板にはきこりの与作とギャラクシアンの文字が見える。




初期の広告

同'81年7月号のエポック社広告より。左上がカセットビジョン。その右が大ヒットしたLSIゲーム「スーパーギャラクシアン」、その他デジコムシリーズやリモコン列車など。ページ割付けから、会社の力の入れ具合を分析してみよう




まだ開発機

上記広告の拡大。「与作」のカセットは手書き文字と手書きの図が。拡張ボタン[AUX.]はこの時点では[OPTION]と書かれている。




パクパクモンスター製品カタログ

1982年エポック社総合カタログより。国産テレビゲームでパックマンゲームが動くこと自体がエポックなことでした。このページより前にはハンディ電子ゲームが紹介されています。





ゲームポケコン製品カタログ

1985夏期商戦エポック社商品カタログより。ゲームボーイに先がけて発売されたハンディゲーム機「ゲームポケコン」は、カセットビジョンのハンディ版をコンセプトに開発されたそうです。



エポック社の伝説のテレビゲーム
(2005年)


食玩/カプセル玩具人気が生み出した小さな奇跡。200円カプセルに入った本体は5x3cm程度。
詳しくは別コーナーにて紹介予定。




HINT de PINT
  • カセットビジョンのおいたちについては、エポック社でカセビの企画に参加された堀江氏へのインタビューがあります。文中の堀江氏のコメントはそちらから取り上げていますので、あわせてご覧下さい。
  • 拡大画像も準備中です。
  • ※1※2:「ホームビデオゲーム ホビーパソコン市場の需要分析と今後の展開」(矢野経済研究所/1983年) 、電子ゲームの市場の動向と今後の需要分析より。
    ・・・ ただし、この資料、全面的に信頼できない踏み込みの甘さもあるので注意しましょう。




next

|RET HOME|