コンピューターTVゲームの歴史

コンテレの前身「コンピューターオセロ」

 コンピューターTVゲーム(以下コンテレ)は、任天堂が1978年に発売したアーケード機「コンピューターオセロゲーム」がベースになっています。コンテレの歴史を振り返るには、まずこの話から始めなければなりません。
コンピューターオセロは、三菱電機が発売した8080搭載のグラフィックチップにリバーシプログラムを載せたもので、任天堂初の(マイコンを搭載した)ビデオゲームとして知られています。なお、有名な池上通信機は一切タッチしていません。

ただし、当時の関係者の証言によると、このオセロゲームは弱く、オペレーター(ゲームセンターを切り盛りする経営者)の評判が悪かったそうなんです。「弱くったって、それはそれで勝てるから楽しいじゃないの?」という方もいるかもしれませんが、結局そういうゲームはすぐクリアできてしまうから飽きも早いわけなんですね。
 また、タイマー制(1プレイ標準で400秒)を用いていたことから、ゆっくり考えながらゲームをプレイすることができなかった、これに輪をかけて、当時のゲーム機側の思考時間が長かった、という短所があったわけです。

  しかし、これが家庭用ゲームならばどうでしょう。時間を気にする必要はないし、オセロが苦手な子供も楽しめるでしょう。都合の良いことに、コンピューターオセロは専用高解像度モニタではなく、家庭用テレビをボコン!と筐体内にはめ込んでいましたから、基板を再利用することも可能だったわけです。こうして任天堂はこのゲームをコンテレとして再流通させることにしました。版権の関係からか(ゲームページをご覧ください)オセロという名称は捨てられましたが、弱かったオセロプログラムは多少強化され、さらに、長い思考時間をカバーするために、「コマッタ コマッタ」「コンピューターパス」など、任天堂らしいユニークなメッセージも表示されるようになりました。ゲーム終了はプレイヤーがボタンを押して終了宣言するというのも、アーケード版が時間制だった頃の名残りです。

コンテレはほろ苦い青春の味

 ただ、最大のネックは48,000円という高価格でした。派手さが無い、リバーシ単一のゲームしかできないのもマイナスで、残念ながら、コンテレは輝かしい任天堂テレビゲームの中でも販売台数ワースト1という結果に終わりました。以後ファミコンの開発まで、しばらく任天堂は家庭用テレビゲーム分野から遠のき、充電期間に入ることになります。

ゲームの弱さ、価格の高さは、どちらも78年当時の半導体メモリの容量と価格に起因するものがありました。思考のためのRAMエリアがあまりとれなかったわけです。これが80年代に入りこなれてきたこともあって、任天堂開発部では、コンテレ以降もリバーシTVゲームの研究を
細々と続けていたそうです。ただ、以降は、ゲーム&ウォッチや、ドンキーコングシリーズ、ファミコンの大ヒットもあり、その他もろもろ重なって自然消滅する形になってしまいました。
コンピューターオセロとコンテレは、ファミコンやアーケードなどで大成功した
任天堂が、まだ若くて苦労していた時代の、ほろ苦い思い出が詰まったビデオゲームと言えるでしょうね。70年代は少なからず、どこのメーカーもそういう経験をして成長していったわけです。

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