世紀のイベントをクラゲー斬りぃぃ!
こんにちは。オデッセィの情報係・ベク太です。人間体に変形してイベント会場に忍びこんでまいりました。
プレス関係者以外の写真撮影や公開は禁止ということでして、当日の詳しいレポートは下記のサイト様などをごらんください。 どれもたいへん読みごたえがありますよー。
ということで、こちらはクラゲー(クラシックゲーム)の話題をを中心に、ノリと勢いの草の根レポートとまいりましょう。
イベントは朝10:30から開始。最初のごあいさつで、なんと今日の昼から、同じ立命館大学の滋賀県びわこキャンパスで、MSXの西和彦氏がゲストのイベントが行われると聞いてビックリ!あっちとは別組織だということですが、みごと(悪夢?)なくらいのバッティング。あっちには行かないでね、とか。
10:40からの基調講演(きちょうこうえん)は、武邑光裕(たけむらみつひろ)氏方が、これから日本でもビデオゲーム人材育成を大学がやっていく時代だということを話されました。さ来年から、そちら系の学部が立命館大学にできるそうだからなのですが、それが頭にインプットされずに聞いていなかった方にはちょっとたいくつだったようですね。
でも、この方のゼミ生のお一人が、かの水口氏(スペースチャンネル5、セガラリーなど)で、Rezにも武邑氏のお名前が入っているそうです!
ブッシュネル氏の背中はでかかった!
昼12:50から、いよいよメインの 第1部 「ゲームデザイン・テクノロジーの源流」 が開催。
アタリ(ATARI)社を創設した伝説のノラン・ブッシュネル氏(Noran Bushnell)氏(UInk社)が登場。クラゲーファンには本当に神様みたいな方なのですが、それを知っていた人はどれだけいたかな?
ベク太、今回はじめて肉眼ではいけんしましたが、とにかくでかい! 2メートル近い?逆三角形ではないんですけど、上半分がでかくて下半身はスマートでした。会場では同時通訳がおこなわれ、それをレシーバーで聞くシステムだったのですごくわかりやすかったです。
ただ、確かに歴史の話にもふれられていたのですが(近刊「それはポンから始まった」にも載っているPDP-1『Fox & Geese』の話も出ましたよ)、でも、ブッシュネル氏は歴史というより、現在のゲーミングの傾向や、これから未来の戦略などに重点に話されていたので、過去の方とか源流とカテゴライズするのはちょっとちがう感じでしたね。歴史に関しては、これ以後に出てくるゲスト様の方が全然特化されていました。
つづいて、NHK「新・電子立国」の構成をてがけ、現在衛星放送の番組などをてがけられている・大墻敦(おおがき あつし)氏が登壇。この第4回「ビデオゲーム〜巨富の攻防〜」は日本ゲーム史の研究では必ず用いられる映像として有名です。その映像からスペースウォーとビル・ゲイツ氏の月着陸船ゲームの再現映像をごひろう(ブッシュネル氏の映像も放送されたのですが、ここでは流れず。なぜ??(^^)。彼らはみな、とても好奇心を持った方々でした、というご感想。シンプルだけど、これ、すんげー重要なことだと思いましたねー。
次にナムコ社・岩谷氏。パックマンのお父さんは生粋のアタリチルドレン。当時ぼくたちはアタリ社に追いつけ追いこせで、アタリ社が先生でした。ブッシュネルさんありがとう、と笑顔。ブッシュネル氏も思わずにこり。でも、通訳の方に数秒後に意味を聞かされたんですけれどね。(^^
で、アタリ社のナイトドライバーという3D視点ゲームと、ナムコのポールポジション(1982)の間として、ナムコのエレメカゲーム、F-1が紹介。この内部構造ビデオにビックり!はじめてみました。ミニ四駆のように、ミニカーが走る円環状サーキットが本当に中にあるんです。これを投影していたんですかー。知らなかった。
しかし、考えてみれば、F-1の前にキャスコのインディ500があったわけで、このシステムを考えられた古川会長がこの場におられないのが残念でした。せっかく在京の方なのになあ。ご高齢で仕方がないのですが。
その時、宮本氏は・・・
その後、天才チンパンジーくんがパックマンをプレイする映像が流れまして、岩谷氏のサルでもできるゲームはヒットするに会場大爆笑。この日最初の大もりありでした。でも、べく太だけは見のがしませんでしたよ。会場が大爆発する中、唯一、宮本茂氏(任天堂)だけは笑っていなかった!微動だにせず、ひとみをギラギラさせておられましたねえ。笑っている場合じゃない、負けていられないということなんでしょう。ポリゴンの背筋がシャン!とひきしまりました。となりの席の小島秀夫(こじまひでお)氏(コナミ)は笑い転げておられましたけどね。(^^
第1部の最後は、ファミコンの父・上村雅之(うえむらまさゆき)氏(以前のODYSSEYレポートはこちら⇒「ファミコンとは何だったのか-ディジタルな表象文化の成立」)。
任天堂の家庭用ゲームの原点はファミコンではなく、カラーテレビゲーム6/15である。とおっしゃっていました。当時は各社、パドルの表示数を増やすだけで1ゲームと数えていました。だから、本当は6じゃなく、3×2なんですけどね、と自虐的(じぎゃくてき)な解説に、今度は宮本氏もニコリ。
ついで、宮本氏がボディをデザインされたブロック崩しのテレビCMが流されていました。
休憩をはさんでの第2部 「ゲームデザイン・テクノロジーの今と未来」のトップ講談は、会場期待の宮本氏。おどろいたのは、テレビゲーム15(1977年)のデザインを”ダサイから”と手直ししたのがテレビゲーム6だったというお話。へえー!と、おどろいたのはベク太だけかな?(^^;
つまり、入社2年目の作品がブロック崩しなら、入社1年目の作品(本体デザイン)が、かのテレビゲーム6だったわけです。ブロック崩しでは、スイッチングの説明を日本語表記にされたのは宮本氏のアイデアだそうです。称して小さな親切なんだとか。
続いて、ロビン・ウォーカー(Robin Walker)氏は、スーパーツール開発にwikiを活用していろんな方の意見を聞いたというお話を。
小島氏はこのデモ(MGS)では見える部分を作ったけど、これから見えない部分を作りますというお話などをごひろう。
そして浜さんことファミ通・浜村弘一(はまむらこういち)氏 (エンターブレイン)が進行のディスカッションが。浜さんは宮本氏からやたらとレボリューションの未公開情報を聞き出そうとしていたけれど、やっぱりそういう質問がうけるのかしら?と感じました。そぼくにねえ。
最後は学長のあいさつでしめ。充実の1日でした。
(以上)
おまけ:宮本さんごめんなさい!「金曜クラゲーチェック」!
宮本のおじ様が1970年代の任天堂クラゲーにどう反応させるか?に、死ぬほど熱い興味があったのよー!ベク太、レポートしなさい!
もう!ストーカーみたいでしたよ。ホントかんべんしてください!!
ま、はっきりは覚えていませんけれど・・・・
1)上村雅之氏のブロック崩しはあまり売れなかった・・・というお話に”うんうんうん・・・”とうなずかれていました。
2)同じくブロック崩しは彼が入社して2年目の製品というところで、浜さんが2年目?とふり、宮本氏が無言(?)でそーなんですよぉという感じのお返事。
3)席上ではほとんど笑わなかった宮本氏(壇上ではたくさん笑顔でしたよ)。
そんな氏が、第1部で唯一ほほえまれたのは、本文中のさっきのところともうひとつ・・・。ブロック崩しのCMでした。CMナレーターのブロックライター!という絶叫におもわずニヤリがこぼれていましたっけ(ブロックライターというのは、ブロック崩しの中の1ゲームです)。
(Thanks:Mr&MrsSE)
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