会場
ファミコンの父、(ちょっとだけ)クラゲーを語る
『上村雅之×細井浩一「ファミコンとは何だったのか-ディジタルな表象文化の成立」』インスタントレポート/ 2002年12月14日(水)

上村氏&細井氏平成14年12月、底冷えのきびしい京都は立命館大学・創思館カンファレンスルームにて、立命館の細井教授と、任天堂・上村部長との対談が行われました。これは、2003年に立命館大学に設立される予定の「先端総合芸術研究科」(設置認可申請中)の開設準備企画で、ファミコン誕生前後の秘話も交えながら、新しく設置予定の大学院コースで展開されるテレビゲーム成立史研究の展望が熱く語られました。

2時間の対談中、ファミコン以前のクラシックゲームに関しても興味深い話が聞けました。対談の詳しい内容は他の優れたサイトにまかせるとしまして、CVSオデッセィ的にはそのクラゲー部分をピップアップして紹介したいと思います!


ODYSSEY〜光線銃を通じてマグナボックスと接触

細井氏の説明:テレビゲームの三里塚というべき・・・

1)デジタル+インタラクティブな構造をもつ初めてのもの・・・TENNIS for TWO
2)操作する感触の総合的な遊戯性・・・ODYSSEY
3)動きと色、音による高い次元でのゲーム性の総合・・・ファミコン



上村氏
:任天堂が光線銃シリーズで人気を博していた頃、マグナボックスという会社が、光線銃の側(「がわ」。まわりという意味)だけ送れと来た。変なこと言うなあ?と。だから設計図を送れと言ったんです。見てビックリ。光線銃で使うはずの豆球がないんですよ。その代わり、フォトセルという素子が入っていた。見せてくれと必要にせまったら、東京のある場所へ来いというんです。そこで見たものがODYSSEY(オデッセィ)だったんです。これは光線銃の逆、受光銃だったんですよ!

オデッセィのパンフより

ただ、テレビに映るのはすごいと思ったが、中身はすごいとは思わなかった。海外のものによくあることなんだけど。

細井氏:どうしてMAGNAVOXは任天堂を指名したんですか?

上村氏:わからない。マグナボックス聞いてください(笑)。 もっともフィリップスが株式を取得したと聞いて、今はどうかわかりませんけれど。

任天堂とテレビゲームとの3つの出会い

 スクリーン1.今話した、MAGNAVOX社や、コレコ社のガンゲーム(これ?)との出会い
  • 上村氏:任天堂はテレビゲームを知っていた。三菱のミツハシさんという方とTVゲームを研究していた。ミツハシさんという方は特許関係を調べたら、一番名前が出てくる方。
  •  
 2.やっぱりインベーダー
  • 上村氏:技術的にはギャラクシアンというとんでもないソフトなんですけれどね。ソフトはインベーダー。みんな狂ってやっていた。自由奔放(ほんぽう)にやっていたことが大きな糧(かて)になりましたね。任天堂という会社は”仕事だ”、といって、そういうことができる会社だったんです。工場長までが「お前、ちょー待て。今ゲームしているとこや」と言っていた(笑)。

    ついには白髪まじりのおっちゃん、おじいさんまでがやりはじめて「これはいける!」と思ったら、ブームが下火になった。おじいさんがやり始めたらゲームは下火になるというジンクスができた(笑)。
 3.アタリ社のテレビゲーム(VideoComputerSystem

最後に

上村氏:一番興味があるのは(ファミコンが)何で売れたんや?ということ。それは任天堂にとってもすごく大切なことなんです。このプロジェクトで若い方と明かしていきたいですね。

 私は「テレビ世代」。「ファミコン世代」にがんばってほしいのは新しい「世代」をつくってほしいということ。この会場に任天堂の社員が一人いるんだけど、彼も含めて言いたいのは(笑)、「ファミコンなんてくそくらえ!」なんてものをつくってほしいということです。
(インスタントレポート&写真:寺町電人)

細井教授の繊細な考察と、上村氏のおおらかな話が絶妙にミックスされていた、すんげえおもしろい対談だったそーだぜ。あ、このCVSオデッセィもちょっぴり資料として使われたんだってよ。やったじゃねーか!!

きいてきいて!私の顔が巨大プロジェクターに思いっきり映ったのー!


やだ、美少女サイトか何かとかん違いされたんじゃない? あ、あとね、ファミコンのちょっといい話もあったらしいから、それは今度ファミコンコーナーに載せておこうとに思いますー。本日のもよおしを時々見てねー。

SpecialThanks: Prof.Hosoi& Prof.Uemura &GAPmember

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