●番外編:パソコンゲーム花ざかり
1981-86
 昭和56〜61年

 ところでみなさん、この時期の業界の凋落をみると、アメリカのテレビゲーム全体が沈んでしまったような印象をうけますが、けっしてそういうわけではありません。むしろ、この時期はパソコンゲームのフィールドで名作・傑作が数多くリリースされました。また、パソコンの売れ行きも好調だったのです。
 ウィザードリィロードランナーチョップリフターウルフシュタイン・・・などなどのゲームは、若い方でも名前くらいは聞かれたことがあるでしょう。
「優れたプログラムを作ったものはヒーローである」というハッカー論が息づいていたアメリカ。これら名作が生まれた原因には、デザイナー自身が、お金よりもなによりも、まず優れたゲームをつくることが好きだった、という背景があるように思われます。
また、当時の名作ソフト達は、ほとんど個人レベルのパソコンの中から生まれていました。「何でもいいから急いで作れ、売れ」という家庭用ゲームの経営陣に比べ、こちら側には、ソフトに対するこだわりも余裕もあったんでしょうね。

 それらの優れたソフトは、アップルIIコモドール64アタリ400/800TI 99-4/Aなどのパソコンで動いていました。この頃アメリカでは「これからのお子さんにはパソコン教育が必要ですよ!」という宣伝文句で、いろいろなメーカーがさかんにホビーパソコンを売り出していました。もっとも、価格は当初$300〜$500と安くなく、ビジネス分野でも使われていたアップルII(AppleII)には、特に優れたゲームが発売されていたものの、こちらも最初(81年頃)は価格が$1,200$と、ゲーム機に比べてどれも高価でした。
 ところが、こうしたハードウェアの価格が、アタリショックの時期に比例するかのように劇的に安くなってきたのです。原因は、半導体チップのコスト下落や、メーカー同士の価格競争。中にはTVゲームより安くなってしまったものもあるほどで、メーカーは泣きましたが、購入予備軍は大喜びです。また、人気のAppleIIなどは、ゲームをフロッピーディスクで発売していましたから、ソフトのコピーがかんたんにできました。そのため「最初は高価でも、一度買ってしまえば後はタダさ!」と考えた人も多かったとか・・・(^^;。

では、当時人気だったパソコンと特徴をここに挙げておきましょう。
  • ATARI400/800/1200・・・:相互に互換性あり(アタリTVゲームとは互換無し)。学生や最初に買うパソコンとして人気があった。
  • VIC-20:日本ではVIC-1001として発売。$199〜$99(82年頃)と、とにかく安いのが人気でした。
  • commodore 64:'82年後半発売。アタリ8bitにも負けないグラフィックス。全世界2,000万台(!)以上売れました。
  • AppleII/II+/IIe・・・:グラフィックはさほど強くありませんが、ゲーム分野とビジネス分野に数多いソフトを持つ、総合力に優れたマシンでした。

MEMO やっぱり、うさぎの解説じゃやっぱり不充分よねー。このページは、ZERO-X様とKeita iida様のレポートをベースに再構築したものです。ありがとうございました!
では、続きをどうぞー。


86年〜へgo next ret top

Choplifter
for APPLEII
(ベーマガ/83年5月号)


ヘリコプターによる人命救助ゲーム。そのすばらしさは一言では言い尽くせません。後にアーケード版も発売されました。



COMMODORE64広告
(コモドール社)


当時アメリカでシェアナンバー1をほこっていたコモドール社の主力機。マックスマシーンの上位互換機。日本でも発売されました。