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1983 昭和58年![]() |
●泥に立つ高層ビルのように・・・ ![]() |
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![]() ATARI2600のゲームが遊べるアダプタ (COLECOVISIONの広告) 業績の不振にメーカーがとった策は、他のゲーム機のカートリッジが使える周辺機器をつくったり、他のハード用のゲームをつくることでした。パイの奪い合いです。 ![]() INTELLIVISION IIと 周辺機器 (マテル) ホビーパソコンの勢いに便乗しようと、ゲーム機をパソコンにシステムアップさせる周辺機器も各社こぞって発売しました。写真にはシンセキーボードもつながっています。 |
![]() アタリショックのもうひとつの理由は、アタリ幹部のずさんな経営戦略だったと言われます。昨年のアタリショックは一時の迷いだとばかりに、この年もあいかわらずハードとソフトを必要以上に作りまくりました。アーケードの人気作ディグダグやムーンパトロールの移植など、メジャータイトルにも恵まれたはずなのに、あろうことか、パックマンをハードの数以上に作ったり、上位機種5200が不振となると2600互換アダプタを売り出したりしていました。大幅な工場閉鎖、従業員の解雇、何百万本ものソフトの廃棄・・・内に外にアタリ幹部は非難されました。 では、他のメーカーはどうだったのでしょう。83年の市場は、このアタリとインテレビジョンのマテル、コレコビジョンのコレコの三強の時代でした。その二番手のマテルは、このゲーム不況の波をまともにかぶり、上半期までに1億ドルの売り上げ落ちを記録(前年比)。最終的に100万個のカートリッジが返品となってしまいます。 超人気ゲーム・ザクソン(ZAXXON)(このゲームは由緒あるゲーム専門誌electronicGAMESで年間MVPをとったほどです)をはじめ、高レベルの移植を揃えたコレコ社は、パソコン事業に失敗しました。ホビーパソコン全体におこった急激な値崩れに巻き込まれたのです。コレコは歯止めに苦心するも、第三期決算で前年比73%の減収と、まさに火の車状態でした。 前年の急成長の流れから、この年は業界各社はさまざまなソフト、周辺機器、本体を発売を続け、その充実振りは目を見張るものがありました。しかし、83年を終えた時、その市場規模は約1億ドルと数十分の一に縮小していました。 ![]() ![]() |