●光と影が錯綜する82年
1982 昭和57年

歴史的に言うと、80〜82年は米コンシューマーゲームの黄金期。この年は、メガヒット作品ピットフォールが誕生します。冒険テイスト豊かなこのアクションゲームはアーケードからの移植ではない家庭用オリジナル作品にもかかわらず300万本を売り上げ、ゲームをデザインしたデビッド・クレーン(David Crane)はゲームッ子達の憧れのヒーローになりました。

ハードの参入も続々続きました。今までのアタリ、インテレビジョン、オデッセィ2に加えて、ディスプレイ内蔵のベクトレックス、低価格でインテリジェンス(という売り文句)のアルカディア2001、さらに本命馬と呼べる、ドンキーコングを引っさげ登場したコレコ社のコレコビジョンでした。こうなると本家アタリも負けていません。アタリVCSをアタリ2600という名前にし、後継機アタリ5200を対抗馬としてドーンと発売。第一弾ソフトにはパックマンがラインアップされました。
周辺機器業界もマルチカートシステムやらジョイスティックなど多種多様に商品を展開、ゲーム雑誌も次々と創刊され何もかもが順風万歩に行っているように見えました。家庭用ゲーム機業界はこの年約30億ドル強市場になると予測されています。


しかし、夏を過ぎた頃から、全体的な売り上げに陰りが見え始めました。
原因のひとつがソフトの供給過多。日本でもファミコンやプレステソフトがあまりにも出まわりすぎたことで、全体の売り上げが落ち問題になりました。たったひとりの客に、多くのラーメン屋がうちのを食ってくれ!とむらがるようなものですね。
また、そのラーメンの味がまずかった、つまり内容が雑なゲームが増えてきたのです。 それにより、客はしだいにラーメンに飽きてしまい食べなくなっていきました。
もちろんピットフォールメガマニアといったすばらしいソフトが発売され人々を熱中させたのは確かですが、その何倍、いや何十倍というつまらないゲームが市場に蔓延したのです。しかもまずいことに、トップメーカーだったアタリも2600版パックマンで評判を落とし、E.T(有名なあの映画のゲーム化)で悪評に火をつけてしまいました。ゲームが売れないと、周辺機器も売れなくなりますし、ショップが逼迫(ひっぱく)し、メーカーに返品が帰っていきます。メーカーはその巨大な在庫処理に頭をかかえました。

日本経済新聞は12月10日の株価面において
、アタリの大幅な株価下落と、「ビデオゲームメーカー最大手のアタリが、業績不振を理由に九ヶ月前にスカウトしたばかりのペリー・オクダ氏を解任した。」と報じました。


MEMO 2600版パックマンは「四角すぎる」と世界中からブーイングを浴びたそうです。99年、インディーズ版の新型パックマンがリリースされた時も作者は「どうだ、こんなに丸いぜ」と胸を張ったって・・・ほんと?
んなこと言っちゃカセットビジョン版やったら死ぬぞ。大体アメリカ人ってのは忍耐がねえんだ。ジャッキーチェンなんか車の運転も忘れて熱中してたんだぜ!

クーゴのコメント・・・キャノンボール2より(^^;
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ATARI2600用パックマン
(ATARI)


世界的大ヒットゲームがいよいよ家庭へ!決してできは悪くないとは思うんですが「何もかも四角すぎる」とやたらと不評でした。




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