1981 昭和56年

 ●カセットビジョンの大ヒットは
 ソフト勝負の時代の始まり



カセットビジョン
(エポック社)


第二次テレビゲームブームの火蓋を切った名機。パドルやジョイスティックなど、本体にすべての操作機能を詰め込んでしまおうという思想は前時代的でしたが、逆に故障しにくいというメリットがありました。



専用ソフト・初期発売分
(エポック社)


70年代のクラシックなボールゲームから、80年代のアクションゲームと、これ一台でテレビゲームの歴史をたどることができる。



81年はホビーコンピュータの好調なセールスを見越した各メーカーが、マイコベースのテレビゲームを見直し、新製品の企画、開発を始める時期ですが、その話題は翌年に譲るとしましょう。この年、久しく停滞していた家庭用テレビゲーム市場に活気が戻ってきました。

昨年から好調を持続していたエポック社が6月にリリースしたカセットビジョンがその火付け役です。名前からもうかがえるように「カセットを差し替えるだけで、違うゲームが遊べる」が最大のセールスポイントです。もっともここまで見てきた方は、すでにカセットビジョン以前にカセット方式のテレビゲームが発売されていることはお分かりでしょう。しかし、ごく最近まで(エポック社の開発だった方でさえ)このカセットビジョンは、日本初のカセット方式だとさまざまな書籍で紹介されていたのです。それだけ、初期のカセット方式とカセットビジョンに知名度の差があったわけですが、その要因を考察してみると、実はカセット式というハードではなく、ソフトのおもしろさに行き着くのです。

カセットビジョンのヒットは、そのソフトの目新しさ無くしてありませんでした。同時発売のきこりの与作ギャラクシアンは、それまで、ほとんどが人vs人だった頃のゲームと異なり、人vsコンピュータという、インベーダー以降のゲームのヒットの要素を持っていたのです。
アーケードゲームではおなじみでも、家庭用テレビゲームにはなかなか導入されなかったこの重要なファクターが入ったテレビゲームが、しかも低価格(13,500円)でリリースされた時、カセットビジョンのヒットは約束されたようなものでした。発売から1982年末までで本体が30万台、カセットは120万本の販売を記録しています。

82年からは、いよいよ第二次テレビゲームブームが始まるわけですが、その性能うんぬん合戦もさることながら、実はどの機種に、どれだけおもしろいゲーム、魅力的なソフトがあるか?ということが購入者のポイントになったことが、ボールゲームだけだった第一次テレビゲームブームの時とは決定的に違う点なのです。この時期、それに気づいていたメーカーがどれだけいたでしょうか?任天堂の山内社長の有名な口癖
「ユーザーはハードが欲しいんじゃない、ソフトが欲しいんですから」という言葉は、今の時代にも生きていますが、それをはじめて証明したのが、81年のカセットビジョンであると言えるのではないでしょうか。

MEMO この年、日本で新発売されたテレビゲームはこのカセットビジョンのみ。一方で電子ゲームの売り上げは、この年の春〜夏に過去最高を記録。まさに表裏一体な関係だったんですね。