●電子ゲームの台頭
1980 昭和55年

80年という新時代への幕開け。YMOのヒットに代表されるように、そこにはエレクトロニクスが導く時代への期待がありました。ソリッドステート化していく社会、その波は玩具業界にも波及し、蛍光表示管やLSIを内蔵し、電池をセットとして遊ぶ電子ゲーム、LSIゲームという分野の製品が次々と開発、製造されていきました。携帯ゲームは各メーカーの主力製品として急速に成長していましたが、特に任天堂の液晶携帯ゲームゲーム&ウォッチの大ブレイクがこの流れを決定付けたようです。

これらのゲームの売れ筋はアーケードゲームのヒットとシンクロしていました。当時エポック社開発部に在籍された堀江氏も、アーケードゲームの新製品ショーに出かけては、次にヒットするゲームを物色されたたそうですし、バンダイが発売したフリスキートムという電子ゲームなどは、日本物産が発売するアーケード版と同時進行で開発されていたほどです。この年は前年のギャラクシアンに続き、ナムコのパックマンが大ヒット。しかし、家庭用テレビゲームは棚上げにされ、まずは電子ゲーム機への移植が中心となりました。

80年という新時代に、しかし家庭用テレビゲームの売れ行きはむしろ前年からの停滞をひきずっていました。リスクが高い割にヒット商品がでない現状に、エポック社をのぞいて、各メーカーとも安定した需要と人気がある電子ゲームに力をそそいでいたようです。


しかし、当時の子供達にとって、やはりビデオゲームの移植はテレビ画面で遊びたいというニーズが少なからずあったのは確かでした。その期待に応えたのがエポック社のテレビベーダーです。開発期間の影響で、ブームにはだいぶんと遅れた形となりましたが、一部店舗で品切れを起こすほどの大ヒットとなりました。

テレビベーダーで使われたシステムは、ワンチップマイコン方式と呼ばれれ、プログラム方式による開発の利便性と、ゲームLSIの単純な回路構造という二つのメリットをあわせ持っていました。この方式は78年テレビ野球ゲームで採用されたエポック社独自の技術で(開発はNEC)、おかげで安くて故障しにくい家庭用インベーダーゲームが実現したのです。


MEMO 気軽にゲームが遊べる便利さは、ワンダースワンやゲームボーイなどの携帯ゲーム機などに引き継がれていますね。もうすぐ携帯電話に移ってしまいそうですけれど。


FLパックリモンスターの画面
(バンダイ)


大ヒットしたパックマンゲームを最初に家庭にもちこんだのが、このFL(蛍光管)パックリモンスター。出来もよく品切れ店が続出しました。




テレビベーダー
(エポック社)


ゲームセンター立入禁止条例に泣く少年宇宙戦士のハートを熱く焦がした名機。ゴムキャップをにぎりすぎて手が黒くなることもしばしば。