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●世界初の家庭用テレビゲーム・オデッセィ |
1972 昭和47年 |
ここまでの時代には、まだ家庭用と業務用(アーケードゲーム)という区別はありませんでした。つまり、商品としてのテレビゲームはまだなかったわけです。
最初に商品として世にでたテレビゲームは、ナッチング・アソシエイツ社が1971(昭和46)年に発売した「コンピュータースペース」です。遊園地などにおいて、コインを投入して遊ぶために作られたもので、つまり、アーケードゲームの第1号機です。テレビゲームの父といわれる、ノラン・ブッシュネル氏が開発したこのゲームはあまりにも有名で、テレビゲームの歴史関係の書籍を開けば、まずまちがいなく出てきます。 では、家庭用テレビゲーム第一号はなんでしょう。それは、マグナボックス社が1972(昭和47)年に発売したオデッセイ(ODYSSEY)です。 オデッセィの原形は1966〜69年頃にさかのぼります。米・サンダース・アソシエイツ社の研究開発部門(R&D)チーフであったラルフ・ベア(Ralph H.Baer)氏が中心となり、ビル・ハリソン(Bill Harrison)氏とビル・ラッシュ氏(Bill Rusch)の3人で、ブラウン管を利用したゲーム機の開発が始められました。 69年に完成したその製品はブラウンボックス(BROWN BOX)と名づけられ、 画期的な製品として、ケーブルTV会社や大手家電メーカーへのライセンス供給という形で売り込みがなされたのですが、それぞれ、金銭面、条件面で折り合いがつかず、陽の目が見えない状況が続きました。 このブラウンボックスの技術に注目し、テレビゲーム特許に関してサンダース社と独占契約を結んだのが、家電メーカーのマグナボックス社です。さっそく、ラルフ・ベア氏指揮の元、このブラウン管をつかった新製品の研究開発がはじまり、1972年の5月、世界初の家庭用テレビゲームオデッセイが発売されました。 (※詳しい内容をブラウンボックスの専用ページや、オデッセイの専用ページでご紹介していますので、ぜひごらんください) MEMO オデッセィは日本で発売されませんでしたが、もし発売されたらいくらだったのでしょう?1972年までは為替は1ドル=360円でしたから、36,000円? いやいや、日本で発売するなら、税金や輸入側の利益を計算に入れなきゃ。そうすると、50,000円はくだらなかったんじゃないかしらねえ。 |
BROWN BOX (ラルフ・ベア氏所蔵) テレビゲームとは何か、を各社に説明するために用いられました。 ODYSSEY (MAGNAVOX) 世界初のテレビゲームは100$。その設計思想は今のテレビゲームと大きく異なるユニークなものです。 |