1962 昭和37年

 ●迷路のねずみと宇宙戦争


PDP-1
(ボストンコンピュータ博物館。撮影:1996年)


上の博物館に保管されているもの。



スペースウォー
(再現図)


ディスプレイは現在のような四角ではなく円形だったそうです。


'58年の世界初のテレビゲームでは表示装置としてオシロスコープが使われていましたが、1961年になると、コンピュータディスプレイを使ったゲームらしきものの存在が確認できます。これは、トランジスタを採用した最初のコンピュータのひとつTX-0で動いていた迷路のねずみというゲームです。点で示されたねずみがチーズにたどりつくという内容で、人間はライトペンを使って迷路を作画します。人工知能プログラムの一応用例であり、人間はプレイヤーではない傍観者(ただ見ているだけ)でした。

そうではなく、最初からCRTディスプレイを使ったゲームを製作しよう、という意識の元に製作されたゲーム というのがあります。1961〜62(昭和36〜37年)頃には、マサセーチューセッツ工科大学(MIT)で人工知能の研究をしていたスティーブ・ラッセル(Steve Russell)氏のグループによって「スペース・ウォー」が開発されました。
研究所に入ったPDP-1というコンピュータを使ってなにかおもしろいものができないかと考えた彼らは、やがて宇宙船がとびまわり光線銃で戦うというシナリオにまとめ、半年ほどかけラッセル氏がプログラミングをおこない、完成されました。
このゲームは学生たちの間で大評判を呼び、全米の大学や研究所など、PDP-1が設置されたいたるところで楽しまれました。またPDP-1を扱える人たちが次々と改良が重ね、星の動きが違うもの、光線銃の動きが複雑なものなど、いろんなタイプのスペース・ウォーがつくられたそうです。

MEMO コンピュータゲームの歴史はさらに古く、人工知能の研究のためのチェスゲームなどがありました。これらはプリンタ用紙を使ってゲームを進めるんです。つまりCRTディスプレイがなくても、コンピュータを使ったゲームはあったということですね。


左の写真2点:新・電子立国/ビデオゲーム・巨富の攻防/NHK/1996年放送より
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