●世界初のテレビゲームとは?
1958 昭和33年

ようこそ、アメリカ編へ!アメリカはテレビゲームが生まれた国。その源流をたどっていくと、「家庭用」というカテゴリを越えて、世界初のテレビゲームにたどりつくことになります。

ところで、テレビゲームとはなんでしょう?おおまかに言えばテレビゲームとはテレビ画面に物体(オブジェクト)を映して、それで遊ぶ機械と定義できます。
テレビ画面に任意のオブジェクトを映し出すという技術は、軍事用などで戦前から使われてきましたが、これをはじめてゲームという形にしたのは、ウイリー・ヒギンボーサム(William A.Higinbotham)氏という、ニューヨークのブルックヘイブン国立研究所(Brookhaven National Laboratory)に勤務する博士だといわれます。
研究所は毎年秋に一般公開日を設けており、各部署が研究発表のデモンストレーションを行っていました。しかし、見学者のつまらなそうな顔を見た博士は、見学者がじかに触れられるようなもっと楽しいものを作ろうと、ビデオテニスゲームのアイデアを考えついたのです。初公開は1958(昭和33)年10月でした。

このゲームはアナログコンピュータにくっつけられた小さなオシロスコープというモニタに表示されていました。ちょうどテニスコートを横から見たような二人専用のテニスゲームです。

各プレイヤーはまず、ボタンとダイヤルがついたジョイパドルを手に持ちます。右の図を見てください。ゲームをスタートすると、ボールが実際のテニスのように放物線を描いて飛んでいきます。画面にはラケットは表示されませんが、中央線より自分側の領域にボールが飛びこんだ時、ボタンを押すと相手側にボールを打ち返すことができます。この時ダイヤルで、ボールの跳ね返す角度が調整できますので、相手が画面中央のネットに球を引っかけてミスをするように返球をするのがゲームのコツなのです。ボールをネットに引っ掛けてしまうと相手の勝ちです。

 世界初にしてはなかなかゲーム性の高い優れたテレビゲームで、実際、見学者から引っ張りだこになってしまったそうです。ボーサム博士も「すごいもの作っちゃったなあ」と思われたとか。
 このゲームは当時1958年と59年のみに一般公開されただけの幻のゲームで、プレイできた人は本当に幸運だったと言えるでしょう。
(※世界初のテレビゲームについては、Tennis for Twoの専用ページでさらにくわしく紹介していますので、そちらもごらんください)



MEMO 戦前、軍事技術にかかわっていた博士は、戦後は科学の平和利用を願って活動されたそうです。日本旧陸海軍の技術者達も、戦後、人の役に立つものをつくりたいと、戦闘機の理論を応用して新幹線を開発したんですねえ。
あ、実際にヒギンボーサム博士のアイデアを実際に形にしたのはRobert V.Dvorak氏という方だそうです。この方もリスペクト!

右の画像(一番下除く):糸井重里の電視遊戯大展覧会/1987年/製作:フジテレビ、SEDIC より。
さらにその出典元は次の雑誌:Video & Arcade Games/'83 spring


ゲームを説明するヒギンボーサム博士
黒板を使って解説されているところです。




展示されているところ

赤い矢印で指されている小さなものが5インチモニタに映るテレビゲームです。



世界初のテレビゲーム
(再現図)


その名をTennis for Two(二人でテニスを)。な、なんとボタンを押した時にはノッカーによる効果音まで出ます。スゴイ!