プレイステーションの初期パンフ
1994年に発売されたソニー(SCE)のプレイステーションには、松下の3DO、セガのセガサターンとともにはじめて「次世代機」という呼称が使われました。ケタ違いの32ビットRiscチップ、高性能ポリゴングラフィックス&サウンド、大容量CD-ROMの採用などは、確かに次世代期と呼ぶにふさわしいものでした。しかし、ハードウェアはもとより、むしろそれを取り巻く環境、開発システム、ライセンス契約、流通網などにおいて、大胆な新機軸が打ち出されたことの方が、業界的には大きかったのです。後者は、どれもポスト任天堂の枠を越えた大胆な改革でしたが、そのうちのひとつにこれも加えていいでしょう。広告、TVコマーシャルにおける戦略。それは、今までのゲームCMスタイルの概念まで変えるものでした。

ョッ!っというアイキャッチから始まるや否や、そこは乾いた空気が支配する日常の風景。主役であるはずのゲーム画面は気持ちインサートされるだけ。かつてゲームCMが持っていたあったわかりやすさ、フレンドリーなイメージはそぎおとされ、無機質にたたみかけるイメージ戦略が徹底的に追求されています。

 あまりにも斬新なこのスタイルに対し、賛否が多かったことは想像に難くありません。が、 しかし、この緊張感あふれるCMは、見事にお茶の間に受け入れられました。それは単なる製品の紹介という側面だけでなく、CMの持つ魅力の一つ”現代の風俗や文化の批評性”をとりいれたからでしょう。プレステスタイルによって、日本のゲームCMは新たな一歩を踏み出しました。

プレステ以後のCM、例えば1998年のドリームキャストの「湯川専務CM」は、逆転した方法論が大きな話題を呼びましたが、それ以後は、ことあるごとにプレステとどこが違うんだ?ということをつつかれ続けましたし、初期X-BOXのCMが今更ながらにゲーム内容重視のCMを放送していたことには、なにやら時代錯誤を感じたものです。どの批評もプレステCMとの比較論となり、そこにはセガ、松下、任天堂の姿はありませんでした。クールなプレステCMスタイルは、日本のビデオゲームCMの主流となっていたのです。

る時、このプレステCMに対し、どこかの雑誌インタビューアが「プレステは独自のスタイルを築きましたね」といった類の意見を述べたことがありました。その時、製作者側は「しかしね、それは今までゲーム業界が企画や予算などの面でいかに他のCMから遅れていたか、ということだと思うんですよ。今、やっと同列に並んだと思うんですね」と答えていたのは印象的でした。CMが、俗に時代を映すカガミといわれる由縁は、当時の風俗や文化、経済と密接な関係があるからです。プレステ以前のゲームCMで(「ゼルダの冒険」など)印象に残るものは数あれど、共感の分野にまで踏み込んだものが皆無に近かったのは、ゲームCMの幅の狭さを示すものでした。

んな幅が狭い時代のゲームCMの姿を、私たちはほとんど知りえません。それは家庭用ビデオ普及前であったことや、再放送される機会に恵まれないこと、そして記憶に残るようなCMが少なかったことにもよるでしょう。本コーナーでは、残された当時の資料から、周辺の状況とあわせて、テレビゲームCMの歩みを見ていただけるように心がけてみました。超初期、黎明(れいめいき)期、そしてファミコン登場の1983年前後、家庭用テレビゲームCMはどのような移り変わりをみせてきたのでしょう?時代を映す鏡・・・となる、その前の原石の時代を、さぁ、私、プリシラとともに振り返っていくことにしましょう。
  準備はいいですか?さあ、TVとゲームのもうひとつのワンダフルな関係、ゲームCMの世界へレッツGo!!




MEMO:本当はTV-CMヒストリーにするつもりだったんだけど、資料が圧倒的に少ないので、TV-CMグラフティとなりましたんでピョンだ。