ODYSSEY(1972頃)
再現図。「オデッセィでは12種類のゲームが遊べます」のとナレーション。画面には17〜25インチのどんなTVにもフィットしますというスーパーが出ます。



システム10 ガン・プレイ編(1977)
「撃鉄(げきてつ)を起こせ。ターゲットを狙え!」
グリーンベレーをイメージさせる青年が、ビームライフルで画面を狙い撃つ。2人のプレイヤーが画面を操作する様子も


庭用テレビゲームのCMがお茶の間に登場したのはいつ頃でしょう?

 ズバリ言いますと、1972年。世界初のテレビゲームODYSSEYには、すでにTVCMが製作・放映されていました。映像はモノクロで、星雲を背景にしたタイトルこそ仰々しいですが、本体とオーバーレイをTVに接続する子供たちとゲーム画面が紹介されていくシンプルなスタイルでした。

 日本の場合は、(まだまだ調査中ですが)、GA-ダイシンというメーカーが、1976年9月に発売した「テレスポ」というポンテニス機のCMを放送していたというデータが残っています。なんでも、翌3月頃の時点では、テレビ宣伝をしている唯一のメーカーだったんですって。

 そして、1977年、第一次テレビゲーム戦争がぼっ発。本格的に売ってやろうという大手メーカーは、テレビという宣伝メディアを武器にします。トップをきったのは5月発売のT・U・G(タカトク)で、発表会にて、6大都市でのCM放送計画をぶちあげました。続いて、9月発売のシステム10(エポック社・左)、さらにこれに先がけて、おもちゃ業界最大手のバンダイが、同社(初)のテレビゲーム・TV-JACK1000のCMを放送していたというデータが残っています。特にバンダイのTV-JACKには、イメージキャラクターとしてタモリを起用する力のいれようでした。
  で、かの任天堂は、この時期、テレビゲーム6/テレビゲーム15というポンテニス機を発売していますが、意外にもCFはうっていません。なぜかって?だって、そんなことしなくても、この2機種は売れて売れて売れまくっていたんですもん! 任天堂の場合は、翌年・1978年のレーシング112、79年のブロック崩しを全国網で放送していたことなどがわかっています。

 明期(れいめいき)ゲームCM最大の特徴は、どれもテレビゲームを操作する人と、テレビゲーム本体、そしてテレビ(受像機)そのものの姿が映し出されていたことにあるでしょう。つまり、テレビゲームとはこういうものです!という初歩的なレベルから紹介していたんですね。今の方にはちょっと想像つかないかもしれませんが、1977年の日本は、まだテレビゲームを知らないという人口の方が多かったんです。だから、テレビゲームとはテレビにつないでプレイする製品で、こうやって操作するんですよ!というようなことを、15秒〜30秒という貴重なCM時間をさいてまで説明しなければいけない代物だったんです。

そういう意味では、これ、原始的なCMスタイルですね?でも、こういったHowTo型ともいうべきCM手法は、実は1985年のセガ・マークIIIの頃まで採用されることになるんです。「テレビゲームのCMが遅れていた」という指摘は、こういったプロダクトグラフィックス(商品が主役で人間は単なる素材、比較的制作費が安い)と呼ばれる手法に着目してみる必要があるかもしれませんね。

・システム10の画像:谷口丞(エポック社・広報宣伝部部長)/子供・ファミリー市場をつかんだエポック社のテレビゲーム/ブレーン1978年6月号より
・T・U・Gのタカトクは3月中旬の販促部長のコメントより(玩具業界誌)。ただ、この直後、大幅な価格下落競争に巻き込まれたため、果たして本当に計画どおりCMが流されたかは、かなーり微妙なところ(興味あるので、だれか調べてくださいな(^^)。

※資料はモノクロですが(セピア色補正しましたが)、本来のCMはもちろんカラーです。
※ODYSSEYのCM画像は当時の本物の映像を元に再現したフェイクものです。



MEMO:ゲームセンターのCFはいつ頃からはじまったんでシュか?
んーと、日本では、アーケードゲームのテレビCFは風営法によって放送がきびしく制限されているらしいのね。そのせいか、ほとんど記録らしい記録が見当たらないんだぴょん。
実際いくつかあったらしいわねぇ。また、インベーダーブームの1979年頃には、ゲームをモチーフにしたテレビ東京CMがつくられてるの。こっちは確認済よぉ。

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