ファミコンCMからわかることは、結局、80年代前半のゲームCMのツボとは、こんなにすごいゲームが遊べるんです!という部分が、一番のツボだったということではないでしょうか。
メーカー側からの訴求ポイントというものはあったでしょう。ソフトの数がこんなにある、パソコンにもなります、拡張性があるゲーム機ですよ、などなど・・。
ただ、当時の家庭用ゲームにはこういったセールスポイント以上に、致命的な短所がありました。いくらアニメのような高速描画が素晴らしい光速船も、画面は時代遅れの白黒で栄えませんし、セガのSG-1000などはソフトの種類は豊富でも、キラーと呼べそうなタイトルがありません。CMでは短所の面をアピールすることはないでしょうから(もっとも、ドリームキャストのの湯川専務CMは全く逆の発想なのですが!)、当然、長所をアニメーションで美しく処理したり、壮大な音楽などをつけてイメージを膨らませることに努めたのでしょう。しかし、一回の放送にン十万円〜のお金がかかるテレビCMをして、果たしてそれらのアピールはどれだけ視聴者に届いたのでしょう?
アーケードゲームとの差に欲求不満をかかえていた当時の子供たち。その興味というのはたった1点、そのゲーム機でどんなすごいゲームが遊べるんだ?という点につきたのではなかったでしょうか。だから、演出で援護射撃されたゲームCMというのは、そのニーズに答えを出しておらず、焦点がずらされたアピールに終始していたような印象があるのです。
また、親が子供にゲームを買い与えるのが普通だったこの時代、同じくらいに重要だったのはゲーム機の価格でした。これらの意味において、優れたソフトもない高価なゲームには、CM放送前から勝ち目がなかったように思われます。
セガCM3点
(左)SC-3000(1983年)/(中)SG-1000II・マイカード(1984年)
SCとSGのCMに起用された斎藤ゆう子は、当時スポンサーの数が最も多かったCM界の女王(ちなみに男性ではタモリ)。マイカードCMはクレジットカードサイズになったということで、アダルトなふんい気を演出しています。
(右)セガマークIII(1985年)
それまでのセガCMにない、ぜい肉を削ぎ落としたシンプルなスタイル。以後、94年のセガサターン登場まで、ゲームが主役の基本的な演出が続きます。
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セガは、第二次ゲームブームにSG-1000を発売するも、ファミコンの圧倒的な勢いに辛酸をなめさせら続けました。前セガの社長であり、研究開発本部副部長だった佐藤秀樹氏は、原因はハードの能力、ソフトの知名度といったものだけではなく、流通経路、マーケティング、そして宣伝方法についても差があったということを告白しています。
1985年、セガは新製品セガ・マークIIIを発売します。それまでのセガCMは、合成や有名タレントを起用したイメージ重視だったのですが、一転して、原点ともいうべきHowToスタイルに戻っています。(3つの画像の一番右を参照)。内容はゲームソフト(ハングオン)の動きの素晴らしさ&とハードの能力、そして拡張性だけをたんたんと伝える内容で、これはまさに、任天堂がファミコンで用いたような方法論でした。マークIIIはファミコンを越えるべく、ハードウェア能力が設計されたという話ですが、CMにおいても、その戦略を大いに勉強したと言えそうですね。
MEMO:
ま、HowToスタイルというのは言いやすいからあれなんだけどー。もっといい言い方があったら教えてくださいー。
HINT
de PINT
SC-3000の画像:CMnow!Vol.4/玄光社より。その他はODYSSEY所蔵の本放送CMより。
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