マイコンテレビC-1(1983)
企画制作:博報堂+日本天然色映画

C-1は基本的なファミコン機能に加え、伝言メモや絵が描けるソフトが内蔵されており、上の画面のトリ(名前はないそうです)は、その機能で描かれたものです。




オセロマルチビジョン(1983)
企画製作:博報堂+ビッグサン

本CMでは、A.D.O(アンペックス・デジタル・オプティックス)という新兵器が使われました。4つまでの別撮りVTR映像素材を、それぞれ形、サイズ、位置などにおいて自由変形できるデジタル・ビデオ効果システムで、操作がかんたんで、かつリアルタイム処理できるのが強みでした。



M5(1982)
企画製作:電通Y&R+電通映画社

低年齢層をねらったタカラとは逆に、ソード版m5のターゲットはもちろんヤングアダルト。イメージタレントは、デビューまもないアイドル時代の森尾由美でした。
女性アイドルを起用したパソコンCMは数多くありますが、ソードの場合は青年層を取り込むのはもちろんのこと、女性の腕でも隠れてしまうくらい小さなサイズなんですよ、ということも伝えたかったのでしょう。
  キーワードは「未来」。m5を胸に抱き「私の夢、かなえてください」



 1982年〜の第二次テレビゲーム戦争の頃は、互換機マシンもたくさん発売されていました。
1983年 10月にはシャープからコンピュータテレビC-1が、11月にはツクダオリジナルからオセロマルチビジョンというマシンが発売されます。
  前者は絵や文字が書けるマイコン内蔵テレビ、後者は世界最強のオセロ内蔵テレビゲームというコンセプトが打ち出されていましたが、実はそれぞれファミコン、セガSG-1000の互換機であるということがミソでした。「ファミコンも遊べるお得なテレビ」、「ジョイスティック+オセロ内蔵のアドバンスドSG」が裏ネタだったわけですね。

 じマシンでも、コンセプトが違うと、宣伝の方法も変わってくることに注目してみましょう。シャープC-1の場合は、ママにもつかえるテレビボード機能や、勉強にも使えるアクティブなマイコンテレビということをもっとも重視しており、NHK教育で放送されている「セサミストリート」に出てくるような黄色い鳥・ビッグバード似のキャラクターを起用。俳優として、またFM番組「ジェットストリーム」のナビゲータでもある伊武雅刀氏の、親しみやすいパパ声ナレーションで、お茶の間の私たちに、C-1の楽しさをアピールしていました。

一方、オセロマルチビジョンは、オセロをプレイするプレイヤーはもちろん、家族の姿、さまざまなゲーム画面など、バリエーションの高さを、立方体マルチアングルで紹介しています(なお、本機は別売りキーボードと専用カセットでパソコンにもなるのです)。当時CMの女王だった斉藤ゆう子をフィーチャーしたポップなセガと違い、こちらは多機能であることとその楽しさに重点をおいた演出になっていました。

 82年後半には、玩具メーカーのタカラと、ビジネスコンピュータ企業・ソード電算機がタッグを組み、m5を商材とするプロジェクトを立ち上げました。タカラの方はm5を「ゲームパソコン」と名づけ、ジョイスティックをセットにして、おもちゃ屋筋のラインから販売。一方ソードは、パソコンショップのラインを活用し、青年層をターゲットにm5を販売しました。
 
いずれもが、お互いがお互いの商売をじゃまをせずに、しかも相乗効果が期待できるという互換機戦略だったんですね。

 そうそう、 パソコンの分野でも、この頃MSXという、共通規格のパソコンがたくさん発売されましたっけ。
どれも基本機能は同じでありながら、東芝などはワープロ機として、ヤマハではシンセ端末として、そしてカシオはゲーム機としての機能を打ち出した広告を展開しました。それぞれが独自の使い方を提案していたのですね。機能よりもターゲットありき。CMでの切り口のちがいは、そのわかりやすい一例と言えるかもしれませんね。


引用はすべてコマーシャルフォト(玄光社)より。以下は掲載号。
・ マイコンピュータテレビC-1:「話題の広告HOT LINE」/83年12月号
・オセロマルチビジョン:84年3月号
・m5:「CMcatalog パーソナルコンピュータ」83年9月号

※CMはもちろんカラーです。この画像はモノクロ写真に補色を行ったもので、CM本来の色とは異なります。




MEMO:

んじゃ、ツインファミコン(シャープ)はどうなるんだ?あれは競合するぞ。

あ、そうだねー?CMも高橋名人だったし・・・どーなんだろうね?