儚き偶像の行方
-後編U-
黄昏親父の憂鬱
それからまたまた、1週間が過ぎた頃、さらに怪物への悪夢にとり憑かれたた我々は、その日をまた迎えたのであった。
真夜中の憂鬱は消える事もないが、緊張の為か目はぱっちりと覚めた。
午前様の二時、静かである。
明るいのはコンビニの照明だけ。
田舎の夜中はこんなもんである。
クワガタという、おまけも時々あったりする。
(蛾やカメムシのほうが勿論多いが)
得てして本日も蒸し暑かった。
いつもの港は、やはりそこだけ明るい。
そして、額から汗が滲む。
そしてローカルアングラー2人は、不安と恐怖の上の希望という思いの中で沖に向かった。
本日の同船者は6人。
船長に挨拶してから、同船者に挨拶をする。
一人目はとても良いご返事が返ってきた。
ここまでは、気持ちが良い。
これから一日勝負を控えて宜しくと言わんばかりであった。
あとの同船者は、他人の構えであった。
それも仕方がない。
なんとか釣りになる範囲でこの規模の乗合船としては最大人員に思えた。
(本当はこの大きさにこの釣りは、4人最大だろうな。)
投入最初の早朝から苦戦は続いた。
やはりスルメ確保に泣いていた。
そのスルメも表層水温について行けず、暫くするとご臨終なのであった。
活きスルメ釣りなのだか、だだの生スルメ釣りになろうとしていた。
午前船のタイムリミティッドは案外早くにやって来る。
数本ずつスルメを釣ったところで所謂芝山出しという怪物くんがのっこんでいるというポイントについた。
「はい・・始めてください。」
「水深云々・・・・・」+若干の解説があった後、我々は、スルメに針を刺す。
一流し目・・。
ボトムを取ってからリールを2回転ほど巻き上げる。
針は、オーナー社のタフムツ35号で孫(孫針)は取らない。
一体誰が最初にこのムツバリ(ネムリ針)を最初に考案したのか、ものすごい実践に基づいた完成された形である。
日本の近代針は廣瀬丹吉商店が始まりと聞いているので関心がある人は調べてみると面白いと思う。
2流し目に入ってすぐに例のコツコツというアタリがあった。
緊張が一気に全身を駆け巡る。
心と体が臨戦態勢に入ろうと集中力を高めて行く。
愛竿の661-TUNApの竿先の入り具合は徐々に増幅して行く。
今奴がスルメを飲み込んで喉の奥へ運ぼうとしているのか?
想像してみる。
あの大きな顎であのアタリは、全く意外であるが常にそのようなアタリであるかどうかは解らないところもある。
深海の魔王のノッコミは、極浅い80m強前後の水深である。
ロッドを少し手で送ったが重みは更に増幅しているがここで合わせて何度もすっぽ抜けた事がある経験から、あともう一伸しと、我慢する。
スウィ―プで竿を立てる動作に移る。
その重みはずっしりと肩まできている。
魚が反転して口蓋の付け根に掛るイメージが湧いてくる。
竿元まで伸してからスウィープでフッキング。
乗った。(掛った)
ロッドベルトピンにギンバルを挿し込むと、その重みは最大となり、グングンと伸して行く。
体ごとその波動が伝わり生命感を思い切りその体に感じてファイトに移る。
そして腰を落として溜める。
鼻から息を吐く。
クリッカーを入れたリールから、少しスプールが逆転して良い音が出るのだが、さほど糸は出ては行かなかった。
ドラグは10kg弱に設定している。
ロッドはグリップ前からグッと入ったままであった。
首の振幅は、以前も経験した程度であった。
短期決戦ならば、運動不足の私にとっても乳酸値マックスに達するまでは、なんとかなりそうである。
グッと腰を落とすと少しずつロッドが起きてくるのでそれを見計らって即リーリング。
そしてまた腰を落とす。
再び奴が反撃に転じて首を振る。
このやりとりが暫く続いた。
7~8分後、かなり浮かしてほぼ80割方獲ったような気にはなったが気は抜けない。
何時バレてしまうかも知れない。
それでも残り10mともなると抵抗は殆ど無くなり時々首を振る程度であった。
いつも通り横になりながら円を描いて空気の泡と一緒になりならが海面に浮いた。
針はがっちりと口蓋顎関節付近に抜けていた。
このフッキング(刺さり)ならば抜ける事もないだろう。
浮いたところでリールクラッチを切って糸を少し送る。
船長がギャフ(カギ)を掛けて船にズリ揚げる。
ここで人安心であった。
「雄!また雄でこのサイズ。」
思わず声が出た。
35kg前後と思ったが結果は、ほぼ思った通りであった。
これで今年通算3本目。
今までにない釣果ではあったが、サイズアップには聊か苦戦した。
先生と消防士さん以外は祝福の言葉はなかったがそこは仕方のない事で今の乗合船の流れなのであろう。
まったく、能面なのは今日も変わりはなかった。
少し寂しい感じもしたが、これが2011年の現代がもたらす人間関係の縮図であろうか。
そして、誰もが祝福するという言葉さえ忘れているかの様に振る舞うのが現代社会の暗黙のルールなのだろうか。
写真も誰も撮ってはくれる事もないので、遠慮がちに船長にお願いした。
活きた魚の色彩は、漁師さんか釣り人の特権である事は間違いなさそうだった。
しかし、その特権にあずかっているにも関わらずそれに気がつく事もないままに終わる場面が多々ある。
誠にもったいない話ではあるが。
死んだイシナギからはこのような色は出ない
そしてまた何事も無かったかのように、我々は仕掛けを投入するのであった。
そんな湿気と海風と人の温度差の中での釣り。
"これでみなさん本当にストレスが解消されているのであろうか?"
と素朴に思ったりもする。
この状況が普通に思えたらそれはそれで、無限地獄なのかもしれない。
海外ではあまり無い事となのかな。
そう思うと、ふと思い出した事があった。
イソンボ釣りの時は、宿泊先で釣り人にあう事はそう多くはないのだが、
旅人はその解放感からなのかどうなのかは解らないのだが、案外会話が成立したり、笑顔があったりと、
既に友人な感覚なのは、南の島の出来ごとなのであろうか?
(おそらく、完全に頭の中のスイッチが替わっているのだろう)
不思議な事である。
更に頭の中で分析してみると・・・房総での日帰り釣りでは、スイッチが代わる前に帰港するのかもしれない。
誰もが、その心の距離が近くなるまでに時間を要するが、現代社会の日本人、とりわけ都会生活に多くを依存している人はその時間を長く要するのかもしれない。
余計な事を考えないで釣りに専念、集中しなければならないのに、上手く行かない。
いろいろな雑念に捉われて負のスパイラルに入り込んでしまわないうちに、次のイカを針に刺した。
船は、相変わらず凪ではあるがそれは外房の凪であって瀬戸内海であれば時化のうちに入るのだろうか。
我々の気合とは裏腹にイカはタルの中で弱っていた。
あるいは、気合の抜け方と同じように弱っていると表現したほうが良いのだろうか。
船は何度も流しては立直しの繰り返し。
勝負はポイントの根を過ぎて行くまでである。
ボトムまで錘が付くと空かさずレバーを入れる。
今度は、もう一本のトラベル562-50KVGを投入する。
使うリールはこの手の釣りでは小型のAVET HX RAPTER 。
2回転ほど巻き、棚をキープする。
7時を丁度回った頃、再びバイト(アタリ)があった。
例のいつもの前アタリである。
行く分この釣りには竿先の硬いKVGであるがそれを補うためにレバーを1ノッチ、2ノッチと下げた。
ゴンゴンと重い引きに合わせてレバーを下げて調整するとそのアタリ=バイトに合わせてスプールが逆転して行くのであった。
アタリはしつこく、かつ大きくなり、もう一送りラインを出してやった。
そしてストライクポジションまで一気にレバーを入れる。
ガクンと重い感覚が体全体に伝わる。
「入りました!」
お決まりのヒットコールで船長が後ろを振り返った。
やはり関心のある人は先生と消防士さんだけではあったが
3人いればこの際十二分であろう。
ガッチリと上顎にかかっているタフムツ35号+フロロ130Lb
そして更に雄1匹を追加した。
今までの流れからはあり得ない今年4本目である。
今年最後の乗船
A whisper of a nightmare
今年最後と・・・
再びまたトライする事になった。
今度は釣り仲間4人でのトライとなった。
飽きもせず、懲りもせず。
8月も半ば。
まだまだまだ暑い。
その日は10人の乗合であった。
一瞬目を疑ったがこれも現実なので、受け入れがたきを受け入れた。
もはや、変更する訳には行かない。
乗らない訳にも行かない。
心は、前にも後ろにも進めない状態であったが体は前に動いていた。
しかも、その表情を能面にして、
あり得ない笑顔までする自分が嫌になった。
他の誰も責める訳にも行かず、不平不満は場をぶち壊すので今度は自らがポカーフェイス+愛想笑いでそれを補おうとした。
しかし、その頃には既に心と気力は疲れていた。
更に追い打ちをかけるがの如く、最後にその10人になった理由の中の一つには落胆せざるを得なかったが、それはそれで本日の現実。
そのような暑い夏は、いよいよ終わりに近かったが、それでも連日30℃は超える暑さに少々バテ気味であった。
仲間と精魂つき果てて、会話を交わした後
「来年も頑張ろう!」
その他には言葉はなにも要らなかった。
今年のイシナギも怪物への悪夢も終りを告げようとしていた。
しかし悪夢だけはエンドレス。
我々は、勝手に終わりと決め付けてその後再び乗船する気にもなれなかったが、
聞く話によると、誰も良い釣果に恵まれてはいなかったようである。
春には、"今年のシイラのキャスティングはいいサイズ獲りたいよね。"
などという言葉を新年に交わしたと思ったのだがそれも今思えば、後の祭りとなった。
それでも、1.0〜1.2mくらいのシイラを5~6本上げた。
今年のシイラも良かったそうだ。
これを書き終わる頃には、きっと蟋蟀と鈴虫の鳴き声を聞きながら終えるのであろう。
2011年がもう終わろうとしている、そして我々はまた一つ歳をとった。
人生は短い。
そのまた釣人生は、更に短い。
一生幸せ・・云々、になるなら釣りをしなさいという言葉もあるがこのような夏の悪夢に似た釣りもその幸せを創る過程となるのであろうか。
国家を揺るがす天災と人災、個人に至るまで11月が近づく今日この頃ではあるが、次の計画はもうそこに来ていた。
2012年は、明るい年でありたい。
折れるというより、絶えるという言葉で表現する心は、灰に近かったがまだくすぶっていた。
相変わらず影と闇、陰と鬱なのは変わりないがそれでも人は前にでて行くのである。
名人は本当に名人でした
ありがとうございました
M1295 HARRY'S701-LB5P Stand up Warasa Custom 2004/06/25
今年の異常な暑さからまだ解放されていない夏の終わりの頃にそれを知った。
名人が名人たる所以は、昭和と言われる戦後から更に我が国が先進国へとまっしぐらに進んでいる頃
そして、旧D社が世界進出を積極的に展開している頃の話であった。
唯一と言ってもいいほど、世界中の釣りを紹介する番組に皆心躍らせたに違いない。
当時、海外旅行は庶民の余暇には余りにも贅沢すぎたし、当時のドルは世界最強であって円などとるに足らない
そのような昭和の高度経済成長期は、名人と共にあった。
その後名人と名の付く釣り人は現れていない。
ここでいう名人とは、そう服部 善郎名人の事である。
当時釣りでここまで世界中を歩き、それを日本の釣り人に紹介した人はいなかったと思う。
そんな名人も今年の8月の終わりが近づく頃御永眠された。
以前お会いした時、話の流れの中で
「やあ、もう一度ロングレンジに行きたいねぇ。」
「ねぇ○○○ィ・・・。」
「じゃあ今度は三人でロングレンジにいきましょう!」
と私の心も便乗したのであった。
私の師匠ももう高齢になりつつあるので
いつかロングレンジの夢をまた果たしたいと思った。
「君たちのジェネレーションはまだスポーツフィッシングのなんたるかを理解してくれる人も多いけれど、
一昔前の人はその概念をなかなか理解できなかったから大変だった。」
そう言われた。
ドラグの使い方すら知らない当時の日本人から始まって、セネターのドラグから煙が出て9時間の格闘の末にあげた超巨大ブラックマーリンの話など・・・・・
その時の話は1時間くらい続いた。
また、最後に
「勝浦か・・・もう行くこともないなあ。」
その理由をお聞きしたが詳細は解らなかったままになってしまった。
そのことに関しては名人も多くは語らなかった。
名人のロッド製作に関するコスメの指定は、「コルクグリップ&ブラックスレッドが好き。」
そのお言葉だけであった。
当時は、「リールはアンバーサダーだね。」
流石は昭和のお方。
当時、あのすさまじく高価で庶民のしかも子供風情が手にするにはほど遠い超高級舶来リールであったが
40年以上も前からお使いになられていたのですね。
今はひたすら過去の名声を喰い潰す側になってはしまいましたが。
謹んでお悔やみを申し上げると同時にきっと天国に住んでおられる事を祈るばかりである。
名人の釣りは、昭和の若者や子供達に世界への夢と希望を持たせてくれました。
またその節のご無礼を何卒お許しください。
名人本当にありがとうございました。
M1288 HARRY'S 702-UM1 Mebaru Custom 2004/04/12
儚き偶像の彼方-V-に続く・・・