楽園の終焉U2011
The end of paradiseU

人は目に見えぬ不安と恐怖に畏怖を抱きつつも、
それをできるだけ見ないようにする。
理想は高くどこまでも天上にあるが、現実は深い闇の中にある。


それを地獄と呼ぶのだろうか?
その疑問は、幼少の頃から変わっていない。
ただ知識と言う余計なお荷物だけが加わって、表現が大人になっただけだった。
そしていつの日かそれすら判らないようになるのであろうか。
そこにあると思わしき楽園を目指したものの・・あるのは
荒涼とした乾いた心の大地と何もかも無に帰す恐怖、底知れぬ畏怖とが交差する。
末法の世には、正義も心理も倫理も遠く、ひたすら己の快楽の中に生きようとするしかないらしい。
しかし、その果てにも見えるのは果てしない無限地獄なのかそれとも永遠の闇なのか。

Baliの神々が我々を歓迎して待っていて下さる確信はどこにも無いが、そうあって欲しいと願うのはここに来る旅人の誰もが願う事である。


 楽園それは、誰もが願う僅かな希望。


 それでも儚き刹那の夢と希望、何処までも延々と闇は続く・・・・。
闇の底に行きついた我々の人生が、その底の中で蠢いる。
決して脱する事のない深い闇を地獄の底と表現したら良いのだろうか。
 地獄があると思えば決して今を無駄に生きようとはしないのであるが、それに確信が持てない我々は、ついつい
自分を中心として生きてひたすらに目の前の現実を行く。
人はそこから抜けだそうともがき、ずり落ちて行っては、またそれを繰り返す。
深い底なしアリ地獄のようなもの。
そんな悪夢を見たことはないであろうか?
私は幼少の頃よく見た。
地獄絵図の恐怖であった。


 カースト制度がまだ生きているこの国の事情は、疲弊衰弱したとは言え世界最高峰の経済大国の面目をとりあえず保とうとする我が国とは少し異なる様子だったようにみえる。
我々は、またこの国を目指して、その目的地に到着してしまったのである。


 相変らずの空の旅は疲れる。
もちろんそれは、エコノミークラスが定番の話なのであるが。
 それは、乗る時よりも、むしろ降りる前にビジネスクラスを通る時に実感する。
左側の席は、九州出身の青年で歳は30という。
 なかなか個性的ない出立ちである。
右側の席は、格安団体ツアーと思しきおばさんでこちらには全くの関心ない感じ。
(まあ他人なので当たり前といえば当たり前なのであるが、それは人によって個人差があるのか)
青年のほうは、その奥さんが蒲刈島出身ということを聞きなんとも少しびっくりした。
近くの島である倉橋島は、我が先祖の生まれ。
どちらも蜜柑の産地であるが、彼は蜜柑については良く判らなかったみたいだった。
なので、あまりその話はしなかったのだが、今では有名になったらしい超ブランド蜜柑の“石地”の蜜柑畑に幼少の頃何度か行ったのを思い出した。
当然三十数年以上も前の話である。
 石地は父の母方の姓で親戚にあたる。
今ではそのブランドは、おじさんの元を離れてその名前ばかりが有名になったらしい。
量産化の弊害というかメジャーになればなるほどそのクヲリティに差がでるのは常であるみたいだ。
もちろん、それが返ってさらに良い品質を生む場合もある。


 今年のバリは、昨年よりも蒸し暑く無い気がする。
それもそうだろう、外気温は27℃と想定したよりもはるかに低かった。
 それぞれ違う場所の席にいた仲間をゆっくりと待ちながらモタモタと連絡バスに乗り込むと、どうやら釣人というおっさん達は、やはり我々だけだった。
小団体ツアーのおばさん達と若者、そして明らかに不倫と思わしき男女。
現実は、様々な思いと都合によって集まった日本人というだけで、今日の日本国が抱えていると同じ日本人達の様々な事情と環境の縮図に思えた。
 その中には魚という文字は遠いようだ。
唯一の共通点は、日本人である事だけのようである。
まさにそれがそのバスの中にあった。


秋の鯵釣りと余暇(少年とマアジ)
狂気の中の冷静
冷静の中に狂気が存在するという。
日常の中にも冷静という名の怪物。

秋もそろそろという季節のある日


「お父さん、今日は鯵釣りにいこう?」
と末っ子が言う。
「ええーえっ…。」
「アジかあ…。」
「なんかめんどくさいなあ…。」


ああ、きたきた、彼の釣り行こうモード。
最近夕飯を済ませると、ゴロリと横になりたくなり、メタボ親父と呼ばれてかっこ悪いなどと言われる始末。
おまけに禿げと言う言葉は、ひじょうに余計である。
典型的なかっこ悪い親父の代表格なのだろうか。
そう子供に急かされて、いやいや親父は道具を引っ張り出しにかかった。


「面倒くさいから●●イングでいい?」


「いやだぁ、面白くない。」


素直で率直なご意見で●●イングは却下された。
子供にゲームの楽しむという事に関しての手段は、そう重要ではないらしい。

のべ竿に道糸、電気浮き、袖5号にハリス0.8号このコンビネーション。
釣りの基本中の基本である。
のべ竿は、共産主義経済大国製の700円程度だったか。
こののべ竿を見ていると、また昔のことが思い出された。(よく回想してすみません。)
 それは、35年以上も前に私が叔母の所で買ったのべ竿の事。
日本製の300円の竹継竿であったが、今はそのような仕事は何処を探しても日本にはおそらくないと思う。
もちろん並継。


 疲れたと言い訳らしくない言い訳を言いつつも"鯵釣りいこう"コールのプッシュに負けてとても重くなりすぎた腰を無理やりあげようとするも、心はヒケヒケであって。
鯵釣りかぁ…寒いし…疲れるなぁ……。
その後のしごう(下ろし作業)は、親父の仕事かぁ・・・・・・・。
ますます不満の親父で、ぐうたらと言ったらしょうがない。
一体何時からこんなにぐうたらになってしまったのか。
ジンタのしごうがそう面倒くさいと言うようになったのは。
早速とも言わないが、近所の餌屋さんに立ち寄り刺し餌のみを1パック購入する。
シンヨウさんでまた少し立ち話。
子供はこの時間はどうでもいい時間である。


 「お父さんまだぁ?」


釣り場に一刻もつきたいわが子と付き合いモード最頂点の親父。


 確かに35年以上も前に行った父親と港で行ったママカリ(サッパ)、コイワシ(カタクチイワシ)、サバ釣りというのはものすごく面白かったのを良くいまだに覚えている。
それは昭和の40年台終わりから50年初頭の事である。(当時はグランドファミリアがまだ走っていました)
 その頃、叔母が“釣り具屋さん”という商いをしていた。
保育園の頃からだったからかなり前からと言う事になるがそれは40年くらいも前の話。
丁度入り口から右手側端に竹竿が並んでいた。
それがその300円〜竹竿だったと記憶している。
左側には当時の流行である振り出し投げ竿にリールが付いたコンボ(セット)があった。
リールは今思うと叔母さんが適当に付けたものだと思う。
 そして糸付き。(糸も叔母さん達が巻いたに違いない)
このコンビは叔母さんのオリジナル?という事になる。
今でいえば店長お勧めのショップオリジナルコンボという事か。
 リールはオリムピック製かリョービ製であった。(現在はそのどちらも生産を辞めている。)
ロッドは日本製だったが、しかしはっきり言うとそう良い作りではなかった。
特にガイドは富士のセラミクスガイドが付いていたかもしれないが、案外とあっさりリングは飛んで無くなった。
多くはフレーム割れから中のリングが欠落というパターンだったと記憶しているがそれも私が児童と呼ばれる歳の頃なので定かではない。
 その割れたフレームのみで釣りをしたこともあった。


 店の正面奥には、オリムピックのリールがガラス戸の中にあり、シマノは出たばかりだったか何台か在庫していた。
そのまた近所には、小さな商店がいくつかあり、釣り場から子供の足で5分ほど歩いた処、叔母さんの店から1分少々の店、そこで“トビキリサイダー”を買った。
とても美味しかったのだが、飲み切れなかった。
トビキリサイダー・・・また飲みたいと、ふとたまに思うのだが最後に飲んだのは2011年から遡る事30年前くらいだったかもしれない。
そのまた近所には小さな井上ストアというのがあり、そのまた近所にはおばさんが商いしているお好み焼き屋。
天ぷら屋さんが2件ほどあった。
 (祖母の話によると井上ストアも魚屋そごうも今は廃業しているとの事である。)
好きだった鯨の串天は、確か20円から30円だったと思う。
クジラ肉には醤油味醂の甘い味がした。
鯨カツもあったがこちらの串の方が好きだった。


 通った小学校は、廃校となった呉市立鍋小学校。
実弟の話によれば、今から数年前には、廃校になっていたらしい。
 呉の港の潮風を受けて的場の丘高く・・・・・そびゆる我らの鍋小の・・・・・・学びの庭に日は来る。
という歌だけが遺産になりつつある。
校歌は、空と海のとの・・・・・で始まるのであるが母親もそれは良く知っている。
なにせ母はその小学校を戦中戦後通っていたからである。


 と…いろいろと昔の事を考えながら、末っ子と着いた地元の港。
水汲み反転機能付きバケツと、のべ竿2本それに仕掛け入れと小さな簡易クーラーボックス。
もくもくと支度をして子供とのべ竿を1本ずつ手に取り、試合開始。
 近頃の刺し餌は、硬くて身落ちしにくいので若干の感動を覚えたが、すぐにそれが浸透圧調整で身を〆た事が解った。
おそらく、子供の頃、アナゴ釣りにサバを塩で〆て短冊にしたのと基本的には同じ理屈だろう。
 少し舌で舐めて見ると糖質な甘い感じであった。
電気浮が時々ギュンと下降すると、仁丹(小アジ)が釣れた。
時折20pクラスがかかると少し糸鳴りがして、締め込んでくれた。
流石に青物。
これが20kg、30kg、40kg、50kgとなると・・・・・・。
容易に想像がついた。
だが今から35年前は、想像すらできない事であった。
がしかし当時は、それはそれでとても楽しかった。
既に35年以上も前にその興奮と感動を経験した私にとっては、その当時と同じ感動は今こそ無いが、その息子は体験中なのかもしれない。
そのジンタ釣りの経験は、後々になって彼の心の財産になるのであろう。
だが、それを持ち帰ってから下処理するのは、やはり大変という言葉に置き換えられるのであった。
今は岡田師匠方見の小出刃があるのでそれでサッサと下す事にしよう。
そう思うのであった。


「さあもうええかげんに帰るで。」(さあもういい加減に帰るよ。)


「うん。」


「ぶちさぶいけん、ホットでもこうてかえるか。」(ものすごく寒いのでホットドリングでも買って帰ろうか。)


田舎の町ともなると自販機の圧倒的勢力は、赤と白のツートンカラーのアメリカ最大の飲料メーカーのものが多い。
したがって選択枝はそう多くはない。
特にコーヒーとなるとTVCMとは裏腹に、個人的な嗜好性とは全く合わなかった。
息子は、車に乗るさまキャップを開けて、一口二口と口に運んだかと思うと直ぐに子供は寝ていた。
子供の電池が既に底を尽いていたのだろう。
アイスボックスの中にはジンタが80匹ほど入っていた。
 明日の下ごしらえは親父の仕事である。


勝浦といえば、ゆるキャラ"かっぴー"


 勝浦と言えばカツオだが、釣り人の多くは港で釣る小アジがメインだろう。
2011年の秋も10月の中頃の事
「ジンタ釣りでも」という事になり、大人三人で性懲りもなくコアジ釣りとなった。
H氏は、時折、ギュンと消し込むウキを見て


「ああアジ科、GTとおんなじだなぁ。」


それを何度か言ってはまた仕掛けを投入した。
よほど魚が好きと見えて、一生懸命ウキを見つめては小アジを釣るのであった。


脱帽・・・。
それに比べてすっかりお疲れモードなのはやはり私であった。


「ああ・・GTねぇ。」
H氏はしきりとなにかぶつぶつと言っているとおもったら、これがGT云々という事みたいだった。
これの何百倍の鯵だから、恐ろしいとかなんとか。
コアジからそれが想像できるのだから何とも発想豊かである。
確かにそれは当てはまるかもしれない。
 トップ(水面)に水柱を立ててルアーを咥えると一気に急降下する。
それをH氏は、自ら潜って浪人者の急降下を観察したと言う。
恐れいります。
名人殿。
私には、そのような事から一気に飛躍できる発想が足りなさ過ぎる秋であった。
 その日は、豆ジンタンばかりであったが彼は面白い事を更に言ったようだった。
“小人(コビト)になりたい。”
なんと発想力豊かな方でしょうか。
この人は。
よほど、お魚というものが好きなのか。
とその次に言われる言葉が決まって“さかなくん”なのは彼しか皆知らないという事に限りなく近づくのであろうか?
私にはそのような想像力もファンタジーもないのに。
でもいつも恐怖と不安の念は付きまとう。
当然カッピーからは、その親父が考える夢の続きは現れなかった。


-バリ到着-
Darkness of a solar empire


我々御一行は、到着してイミグレをあっさり通過したあと、勝手に荷物を持って行ってはやたらとチップを迫るポーターに「1000円ください」と手を出されて迫られた。
それを払うか払わないかは我々次第という事になるが、彼らのカモは日本人におおよそ絞られているのは想像がつく。
そこをH氏が適当にあしらう。(ここは百戦錬磨の忍者君)
強気にでると案外と彼らは、そそくさと引き下がった。
元々日本人のお人良し具合を利用した姑息な商売に過ぎない。
あっさり引きさがるのは、そこがバリらしさなのかもしれない。


 我々釣り親父一行は、重い荷物を両手背中に背負って、ぞろぞろとゲート外に出た。
すると、そこには昨年と同じ顔のお出迎えがあった。
日本語が通じる国は殆どないが、この国の観光ガイドのユリアナ氏は、ちゃんとした日本語で出迎えてくれた。
 早々に車に乗り込みそこからはホテルに直行した。
しかし、この路の混みようは、何とも昨年よりも何割もエスカレートしている気がする。
氏の話によると、景気が良く相当車の台数が増えたらしい。


 一旦ホテルに荷物を置いた後、夕食に行くと予定を決めてから
昨年も行ったあの訳の判らないレストランへと向かった。
どうでも良いレストランで、これまたどうでも良い接客。


 その料理と言えば、骨ばかりで肉が何処にあるのか解りにくく…
しかも、やたらと出来かけのフリトレーチートス(スナック菓子)のような"天かす"ばかりの揚げバリチキンメインの食事を済ませる頃には、疲れはピークになった。


 眠い・・・。

そのジャンキーレストランは、日本人がやはりカモらしく、白人が来た時との呼び込みのテンションが10倍くらい違うのは笑える。
皿は、100円ショップにも今時あるかないかのような、使い廻しまくった傷だらけの赤いメラミン風皿。
メニューの画像とは裏腹の超しょぼい内容量。
そしてやたらと勧める水槽の中のグラミーだが、これがやたらと痩せていて骨ばかりでしかも不味いのは理解済である。(楽園の終焉T参照)
そそくさと自ら安レストランの洗礼を浴びに行った後、さっさとホテルに帰った。

 

 途中雨が降って足元はドロドロになりつつあった。
昨年見たと同じような物乞いの親子を見た。(いや同じかもしれない。)
雨が降っても地べたに座り、子供はビニールシートを被せられていた。
一体これはどうしたことであろうか…。
 しかも、砂埃と排気ガスの飛散するこの路の歩道で。


 部屋に着くなり休憩。
なんと釣師の"師"という言葉からは程遠く、気合を入れようとしても、目の前のベッドの誘惑に負けて横たわってしまった。
なんとも情けないが、疲れた(たいぎいのう)。
エコノミーで7時間、自宅から12時間程度の旅。
ビジネスクラスが羨ましいが身分相応なのはやはりエコノミーであったので誰にも文句は言えない。
隣の別途の忍者もぐうたら忍者になっていた。
しかし、ここで寝てしまってはもう明日はない・・・・ので眠気覚ましにバリコーヒーと言いたいところだが部屋にはそのようなものは無かった。
 しかし、似たものは存在した。
日本では殆ど飲まなくなってしまった(30年前はこれが定番でしたが)ネスレのエクセラの袋を破ってカップにお湯を注いだ。
忍者は飲まないと申したので、自らうだうだと2袋目を破ってまたお湯を注いでからラインシステム作りに掛った。
横には出番をまだかまだかと待ちわびているリアルベイト130ウメイロ(ルアー)が私のほうを瞬き無のその目で見ていた。
処狭しと、並んだ道具達。
ここは釣り具店ではないが、もうこの部屋は釣り具店さながらであった。
なんともこの部屋に似つかわしくない風景。


並んだGTロッド。


大型スピニングリール。


20cmを超える疑似餌たち・・・。


プライヤーにハサミ。

ごちゃごちゃと並ぶ小道具。


そして時々床に落としては、探してしまうスリーブ達。
(特にSSサイズは畳の上に落とすと最悪である。)


 準備の時は、本来希望のひと時なのであるが、特に初日はこれがなかなかプレッシャーであり目途が付くまでは落ち着いていられないのは常であろうか。
忍者の話によると、このホテルは三ツ星らしい。
しかしながら、やはり湯船は付いていない。
簡易っぽい仕切りのバスに加えて、田舎もんの日本人にはなかなか理由が解りにくいトイレの便器が横にある。
もしかして・・・と嫌な事をふと思い出し、シャワーを捻ってみると・・・・・どう捻っても水しか出ない。
ああ再燃、昨年と同じパターンかと思った。
全く意味のない気合を入れて本日も水風呂となった。
少し、塩味はするのはこの島ではどこも変わりないが。
すっかり水浴びで気が引き締まり?準備も順調?風なのでロッドを3セット程組んで寝る事にした。
むろん、いつも通り寝付けなかった。
日が出ると共に目が覚めて、水を一杯ほど飲んだ。
忍者はすっかりお疲れの様子だった。
今まで準備と段取りに大変だったに違いなかったが、仕事とは往々にしてそのようなものなの。
お疲れ様。


 昨年よりも星が一つ上のこのホテルは、白人客が多かった。
確かに昨年よりあからさまに星はひとつ上だぜという感じであった。
 エレクトリック蚊取り線香という通訳は結構笑えたが、ホテルには装備されていたのは星ひとつの差なのであろうか?


朝は爽快?な気がするが、朝食はBaffle Style(バイキング形式)で朝から酒池肉林?風の白人に合わせたメニューだった。
朝ごはんにしては少し詰め込み過ぎてしまったが、これから行われる事でカロリー的には問題ないであろうと決めつけで気にしないようにした。
しかし、高カロリーなのは間違いなかった。
ベーコンにソーセージ。更に目の前で焼いてくれるスクランブルエッグは、ミルクと大さじ3杯以上強のサラダ油と共に焼いてくれた。
クロワッサンにオレンジジュース、バリコーヒー、サラダや菓子パンまである。
止めれば良いと思いながらもそのクロワッサンにミニカップのバターを付けて食べる。
まさにバターにバターをつけるようなものである。

 

 

 

 

30分以内でこれらを平らげて釣り道具をロビーまでえっちらおっちらと運んだ。
途中に何人ものオージーらしき白人に合うが全く無関心。
このホテルには、釣り人は我々だけらしかった。


対決
-DUEL-


 ドライバーは、昨年と同じ顔の人だったがそれが社長という事は昨年も聞いたのであえてそれは聞かなかったがその口調ですぐに解った。
ほどなく着いたマリーナは、一変して一大レジャーランド風?と化していた。
彼が申すのには、バチョがバリボートキャプテンのスターだと言っていた。
実際そうなのだろう。
彼らが目指すボートキャプテンの目標らしい。
サーファーも多いのか、スタッフの若者が我々に対して
「オツカレ〜!」

 

と軽い挨拶をさも軽そうに言い放ってこちらのほうに来た。
いつも接する日本人がそうであるのだから仕方がないがお客に対して
「オツカレ〜!」
という言葉はあまりにも軽すぎると思うがいかがなものだろうか。


 我々から見ると誰がスタッフで誰が取り巻きで、誰が誰か全く判らない状況であったがマリーナはざっと20人ほどはうろついている。
中には制服らしきシャツの人と、まったくの普段着の人が入り混じっているのでなおさらである。
日本であれば、明らかに余剰人材である。
どう見ても若い子は18歳前後と思われるがもっと若い人もいるかもしれない。
 ボートは、釣りの他にダイバーボートもある。
いやむしろ、ダイバーのほうが圧倒的に多い。
簡単なショールーム風のものもあるし、レストラン風の休憩所もある。
そのような中途半端な出迎えの後、我々小団体はボートに向かった。
明らかに手持ち無沙汰な人材が多くみられたが、だからと言って一生懸命働くという感じでもなく、なんとも不思議なマリーナ風であった。
初日の朝からモード全開とは行かないところで、気合と名のつく言葉にはほど遠い。


しかし、ここは既に船上。
後下がりは、当然もうできない。
また性懲りもなくインド洋上に来てしまった。
徐々にボートのスピードは上がってゆく。
そして目的に向かう。


一体そこに何があるというのだろうか。


希望があるのか。


ないのか。


楽園か。


地獄なのか。


そのどれでも無い気がする。


釣場とポイントと名の付く岩礁、磯、島。

ボートが減速気味に大きく旋回する。
きのこ岩(パトロール岩)の名のつく?ポイントの一流し目に入った。


 前衛の2人は、ゆっくりとポイントに入っていくのを確認しながらルアーを打ち込みにかかった。
1ラウンド目は、様子見と行きたいところだ。
潮の流れは悠々と流れてキノコ岩に当ると左右に分かれてまた一つになろうとする生き物のような気がした。
潮下に白く濁って、酸素を供給している事であろう。
如何にもここに定位していそうな雰囲気である。
魚の気配はムンムンである。
しかし、辺りに変化はない。
我々は、3名で打ち込みにかかる。
潮に沿ってゆっくりと船は流れて行く。
ルアーを打ち込んではジャークを繰り返す。
ルアーは、単なる木片から切り出して幾つかの工程を経て疑似餌にしてゆくのであるが、まさにこれはリアルベイト?
 魚にとっては、餌にしか見えないように、そう騙して動きを与えてはまた投げる。
中年男にはなかなか堪える動作であるが、時差が無いというと言うのは、これほど楽な事は無い。
3人のうち、最年長のおっさんは後方にいるのでどうしても前衛2人の叩いた後を流す事となるが
それも承知で覚悟の上。
与えられたポジションで最大の効果を狙うしか、方法はないのである。
 そこもチームワークが問われる事となるが、お互い紳士のスポーツを自負する我々に於いてはこのボート上でのモラルやマナーの心配は全くない。
それが日頃の乗り合いやオカッパリと違うところであり、その部分に気を使うことはない。
ボートは、キノコ岩から少し離れた位置40m〜をゆっくりと流れてゆく。
河川に例えれば、川の瀬にある大石の後下の白い流れの流芯をイメージすると表現すれば
マス釣り師もお分かりいただけると思う。
その流芯を少し外したポジションにダウンクロスキャストして、ルアーを流し操作してくる。


「あああ、いいとこ入っちゃった・・・。」
そう言うと空かさず忍者君が


「ああ、いやらしい動きですねぇ・・いやそれはだめでしょう・・・・。」
そう私が如何にもいやらしい人間かのように聞こえる口調で彼が言った。


ドキドキのポイント一投目には、そのままルアーは帰って来た。


 「あっ!またまたいいところにはいっちゃった!」


「ああ・・更にいやらしいところに・・・・。」
ルアーは、少しずつ下流に押されながらもロッドを上手く操作するとその頭を白い水の中に突っ込んで左右にグリグリと動く。


「ああ・・・それは駄目でしょう!」


途端。


“ドッバン!”


ジャーク数回直後、それは飛沫と共に水柱が立った。
見事に水柱が立ったのが目前に見えた。
それは、瞬間の飛沫に過ぎない水柱であったがスローに見えるのは気のせいだろうか。

「出た!!」
そうヒットコールすると大きく追い合わせを入れて一回目のポンピング、そしてリーリング・間髪いれずに2回目のポンピング、リフト&リールイン。
4回目、5回目と寄せと巻き取り間合いを詰めて行く。
 キャプテンは、空かさずフォローに入った。
一気に船内は、臨戦態勢になり慌ただしく総員配置に着いて操船となった。
ロッド76TCDH-KVG(ロッド)の先には、リアルベイト130gウメイロ(疑似餌)が付いていた。
初期設定は7.5kgだったが何度か寄せにかかるがリールは逆転し、糸は僅かな躊躇後、安定して出て行った。


「もっとドラグを締めて。」
キャプテンバチョがそう言う。


まあこんなもんかな?とも思ったがロッドにまだ余裕はあるし、魚はある程度先に居たので大きく半回転弱ほどリールのドラグノブを締めた。
 ボートのフォローは程よく、アングラーに合わせてよく追従してくれている。
一発目にしては、なかなかの魚らしく、まだまだ試運転中の体にはかなり堪えていたが、一気にアドレナリンと共に回転数を上げてみる。
とそれがなかなかの相手らしく、早10分が過ぎようとしていた。
最初は、まあまあのサイズと言っていたキャプテンの話からするともう上がってもいい頃なのだが相手は一度浮上しかかったがまたもしつこく泳ぎ始めた。


「どうもこいつは変な感じだけれど。」
船は、どんどんと流れて行った。
魚は、反時計回気味に下へ下へと力がかかりどうにもこうにも辛いファイトとなってきた。
そう思いつつ、それからまたさらに数分が経過した。
一度浮きかけたような感じがして仕掛けを回収にかかったが、それから奴はまた下へ下へと先回気味に動こうとしている。


「名人、スピンハーネス出して。」
すでに20分が経過していたので、さすがにキャプテンも大きいかも?
そう言いだしたが、まったく浮いて来ようとしない相手になんだか本当に大きい魚の気配がした。
スピンハーネスを掛けてみたが魚は、相変わらず下へ下へと回り込みハーネスからリールフット、シート本体までに負担がかかってしまい、ついにFUJIのグラファイトシートは破損してしまった。
しかし、ここで慌ててしまっては、元もこもないので落ち着きつつもリールシートを締めなおしてもらおうとしたが、これがもう動かないほど固まっていてネジも切れなかった。
なんとか応急的に取り繕ったが、再び外れてしまうのを考慮し、できるだけシートに負担がかからない様に左手はシート部分を握りながらリフトし、右で少しずつ巻き取っていった。
右でリフトすると肩が悲鳴をあげるので、ロッドの持ち手は左が基本になってしまったのであるがそれが案外と不便であったりする。
 それも仕方のない事ですべてを受け入れる事にした。
すべてを受け入れるとなぜか不安の塊まで呑みこんでしまった感があった。
万事に於いてそれが成立するならば、“喰わば皿まで” という本当の意味が解ったような気もした。


激動の大物
大物とは一体何


 不便と思いつつも、釣りなるものを続けてゆくが、魚の容赦は一切ない。
いや容赦という言葉は、人間側から見た言葉であって、相手は生きるか死ぬかの究極の選択を迫られているのであり、かつ必死には違いなかった。
 思うに、確かにその糸の下にいる奴は疲れてきていると思われたが、ロッドに掛かる重さに変わりはない。
左舷後方に位置してファイトする私にキャプテンは、魚の突っ込む方向に合わせて何度もゆっくりと回してくれた。
そのたび毎にラインは水圧と流れも受けて出ていった。
それに魚の動きも加算されて行った。
それを何度も繰り返して行った。
体力もかなりの消耗してきた。
戦況は、消耗戦に移りつつあった。


「巻いて!巻いてぇ!!」
とT-氏が声援を送ってくれる。


「ガンバ!」
と体育系の淡々とした声援のH。


流石のキャプテンも
「これはかなり大きいかな?」


などと言うものだから、これは記録級?なんて思ったりもするが、30分以上もこのテンションでファイトしてくるとかなりバテ気味にへばってきてしまい、ときどき竿を置いてしまおうかとも思ってしまうものである。
 そんな弱気の中の自分と、日頃の鍛える習慣を怠って来た反省の念と、ここで絶対に諦めてはならないという昔の苦労した自分がくるくると頭の中を回る。
 ここが踏ん張り時ということろ。
戦闘モードのお陰でなんとかファイトに持ち込めている自分があった。
しかし、この体力低下は酷いもので、自分でもかっこわるい親父だと思った。
 息切れ切れの親父のかっこわるさと言ったらまるでなっていない。
これでは子ども達にメタボ親父と言われても仕方がないのかもしれない。
そう思った最中の事。
そんなさなかに、ネットを準備していたクルーから


「あっ!!!!」
という声がファイトしている私の背後から聞こえた。


「・・・・・・」


少しの空白の時間後


「ああああ、それは・・」
と皆さんの声が聞こえる。


後ろをちらりと見るが良く見えない。
また余裕もそうない。


「網の枠が折れています・・・」


「えっ!? マジ?!」 なんで?!詰めのところでそうなるの?
山頂まであとわずかなのに…。


と思ったが、思考回路はそう働いていないのでなんとかなるとしか思えなかった。
キャプテンはあっさりと
「ハンドランディングで」
と言ってグローブを淡々と用意しにかかった。
 少しずつショートポンピングで一回転、二回転と地道な糸の回収のお陰もあってかシルバーに光った魚体が見え始めていた。
 この段階ともなるともっと早く浮きを始めるのだが、相手は横になって水圧をうけながらゆっくりと浮いてきた。
水中の銀影がゆらゆらと波間に波紋みたいに広げてゆく。
そのうち皆が
「なんじゃあ・・あれ!」

「デカイ!!」


「デカイ!」


の言葉を連発してくれるので妄想は一気に拡がった。
更に海面を覗けるわけではないので期待は一気に拡がりつつ細胞分裂のように増殖するのであった。


「うあゎ・・・やったかな!」


「50〜60s以上いやそれ以上あるかも!」


「リアル畳サイズ!」


「デケエ!!。」


錯覚というのはなんとも頼もしい妄想であろうか?


「でけぇ!」


などと仰せ司るのでこれは、本当にあるかもしれないとへんな期待をしてしまう。
レコード更新・・・・。
そのような希望は切望となり、現実的になろうとしている。
“これは50kgか60kgを更新か”・・・もはや妄想にも似た感は払しょくできないが。
水の上から浮かびあがる魚影は確かに大きく見える。
浮上寸前の超大型GT。
次第に浮かび上がるGTの姿は期待を更に膨らませる。
がそれも束の間、リーダーをバチョが手際よく取る頃になるとその言葉は徐々に消えていった。


「ああスレ?」


「あっ、スレてる。」


しかしこいつは重かった。
40分近くかかったらしい。
バチョが尾柄部を両手で掴み、もう一人がリーダー側を掴む。
ふたりがかりでボートに上がったGTはやや大きめの成魚サイズ。
良くみるとリアルベイトの背中、腹とヤツの歯が立って穴があちこち空いていたがテイルフックは下あごにかかりフロントフックは胸鰭の付け根付近に掛っていた。
これは、珍しいパターンであった。
半スレ状態であったが、水圧をもろに受ける態勢のままやり取りというのはかなりの消耗戦であった。
GTは、殆ど動かなかった。
いや動けなかったと言うのが適切な表現かもしれない。
呼吸さえできるのかどうかも微妙な状態で横たわっていた。
私は、息を荒げてぐったり、というか鰓も動いてはいなかった。
60kg…もはや春の夢の如し。
三日天下ならぬ40分天下。


それでもロウニンアジは30kgを超えていてふてぶてしい大物の雰囲気をかもしだしていた。
 中年親父は、すっかりぐったりと疲れてしまい息も相当上がっていた。
自責の念はいつもの事で絶えないが、ぐうたら親父は始末に悪い。
心拍数も相当上がっている。
久々に40分ファイトした。
これが毎日5〜6kmでも走り込んでいれば相当違うと思う。

若い頃の貯金とT氏は、なかなか上手い表現をされるが、なるほど多少でも違うのかもしれない。
なんでも良いから若いうちはスポーツでみっちりと鍛えたほうが良いかもしれないと思った。
もちろん文化活動でもそれは絶対プラスになると思うが人間体を動かす事は必要であろう。
当たり前の話で言葉を打ち込む事さえ蛇足な事に思えた。
 ランディングが終わってから既に5分以上が経過しているにも関わらず親父の呼吸は、乱れたままであった。
水越しというのはなんと夢と希望を持たせてくれるのだろうか?
そこには想像が膨らむ。
夢の中の空想から現実が浮かび上がるかの如く。


その碧い海の中に光る一点。


人の希望もそうようなものなのであろうか。


それは言葉では余りにも相応しい表現ができない自分が悔しい。
それだけ人は夢を見たがり、その夢と興奮はいつまでも永遠に続くように願う。
なにかにすがりたくない気持ちの持ち主でさえも、きっと藁をも掴むような心境になる事がある筈に違いない。
それが聖者ならば悟りというのであろうが凡人には、それが何であるか解らない。
これが今回の幕開け開始5分後の1本目となった。
開幕戦の1発目にしてはとてもディープでヘビーな洗礼であった。
しかもそいつの腹鰭には、疑似餌の腹側のフックがキッチリと掛っており、釣り糸の力がかかる方向が通常とは大きく異なって必要以上に魚と釣り人との力を奪っていった。
これが腹のフックが下顎に掛り、テイルフックが腹鰭側であれば大きく状況は異なったであろう。
そのような、オープニングで第一幕を開いた。


 キャッチ後10分が過ぎた頃、息も幾分整えて調整するものの、再び竿を握る事はまだ出来ていなかった。
やり取り中後半戦にスピンハーネスを掛けたが、テンションが嫌な左斜め下を回転方向気味に負荷がかかった。
そのお陰で富士のグラファイトリールシートDPS22を痛めつけ、変形破損してしまった。
これには流石に焦ってしまった。
試合中は何が起こるか解らないので冷静沈着さは、決して忘れてはならないのだろう。
そう思った。
762-DH-TCS-KVGは、大変良い仕事をしてくれて幸いキャッチに至る事が出来たが、リールシートの破損という致命傷を負い後退を余儀なくされた。
彼(ロッド)には、感謝して控室に行ってもらう事にした。
そして、控にあるBG73-TRAVEL-GLと交代することにした。
それから前衛二人は、一言で言えば"一生懸命"に投げ続けた。


この調子だとかなり行けるかもしれない。
私と仲間の誰もが想像したに違い無かった。
眼前には、多くの大型ロウニンアジが並んで待っている。
人間というものは、かくも都合の良い様に考えるものか・・・・。


 しかし、それから我々はヒットに持ち込めなかったのである。
その日、誰の竿も再び曲がる事は無かった。
我々は幾分がっかりしたものの、かなり余裕かつ安易な考えに満ちようとしていた。
これを払拭するようなバイト(ヒット)が明日もあればよいのだが。


 それは、未来は誰も解らないという事の証明のひとつなのだろうか。
未来さえ解れば安易に事が進められるが、決まった未来や運命など面白くも何ともない世界でそれはそれで退屈極
まりない事である。
もし、それが楽園ならばこんなつまらない楽園もなかろう。
そう思ってもみたが、多少の予知能力なんてものがあれば楽しいかもしれない…そう思った。
期待と不安に駆られたまま我々は、本日お世話になった道具達を車に詰め込み帰路についた。


帰りの車は、反省と期待で入り乱れながら、昨年よりも更に加速化する渋滞に幾分疲れを増幅させられた。
バリの都心部はすっかり都会の観光地化していた。
道路の整備は追いついておらず、車線も変わらず信号も殆どない。
交通ルールはもちろんあるのだろうが、日本の交通ルールは殆ど通用しないのではないかと思われた。
そんな中を何の躊躇もなく、オージー達は原付で縦横無尽に走っている。


予想はだれもつかない
それは、相手が自然であるからだ。


-持てる力はすべて出し切る-


 次の日の朝を迎えたが、これが当たり前のように感じる。
それが、平和ということの証明なのであろうか。
明日確実にそれは与えられるという事の保障もないのだが。
 当たり前の空間を平和と呼べない事はない。
ただ、こうしている間も闘争は何処かで繰り広げられている。


朝は、前日と同じパターンとなり、脂ギッシュな朝食とテーブル下の足元に群がるバリの蚊の攻撃。
その痒みにやきもきしながら、前日からの期待と不安の中に精神がある。
心の平和は、当然まだない。


 昨晩も寝つけず、水風呂の洗礼かとおもいきや、蛇口を右いっぱいに切ったまましばらく出し続ける事でお湯が出る事がやっと解った。
 お湯が出始めたらそれを微調整で徐々に少しずつ左に切ってゆけば丁度良い温度になる事を知り得たが、その範囲は、かなりタイトな微調整が必要なのである。
そこはテクニックの見せどころ?
であるのかもしれない。
 そして、それから後に傷んだラインとシステムをチェックした後、明日に備えて寝ようとしたが隣の名人ほど眠れなかった。
なぜなのか、床が変わると寝付けが悪いが、他に理由があるとすれば、あの強烈なバイトと最初の突っ込みの過激さへの恐怖と不安、興奮故なのかもしれない。
そう思いたかったが、いつも床が変わると寝付けが悪い事を思い出した。
釣りの時は、尚更寝付けにくい。


 その日の昼間は、3人で投げまくったけれど、浪人者の気配こそ感じられたが、これがさっぱり捕食してはくれそうもなかった。
手を変え、品を替えと、色々としてみてもどうにも反応は無かった。
もちろん流したポイントはどれも一級ポイントであるのだが。
それがリアルベイトであろうが他のルアーであろうが食わない時は、全くのルアーの往来だけでバイトはおろか反応が全く無かった。
 その夜は、なんとも寂しい結果の夜になったがそれでも気の合う仲間との反省会兼食事は楽しかった。
いや楽しくあらねばならないのかもしれない。
このような時の場の雰囲気はとても重要であろう。


目の前にあるカサゴのフルコースを前にそう思った。
店のオーナーの言葉は、関西弁混じりの日本語であったが時々聞きとりにくい。
時々見せてくれるオーナーの笑顔の奥には、殆ど無い歯が見えた。
 皆と一緒にカサゴの刺身に舌鼓を打ってみる。
「スープが良いですよ。」
とオーナーが勧めて下さったのでそのアラは、スープにした。
 確かに旨かったのであるが、幾分グルソー(グルタミン酸ナトリウム)の濃い味が気になった。

忍者名人にその事を言うと
「この国で味の素はメジャーですから。」
その一言ですべては、片付いたように思えた。
噂には聞いていたがそれほどメジャーではなかろう。
と思った。


 その後、スーパーに味の素とその他に沢山のグルソー系化学調味料が大量に在庫してあったのは、それだけで証明になった。
我が国であれば、それなりの店構えならば、このような手は使わないだろう。


 その夜は、ラインチェックしてそのままと言いたいところであったがラインに傷がないか確認して取り替えるべきところは取り替える事にした。
その夜も短いか長いか解らないままやはり寝付けはしなかったが、それでも疲れのせいか幾分休めた。


孤独なのかそうでないのか


それもその人の心持ち次第であろうか


独りと言うのは、なにかと寂しいもので、例えそれが珠玉の美味なる料理を中心とした食事であったとしても、ジャンクフードを皆で楽しく食べる事のほうが美味しく感じられるのは、人の力がそれだけ大きいという事であろう。


最大の調味料は、心というスパイスなのかもしれない。


東京では、"おひとり様"というお店のシステムがあると聞くが、本当に楽しいのかどうか一度検証してみるしかない。
日本の大都会では、独りのほうが、煩わしさがなくそのプライベートな空間を持つことが出来て自分だけの我儘を許される時なのか。
その時が、唯一の至福の時なのかもしれない。
それは、それで良い点もあるかもしれない…とも思った。


 釣りに於いては、独りでじっくり自然と対峙して釣り糸を垂れるという事もあろう。
そのような時は、人は独りであろうが、決して独りきりではないという事である。
波の音やとりの鳴き声、小さな虫達そして、その先にはいつか来るのであろう魚達がその海原に泳いでいる。
1対1の戦いにドラマもある。
故に単独釣行の場合は、孤独な釣り師というよりも孤高の釣り師でありたいと思ったりもするのである。
たかが釣りなのであるが天上天下唯我独尊な時なのかもしれない。


本日のボーズな夜。


三人並べて丸ボーズ。


そのような結果であっても、ラインとタックルのチェックは怠らず明日へと備えた。
その日からなんとなくお湯のシャワーが浴びられるようになった。
それは、なんとも贅沢な南国の夜であった。
隣がおっさんであっても、忍者であっても歌舞伎者であっても、独りよりは、楽しいものである。
独りというのは会話もできないし、壁に向かって独り言を言うようになってしまえば恐らく心をものすごく病んでいると言うことにもなりかねない。
多少寝付けなくても、工事の音がうるさくてもそれは独りに比べれば何でもない、という事になる。
そして隣には、やはりいつもの後輩の顔がその両目を閉じてお休みである。


GT釣り連チャン・・・強化合宿


それでも3日目の朝はやはり来てしまい、日の出と共に早々に目が覚めた私は、やはり備え付けのインスタントコーヒーの口を切ると瞬間湯沸ポットで沸かしたお湯を注いだ。
ここら辺は、日本の生活とさほど変わりない。
ここに轢きたてのバリコーヒーがあればなあ…。
毎度の事のように同じ気持ちになる。
テーブルには果物のサービスが置いてあるが、それを同室者である名人が食べようとはしなかったので、私も手を付ける気になれなくてラップが掛ったまま三日が経とうとしている。
リゾート風ホテルなのだが、隣では新しいショッピングモールらしき建物の工事が夕方から夜間までガーガー、ギーギー、バッタンと工事の音を立ててくれてお陰さまで雰囲気はぶち壊しだった。
しかし、それはそれで受け入れられなければ場所を移動するしかない。
おっさん達には、毎日脂っこい朝食バイキングに多少胃もたれもあってか日を追う毎に食事は微妙に減りつつあった。
ふとお隣のオージー親子のほうを見ると、スクランブルエッグ3個攻撃には、さすがについていけないと思った。
 それにも増して、衝撃は、その卵を焼くフライパンにはお玉一杯分くらいの大量の油が注がれて揚げ焼きのようになっていた。
スクランブルエッグが完成する頃にはその油をすっかり吸ってそのまま皿に盛られた。
 オージー親子はそれにベーコンを乗せた。
そしてその皿のサイドにはソーセージが5〜6本添えられた。
私がメタボ親父ならば、彼らはギガメタボ親子と言う事になる。
カリカリベーコンにソーセージ。
いつからそうなのかは解らないが、日本のベーコンはそうカリカリに焼ききってしまわない。
脂肪層にしっかりと脂が残っている状態である。
誰か理由を教えて欲しい。
 目玉焼きに菓子パン。
それをバリコーヒーで喉に送り込む。
(この少しばかり苦みがあるこのブラックコーヒーにこの菓子パンがまた合うのだ。)
高カロリーメニューは口に運ぶまではとても良いが、その後は不快になるばかりか更に脂肪を増やすだけであった。


もたれ気味の胃のまま部屋に戻ると、早々に若干の不快とも何とも言えぬ胃腸と共に連れだって
ガチャガチャとロッドを束ねて荷物を肩に掛けて運ぶ。
その雄姿たるや…と言いたいところだが誰もそう思って見てはなかろう。
部屋からロビーまでのその距離は、案外あって一苦労である。
その途中に何人も顔を合わせるが、圧倒的に日本人は少なくオージーと思しき人とは頻繁にすれ違った。
しかし、お互い顔を合わせても軽い挨拶か、そうでない場合もあった。
そんな三つ星ホテルの朝の出発。


 マリーナに着くと即ボートに向かうが、なぜか今日は人の群だかスタッフの群れだかは来ない。
我々で荷物を運びに行くが、ボートに着くといつもの手慣れたメイトの姿が見えない。
事情を聴いてみると彼はお祭りに駆り出されているとの事。
バリのお祭り事情も近年かなり変化して、観光業メインの島になってからは、土日祭日も仕事の場合が多く
お祭りの人材確保も一昔前とは、少し異なって集まりが悪いそうだ。

その彼と替わって、若い青年が一人乗っていた。
割合と運動神経はよさそうな体型であった。
笑顔も決して悪くはない。
目指す洋上は、スケジュールの終盤戦に入ったところ。


緊張の一投から、時は空転する。


空転に継ぐ空転。


回転する心。


回転から迷走へ。


頭の中は、無心と言いたいところだが、
すぐに不安が顔を出す。
それから暗転の兆し。


不安の闇は増殖する。


なんとも早く変わる心。


情けないではないか。


人の心はすぐに変わる。


3人がかりで投げては巻き、投げては巻きを繰り返すが、潮の流れは轟々と流れてはいるが一向に反応がない。
大潮が手伝ってとても早い流れは、急流の大河川並み。
これは困った。


海の上は解らない。


解らないのが当たり前。


心と気合の空回り。


魚は出ない。


出てくれない。


出せない。


出す事ができない。

全く咬み合っていない。


あっという間に1ラウンドが終わろうとしていた。
岩と岩の間をボートが流れに沿って流れて行く。
蠢く碧い龍とでも言ったほうが良いのであろうか。


青に蒼、白きに飛沫。


流れにながれて流されて。


前衛二人も疲れがでてきたのか、多少ペースが落ちたかに観えたが、それでも彼らの真剣さは変わらなかった。
今一魚の反応が無いのがとても気になったが、それも自然の悪戯のようにしか観えなかった。
 ラインを回収して、改めてタックスボックスの中を覗いてみる。
今まで3日間、ペンシル系で通してみたものの、アタリは、リアルベイト130g ウメイロのみ。
この流れでは、ポッパーが良いとは思えないので、ここはあえて20cmミノー100gに替えてみた。
岩との間のチョークな流れから吐き出されるように流れる大量の水は、収まる様子もない。

「今潮があまり良くない、これから。」
キャプテンがぼそりと言う。


何度かボートを流すうち、本流筋に気配がないのが気になりだした。
そして、対岸の際から巻き返すサラシが少し気になった。
ヤツが付いている気がした。
さらに、少し気になった。
釣り人としては気になるところがあれば、そこは必ず攻めるのがセオリーであろう。
"試しに打ってみるか"
そう思った時には、サラシの中にルアーは弧を描いて投入されていた。
このパターンは、ルアーにヒラ打ちさせながらリトリーブが効きそうだ。
そう思った通りにサラシ下にルアーを流す。
20cmという小魚風の疑似餌をサラシの切れ目で横にヒラを打たせて見るとサイドフラッシュが偏光グラス越しにもはっきりと反射する。


一投目、いい感じ。
水際からサラシへとリトリーブ。
連続でヒラ打ちさせる。
"うーん、狙いに狂いがあるのかな。"
しかし、これならイケるかもしれない…そう思えてきた。


2投目
同じように波がぶつかってできる白いサラシの間に打ち込みを試みる。
連続してヒラ打ちアクション&リトリーブ。
反応はない。
ボートはすこしずつ位置を変えて行く。


3投目
"頼むよ"っと念じてはみるものの……。
もっと岸ギリギリにタイトなポイントに投入。
"とても良いリフレクション!"
ボートはゆっくりとポイントを通過する。
リフレクションを二度、三度と入れてみる。
"グワリ"と疑似餌の左下側から巨体が反転するのがはっきりと観えた。


「出た!!!」


空かさず竿を立ててフッキングさせる。
空かさずキャプテン、クルー共反応を見て臨戦態勢に移る。
一度間髪をいれず腹筋に力を入れながら、瞬発的に合わせを入れた。
2度ほどリールのハンドルを巻き、鋭く息を吐き、
追い合わせを鋭くもう一度。
そしてまた2度ほどハンドルを回して巻きあげる。
ロッドが大きく弧を描くが
 リールが堪らんと言わんばかりに、リールスプールが逆転をして悲鳴を上げる。
やはりロウニンアジの引きは強かった。
とてもとても強く、流れも増して更にリールの逆転に加速させた。
あまりイカシテいないリールが、ギリギリというスプールクリック音が耳元から響き脳を刺激する。
機械クリック音なのにその刺激は、条件反射のように脳内を思い切り刺激するのであった。
まるでパブロフの犬。
更にその脳内では、その強力な尾柄部を最速で動かして海中を突っ切ろうとしているヤツの姿が想像できる。
これがあのPENN社のSPINFISHER SSならば、かなり小気味のいい金属クリック音なのであるが、残念ながらこのリールは、その上品な音とは少し遠かった。
なぜか最近のこの手のリールのドラグ音はイカシテいないと思うのは私だけであろうか?
ロウニンアジのエンジンの回転は一気にトップギア。
ロウニンアジの無酸素運動エネルギーは全開。
ふとアスリートに例えると、一体…どのようにカテゴリーされるのだろうか。
400m走者なのか800mなのか。
いずれにしてもそんなイメージを勝手にしてみるが、恐らく経験者の多数は私と同意見なのではなかろうか。


「ドラグもっと締めて…。」
とバチョが言う。


“えっ…もう7.5kg以上は掛っていますが…。”
と思いつつやっぱりドラグノブを大きく締め込む。


ロッドはトラベルBG-73GLなのだが、テスト時では15kg負荷まで絞り切っても折れないのを確認しているので性能的には特に問題はないのだが。
 どちらかと言えば問題なのは、こちら側のおっさんの体力が一番の問題である。
また、このリール正直信頼性は全くなかったのであるがスペック上はドラグ30kgまでなんて記載されているので検証も兼ねて使っている。
 ドラグテンションは、恐らく10kg以上を既に超えていると思うが更にスプールは逆転をして糸は出て行く。
キャプテンバチョは上手く魚の方向と潮の流れを計算しながらボートを廻してくれている様子で少し安心しようとしたが・・・・・・・。


「あのぅ・・・浅いから気を付けて・・・。」
“えっ・・もう相当締めているのだが・・・・”


そこは8本撚りの強力PEラインのなせる技。
わずか6号程度の太さで36kgも直強度があるのである。
躊躇する余裕はないのであっさりと増し締めをした。
ドラグは更に2〜3kgは上がったと思われた。


 キャプテンは、上手くボートを操船しながらGTの方向をうかがいつつも水深のより深い方向にゆっくりと操船する。
流れと魚の引きとボートの操船によってチリチリとドラグクリック音をだしながら糸は少しずつ出ては行くが、ドラグを締め込んだ事もあるのだが、魚の最初の突っ込みを交わし切れたようだった。
 何度かポインピングでゆっくりとロッドを起こしてゆくと少しずつリールインできるようになってきた。
ラインの角度はだんだんと鋭角の方向に進むようになり、浪人者は船の下に来るようになりつつあった。
この魚は、初日の1本目よりも終盤戦がかなり早かった。
いやそれが通常の浪人様とのファイトパターンと思うのだが。
(そうそう40分も掛っては堪らないが)
5分が過ぎた頃になると、魚はボート下に来るようになった。
そして時々クンクンと首を振る感触と共に、曲がった竿がさらにお辞儀をする。


GTの特徴は、別名ヒラアジなどという一種独特の体高をした体型のアジなのである。
その特徴が、ロッドに伝わるパワーに大きく貢献しているように感じる。
何せあの体が横になって水流の抵抗を受けながら上がってくるのだから。
魚の運動量も限界であるが、私も既に無酸素運動は限界。
ゆっくりと息を吐きながらリフトしては、糸を少しずつ回収してリーリング。
間合いを詰めて行く。
そこに相手への隙は与えない。


水鏡の中に光。

太陽からの日差しは強く。


長いグアニン色に輝く。


地獄からの救いにも感じるほどに観えるが、
魚にとっては逆に地獄への引導となるのであろうか。


バチョがグローブをする。
馴れないクルーがどうしていいのか解らないので立ち往生する。
彼の気持ちは解るがこれは仕方がない。
馴れない事での不安は、プロとしてはとても情けないのである。
しかし、ここは既に戦場でそうも言っていられないのである。
上手くバチョがリーダーラインを持って操作しながら魚を誘導させる。
まったく手慣れた様子。
クルーがモタモタとしかし気持ちは頑張っている様子。
バチョがバリ語で彼になにやら指示する。
一度船縁に上げてから、静かに船内に魚を下ろす。


「長いなあ。」
バチョがアジ全長のコメントを言う。

 

 


GTというのは個体差が割合著しい方なのか、このロウニンアジはいやに長かった。
これまた30sを優に超えていた。
長さと比例していれば35以上は軽くあったに違いない。
それでも、30sオーバー2連発はとても贅沢な話かもしれない。
32sと30s強の2本は決して悪い釣果ではないと思われた。
時計を見るとまだ午前11時を少し回ったところであった。


「お昼にしますか・・・。」
バチョが当たり前のようにお昼宣言をしたので、空かさず私はこう告げた。


「いや、折角やっとアジの活性が上がってきたので、ここはご飯など食べている時ではないでしょう。」
「今が時合ならば、続けて勝負するべきでしょう。」
そうバチョに告げた。


すぐに納得してくれたのか、そう思っていたのかキャプテンは、舳先を潮上に向けて引き続き臨戦態勢に入ってくれた。
(そうこなくては。)
3人配置に着くと再びボートは流れに乗った。
期待と緊張感が一気に浮上して、皆の気持ちも幾分引き締まったかのように思えた。
このような遠征での釣りは、そうでなくてはいけない。
この緊張感とスリルは、他のスポーツではなかなか味わえない一種独特のものに近いであろう。
それは、相手が自然の中で野生に生きる生物、とりわけ普段我々が住むことができない水の中で生きる魚類なのだから。
人の狩猟本能に火を付ける。
己の鍛え抜かれていない肉体は、息がかなり上がっていたが、少しずつ整えつつもまたロッドを振りかざしにかかった。
そう休んではいられない。
皆の意見は、満場一致。


 ボートのエンジン音に加えて浪間と潮騒にかき消されてキャプテン、前衛の声があまり聞こえない。
その合間に、途切れ途切れ前衛より声が上がる。
直ぐにキャビンが慌ただしくなるので、私は急いでラインを回収する。
前方の方へ向かうとT氏はしっかりと竿を曲げていた。


“やった”
そう、そうこなくては。


これが醍醐味なのだ。
 本命とおぼしき奴が、そのラインの向こうに闘争本能むき出しにして必死に逃げようとしているのが想像できた。
その引きから想定するに、小さくはないと思った。
そう判断できた。
急いで仕掛けを回収すると、ロッドを艫の脇に置き舳へ移動するとそこは、T氏の戦場であった。
 T氏は、痛めた肘をかばいながらもとても良いファイトをしている。
中年のおっさんに仲間入りした彼の体脂肪は殆どないし、日頃のトレーニングも怠ってはいないらしい。
しかし、今年痛めた肘は痛いみたいであった。
彼とは若き頃の笑い話を良くするのだが、いつも小湊の清澄寺の近くで山籠りされた偉大は武道家の話をする。
「あのローキックは痛いよねぇ」
とも話す。
あの上から大腿の急所を狙った下段蹴は強烈に痛いのは彼も良く知っていた。


難なく冷静沈着にロウニンアジを上げてしまった彼にはまだ余裕の笑みがあった。
さあさあ、これからだ。
これからが本番なのだ。
早々に撮影を済ませると迅速にリリースをする。
何とも頼もしい2本目。
これも軽く25kgはあった。
船はまた、ほぼ同じ位置に移動すると潮の流れにそって流し始めた。
そして、更に活性が上がった我々は、キャストを繰り返す。
再び前衛から声が上がり、クルーが叫ぶ。


「えっ? 誰なの?」
そう撮影の忍者君に尋ねると、名人は
「T-氏です!」
確かにそう答えた。


こうなるともはや気運はT-氏に流れて行った感は、確定的であろう。
決して無理しないが、確実にかつ的確に相手にプレッシャーを与え続ける様は、安心して観ていられる。
流石に百戦錬磨のT-氏。
 マーリンマニアが生んだ冷静さと落ち着き。
しかし、その内なる闘志は、尋常ではない。
ロウニン者は、常に休む暇なく負荷を掛けられてもがき苦しんでいる様子。
更にT-氏がポンピングを仕掛けて2度、三度と間合いを詰めて行く。
と浪人者が思い出したかのようにぐっ、グッと竿を曲げて伸して行く。
そのロッドの動きに合わせてチッ。チチィー…とリールが鳴いて糸を少しずつ引き出して行く。
 しかし、徐々に糸が出るよりもリールに回収されて行く方が多くなって行くのであった。
勝利は、その目前。
そこにある。
長きに渡って、年齢を積む毎に、経験を積み重ねてゆき、時間と財と、そして知恵と英知と投入して来た彼に全てが味方するようだ。
その後に訪れる、達成感と充足感、汗と歯に噛んだ笑顔。
その全てが羨ましくも見習いたいものだと感じた。
たかが釣りというけれど
人生の大きな礎になる事があり、投入した分だけ天使はほほ笑んでくれる事であろう。

彼がGTを始めた頃は、まだ黎明期から発展期に差し掛かろうという頃であって大手メーカーやそのTV番組でも早々取り上げられる釣りではなかったと記憶している。
まだまだアナログ全盛期な頃であった。
その頃のロッドを彼は再び手にしている。
当時の竿には、必ず富士工業のNSGガイドが付いてあった。
バットガイドはその40径サイズなのだが、あきらかにガイドの方向は順付け方向であった。
しかし、今回もトラブルは殆ど無い。
右往左往される昨今のガイド事情に振り回されない1本であった。
 とりわけNSGガイドが劣っている訳でもないのは、釣り人ならば理解できるところではなかろうか。


-鉄槌の衝撃-
心はいつも折れかかった芦のようです。
 そよ吹く風で根元から剥がれそうになりますが、そこで踏みとどまっています。


 時々刻々と時は流れて行くもので、4日目が迫る頃。
不安もあり、焦りも少しばかり。
朝は同じパターンであるが少しずつ脂ギッシュな食事が胃腸に効いてくる頃で、その量は更に徐々に減って行った。


 人はその人生の中で、自由に体の動く期間というのは案外長いようで短く感じる。
中年ともなると尚更そう感じる。
開高先生の文面にもちらほらとそのような文面を見かけたと思うが、まったくその通りかもしれない。
彼のようにプロの物書きいや、文豪とはいかないが通常のトレーニングと体のメンテナンスが充実している人は、そう多くはいないだろう。
そもそもそれが間違いなのであって、釣りの時だけほぼ全力を出し切るという事であれば浪人者には少々頼りないのではないか。
時間が取れるようになれば体が言う事を聞かず、気持ちは動きたいが資金がなく、資金があるが時間がない。
そのどれかを繰り返したり重複したりする人生。
そのコンビネーションとバリエーションが複雑に絡み合い夢を消して行く。
思った時には、もうこの世にはいなかったなんて最悪な事も考えていかなければ、明日の私はあるという保証は何も無いのである。


 「今日は、いきなり本命のポイントから回りましょう。」
そう告げるとバチョは縦に小さくうなずくとそちらへ進路を獲った。
バチョの横には、現場復帰したもう一人彼の姿があった。

白い歯を見せて彼がこちらに笑顔で答えた。
船は時折、おおきな波で速度を殺しながらそれを乗り切るとまたスロットルを上げて行く。


それを繰り返し、ゆらりゆられて1時間。


さあ、激流のバトゥアバ。


泣いても笑っても今日が最終日なのだ。


なんとも短い遠征の旅。


あっという間に時が過ぎて行く。


この潮の流れは渦を巻きながら複雑な潮流を生み出して行くのであった。
そして我が経済大国のこの休暇のシステム、流れはどんなものだろうか。
これを再び人生に置き換えてみても、またまた同じようなもので、何事もそうチャンスは多くはないと思えた。
その一瞬にかける事が必要な時が必ず来るのである。
ファイナルというのは、まったく気合が入るものであるがそれが空回りである時が最も恐ろしい。
三人衆は、いきなりの本命ポイントでの真っ向勝負となった。
本日の釣りに遊びはない。
いきなりの王道のあの場所。


白い泡と水の青の流れ。


全力を出し切るだけである。


この場所。


ところが・・・である。
これまた本命場所であろうが、時間がどうであろうが、またまた音沙汰がない。
「GTがラマダン(断食)になったかな。」
バチョが半分冗談とも本気ともとれる口調で言った。


それから皆で投げまくってはみたものの(うち最年長は、かなり休み休み)水柱が立つ気配はある気もするが立たなかった。


「ダメみたいね。」
そうキャプテンが呟く。
流石にその一言は折れかけた心にグサリと響いた。
「ポイントを変えます。」
そうして舳先を変え、いつもと反対の経路パターンを取った。


その後ドーナツ岩を叩き、有名ポイント並びに小場所を叩いて回ったが何のアクションも起きなかった。
どうせならと王道のルアーを外し、まったく実績の未知なるシンキングペンシル(疑似餌)をその先につけた。
もう諦めなのか、まだ期待しているのか、ヤケクソなのかもう複雑入り組んだ心の中は自分でも良く解らなかったが諦めが支配してくる頃には違いなかった。
BG73というトラベルロッドに格安あのリール。
それに8本撚り系の高強度ライン&信頼のあるナイロンリーダー、その先にあるスリーブもリングも信頼性のあるものが付いているがその先は未知数のウッドルアーという最強にして超アンバランスバリューのタックルで挑む。
これはこれでものすごく勇気のいることであった。
なんせ一年に数回もあるか、あるいは数年ないかのチャンスの中ですべてバランスの良い今ある最高の状態で挑むのが当然の中で、このアンバランスタックルは一か八かの賭けでもあるのだ。
しかも、それを誰かが提案した訳でもなく、指定した訳でもなく、嗾けた訳でもない。
自ら課した変なフィールドテストとでも言えば良いのだろうか。
 勝手なテストというのは、これまた面白い事なのかもしれないと思った。
なぜならば、それには利害関係もなく、依怙贔屓もないので単純に面白い。


「さてと。」

と投げてみるも、BG73からルアーを投げる度にそのボディはパラパラと捲れだし、あろうことかスローシンキングなのにスローフローティングではないか?
しかも、指定フックでも一番重いものを付けたにも関わらず。
これが最悪なのかと思いきや、案外面白い動きをする。


これは、面白い!


微妙な浮き加減は計算してはそう出せるものではないであろう。
偶然というか不良と言うかなんと言うか。
とても面白いスローフローティングでサイドにスライドしながら左右にダート気味にヒラ打ちするこのアクションは、計算してできるのであれば是非製品化して欲しい?
とまで思った。


それから小場所をタイトに攻めながらも反応はなく、とうとうキノコ(パトロール)に着いた。
通常ルートならば、朝一番の大場所である。
なぜかルアーを付け替える事もなく、そのままその微妙なるアクションの非良品ルアーを投げてみた。
キノコからは大きな白い潮の流れが出来ていた。
ここの今現在の潮の流れのスピードがかなりある川の流れのようにあるという事は誰でも悟り得る事ができるこの青白い流れ。
期待は、おのずと膨らむ。


人間というものは、なにかと自分の都合の良い方に考えるもので、この場に及んでも、浮かびあがる雑念と共に超巨大な水柱の妄想を描く。
キャプテンは、流れを読んでボートを廻し、上手く潮に乗せる。
岩がまだまだ我々の射程距離前方に位置してからキャストを開始する。
当然舳先は、流れの下に向かって向いているので前衛からポイントに近づく。
後方からは、キャスティングする度毎に発せられるロッドが空気を切る音と低い呻きのようなライン放出音は聞こえないが、なんとなく“気”が空気に乗ってこちらにも伝わってくる。
私は、後衛に位置し射程距離を詰めてから、岩に向けてキャストする。
前衛からは、岩から下流方向が見えてその流芯を跨ぐようにクロスキャストする光景が浮かぶがこちらは、まだ岩の上流側のサラシしか投げる事が出来ない。
それでも。
とキャストをしてみる。


サラシ際にできるだけ近く、しかし近すぎるとバイト後すぐに岩の根に擦れる事が推測できるのでできるだけ岩から遠いサラシのギリギリで掛けたいところである。
疑似餌は、なんともゆったり気味に左右に首を振りつつ水面下を潜って泳ぐ。
決して早いアクションではない。
なんとも、やる気なさそうなアクションであるがそれがまた弱ってのた打ち回る小魚に見えればそれはそれで良い。
なにせ餌に見えなければただのゴミ、漂流物でしかない。
この微妙な浮き加減なウッドルアーは、ジャークすると左右にダートする。


面白い。


何度投げても面白い。


これが量産できて正規品であればなおさら面白いのであるが。
 これを偶然と呼ぶ。
よって、今後は製品バラツキによっては同じ様な動きであるスローフローティングルアーができるのであろうが、なにせこのバラつきのまま出荷されるのだから、この偶然を商品化することも恐らくないであろう。
実に勿体ない話なのかも?しれない。
だんだんとボートと岩の距離は縮まってくるのだが、“これはヒットしても難しいかな?” そう思えるポジションになって来た。
しかし、やはり釣り人は投げてしまうのであった。


 ボートは潮の流れに乗って徐々に流れの流芯から流れ出す一番良いと思われる場所に入りつつあった。
前衛にとっては、最高のポジションになる。
後衛からとなると、フルキャストすると岩の壁に当たりそうな距離にある。
サミングを入れながらサラシ際前にルアーを落とす。
空かさずリーリング。
際どいところをサッサとアクションし、サラシの白むところと海の色との際まで操作してくる。
ヒットはない。
がここでは緊張の一瞬である。


また同じようにキャスト。
偏光レンズを通して、ルアーがひらひらと水面下をダートしながら尻を左右に振る。
サラシを超えて海の碧い部分に差し掛かった時、偏光に奴の反転するのがはっきりと映った。


「出た!!!」


やはりここで出た。
ロッドを立てながらアワセを入れる。
安物リールからガリガリという音が、いやジャーッという音に近い。
一気にプレッシャーを与えて巻き取りたいところであるが、まったくの10kg以上の掛ったドラグを意図も簡単に引き出して行く。
船はその間も潮下へと流れて行く。


近い、近すぎる。


これは、不味い。


ドラグを更に締めて行った。
間髪をいれずに一回、二回とラインを巻き取って行った。
そしてポンピング、また一回、二回、三回と糸を巻き取って行った。


近い。


キャプテンは、即岩から離れようとするが、ここでは左いっぱいに舵を切るしかない。
ボートは半円を描くように回り込んで岩から離れようとする。
ロッドを立てて耐えるが糸は、更に出て行った。
ここが磯際の怖いところ。
アングラーは堪ったものではない。
歯を食いしばって耐える。
巻きたいが巻けない。
スッと抵抗が弱まったところで更にポンピングしてリーリング。
更に巻きとろうと踏ん張ってリールを一回、二回、三回。
恐らく12kg以上に締まりきったドラグは、そう快適な回転はせず糸を吐いて行った。
全くガクガクドラグ状態。
それでもこのリールは良く持ちこたえていると思えた。
敢えてソ○○○ガでないところが良い。


 小学生の頃の事「リールはD」とTVでツリキチ三平が言っていたのをまた思い出した。

嬉しさのあまり釣り具店で三平の缶ペンケースを買った。
 確か350円くらいだったように思える。
"感じしびれるDの釣り具"と三平が歌っていた。
今はまったくしびれないが。
当時は心からそう思った。
広島熊野工場製のマグサーボが唸った。
がそれは正直あまり飛ばなかった。
 それでも小学生の希望でもあった。
今からは想像もつかない日本製のバッタルアーも仕方なく小遣いを溜めて買った。
 中でも コネリーとロビンは最悪のアクション?であったがそれでも懐かしい。


 船は、反転しながらも潮に流されて、後衛でファイトする私の目前で岩を通過しようとした。


これは不味い。

とってもまずい。


魚はこのドラグテンションでも、もろともせずに必死で泳いで糸を引きだして行った。
間髪いれずにその分を巻いて回収しようとこちらも必死だった。


ヤバい…。


道糸が擦れる。
擦れているのだ。
もはやボートのフォローは出来なかった。
岩が目前に迫った頃、魚は完全にそれに逆らい岩をクロスして上流へと走る。


ズリズリ……


ロッドがピンと直線に起き上った。
「ああ、切れた!」
「あそこの根で切れた!」
「ああ…!」
誰もが見ていたので説明する事もない。
しかし、そう言う時ほど咄嗟に説明してしまう。
誰もが理解しているのであるが。
説明など要らないのであるが。


バチョが
「仕方ない。」
と残念そうに言った。


理屈から言えばバックさえすれば良いのであるが。
船外機である以上それは無理な話。
そうで無くてもそれはとても厳しい。
己の中に敗北感が充満する。
理由はどうであれ負けは負け。
如何にボートでの釣りは、キャプテンとそのボートの性能に比例しているという事を改めて認識した。
とても強烈な反転の場面だけが己の脳裏に焼き付いて離れない。
とても心臓にも悪い。
あの感覚。

人はいつでも幸せに会える事ができると言うが、自らがそれを絶ってしまう事が多いらしい。
風化した地層のようにポロポロと崩れ落ち風雨に流される。


それが楽園の夢。

夢というのは、いずれ覚めて行くのであるからこれも過去になる。

楽園の夢など夢のまた夢で何時実現するのか誰も判らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 その日、その後は、T-氏の快進撃で


小型ながら追加に追加で数本をキャッチした。
T氏の追加は連発で中小型ながらそのヒット数を確実に伸ばしていった。
それはそれでとても良い事であった。
釣りですらその未来は誰にも予知できない我々。
まして、その先の未来も全くわからないのが我々人間なのか。

 

そしてまた我々の楽園への路は閉ざされた。


とても短い楽園の開門へと向かったのであるが。


またあの、落ちぶれつつある経済先進国へと駒を進めて行ったのである。


-2011の最終戦-鯵-
The last countdown



 12月中頃になっても地元外房では、鯵が釣れ続けていた。
土日ともなると港は、アジ狙いの人々で並び、場所によっては1m間隔のエリアもある。
数年前についに堤防の先端はフェンスが張り巡らされて立ち入り禁止となり、釣り場が幾らか狭くなって人の並ぶ場所は少し狭くなった。
 楽しいのかそうでないのか解らない感じだが、ざっと200人はいると思う。
それは、案外と皆さん笑顔がないからそう思ったのかもしれない。
 しかも隣は閼伽の他人。
後始末の悪いのは必至で、沖アミの臭いが鼻を付く。
そして近くの水たまりからも腐臭がする。
 更に無意味な殺生によって打ち捨てられた干からびたクサフグ達が、無造作に砂に塗れて干物になっている。
わざわざ数十のクサフグの砂味干物を作られるベテランカゴアジ釣り人も居た。
 それは、処理されず放置されているのであろう。
 トイレも歩いてゆけばある距離なのに、海ではなくなぜか港の壁側にて用を足す。
最近港内の看板も新しく代わり、ゴミを持ち帰るように促してはいるが、何の規制や罰則も無いためにそんな事はお構いなしで空き缶やゴミを放置していく人も一人や二人ではない。
車は汚さないが窓から灰は落とす。
そして、その日一番お世話になっているその場所と自然は汚すのには、あまり気にしてもいない様子である。


 しっかりと沖アミは、真水で洗われて新設されて間もない公衆トイレもオキアミ臭いし、洗面所には沖アミと砂が取り残されていた。
全く迷惑な話ではあるが、それは釣り人だけではなく今の日本のモラルの基準が落ちているだけと思われる。
誰もそれを指摘する人もなく、お巡りさんもそこまで暇ではないのか見た事もない。


 ただただ釣り人は多い。
逆に言うとレジャーで釣り場と名の付ける場所があまりにも少ないと言う事なのであろうか。
 人の多いのは仕方ないとして、モラルの改善は必至であろう。

12月も10日の夕方、散歩に出た。
冬なのに少しコマセ臭い臭気が鼻をつく。
港の中をぐるぐると歩いてみるが相変わらずマアジは釣れている様子。
トウゴロイワシとおぼしき小魚の群れがいるようだが、釣り人の多くがアジ以外は外道のようである。
そのおこぼれをもらう為に港内には、何匹かの野良猫が住み着いている。
彼らは、釣り人の後ろでじっと座って待ち構え、おこぼれが確保できると思うと速効で近づいてくる。


 いつものほぼ未処理排水流れるドブ川には、多くのボラが遡上してくるが河口は即港の外側を流れ、すぐその横が海水浴場となっている不思議なロケーションのこの場所ではあるが、その先のテトラまで釣り人は並ぶ。
内側よりも少し危険を伴うのかその比は半分もない。


そんな、場所に突然若者が6〜7人押し寄せ、アジング実践セミナーが開催されているらしかった。
なんとも良くは解らない感もありつつも散歩がてら彼らの様子を伺うが、突然一人の若者が物凄く感動しているのが判った。
 片手には20cm弱の鯵が一匹。
感動がほとばしり、笑顔が見えた。
 彼は次にポリバケツに水を入れようと思案したかと思うと港のスロープを恐る恐る下って行った挙句、スニーカーが濡れるのに躊躇しながらやっとバケツに水を5cm位入れた。
そして、そのアジをそのままバケツ中に入れ、更に蓋をした。
その彼を見ていると35年前後前の事をふとまた思い出した。
 その日、私は警固屋の町沿いの海でマコガレイの30cmオーバーを頭にアイナメ他を何匹か釣った。
合計10匹程度だったか。
小学3〜4年生にとっては、マコガレイの30cmオーバーは記録ものであった。
なんと言っても尺モノ?だ。
その当時はまだクーラーボックスという名のものを持っていなかった。当然魚を〆るという事も知らなかったので当然野ジメ。
また、それを調理することも知らなかった。
 もう誰かも覚えていないが、良く釣り場で会うおじさんやお兄さんとは友達になれた。
その釣り場仲間のおじさんの発言という事だけは記憶にある。

小学生の私:「おじさん、カレイつったよ!ほりゃあデカイでしょう!」
おじさん:「おい、ボーズ!こりゃ活きが悪いのう!カレイ大きいけどカラカラじゃあないか!」
そう、当時少年だった私は、クーラーボックスというものを持っていなかったのである。
欲しい欲しいとは思っていたのだが、そのクーラーボックスは小型でも高額だったように思える。
(日本製がまだ主力で価格も20?でも3000円くらいしたと思う。)

当時のお小遣い50円の小学生には到底、お年玉でも無ければ買う事が出来なかったのである。
したがって魚を入れるアイテムは、ビニール袋かバケツであった。
そこで私が取った行動は・・・。
「おい、M!バケツに水汲んでこい!」
という指示の名の下に結局弟のMと一緒に汲んだ海水にそれらの干からびかけた魚を入れた
それがまたおじさん達の笑いを誘発させた。
おじさん達は爆笑した。

「おい、こんならみいや、水いれてきたで!!」

今思えば、その通りであるが、小学生のやることと言う事で恥はかいてもお咎めなしの歳頃であった。
 そんな事を思い出しながら彼を見たが、どう見ても社会人らしかった。
彼は私が35年くらい前に経験したような事を今30歳前後になって経験している。
 それはそれで彼の今後の良き経験材料になれば良いのだが。


 そんな当時の事なのであるが、幼少時の大きな釣り仲間兼指導者の中には、親切な高校の先生も居た。
良き人間関係が成立した昭和の日本であって、小学生が一人でうろうろしても周りがすべて保護者としてしか見えなかった頃である。
 中には人身売買もまだあった頃なのか、知らないおじさんに声を掛けられて連れて行かれないようにと時々学校や親からも注意があった事も覚えているが、2011年の現代よりも遥かに治安は良かったように思える。
当時は"人さらい"に気を付けよう!というような標語がまだあったように記憶している。
 またあると時には、アイスクリームバーの袋を路上に捨て中身を食べ始めたが、しっかりとおばさんに呼び止められ拾って持ち帰る事を促された。
今そんなモラルの指導をする人が何処にいるのか、全く見かけない。


 その若者のアジングセミナーを観た数日後12月中頃、近所のGT釣師からお手軽にという事で、進洋さんで鯵釣りはどうかとお誘いを受けた。
14日の当日早朝私と彼とでシンヨウさんに向かったが、あいにく天候不順で・・と言うシンヨウさんの一言で中止となった。
 オーナーの心使いもあって、ホットコーヒーをご馳走になった。
冷え切った心まで少し温まったように感じたが、すぐにそれはまた冷めていった気がした。
 取り分けて仰々しい準備もしていなっかったが、背中に大きく2枚貼ってある使い捨てカイロがとても温かい。
ポケットにもそれのミニタイプもありとても室内では快適過ぎる。
早々にその場を引き揚げると、早朝からやることもなくなり、レギュラーコーヒーを淹れる事ができる環境にあっても、釣りに持参する筈のバッグから取り出した缶コーヒーをわざわざ鍋に放り込みガスを付けた。
 しかし、取りだすタイミングが悪くアツアツのまま取り出して無駄を倍増させる。
 そんな今年のアジ科釣りは終わりを告げようとしている。
“アジねえ…”
2011年のすべてが終わった感がふと頭の中を横切った。


塵は塵に…灰は灰に…無からは有が生じる。
それが創造ということなのか。

 ロウニンアジは、アジ科最大で通称GTと呼ばれるようになってからもう20年以上が経とうとするが、その釣りの歴史はまだまだ浅い。


そしてまた釣人は、ロウニンアジなる魚を狙いに行くのだろうか?


 GTは、現地(バリ)では特にその肉に毒があるわけではないので貴重な食料として扱われるのであるが、遠征客である我々は未だ食した事はないし、バリに於いてはその可能性もなかろう。
(メッキサイズは日本本州で良く食しました。)
 経験者の話ではマアジのほうが断然美味しいそうだが、メッキクラスではまあ美味しいとは思えるレベルと思う。


 ロウニンアジ、されどロウニンアジ。


それは、アジ科最大にして最強なのは間違いない。
人はまたそれを追いかけてゆくのであろう。
なんともアジアな釣りであろうか。
それでも幾分マイナーではあるが世界中の人が釣りの対象魚になって来ている。
今後の扱いもアジア諸国か、過去インド洋沿いに植民地を所有していた国々の連中が中心の釣りで終止符をうちそうである。
米国では更にマイナー扱いされる事であろう。
北米最後の州と言われるウルアの州を除いては。
ウルア釣りの良き開拓者は日系人と師匠から聞いた。
現地に行くとそれは頷けた。


ロウニンアジでもウルアでもGTでもカッポレでもそれはそれで良いのだ。

2012年1月吉日

 


- 右利き左利き-


どちらが利き腕かは動作に於いてとても重要ではあるが

 余談の余談であるが、本来左利きの私である。
しかしながら、将来のことを思った両親が殆どの生活に必要な基本的事柄を"右利き"で教育して慣らしていった。
よって少年の頃覚えたことは、なんでも右利きで習い、釣りも当然右で習ったので右投げで覚えた。
 今となっては大変ありがたいことなのかもしれない。


釣りに関しては両親ではなく、教えてくれた人々が右利きという事もあってと思う。
またルアー釣りなるものは、見たこともなかったので“手返しの良さを追求する”などという発想すらなかったのだ。
本来リールのハンドルは、右利きの場合左巻きが基本であるが、我が国では、発売当初から皆右ハンドルに付いていたのもあり、投げ釣りは右投げ右巻きで習ってしまったし、それが当然であるかと思っていた。
(もちろんフルコピーの時代には、左ハンドル専用機も存在した。)
習うより馴れろ、と良く言われるけれど、お陰さまでリールは右でも左でも特に問題なく使えるようになった。


リールは、今現在も店頭に並んでいる時より右ハンドルが基本になっている。
 がその後、左に直して右投げ、左巻きにした。
それも右手首を負傷した時をきっかけに、また更に、近年肩と手首を痛めてからロッド操作が難しくなったこともあり、今は少々格好悪いがロッド操作は左となり、リールは右巻きとなっている。
 この右投げで右巻きとなると、キャスト後にロッドをわざわざ持ち替えてから操作しなければならないという不格好かつ無駄な動きを作らなければならなくなった。
これも仕方がない事であり、臨機応変という言葉で置き換えるようにした。
今後もおそらくそうなるであろう。
 以来私のリールハンドル操作は右から左、左から右、しかし両軸は右と・・・複雑になっている。


 あともうひとつ、いつもリールの話題になると出てくる事柄があった。
そう、もうお気づきの方もおられようがドラグについてである。
スピニングリールの場合、大半が糸の巻いてあるスプールの上端にあるノブが所謂ドラグノブと言われる重要な部品ある。

 その形状は、三菱型もあれば昨今は円形に2枚ツマミ型等もあったりする。
そこは各社様々なデザインとこだわりがあり同じではない。
しかし、その存在する意味は共通であろう。
(一部、ドラグ性能のない機種も存在する。)
その当たり前のドラグという機能は、過去我々は、何の機能か理解していなかった。
取り扱説明書には、確かにドラグ操作の方法は記載されてあったとおもうが、釣りの師匠(釣り場で知り合うおじさん達)のお言葉は、
「おいボーズ、こりゃあいっぱいにしめとかんといけんどぉ。」
であった。
「糸は10号以上巻かんとすぐに切れるけん、そのほうがええぞ。」
ごもっとも。
「まあ、子供じゃけん、8号ぐらいでもええかのぅ。」


 そのような時代とは比較にもならないほどの進化?というべきなのであろうか?
確かに道具の性能は格段に上がった。
とりわけラインは革命的である。
また2011年の現代では、多くの釣り人の若者がドラグの何たるかを多少なりとも理解している事は時代の進歩と流れを感じた。


 他のスポーツもおそらくそうだと思うが、経験値とは裏腹に自己管理や事故によって使えるあるいは動けるパターンは年齢と共にむしろ狭まっていくのであろうか。

釣りにリタイヤは無いと思うが、それでも釣る対象魚は大きく替わる事であろう。


もし40年後も生きて釣りをしている事があれば、ジンタがせいぜいの体力であろうから、それまでジンタが釣れ続けてほしい、いや未来永劫自然があり続ける事が皆の願いである。

-楽園から小楽園へ-

それから解散となった。
私とHの二人はあたらなる旅へ。

 バリの旅も前半を終了し、T-氏とI氏と別れを告げた。
そして、また我々は、次の計画を実現するために居残り組となった。

楽園の終焉U-小楽園への旅に続く


2012年2月29日
浪人鯵の夢にて