楽園の終焉-小楽園の幸福2011
The end of small paradise

人は力なく伏せる時、僅かな幸福でも何処かにあったらと願う。
それは、世の中が余りにも切ないからであろうか。


何処まで行っても、島を巡っても幸せは落ちてはいなかった。
それでも落ちてそうでまた探しに行った。
楽園は遠い、果てしなく遠い…。
NYにも無かったし、泥水のようなハドソン川にも無かった。
西側にあるかもしれないと、西海岸にも行ってみた。
Delaware湾にも無かった。
とても綺麗とは言い難いイーストリバー河口には、都会からのあらゆる邪気を吸っていてそうで尚更無かった。
 流れてくるのは、都会からの下水が混じったいつまでも濁った水とゴミであった。
寒い結氷寸前の道北の流れにも無かったし、四万十の流れにも無かった。
それどころか旧後川の中下流からは、未処理と思わしき下水が流れ込んでいた。
それでもその浄化作用で幾分水質は保たれていて、今でもブランド名は取りあえず保たれている。
 夏の日の四万十下流は、暖かい30℃近い水温の日が続いては台風が来て冷えて、また一週間前後は徐々に澄んで行った。
そのような、蒸し暑い夜の河には、あいつが堂々とその魚体で餌を探しているのであろう。


 バリの河川はと言うと、汚水という汚水の全てが流れ込んでいる感じで大雨の後は島全体のゴミと汚物の全てを洗い流れ込む。
そしてそれは海へと流れ込む。
 流れ込んだ汚水は海で拡散され、自浄作用のキャパ内にあるらしく、少し沖にでれば碧い海の色であった。
人の邪心や強欲なる欲望もすべてこのように流して浄化してくれれば楽園なのに・・・。
今期間中も昨年もだが、この河川の水は綺麗になることは一度も無かったが、それでも沖は澄んで青かった。
 ただ残念な事に、ビニールやプラスチック類は、何時までも漂っていた。
これに関してはその文明の高さの是非にかかわらずその海で見る事になる。
 それは、割合流れの早い外房の海も変わらない。

 複雑怪奇に絡みあった人間関係と、金と欲の絡んだ利害関係の狭間の午後。
なぜか場違いな場所それは、銀座の新築で綺麗なホテルのロビーで話合った時に感じたのであった。
 何故かここは銀座のホテル。
そこは、スーツに身を固めた白人紳士が多かった。
 チェックアウト時に、丁度隣部屋の人と同じ時間に出てはち会った。
70前後の老紳士と20代のモデルのような女性の不思議なカップルであった。
その女性は、老紳士よりもはるかに背が高かった。
彼らは、なんとなく気不味い気がしたのか同じエレベーターには乗らなかった。
非常に違和感を覚えたが、それはそれで都会の一部であろうか。
 残ったのは、気が吸い取られて干からびかげた義と誠、増大する脱力感と無力感であった。
「こんなホテルバリにもあんの?」
と参考までに忍者に聞いてみた。
「ありますよ。」
なんとも当たり前かのような返事だった。
明らかにこのホテルは、バリイスタマラマホテルよりも星はひとつ上のランクであろう。
 そんな、3月の銀座の雨は芯までは冷たくしなかったが心は冷たくした。


-幸楽苑-
その入り口の看板に偽りはないかもしれない。
ただ確信には至っていない。


 福島に始まったこのラーメン店は、会津若松「味よし食堂」がそのルーツらしい。
今や関東から全国へ展開しているらしいが詳細はネットでいくらでも調べられる世の中なので省略することにした。
 アナログの時代であればそのレポートだけで良いものが書けそうな気もした。
もう勝手なお話であるが、それと"一杯のかけそば"という一時話題と物議になったお話とが重複する。
 我が家にとっては、ここの中華そばには助けられた事が少なからずあったという事で、特にお子様セットには大変感謝している。
190円と言う価格が存在したからだ。
今時子供の食事とはいえども190円と言うのは私の知る限りでは見たことがない。
 現在それをオーダーする者は、うちの家族にはいない。
しかし、うちの子供達はすべてお世話になった口である。
少なくとも、我が家の救世主メニューだったと言える。
例えそのカップに注がれたオレンジジュースが果汁10%未満としても。
それは、変わらなかった。


 バリ遠征から既に4ヶ月が過ぎた頃のビックひなまつり最終に近い日、H氏と会った。
釣りのイベントに行ってみたが、我々には収穫というものは全く無いかの如く空しかった。
いや、探そうともしなかったのかもしれない。
 そこには、銀座とは違う欲が溢れていてそれが人間関係をいっそ疎遠へと導いていたからかもしれない。


 帰り道の途中、雨のち曇り午後。
昼食には遅すぎる時間。
"その店に行った事がない"と言うのをきっかけに思わず立ち寄り、今回で2回目の東京駅前店でそれを食べた。
幸楽苑の基本は、何処で食べても同じだった。
彼は、その価格には少々びっくりしていたが、価格の割にそのまた味が良いらしく若干の感動があったらしい。
 食べる事ができなくて、不幸にも命を落とす人々からすれば、何とも贅沢な話であるが現在の我が国ではあきらかに安い。
この時点でこの290円の看板に偽りは無い。
できれば、皆この楽苑でも楽園でもいいから連れて行って欲しい。


 ここのお子様セットに付いているおまけのガチャポンのように。
それが次の日には、忘れ去られて部屋の隅に転がっている中国製の人形だとしても。
ガリガリガリッと音のする一捻りの至福とその末にゴロリと落ちてくるカプセルに詰まった僅かな幸福があったに違いない。
 そのおまけは、時によって様々なアイテムであるがその後彼らが大事にしている姿はあまり見ていない。
彼ら(ガチャポンおまけの中身)は、知らないうちに何処かへ行って紛失してしまい、ある時は半年後の車の座席下から、またある時は、部屋の片隅の隙間の中から、埃を被って出てくる。
たった一瞬の幸せとは、実に儚い。
しかもパーツが一部欠損していたり、紛失していたり、動かなかったり、タイヤが外れている時もある。


 春雨は続き、携帯折りたたみ傘はそのコンパクトな割に、役に立っているようだった。
これまた偶然にもその折りたたみ傘は同じ製品だった。
Hよ、おまえも○○○ロか。
二人してその似たような傘で埃っぽい駅前を歩いた。
ズボン足元の裾が濡れて行った。
中学校の頃、雨の日の通学はいつもこんな風に濡れた。


ずっとこの雨なのだな。


冷たいね。


疲れきった体には、細かく降る雨は更に冷たさを倍増させた。
そんな春の夜は、寂しくも感じた。
いつも都会の道は賑やかではあるが、寂しい。


東京駅は、人の冷たい流れが押し寄せていた。
その寂しい中に人は皆集まる。
そしてその歩調は早く、瞬時に避けてぶつかる事もない。
また、ぶつかっても挨拶を交わす事もない。
そんな大都会。
すみませんと言う言葉さえ忘れてしまったかのようだ。
 これが親切で有名な日本人なのか。


-居残り組-の気持ち


バリ最終戦の後(楽園の終焉Uを参照)。


三つ星ホテルのロビー外から前衛を一人ずつそれぞれ見送る。
一人また一人と抜けて行き、帰国へと旅立つ。
戦友が先に帰国する気分のような気がした。
心の穴が少しずつ空いて行くようであり、実から虚へと心が移動していくような感覚と寂しさを抱きながらその手を振った。
虚と実その2つの繰り返し。
次の日は、我々も帰国となるのだがね・・・。
なんとも寂しく感じた。


 居残り組2人が部屋に戻る。
「ああなんとも寂しい限りだなぁ。」
「ええ私はいつもこんな感じですけどこの時が一番寂しいですね。」
室内には、初日に盛られた果物がそのまま、そこにまだあった。
綺麗に盛られてラップがかかっていたが、結局今日まで手付かずのまま。
 "これじゃあ勿体ないな。"
流石にバナナの一本でもと思って良く見てみると・・・。
果物達は、すべてカビが生えていた。
 「うわ、やってしまった。」
それを見てH氏はと言うと
「あぁ…。」というリアクションであった。
それでそのままテーブルに置かれた。
流石に冷蔵庫に入れておけば良かったと思った。
これを"後の祭り"という。
しかし、どちらもそれを今から冷蔵庫に入れる気もなく、ゴミ箱に入れる気も無かった。
きっとホテルのベットメイキング係もどうして良いのか迷っていたのかもしれない。
「さあ、もうひと仕事するか。」
そう言うとH氏にもその旨が伝わるように声をかける。
ラインシステムをチェックしながらベッドの隣にあるスタンドテーブルに置いてあるチョコナッツバーに手が届く。
 「あんたも食べる?」
一人で食べるのも申し訳ない気がして声をかけてはみたが、即
「要りません。」
とあきられた様子で返答してくれた。
それでもしつこく
「旨いぞ。」
と言うと、ちょっと信じられないという風な顔をされた。
それは、何処のメーカーかも忘れたがインドネシア製と思う。
それに補充されたエクセラの袋をまたひとつ破って、お湯を注いだ。
これだから寝付けないのかもしれない。


 次に竿をセットしてみた。
秘密兵器の登場である。
それは、601-FTS20 20Lbクラスのライトロッド。
通常は、ワラサ〜ブリやシイラをメインに展開するロッドである。
今回はそれでGTを狙う事にした。


 ボートは、船外機で観光用ジュクンと呼ばれるものに近いそうで、それを半開拓で浪人を狙うと言うものであった。
 通常のグラファイトマテリアルシイラ用であれば軽くてシャープな感じではあるが、曲がりの限界は早く、折れる危険性を大きく孕んでいた為にブランクは限界ギリギリまで絞れるSと決めていた。
それは、当初からの計画通りである。
 また、使用するルアーは100gを切る物と決めていた為にこのブランクが採用された。
丁度ヒラマサ等に使うダイビングペンシル系が60〜100gが多く、クラフトベイトの新機種ダートベイト90gが上がったばかりなのでそれも使いたかったので尚更であった。
さあリールはどれにしようか?
新調したPENNのCONQUER8000と予備に例のジャンク8000高級風オフショア風のリールにした。
ジャンクと言っても最早既にGTを2本も獲ってしまったので以降はジャンクと言う言葉は使わないようにしよう。
 こちゃこちゃとやっているうちに夜は更けて行った。


 気が付くとカップのインスタントコーヒーは冷たくなっていた。
エアコンは25℃設定になっていたが、コーヒーはアイスに感じるほど冷たかった。


不味い。


ただでさえアロマの少ないこのコーヒーでは、もう飲める状態では無かったが、予備の袋がもう無いのに気が付いた。結局、この数日間このインスタントコーヒーの殆どは私が開けて使っていたのであることに今更ながら気が付いた。
 飲めるだけでも感謝と言う事さえも忘れていたのかもしれない。
リゾート風ではあるが、その気分ではないので、改めてそれを認識した。
「まあ、どうなるかは判りませんがあまり期待しないでくださいね。」
今更確認など必要ないのだが、名人がそう念を押して行った。
商売柄当然と言えば当然の事なのだろう。
 半分開拓という事は、リスクもすべて含んで理解できなければならないのではなかろうか。
それが出来ない人は、開拓という言葉を使うべきではないと思うが、そもそも遠征だからと言って絶対は無い。
これは、バーチャル釣りゲームではないのだ。
そして、明日夜には引き上げなければならない。
明日の夜中にはまたあの飛行機の中なのだ。
先を考えると疲労困憊な気持ちになるので途中で想像するのを止めた。


 FTS20のグリーンと忍者のブラックスペシャルの竿を2本並べて、明日の荷物を防水バックに詰めた。
きっと今夜も夢を見ることもなかろう。
焦りと不安は常に同室随行のようだった。
まぁ、悪夢を見ないだけ幸せなのかもしれない。


深い底に沈んでゆく。


駿河湾の底のような。


オンデンザメが悠々と泳ぐ深海。


最大級は1t以上あると聞く。

深海の生態系。

時々カグラザメの姿がチラつく。


夢にはそれは出てこない。


ただ出てくるのは、暗闇の中に埋もれた人々。


上を向いてはいれども決して上がる事もない。


永遠の底。

そのような幻覚を見たか見ていないか解らないバリの夜中。

ふと思い出した。
1995年の終りだか96年の終りだったか、サラリーマン時代の真っただ中に書いた文がある。
"川端談義"という題目でA4サイズ5枚程度の短文であったが元々リサイクルとリユースと駿河湾のアブラソコムツ釣りを重ねたものであった。
 ふと深海というキーワードでなんとなく思い出し、それをひっぱりだして読んでみた。
少し恥ずかしい。
今から15〜16年前のもので今よりも配慮の足りない文でいつか掲載しようと思っているのだがそのまま。
 今回追記を兼ねて挿入してみようと思ったのであるが、それも止めた。
楽園から更に遠くなる気がしたのだ。
 そんな事は実際にはないのだが。


-小楽園への道のり-


 やっぱり、幸福な事に同じように次の朝はやって来た。
さらに幸福な事にいつもと同じ高カロリーな朝食が待っていた。
 なんだか判らないが同じようなメニューに開き直った我々は、ソーセージとベーコン、菓子パン。
面倒なので、バリコーヒーを自分で2回ほど継いだ。
いちいちウエイターを呼ぶのが面倒になった。
そこが、忙しい庶民の日本人の余裕の無さかもしれない。
 ユリアナさんがお待ちかねらしいので適当に20分程度でさっさと口に運び、早々に移動した。
もう、口に入れば何でも良いという感じである。
ここまで開き直ればなんの事はない。


 ユリアナさんは案の定、ロビー外で待っていた。
いつもスラックスにバリシャツで観光ガイドとしての出で立ちであったが、今日は少し違っていた。
Tシャツに短パン、サングラス 野外に出掛ける容易であった。
「さあ、出発しましょう。」
ロビー外には、見慣れないしかしどこか懐かしい車が待機していた。
三菱製のワゴンは昭和の香りがした。
昭和60年前後には、このようなデリカが良く走っていた。
 まだまだマニュアルミッション車が多かったと思ったがこれもそうであった。
バリでも最近このような歴史を感じさせる車は少ない。
このタイプの4WDは、その昔岩手で良く見た感じ。
当然この国では、舗装されていない道以外はあまり必要ない。


 車で揺られる事1時間。

沢山のオージーと思しき人が圧倒的多数。
中国人と韓国人と我々日本人が少々。
所謂港も堤防も存在しない。


 チケット売り場は、古い講演台風のものに案内のプレートが貼ってあるだけ。
もちろん、待合室などない。
 ベンチと屋根が付いた簡単な造り。
一体船は何処に附くのだろうか?
疑問は、絶えない。
すると、船が沖に見えて来た。
ゆっくりと近寄ってみると・・・。
直ぐに謎は解けた。

 

 


船外機??
そう船外機4機掛けであった。
ギリギリまで船は近付くと船外機は4機共上がった。
このような大型船外機は日本で見た事がない。
そして更に謎は解けた。
皆さん靴(サンダル)を脱いで、荷物を濡れないように担いだ。
 スーツケースはスタッフが担いでそれぞれが乗船している。
それは、何かを思わず連想させた。
そうだ歴史の教科書にあった、川渡し。
そう言えば水戸黄門にも良く出てきたと思う。
 船のステップを上がると直ぐにサンダル入れがあった。
 レンボンガン島は、リゾートホテルやコテージがあるらしく多くの観光客はそこで何泊かするようだ。
日帰りは、まず殆どあり得ない。

 

 


もちろんロッドを担いでいるのは我々3人のみ。
 更に言及すれば、日本人は我々2人のみ。
ロッドを担でいるにも関わらず関心を持つ人は誰もいない。
 またまた、目的は様々なのは当たり前の話。


2Fに上がっても良いかと聞いてみると、スタッフが問題無いと言うのでステンレスの梯子を上がってゆくと、
そこには、操縦席と6人程度の客が座れるベンチがあった。
 早速上がってみると、オージーと思しきおじさん3人と恐らく英語ではなくフランス語っぽかったカップル2人。
オージーのお姉さんが一人という構成であった。
そこに現れた、東洋人2人の我々。
全く人種の坩堝状態。


 偏光レンズ越しに景色を見ていると、嫌でも視界に入ってくる彼らを見ていると
20分が過ぎたところ前後でフランス人カップルは寝ていた。
歳は私よりは恐らく若いとは思うが40歳は超えてそうだった。
 私のすぐ前の白人のお姉さんは、恐らく20歳前後。
一人旅の様子をペンで一生懸命綴っていた。
ノートは相当書き込んでいるらしく、学生なのか物書きなのかは判らなかったが彼女はひたすら書いていた。
 がしばらくすると彼女も寝転がっていた。
そして異常に長い脚を私のほうに向けた。
皆我々東洋人からすると異常に高いその鼻は、見慣れていない。
丁度寝転がっていると鼻だけが異常に高いのが良く目立つ。
同じ人間なのだが。


 ボートはざっと30人程度を乗せてレンボンガン島へと向かっていた。
船の旅とはいいもの?
かもしれないが、船内は何処も塩水で濡れていて砂も上がっていた。
このシステムである以上は、今後も変わる事はないに違いない。
目的地は皆さんレンボンガン島なのであるが、思惑はそれぞれ異なる。
 恐らくこの中には釣りに関心のある人はいない。
しばらくすると島の湾が見えてきて、船は減速し始めた。
また新天地風の上陸なのだが。
そこは、リゾート観光地には違い無かった。
理想は新天地であって欲しいが現実は、多くの邪な思いを毎日運んでいる。
いつも先に入るのは、邪気に満ちた心なのだろうか。

 

 

 

 

 


-ジュクン-

その胸鰭はまさしくロウニンの刀
果たしてその切れ味は


 バリにはジュクンという伝統的は小舟がある。
元々は現地の漁師が使っていたもので、当然今でもそれで漁をしている人もいると思うが
現在は観光用として多く使われていると聞く。
 そのジュクンで釣りをしてみよう。
ライトタックルで。
と言う事なのだが…。


 船の大きさや安定性、踏ん張りの利き具合を考慮しながらここは、ライトロッドであろうと判断しての本日の釣りとなった。
狙いはGT、浪人鯵。


 船は、ゆっくりと回転した後ギリギリのところまで砂浜に近づいてステップを下ろすと、乗客はぞろぞろと降りて海に入った。
丁度膝上くらいの深さになった。
我々3人も海中へ足を入れて丘へ向かったが、既に小舟が待っていた。
ジュクン?と聞いていたがどうも作りは少し大き目。
それは、FRPでイスが何列か作ってあった。
YAMAHAかSUZUKIか忘れてしまったが船外機1機がけ25馬力だった。
 これも果たしてジュクンと呼んで良いのか判らか無かったが目的は観光の為に作られたものであって漁には使っていないようだった。


 バリ語で釣りはマンチングといいGTはカトッゥンというらしい。
船頭さんに握手してから乗り込み、早速沖に出た。
 船頭さんは、私よりもかなり年上かとも思ったが案外同い年くらいかもしれない。
2時間―丘で休憩―2時間のスケジュールでチャーターしているとの説明をH氏から受けていたのだが、
いつもと違って小ぶりで燃料タンクも小さいのでそう一日中という訳には行きそうもない。
幾分勝手も違うし、規模も違う、移動範囲も当然違うが、ジュクン風で海面スレスレ感もある。
 それはそれで移動も楽しい。
辺りは、ジュクンやダイビングの船があちらことらと点在していて、これは案外釣りづらい場所も多い。
そして何よりも投げるルアーの前を平気で横切ってゆく。
最初サラシ際を打とうと接近するも、複雑な海流と波とで上手く近づけ無かった。
少し遠慮気味の位置からスタートした。
舳先に私と名人の2人が立って複雑に絡んだ流れにキャストする。
疑似餌が表層を叩く(泳ぐ)。
これまた確信すら持てないが、目ぼしいところには必ず二人で叩いてみる。
 魚群探知機もなく、当然レーダーもない。
水深も判らない。
「ユリアナさん、船長は漁師さんだったのかな?」
少し気になったので余興にユリアナ氏を通して船頭さんに聞いてみた。
少しの会話の後、
「昔は漁師もやっていたしトローリングもやっていたそうです。」
なるほど、その話に嘘偽りはなさそうだ。
「カトゥン狙いだからと伝えてください。」
漁師は頷いただけであった。

 その後、めぼしきところは取りあえず投げて探った。

流れの複雑さはうず潮となって船をクルクルと回転させた。
このクルクルがとても釣り辛い。
 2時間が過ぎた頃、諦めムードが漂う。
ユリアナ氏は、このまったりとたるい雰囲気に、すっかりお休みのようだった。
毎日寝不足なのかな。
24時間体制にちかいものね。


 船頭さんの顔もいつまでこんな事をするのかとも思える表情に、あとはこちらが折れるだけという雰囲気になった。
疑似餌をダートベイト90から、どうせならと、他の量産日本製18cmに替えた。
GTルアーとしては小ぶりな方に入る。
 ロッドとのバランスも良く、水絡みも良い。
疑似餌は、ロッドをスライドジャーク(横にゆっくりと煽る)すると頭を下げて左右に首を振った後、ぴょこんと頭を出す。
ボディの1/3くらいを水面から出しまた浮きが消し込むように前後する。
このタイミングがなんとも面白いが、魚が捕食する時はこのタイミングのような気がする。

 

 

 


 しかし、喰わない。

何処にいるのか判らない。


いても喰わないのか。


ダイバー達は、悠々と泳ぐロウニンアジをこの下で観察しているのか?


判らない。


悔しいけれど…。

奴は、出て来ない。


シナリオ通りには、いつも行っていない。


ドラマにならない。


これが現実。
いつも理想は高く、現実は厳しい。

その厳しい現実にプレッシャーとストレスが乗っかっている。

頼みます、解放してください・・・。

腐敗した心の底に落ちて行ってしまいそうで。

「ふぅー。」
ため息風。

「ポイントを変えますよ。」
とユリアナさんが言う。
もちろんそれはキャプテンの意見ですけど。


その言葉に異議も最早無い。


ただペットボトルの水と燃料だけが消費された。
 今日は、スプライト、コーラ飲み放題ではない。
既に500oボトル3本目。
 ビーチに近づくとこれまた、ダイバー船と他のマリンスポーツでどうも釣りづらい。
小島回りを叩く事にしたが、船長が燃料があまり無いと言った。
時計を見ると既に2時間はオーバーしていた。
もう少し行けそうらしいので、いつものポイントの近くを流す事にした。

「もっと島に近づいて。」
名人が言う。


 ボートは上手く島沿いのスリット沖を流されて行った。
いつもとは違う目線での釣りは海面が直ぐ下に映る。
 ボートはゆっくりと潮に流されて左手に島右手に沖となった。
キャスト方向は、左斜め前11時の方向。


1キャスト目 ジャーク&ジャーク。


2投目…3投目…4投目


汗が滴ってくる。


キャストは私一人になり、名人は撮影に入ってくれた。
いつでもOKのタイミングだけだ。


5投目…6投げ目…7投目


諦めそうな心を押して投げてみる。


それから何投かキャスト&リトリーブを繰り返した。


「出た!!」
寝ていたユリアナさんが飛び起きた。
ドン!!と一気に衝撃が・・・。
ラインスラッグ(糸のたるみ)が瞬時に消えて、手元に衝撃と共に"グン"と竿が入る。
その瞬間ほど気持ち良いものはない。
鼻から息をフンッ!!吐き、アワセを入れる。
大きく一回、リールイン、また1回と追い合わせ。
偏光越しに反転したのは、確かにロウニンアジだった。
しかも、5〜6sの小型のものではない。
限界いっぱいに絞りこんだロッドは、半分以上がラインと一直線になっていた。
絞りすぎなのは良く解っていた。
魚は、出た後潮に逆らって一気に下降する。
ボートは、舳先が変わり反対方向に流れて行く。
魚は潮を上り、ボートは潮に流される。
竿は限界まで曲がり、堪らずリールが糸を出して行く。
ギリギリファイト。
初期ドラグ負荷設定がそもそもライトタックルではないのだが。
6.0〜6.5kgに絞ったリールからは糸が出て行くが竿も限界までお辞儀したままカクカクと。


「エンジン掛けて!」
キャプテンがバリ語で何か言った後エンジンは掛かった。
ユリアナ氏は、なにやら
「すげえ、すげえ!」
と日本語で連発していた。
よほどびっくりしたらしい。
キャプテンは声が裏返ってヒッヒーと言いながら興奮モードになっていた。
どうもこの船頭さんは、テンションが上がると奇声風になるらしい。
「あれえ、バイトシーンは撮ってないの?」
「いやあ、今まで撮っていたんですが、もう一旦切ろうかと切ったところでした。」
と名人が言い訳をしてくれた。
正直仕方ないとは思ったが、一応言って見たかった。
それから名人は、慌ててカメラを取りだし、そのスイッチをONに押した。


魚は、最初のひと走りを終わったところだった。
ここからは、キャプテンの腕の見せ所だが果たして・・・。
ボートは上手く舳先を流れと逆、つまり魚の走る方向に向けてくれた。
30sオーバーであれば、この程度のプレッシャーはもろともせずに糸を出して行く。
この魚、ライトタックルの限界まで絞り込んで時々リールが逆転して糸を吐きだしては行くものの、それが抵抗の限界と思われた。
"20s前後かな?"
それはむしろ、このタックルでの限界点での勝負には丁度良い感じがしたが水深が解らないのと糸が底に近い所を走っているのか解らなかった。
そこが一番の不安なところである。
 ゴスタン(前進)を指示すると、キャプテンは、ゆっくり間合いは詰めてくれた。

「早い、早い…もっとゆっくり!」
キャプテンは、即理解してくれた。
 確かに元漁師でトローリングもやっていたというのは、嘘ではないと思った。
 この船は、なりは観光船であるが、乗っている船頭さんは、ベテランの雰囲気に変わっていた。
まさに"老兵は死なず"という言葉かいや、"昔とった杵柄"のほうがぴったりであった。
その後の操船には、全く不満が無かった。


 5分が経過する頃、キャプテンとの息もだんだんとあって来た。
これが、お互いの息が合わないと何をやっても獲れない。
 獲れると確信しているものも、全く獲れなくなる事も多々あるのでここの部分は大変重要である。


  私が、良く受ける質問で"ボートからなら誰でも魚獲れるでしょう?"という人が案外と多い。
がしかしそれはおそらく、ボートからのゲームをあまりしていないか、操船フォロー無でも獲れる魚しか狙った事のない釣り人の発言である事が多い。
 さらに釣りをした事がない人にとっては、竿折れないの?といつも聞かれるのでこれまた、最初の"いろは"からの説明になるのでもっと話は長くなってしまう。
その際は、かなり省略する。
理由は、結構マイナースポーツなのでこれも仕方が無い事と理解している。
 彼らの中には元々そう関心が無いので、返って長い説明は、迷惑な話になってゆくのが辛いところである。

 今度は、ロッドとラインの角度が120〜100度と徐々に縮まりつつあった。
「ストップ!」
キャプテンは空かさずボートのスロットルを戻した。
途端・・・。
エンジンが止まった。
"えっ?エンジンまで止めたの?"
確かにストップと言ったのが悪かったのかもしれない。
"ニュートラル!"と指示した方が良かった。
エンジンまで止めては魚の走りが変わった時点での対処が出来ない。
「エンジンは入れておいて!!」
キャプテンは理解してくれた。
"息があっているなんていったものの"なかなか微妙なラインであった。
魚はもう横になって旋回し始めている頃であろうが、気は抜けないところである。
魚は左に行ったり右に行ったりして、廻っているのでロッドも右に左に代わる。
たが、舳先の小さな船故に交すのは容易であった。
案の定、魚が艫側に移動しつつあったが、このボートの後方は屋根が付いていて、本来遊覧用なので移動するのはその屋根までとアングラーが動くのは制限がある。
直ぐに旋回をキャプテンに要請する。
そこは、小舟の小回りの良さ。
直ぐにボートは、右旋回する。
ラインを中心にぐるりと回る感じのイメージである。
 魚は、下に位置しながら少しずつ方向を変えて行く。
少しずつリフトを試みるが、最後の抵抗なのが浮かそうとすると竿を伸し行く。
相手はやはりパワフルなのには変わりなかった。
そこからさらに1〜2分が経過した。
 その動きにも限界が来たのか、糸を出すまでのパワーはあまり残っていない。
 しかしながら、ロッドはまだ限界値まで曲がり切っていた。
ロッドを起こそうとするとガッガッと下に伸しにかかる。


  7〜8分が過ぎた頃、魚が見えてきた。
一気にリフトを試みるがロッドは弧を描いたままで、リカバリー(起きて)してくれない。
だた、魚が横になってかろうじて尾鰭を叩いているだけなのにこの有り様は、やはり20Lbクラスロッド。
かなり無理はしているという事である。
 ここは、往年のフットポンピング(屈伸で魚を浮かす)しかない。
ラインスラッグを出さぬように膝を曲げてゆっくりと竿にあわせながら立つ、また膝を折り曲げるの繰り返しの屈伸運動をする。
 膝を曲げてしゃがむ時に同じスピードで糸を回収してまた起き上る分だけ上に浮かせる。
この繰り返し。
 魚は、見えてからが早かった。
「浮いた!」
ぐらりとヤツが白い腹を見せて横になった。
「ランディングするからグローブをして!」
そう名人に伝えたが・・・。
なんと撮影中だった。(お願いしていたので当たり前)
あとは、操船中のキャプテンかユリアナ氏になる。
 瞬時に、これは諦めて自分でランディングすることにした。
ロッドを引き込み、リーダーを掴み、魚を廻す。


一回目、上手く掴めず。


もう一度廻す。


テイルを掴む。


ゼイゴがグローブ越しにはっきりと当たる。


尾柄部を両手で掴む。


船に引き入れる。


歓声が上がる。


 キャプテンのそれまでの暗い顔からおもいっきりその黒く焼けた顔から白い歯を出して円満の笑顔をみせた。
そしてまた、ヒーヒーと声を上げた。
初めて見るユリアナ氏は、驚愕していた。
それまでは、寝ていたのに。
あまりにも突然の未体験ゾーンに一番驚いていたのはこのユリアナ氏だった。
キャプテンがまたヒッヒーと声を上げる。
がっぷりとキャプテンと握手。
「Thank you captain!! 」
「アリガト! アリガト!!」
何故かキャプテンは日本語で答えてくれた。
それは20kg前後のGTと呼べるサイズだった。
しかも、体色は黒。
ブラックウルアだ。
気持ちは一気に晴れて、小楽園。
4人揃って笑顔が初めてでた。
初めて4人が同じ気持ちになり得た時間。
束の間の小楽園。
ルアーが下顎にしっかり、ガッツリと掛かっていた。
ルアー腹側の200lbスプリットリングが、S字に見事に変形していた。
魚の首振りの捩じる力は案外強いものである。
針はがっちりと掛かって変形は無かった。(ST66-2/0)
「キャプテンリリースする?」
と日本語で声をかけた。
「OK!OK!」
と2連続で了解を得たのでリリースする事にした。
キャプテンがどうしても欲しいと言う事ならば、差し上げる気持ちはあったがその返事で決まった。
久々に自ら、魚を水に入れて人工呼吸させた。
1回…2回…3回…4回と。
5回目くらいで魚が自ら頭を振った。
"もういいぞ"という合図だ。
左手を離し、最後の右手をそのすぐ後で離した。
魚は、その体をまっすぐバランスを取り、水中深く帰って行った。
「バイバイ。」
魚には届く事もない挨拶をした。
ユリアナさんが
「もう燃料がないから一度帰ってからもう一度出直すと言っています。」
そう船頭さんの通訳をした。
「ああユリアナさん!もう目的は果たせたからもう今日はいいですよ。」
「もう満足したので帰りましょう。」
ああ良かった。
肩をなで下ろした。
本当になで下ろしたのは名人なのだろうが。
「キャプテン サンキュー!」
別れ際に握手をした。
「アリガト、アリガト!」
とまた、2回答えてくれた。
本当にうれしそうな顔をしていた。
久々に良い仕事をした達成感があったのかもしれない。
残業のつもりが早上がりになった船頭さん。
今日のキャプテンは家に帰ってどんな話をするのだろう。
そんな、南の島の小さな出来事。


たった4人の中の現実と夢。
それは、瞬きの幸せ。


-小楽園の小休止-

このようなところでの休息はセレブ風に感じるかもしれないがそもそも庶民なのでその真意はわからぬままである。


 どうやら我々2人とツアー添乗員の心が満腹になったらしいので、昼食はどうでも良かったが、早上がりしたので休息がてら食事でも。
という事になった。
 これは、流れ上そうもなる。
もう丘の上ですから。


 ここで食事と言っても、別段そういつもと変わらないだろうと思った。
適当にビーチの見える丘の斜面にあるレストランに入った。
といってもオープンガーデンなのだが。
 この斜面は景色もいいのでレストランが何件か連ねる。
その昔の的場町の丘と同じ風な瀬戸内の斜面?とは似たようで全く違うようである。


 既にお昼を回っていたので時間は午後の休息タイム。
客の多くは白人だった。
東洋人と現地人は、私たちだけであった。
そこに日本人の姿は無かった。
メニューを見て悩んだが、久々にミックスジュースなるものをオーダーした。


子供の頃、良く喫茶店で飲んだ。
35年位前は、300〜400円くらいしたと思ったがよく母親と行ったものだ。
呉の中通りの喫茶店や、広島のデパートや駅ビルの中。
呉の中通りも本通りもとても賑やかであった。
昭和の全盛期だった。
 そんな喫茶店で母親は、大体コーヒーを注文した。


子供の私は、決まってクリームソーダかミックスジュース。
 クリームソーダには決まって缶詰の赤いサクランボ。
そして、合成着色の緑色。
もうそのような過去は帰ってこない。
街の喫茶店と名の付くところも今は殆ど行かなくなった。


 所謂、カップ付きの○○バか○○○ズ。
それも最近はぐっと回数が減った。
今は、○○○ルか一人の場合は、なんとあの最悪な味だったマ○○。
今では、その3ランクは上の味になった。
それほど12〜13年前のMは不味かった。
本国(USA)では、更に不味かった。
とてつもなく不味かった。
とてもブラックでは飲めそうもないあの苦い漢方薬のような味。
それから何度か経て、今の味になったので20円ほど値上げはしたものの利用は返って増えた。

 暫く待たされた後。
と言ってもここは、東京でないので問題はない。

ウエイターがミックスジュースとビンタンを持って来た。
"どうせ、出来合いのもんだろうな"と思っていたのだが、出て来たものは、これまたフレッシュで絞ったものに違いなさそうだ。


「乾杯!」
3人で乾杯した。
ユリアナ氏と私はミックスジュース、名人はビンタン(ビール)。
その味は、懐かしく、本格的な色合いに正直びっくりした。
正直日本の観光地でのイタイレストランや売店よりも数段ランクが上だった。
それだけここは、リゾート観光の客が多いと言う事になるのだろうか。


更に衝撃であったのは、メインのオーダーが来た時であった。

 


ツナサンド。


名人と想定していたのは、どうせインドネシア製のツナ缶にマヨネースで混ぜたものプラス2枚のレタスと付け合わせはもちろん冷凍の出来合い。
このパターンが定番。


しかし、予想は大きく外れた。
外したばかりか、想定外の展開でかなり本格的なものであった。
これには名人と顔を合わせて
「こりゃ、変なレストランとは言わないな。」
そのマグロは、缶詰のツナではなく、切り身をちゃんと焼いていた。

その肉の色からしてビンナガかな?。


挟んであるレタスと玉ねぎも切りたてのフレッシュなものであった。
挟んであるパンもどこで焼いているか解らないが手焼きみたいだった。
更に驚いたのは、付け合わせのポテトがこれまた"切った生のポテトを今揚げました"という感じだった。


名人とそのまま、かぶり付いた。
「おい、これ案外いけるぞ。」
と思わず口に出たが

「本当だ。」
味覚にうるさい忍者も同感の様だ。

とすると・・・・。
 初日のジャンクレストランが益々怪しくなってきた。
以外に本格的な手の込んだ食事に満足した我々は、そのまま時々襲ってくる蚊にもそう気にすることなく過ごせた。
 「そろそろ、船がきますかね?」
名人のその言葉で我々は、席を立った。
旅は終わろうとしていた。

早・・・。


帰りの船中、名人が
「本当に日帰りか?」とクルーに聞かれたそうだ。
なんとも勿体ない話ではないか・・・。
これは、日本の日帰り旅行と同じ感覚なのかもしれない。


宮島に渡って半日観光とか…。

宿毛湾から沖の島か・・・。


また同じコースでバリに着いた。
 そしてまた、川渡し・・・ではなく海渡し。
今度はサンダルに砂が入らないように脱いで渡る。


 ユリアナ氏は、ロッドを見て、なんでこんな細い竿であれが釣れるのかな?
と何度も感服していた。
「嘘みたい…」と何度も言っては、マジックを見たような気になっていた。
同じ事を運転手にも聞いていた。
バリ語でなにやら話をしていたが
「彼は、釣りをするので聞いてみたが、確かにその竿は高級そうで日本製ならそのような出来と性能はあると言っている。」
そう、彼は私に言った。
 それまで彼は釣りに全く関心が無かったし、我々のボートに便乗した事も無かった。
もちろん魚を持ち帰る事も無かったので半信半疑であったのかもしれない。
いつも魚釣りに来る事だけは解っていたが、このような事をしているとは想像もつかなかったと言った。
本当にびっくりした様子だった。


 いつもバリのドライバーに言われる事は、魚を釣ったらください。
そう必ず言われた。
リリースしたと言うとがっかりされた。
 「次はくださいね。」
「GTでもなんでも良いから・・・。」
そんな会話が必ず付け加えられるのであった。
今後もバリでGTを持ち帰る事はまずないだろう。
彼らにとって、GTを始め魚は貴重な食料であるから彼らが食するのは当然である。
 我々は、ボートが決めた規定に基づいて行うゲストであり、トラベラーなのだ。
当然現地の人の習慣や行いにとやかく言う筋合いの無い立場を再認識した。


 ユリアナさん、今日はありがとうございました。


-コピ・ルアク-
Kopi Luwak


昨今の我が国の食事情は、恐らく世界でもトップクラスなのは誰も否定し難い事実であろう。
しかも200国中ベスト5でも恐らくさらに上位に値すると思われる。
 世界には富豪やミリオネア(リールじゃあないですよ)と言われる人々も多く存在するもので彼らにとっては別段それをいちいち取り立てて言うまでもない。
 バリのコーヒー事情も他の生産国と同じく最高級と言われる豆を使ったコーヒーを飲む機会は、恐らくある特定の人々以外には、彼らの一生の中でも殆ど無い。
もちろんその中でも毎日そのルアックの豆を扱う農園に従事している労働者でさえ、生産こそすれども試飲する機会さえ殆どないのではなかろうか。
 このマレージァコウネコと呼ばれる動物の糞から作られたコーヒーのイメージは、最初にTVで見た時とても違和感を覚えて、ゲストが変なリアクションをしていたが、その後口に運んだあとは一転。
TVを本気であまり見る事もないが、それは後に事実である事を知った。
 今ここのテーブルの上に置かれているカップにはなみなみと注がれている。
今日で豆も消費しつくしてしまった。
 恐らくこれを日本で買う事は無いだろう。
日本での価格は、庶民にとっては驚愕の値段となっているからである。
 なんでも嗜好品と言われるものは、ピンキリであろうがコーヒーもそのひとつであろう。
糞から得た最上級というのを最初は一体だれが試したのであろうか?
最後の一杯はとても美味しかったが、再び訪れないかぎりこのコーヒーに出会う事はおそらくない。
鼻から抜ける香りと舌の上にある旨味とが上手く絡みあって、至福の時を迎えるが喉元を過ぎて胃に入って暫くすると、飲みすぎのせいか今度は、胃の中から不快感が続くのであった。
 例えそれが2〜3個のクルミと同時に味わってみても。
飲みすぎにご用心。


 コーヒー事情は、さらに本来あまり飲む事が無かった中国の消費の拡大でマグロと同じく価格は高騰の方向に進んでいるみたいだ。
すべて幸せとはいかないものだ。
その後得た情報では、ルワックを飼いならしてひたすら豆を食べさせてその糞を回収するのが今のスタンダードらしかった。
 そう天然の糞だけを集める事などそう容易くはないし、あっても私などには永遠に買う事が出来ないかもしれない。
 何処にも商売人はいるものだ。
こうなると次に想像したのがフォアグラを作る為のあの光景。
 そこまでとは思いたくないが。


脂肪肝料理はとてつもなく美味しいそうだが、それを食べ過ぎると自分も脂肪肝になりそうだ。
人間の勝手とはこのようなものだ。
スーパーに並ぶチリ銀もその産物には違いない。
そのチリ銀もかつては三陸で多く養殖されていた。
今は、チリに取って代わられた。
 そのコストパフォーマンスによってその地位を不動にしていったチリ銀は、もはやスーパーの鮮魚コーナーのメインになりつつある。
 無くなったバリコーヒーで旅の思い出もすべて飲み干してしまった。
またいつの日か、この南国を訪れたい。


そこにいつか楽園があるのならば。我が国が忘れてしまった楽園。

親鸞聖人は、どんな極楽浄土をその胸に抱いていたのだろうか?

倉田百三の“出家とその弟子”に書いてあったかな。

もう読んだのは29年前の夏。

現実は、極楽浄土も楽園も、理想郷もほど遠いように感じた。

鵜原理想郷は車で20分もしないところにあるのだが。

楽園もその先にあって欲しい。


2012年3月10日
最後のルアックコーヒーを飲みほして


-おまけ-

それは、幸楽苑のおまけではない。
けれどもレンボンガンにもそれは・・・あるのかもしれない。


何時の頃かの釣りのDVDにおまけのコーナーが付いていた。
私が思うには、ジャッキーチェンの映画の最後のNGシーン連発のイメージなのかも知れないが、そのDVDは、主人公が酒に深酔いして、ぐちゃぐちゃになっているもので、損をした気になってそのおまけのせいでぶち壊した感じに思えた。
 それが何だったか記憶には無いが、おまけでふと思い出した。


 人間余裕が無いと言う事は、あらゆる事に焦りを生じさせる。
ホテルに帰るなり、速攻で荷物を纏める事にした。
12:40分発の飛行機に乗る為に。
タイトスケジュールというのは、まさにこの事であろうか。
半日後は、日本に向かう飛行機の中なのである。
 シャワーも早々に、ロッドと共に潮を流して、もくもくと帰り支度のラッシュ。
「ええと、この駄菓子とコーヒーは…。」
モールで買った怪しいのしイカの揚げたようなものと、どう見てもキティちゃんのバッタもんの絵が描いてあるスナック駄菓子。
 それを見た名人がさらに呆れる。
兎に角、これらを迅速にかつ冷静沈着にまとめ上げ無ければならない。
 少し焦る。
これこそ人の事をかまってはいられないのだが。
合い変わらす名人の様子が少しだけ気になった。
 バタバタすること約2時間。
なんとか荷物が纏まったように感じたので最後の晩餐をホテル内のレストランで食べた。

何かも忘れたがホテルのプレゼントで招待されたディナー。
特に期待もしていない。

隣のステージで訳の解らん白人客がバンド演奏する。
元来ロック好きの私だが、これは酷い。

酷すぎる。
もはや雑音でしかなかった。

 コースとは別に、ツマミになにかと2品ほど別途オーダーした。
これまたすべてのメニューにポテトフライが入っていた。
「おい、なんかわざわざポテトフライ頼まんでも良かったなあ。」
「ええっ…そうですね。」
コースよりもフレンチフライポテトで満腹になった。
マ○○フライドポテトLLが3個分くらい。
 デザートは揚げたバナナのチョコがけだった。
微妙だがまあ頂けた。
どちらかと言うとありのほうかもしれない。
カロリーはものすごく高いのは必至だった。

少々油で胃がもたれたたが、気合で荷物を担ぐ。
 夜の10時前のホテルロビー。
とてもさびしい。
そしてまたユリアナさんのお迎え。

そりゃ疲れるわな。


さあ、いざ空港へ。
これが10時半には着いてしまうために暇を潰そうとするが、もう空港内であっさり出国手続きが終われば時間は余る。
空港内では、もう店に行く事もない。
座るところもないほど、空港内はごった返しである。
 なるべく人の少ないカフェを選んで、座った。
もうここまでなんとか辿り着くと、他にやる事も特にない。
隣は恐らく日本人ファミリーで物静か。
まわりはオージー達。
 暫しの休息。
その10分後、そこに静寂を突き破ってうるさい東洋人の若い集団が雪崩込んできた。
 中国語であるが圧倒的にうるさい。
金持ちそうな若者の集団に見えた。
これには、参った。
彼らは周りの迷惑もお構いなしに騒ぎ、挙句の果てに禁煙にも関わらず煙草まで吹かす始末。
 店員に注意されて、なおさらへらへらと笑って誤魔化す。
「いやぁ、同じ集団には見られたくないなあ。」
「そうですね。」
その店のテーブルから動く事も出来ないので30分ほど我慢した。
「ところで飛行機はまだだよね?」
「ちょっとレストルームへ行ってくるわ。」
余裕帰ってくると・・・。
「あれっ! 時間が20分早くなってるのに見落としていました!」
と彼が血相かいてこちらに言う。
「そりゃまずいよ!!」
慌てふためいて店員を呼ぶなり
「チェック!!」
最早、おつりなど気にしてはいられなかった。


ダッシュ!!


荷物を背負ってダッシュ!!


おつりを受け取る事もなく、搭乗口に走った。
これが案外と長い距離。
息が切れる。
まだ人々は、並んでいた。
間に合った。
 最後の荷物検査をする。
それが・・・。
見事に引っかかった。


ほとばしる冷や汗。


出発時間は迫る。


"ああ、キティちゃんモドキの菓子・・・!!"に気をとられてこのざまか。
そう、まったく問題ないキティちゃんモドキ菓子と、イカ天フライモドキ、子供用他飴をスーツケースに入れ、問題のある、スリーブペンチ、プライヤー、釣りバリ等・・・。
すっかり逆になっていた。
手荷物にこれらを入れた。
そこから検査員のおばちゃんの猛攻は始まった。
「OH!! UUOH!」
「ヤバい・・・。」
「…OHOHOH……!」
「これは?」
「Lureです。」
「これは?」
「釣りバリです。」
「これもだめでは」
「いいえ、これはただのビニールチューブ!」
「全部駄目だな…。」
「急ぎます。」
「もう時間がない…。」
検査員は、なにやら無線で話した後、取りあえず行けと言った。
早速待ち構えていた係員が
「今から預け荷物に入れる」
と言う事で一件落着になった。
いやあ、冷や汗でした。
これがUSAなら捨てられかねない。
少しいや、かなり手落ちであったのは認めるが、紐やチューブ、フックのついていない疑似餌まで文句を言われたのには少々焦った。


その後、我々は、なんとか日本に着いた。
 自分の国に着いた。
自分の身元を保証してくれる国があるという事はとても有りがたく幸せな事である。

名人のマニュアルミッション車で家に向かう。

「大変お疲れ様でした。」
「ありがとう。」

旅も終りを告げた。

-幻のイカフライ-
それは、郷里が生んだ究極の揚げ駄菓子。
大塩派かスグル派か。
一枚10円だったでしょうか。
その幼き頃のすりこみに洗脳され切ったおっさんは40年近く経過した今もお好み焼きに入れてしまう。

またまたまた、30数年前の事。
 一番上の叔母さんがお好み焼き屋をやっていた。
イカ天入りといえば、大塩かスグルかのイカフライだった。
ソフトタイプを入れたと思ったが、今でも天かす代わりにお好み焼きに入れてしまう。
 もちろんそれは、幼き頃に良く食べたもの。
それを県外では広島風と呼ぶ。

今現在は多様化しているので解らないが子供の頃にお世話になったお好み焼きのイカはイカ天を指していた。
豚バラ肉が程よく焦げてカリカリになってそれがとても美味しかった。

2012年現在でもクラシックなお好み焼きやさんというのは、まだ存在しているのだろうか?

おばさんはもう90過ぎでその頃の話をするととても喜んでくれた。

 

-これは絶対イカフライだろう・・・・たぶん-

 それから数日後の茶の間での出来事。
「さあキティモドキとのしイカフライモドキを食べるか。」

家族の期待とあの酸化しそうでしていないかどうかの瀬戸際の味。

なのだが。


このイカフライモドキは開封すると甘い匂いがした。
「なんじゃこりゃ?」
「硬いし、甘いし。」

なんと言ってもあの歯ごたえとせんべいのようなパリパリ感は全く無いではないか。
イカでもないし、グルソーの味でもない。
暫し考えながらの試食。

「あああ、解った!」
それは、イカではなく、バナナ。

しかも、スライスバナナであった。
バナナチップ曰く、バナナフライ。
バナナを立てに切って干したものに粉をつけて揚げたものだった。
因みにこれをなぜ選択したのかと言うとそれは…。
 そのハイパーマート(モール内)の菓子コーナーで何を買おうか悩んでいたところ・・・。
スタスタと現れた現地人のお姉さんが何の躊躇もなく、いきなりそのイカフライモドキを掴んでそそくさと行ってしまったのを見たからである。
 "うーん、これは人気の旨い食べ物かもしれない"
そこで買ってしまったものである。
結局この菓子は、いつも子供達がお世話になっているH先生のみ絶賛の言葉をいただいた。
レシピまで教えて欲しいとの事だったが
「あのう、それバリで買ったお菓子なので詳細はちょっと解りません。」
最後は、このオチであった。
その話は、名人には話していない。
なぜなら、彼にそれがイカであろうがバナナであろうがどちらでも良い話だったからだ。
いやまてよ…話したのかもしれないがどうでもよかったみたいだった。
 それよりも明日の仕事。

一見したところ、イカ姿フライ風だったのであるが、モドキでも無かった。
まったく別モノ。

そのような誤解はいつも付きまとうのかもしれない。

-FISH NAVI の向こうから-by名人

フィッシングは全般的に、予め計画しても自然が相手なだけにツアー当日にならないとどんな結果になるか予想がつきません。
ただ、シーズン、潮、最近の状況、どんなルアーでヒットしたかなど、私(フィッシュナビ)が持っている情報をツアーのお客さんに提供するのは当然の事、そしてツアーからご帰国されたお客さんからHOTな情報を頂き、それをまた次に行くお客様に提供する・・・、日々めまぐるしく変化する自然に少しでも対応すべく、それを日々更新して行く。

それを可能にするのはツアーにご参加頂くお客様あっての事です。

そんな大切なつながりで成り立っているのだなと改めて実感・感謝し、特に渡航者数の多いバリ島はそれをより一層感じさせてくれます。
10月ぐらいから雨季(釣りとしてはシーズン)に入り、既に3組のお客様たちがチャレンジし、皆さん見事ファーストGTをここバリ島で飾って頂きました。そこまでに至るプロセスは皆さんそれぞれですが、生まれて初めて取った1本!どんなサイズであろうとも嬉しくてなりません。


そんな幸先の良いスタートをそのまま持っていきたいと願い、11月上旬、遂に4組目として私たちの番がきました。
 今年のメンバーは、H様、T様、I様、そして引率で私(八)が入り計4名のツアーとなりました。
ツアー中は、気まぐれな大自然を相手に、皆さん試行錯誤しながら最終的には9本のGTにめぐり合う事ができました。
苦しい状況でも頑張って出して頂き本当にありがとうございました。

今回のツアーは、GTキャスティングしたり、泳がせしたり、餌釣(おかず釣り)したり、釣った魚で宴会したり、釣具屋巡りをしたり、観光したり・・・・、「釣り好な方」、「魚好な方」 にとって楽しめる内容を計画しておりました。
アフターフィッシングとして釣人を最大限に楽しませてくれるのは、やはり釣った魚での宴会ですね。
そしてこの宴会の主役になるのが、ここバリ島でジギングをすると必ずと言っていいほど良く釣れるのが“オオクチハマダイ”。
あの高級魚オナガの近種で見かけは全身が真っ赤なので「金魚」と呼ばれローカルでは親しまれております(誰が教えんだか・・・)。
「キャスティングでGTがダメな時のコイツがいるさ!」と言ってもいいぐらい、多くのお客さんを喜ばせてくれる魚で、釣れるサイズは約1m(重さ10キロ以上)。

脂が乗り身もプルンプルンで、揚げ物、刺身、塩焼き、アラ汁、何をやってもパーフェクトな魚です。これを1本釣ってしまえば、フルコースができて盛り上がること間違いなし!と私の中ではシナリオが出来ていたのですが、あえて狙おうとするとなかなか釣れない(結局釣れなかった)。
本来なら戦力外通告されそうな私ですが、皆さんGTフィッシングの合間にコツコツ頑張って釣って頂き、ヒメダイ(オゴ)、大カサゴ(ウッカリカサゴ)を見事キャッチ!

 今回の釣行は、「4日間フィッシング」+「1日の観光」+「1日ジュクンフィッシング(番外編)」と体育会系合宿のようなヘビースケジュール(汗)で頑張ります。
バリ島でのGTフィッシングはバリ本島周辺でなく、本島(ベノア港)から船を40分走らせたヌサペニダ(レンボガン・チュニガン・ペニダ島の総称)周辺を丹念に探りますが、それらのポイントは大きく分けて4つに分けられます。

【ダラダラポイント】
レンボガン島北部、一見緩やかな海域に見えがちですが、下降流と上昇流が入組み、大小様々なGTが回遊するポイント。

【パトロール岩】
ペニダ島西端部、この岩の周りに縄張りをもった大型GTが単独でグルグル回遊し一発大物狙いのポイント。

【ドーナツ岩】
ペニダ島南西部、見渡す限り断崖絶壁で景観も荒々しい、海中から大きな岩が突出している名ポイント。

【バトゥアバ】
ペニダ島東端部、2つの岩が目印。超がつくほどの激流ポイントでバリ島フィッシングを代表する一級ポイント。

一度バリ島フィッシングを経験するとポイントは網羅できてしまうほど少ないのが特徴ですが、潮が複雑に入組み、同じ場所でも時間帯によって全く違う顔をみせます。
全ての「良し悪し」を決めるのは、このめまぐるしく変化する「海流」であり、釣人を喜ばせたり泣かせたりするのもこの「海流」なのです。

そしてツアー初日、今回の釣行で記念すべき1番目のポイントは「パトロール岩」!ここには縄張をもった大きなGTが単独でウロウロするポイントで単発ながらも出ると大きいのが特徴。
このポイントで記録更新したお客様は数知れません。
  まずポイント付近につくとエンジンをニュートラル(もしくは切る)にし、船体を流れにまかせ徐々にポイントに近づきます。
キャスティング圏内に入ると順々にルアーが投入され、いつ誰に出てもおかしくない状況でドキドキしながら見守る私・・・・、そんなルアーが流芯に差し掛かった瞬間、大きな水柱が立ちとドラグ音が「ジー・・・・」響き渡る。
 周りを見ると釣竿師さんが竿を曲げている、巻いては出されるといった攻防を繰り返しこの激流から姿を見せたのは30kgオーバーのロウニンアジでした。
やはりこのサイズになると、風格、顎の分厚さ、鰭やゼイゴの節々が大きく、まさにロウニンアジという名に相応しい魚体。
わずか数投で出して頂き、ツアーのモチベーションを上げる最高の1本となりました(Hさんありがとうございました)!その後はIさんにバイトが続くも、どうも食いが渋いのか?うまくノッてくれず初日はこの1本で終了。


 ツアー前半は大雨が降り続き、気温も水温も低く、そんな状況を引きずった2日目はこの世の終わりかと思わせるほど、全く生命反応がなく何も出なく終了(怯)。
「こうなったら八がGTの役になって竿を曲げてもらうしかないね」と・・・・、冗談?もちらほら、何とかせねばと神に願う。

ツアー後半、フィッシング3日目に入ると快晴で気温も水温も高くイケそうな雰因気。
GTメインでそのままバトゥアバに直行し早速開始。
海況はちょっと荒れ気味ながらも海色は良くGTがチェイスしたり、バラクーダがきたり、生命感があふれ状況は明らかに良くなっていた。
 Hさんがミノーにチェンジすると否や30kg級をキャッチし、それを皮切りにTさんも数本追加しバリ島らしい良い日となった。


最終日もこの勢いでバトゥアバに直行したが、昼から大荒れになり撤退。
午後からは西回り(ドーナツ、パトロール、ダラダラポイントへと北上)して、Hさんがパトロール岩でおそらく今ツアー最大であろう大型GTを掛けるが、船の取回しが遅れ、根にやられてラインブレイク(悔)。
最後を締めくくるダラダラポイントでTさんが15〜20kgクラスのGTを数本キャッチして終了しました。

 バリ島は本当にクセがあります。
時には優しく、時には厳しく、バリ島の海は多くのお客様を迎えてきました。
そんな気まぐれな状況下でも、皆さんいろいろな方法を駆使して最終的には9本ものGTを出して頂きました。本当にお疲れ様でした。

初めてGTフィッシングをチャレンジされたお客様がGTを掛けた時、たとえ過去に同じサイズの違う魚を掛けた経験があったとしてもGTはそのパワーを凌駕する・・・それがGTフィッシングの最高の魅力であります。
ただ歴史が浅いゆえに、「我こそが〜」、「サイズこそが〜」と記録を競うことが先走りしてしまい、そのイメージが高い壁となり、とっつきにくいものとなっていた様に思えます。

フィッシュナビではそんな壁を取り払い、「GTフィッシング」について適切な事を学んで頂ければ、多くの方が楽しめるものだと考えております。

計り知れない感動をもたらせてくれるこの釣りを、初めてチャレンジする人、女性、多くの世代がエントリーしやすく、楽しめるようにサポートしております。


 あとはタックルですね。
「GT専用タックル」・・・・これはGTを取るために現代技術が集結した最強タックルである事は間違いありませんが、重々しく体力がない方にとっては投げ続けるのは一苦労です。
ツアーというソフト面だけでなく、道具面においても体力のない方でも使えるものを選択肢として増やさなければいけないと考えております。

そこで、私の大先輩でもある、釣竿工房 “月”が女性向け(体力がない方向け)のライトロッドを開発!
20ポンドラインクラスのロッド(見かけ本来はシイラやライト青物を狙うような竿)で狙うのは何とGT!テストを兼ねてHさんがGTに挑みました。
Hさんは、お客さん一人一人に対して、対象魚、釣り方、経験値・体力・データ(性別・身長・体重・腕の長さ、手の大きさ・体力の有無などの身体的特徴)に応じて、適切なブランクを導き出し、概観や好みのパーツ使用して作上げられます。
その要望は十人十色、一切の妥協を許さず真心を込めて作られた竿は、釣を極めたいと願うお客さんに絶大な支持があり、私もその一人です。

そんなHさんと向かった舞台はバリ島から海路で40分、レンボガン・チュニガン島周辺。この海域は一見緩やかな海域に見えがちですが、下降流と上昇流が入組み、大小様々なGTが回遊するポイント。


 ジュクン(漁などに使うローカル船)を利用し、誰もが経験してない冒険的で新感覚な “超ローカル・フィッシング” をお楽しみ頂きました。
船長もそんな経験はした事ないので、潮目など魚がいそうなポイントを船長に伝えて、「ここだ」と決めたら「OK」と指示しキャスティングをします。
それを繰り返す事4時間・・・・、最後の最後でHさんがGTを見事キャッチ!自分で目星をつけたポイントで、開発したライトタックルでGTを釣った時の喜びもひとしお、W企画成功に導いて頂き本当にありがとうございました。

【スケジュール】 バリ本島から日帰りツアー
08:30ご宿泊ホテルお迎え、送迎⇒場船場へ/10:00(予定)、定期船でレンボガン島へ(約40分)⇒到着後、
★2時間フィッシング(前半)/お昼休憩(レンボガン島上陸)/ ★2時間フィッシング(後半)⇒16:00(予定)定期便にてバリ本島へ(約40分)/送迎にてホテルへ17:30着(予定)

弊社フィッシュナビのバリ島フィッシングツアーにおいて、カイザー3号を使うフィッシングに勝るものはありません。
・・・でも、そこまで王道ではなく、もっと安く、誰もが経験してない冒険的なフィッシングにチャレンジしてみたい方もいらしゃるハズです。
そんな開拓精神あふれたお客様にもってこいのツアーが、ジュクン(漁などに使うローカル船)を利用したキャスティングゲーム。
普段やっているGTフィッシングのポイントと重なりますので、条件が重なれば大きなGTに出会える可能性大!
自分で目星をつけたポイントで、魚を釣った時の喜びもひとしお、新感覚な “超ローカル・フィッシング” をお楽しみ頂けます。


200Lb強度のリングもロウニンの首振りなのかバイトの瞬間なのかS字に変形していた。
信頼のフックだが針先は案外直ぐに曲がってしまう。使い捨て時代の刹那。

以上フィッシュナビブログより抜粋

 

-終わりに添えて-

震災から丁度一年を迎えたが まだ平安は訪れていない。
この国は一体何処に行こうとしているのだろうか。


3月に入ってもなお、肌寒い日が続いた。

御霊がとても寒がっているのかもしれない。

君が代が流れる。

その日の午後天皇陛下の慰霊のお言葉をなぜか直立で聞いた。
この国の完全復興にはまだまだかかりそうな雰囲気であった。


2012年3月11日

震災の慰霊と復興を願って

-釣紀行に帰る(INDEX)-