04/04/01 南方週末  成功、朱長振

 3/30日、四川大学華西医院へ検診に来た人達は病院の入り口に立つ2人の警察に迎えられる。警察官の横には小さな警官控え小屋が出来ている。その看板には「西都公安局武侯分局110番受け所」と書かれている。

この華西医院の大きな建物に行き来する人は相当な人数である。各建物にはまた別の青色の服を着た警備員が最高度の警戒態勢を敷いている。
 外科の主任の”李寧”博士が、しばしの休憩の後回診の準備が出来たと言う電話が入り、これから出かけるところだ。博士の傍には目の鋭い用心棒の専門家が付き添い、周囲の人を警戒しながら博士の一歩前を歩いていく。
 用心棒はぴったりと博士に寄り添い、部屋に入ると直ぐに鍵を掛ける。
 この用心棒の名前は曹と言い、昨年博士が病院内で重傷を負わされて以来、1対1の身辺警護として職務に就いている。
 曹氏は勤務経験5年で各種武闘のどんな技をもこなす達人である。
博士が受診の時も手術の時も、そして例え便所へ行く時も一寸とも離れず身を守る役目を負っている。曹氏自身昨年の経験から、大きな教訓を受け、精神的負担がきついと語っている。

 悪夢の想い出

 3/15日、博士の勤務時の姿は、白衣を着ているが、黒めがねを掛け鳥打ち帽をかぶり、周囲の人が見れば見違える姿であり、しかし滑稽でもある。しかし事情を知る人達はその姿も、やむなし、と言う同情心がある。 博士はこの2年間で2回の殺人的攻撃を受けた。今年2月も刀で斬りつけられ、やっと頭部の骨を縫い合わす手術が終わったところである。
博士は「私はこれまで夢など見たことがなかったが、最近は毎日のように悪夢を見てしまう」と語っている。
 先月は襲撃を避けるため1ヶ月余の休暇をもらっている。
 病院は「24名のブラックリスト」を作成している。記者が見せてもらうとそこには「脅迫」や「重傷」などの経歴が描かれている。
 病院の説明によると、現在6名の医者に1対1の用心棒を付かせている。6名の内1人は女性である。一人が精神科で他は外科の教授である。少し前は10人以上が用心棒付きであった。彼等医者を守っている用心棒は武芸百般の達人ばかりである。
 医者が護衛を付けねばならない理由は患者かまたはその家族が治療の結果に不満を持っているからである。それらの患者の病気は悪性の腫瘍であったり、先天性の病気であったり、精神病であったりする。いずれも重症であった。
 ブラックリストに載った先生達を守るために常時先生の傍に付いているだけでなく、医者の様な白衣を着ていたり、警護服を着ていたりと、常に工夫を凝らしている。
ある時、李博士が手術を終わって警護士と一緒にエレベーターから出た途端、一人の男性が博士にぶつかってきた、と見えた。真っ青になって立ち竦む博士の前に警護士が飛び出す。しかしそれは博士の友達で博士の強度の緊張から生まれた誤解であった。しかし警護の曹氏は「いや、警戒に越したことはない」と言っている。

 用心棒が居ても守れなかった事例

 03年10/10日、昼の11時頃、李博士が回診で病人を診た時、その妻が突然博士を掴まえ引っ掻き蹴り続けた。そして周囲の人に向かって「この野郎、私の胃が痛む度にお前を殺してやりたいんだ」と叫んだ。
博士のその日の午後の回診は不可能となった。博士の衣服は千切られ、首の辺りは切傷だらけだった。
 その22ヶ月前にその患者は当院で直腸の手術を受けていたが、しかし発見が遅くリンパ腺にガンが転移していた。5/6日、肝臓にも転移し、6/16日李博士が切腹手術をした。しかしガンの活動が盛んで多方面に転移していて、完全除去は不可能であった。
 それからその患者家族の「今に見ておれ!命を貰いに行く」などの恐喝が始まった。家族としては2度の手術に失敗したと受け取っていた。やがてその家族は3人の大男を連れて博士の病室を強襲し、大声で「殺してしまえ」と叫び続けた。
博士は真っ青になった。その数日前に、別の先生が患者家族に13カ所刀で切り込まれ、目はつぶれ、指が4本切り取られた事件があった。
 それ以降博士には用心棒が付くことになった。
 
一難去って

 その後もその家族(名は陳という)が、博士を殺す機会をねらっていたのだ。04年2月11日、60名の先生と看護婦達が事務室で院長の講話をテレビで見ていたとき、用心棒がトイレに席を外した直後、黒いずきんで頭を隠した女性が突然近付き、「お前が李先生か」と尋ねた。先生が「そうです」と言い終わらないうちにその女性は懐から包丁を取り出し先生の頭に切りつけた。白刃が光った瞬間先生の頭は血だらけに染まっていた。横にいた先生の話では、「ドス」と言う音がして誰かが椅子を倒したのかなと想った瞬間、博士が地面に倒れ鮮血が辺りに飛び散っていた。そして何人かがことに気づき、さらに博士にとどめを刺そうとしている女性の前に立ちはだかりその包丁を取り上げた。
刀傷は9センチで博士の頭蓋骨に達し骨を削っていた。博士の左の手にも深い傷があった。現場で博士はショック性の意識不明となり、手術も危険の段階を何度も超えて、やっと命を取り留めた。
 当日すぐに病院内で働く人達がら、その女性凶刃犯を厳重に処罰する要求が出、当日の手術は中止された。
 事件はすぐに党中央に届き、国務院副総理兼衛生部長呉儀氏および四川省党幹部共にこの事件を上手く処理するようにとの指示が出され、博士に慰労の言葉が届けられた。

 さらにまた

 記者は西都市公安局に尋ねると、犯人の女性は陳文軒と言い、56歳、ある中学で会計をしているという。彼女の夫が肝臓ガンにかかり、すでにガンは末期の状態であった。病院で何度か相談し、当人は切開手術ではなく放射線治療で治して欲しいと希望していた。しかしそれは不可能であることを患者に説明し、了解を得ていることが病歴に書かれているという。手術を受けても改善せず、腹水がたまるなどの症状を見て彼女は治療が失敗したと思いこんだようだ。そして「夫の命と先生の命と交換する」と漏らしていたという。
 他の外科の先生に記者が聞くと、一般的に肝臓ガンは死期が早く半年くらいがその平均寿命だという。しかし今回の手術で患者は1年半生き延びているから、手術は上手く行っているのだという。さらに病院側は治療と手術記録を調べ、問題は無かったと判断を下している。
この事件後さらに別の先生が狙われた。斐先生が問診中、患者が刀で斬りつけた。これは立ち会っていた医学生が間に入って傷害には成らなかった。 
 病院の統計によると02年以降各種暴力的殺傷事件が20件以上、具体的に傷害に至ったのはその内7件、今年になってすでに脅迫事件が6件起きている。そこには「先生を殺す」とか「病院に火をつける」等というものがある。

 医者と患者の衝突

 現在中国の全体で院内暴力事件が頻発している。今回の李先生の事件はその代表的な事件の一つである。これは最近医者と患者の関係が極めて異常に緊張した関係にあることを示している。
 華西病院の院長は「この原因は中国の医療制度がまだ整っていないこと、平等でないこと、一度病気になれば窮乏が避けられなくなること、等に関係している」と言う。
 さらに続けて「また薬価も不合理で金額が不適正であること、医療部門の専門化が不合理である。これらの矛盾が激化し、患者の怨恨が貯まって”生け贄要求”まで引き起こしている」と言う。
 四川省の役所で尋ねると、「用心棒が必要な状態は望ましくはないが当面は仕方ないでしょう。これは患者にも先生達にも大きな精神的負担となっています。この原因は中国では医療改革が昔のままでほとんど改善されていないこと。薬価がべらぼうで、医者は賄賂を当然として要求し、医療費の査定は不適正で、病院には管理や規律などが無く、現制度が不健全の一言に尽きる。このままでは緊張の激化は更に高まる一方でしょう」と語っている。

 ちょうどこの事件の頃現地では「政治協商会議」が開かれていた。医療代表も多数参加した。多くの代表が発言し討議が活発に行われた。しかし現実的な問題については誰も発言しなかった、と病院宣伝部長が教えてくれた。
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 訳者注:
 中国の包丁は日本の2倍以上有り、動物の肉の骨を直接叩き切ります。
 5年ほど前に中国は法治国家になることを人民大会で決議しています。
 しかしそれが遅々として進んでいないことが根本的な障害となって、この様な刃傷沙汰が真昼間に起こるのでしょう。

 つまり患者側は公的な機関との相談が出来ない。相談できる機構がない。信頼できる役人が居ない、等の理由です。
 以前翻訳した「薬価抑制の直訴」がその辺のことを物語っています。直訴した方は中国人としては実にまじめで勇気のある方だったと思います。現在では報道が開かれてきたので、恐らく逮捕されていないと思います。でも10年前なら当然国家反逆罪で逮捕でしょう。
 それにしても翻訳最後の数行は中国の国家のあり方を見事に表現していますね。 
 「政治協商会議」の代表に選ばれることは名誉と考えられています。民間企業が経営を進めるためにはここへ参加することによって党からの信頼が得られ、社会的信用も得られるようです。
 
用心棒付きの医者