2000年のクラシック音楽鑑賞日記

12月30日 その2
実家へ帰ろうと家を出て、ポストを覗いたら、佐○急便の伝票(?)が。昼間でぐうぐう寝ていた間に某R企画からケーブルが来ていたのだが、起きなかったらしい。部屋へ戻って電話して、年明けに届けてもらうことに。ま、自分へのお年玉ですな。年明けはケーブル交換にスピーカー・ケーブル剥き直しか。今使っているMonster CableのM1000iはビデオ・デッキ用にするか。映像用ケーブルが付属のちゃっちいのってのも何だからaudio technicaのでも買おうかな?…どうせたいしてビデオなんて見ないくせに(だから、録りっ放し)。

12月30日
帰省前にAbbado/BPOの録りっ放しになっていたビデオを見たりした。第1楽章の推進力と終楽章のきれ具合はなかなか。…間が飛んでいるのは、ご飯を食べたり、食器を洗ったりしていたから。建物の住民もすっかりいなくなったようなので、少々音量を挙げてSzellの"Eroica"を聴いてみたりする。この時点で、ヴォリュームは普段より1ステップ上げ。で、とどめにさらにもう1ステップ上げて、Solti/CSOのMahler 6。これで今年は聴き納め。ふう。

12月29日
今年も残りあとわずか。今世紀も残りあとわずか。過ぎ行く時間を偲んで…とかいうつもりだったかどうかは忘れたが、VerdiのRequiemを聴いてみたり。Solti/VPOの演奏。有名な方ですな。無名な(?)CSOとの演奏はRCAの曇り時々雨な録音で困ったちゃんだったが、こちらは輪郭がしっかりしていて良い。トラック1にノイズが多い以外は特に問題なし。まあ、67年の録音ということで古さはあるが…。この組み合せの演奏としては破綻の少ない方ではなかろうか。この組み合せでまともに聴けると思ったのは、"Eroica"とBrucknerの7番くらいだったように思う。曲が曲なので、オケがどうのという話もあまり出てこないと言ってしまえばそれまでだが。相変わらずやっかましいなあとか思いながら聴いているあたり、とても過ぎ行く時間を偲んでいるようには見えないな。
もう一つ。Giulini/La Scala POのBeethoven: Sym. Nos.1 & 7。バカ丁寧な演奏。Klempererに迫ろうかという悠然としたテンポでじっくりじっくり進む。落ち着いて聴けることに関してはなかなかこの右に出る演奏はないかも知れない。7番の終楽章が実はAbbadoの新録とほぼ同タイムなのには驚き。…Giuliniは繰り返さずに約8分。Abbadoは繰り返して約8分…。

12月26日 その2
Solti/CSOのShostakovich: Sym. No.8。悪夢のような10番の後で、なかなか聴く気が起きなかったのだが、ついに聴いてしまった。結論から言うと、悪くない。10番のようなへっぽこ演奏ではなく、まずは安心。金管の音色が曲と合わない感じがするのはMravinskyの演奏で慣れすぎたせいか。第3楽章までは結構楽しめる。曲への共感とかはあまりなさそうな演奏ではある。

12月26日
これで今年は買い納め?CDじゃないものを4枚分ほど。全部Solti(笑)。ConcertgebouwとのBartok: 「弦チェレ」と「オケコン」、CSOとのBrucknerの4番(ライヴ)、BRSOとのTchaikovsky: Sym. No.4、Prokofiev: Romeo and Juliet、Shostakovich: Sym. No.9。「オケコン」はこの指揮者だけで4種類になるかな?全部違うオケ…。今月はちょっと買い過ぎたかな?

12月24日
クリスマスだからというわけでは決して絶対に断じて、多分無く、Wand/NDR SOのBeethoven: Sym. No.9を聴いてみたりする。食事作りながらだったり、食べながらだったり、片付けながらだったりだけど。もう少し悠然としているかと思ったが、この時(1986年)Wandはまだ(?)74歳くらい。じゃかじゃかやっていても不思議じゃないか。リズムの融通の効かなさが頑固親父ぽくてちょっと微笑ましかったり。NDRはそう上手いわけではないな。楽器間のバランスとか、この指揮者を褒めちぎる人の言っていることも分かるなぁとか思っていたら、終楽章で金管を飛び出させてたりして、うーん。合唱団を二つ合わせているところからすると、人数は多めなのかな?壮麗な感じがしたような気がするが、何せ皿を洗いながらだしなぁ…。終楽章の最後はもっと思い切りが良いかと思ったら、案外抑え気味。途中までは凄いことしそうな勢いだったのに。まぁ、この人はそこでぷちっと行かないのが売りなのだろうし…。このオケでこれ以上やると破綻しそうではあるな。そういえば、某書に「Wandが死んだら困るのはBMGだろうに、何故来日公演なんてさせるのだ?」と書いてあったが、それは違うな、と思った(いきなり話が飛ぶ)。WandはCelibidacheと違って録音は全然嫌いじゃなく、実際、結構な量の録音がBMG (RCA)にある。ここでWandが死んでも、実はさしあたってBMGにとって悪いことがあるわけではない。むしろ、「追悼」と称してばしばし売りまくる大チャンス。新しく録音するのに比べたら、古い録音の復刻なんて断然経費も安かろう。BMGの商売チャンス到来ではないか。お得意の(決して評判がいいわけではない)K2リマスタリング等を繰り出せば古いので持っている人も飛び付くかも知れない。レーベルにとって演奏家がカリスマになることは重要であっても、カリスマであり続けることにはそんなに意味はないのかも知れない。…なあんて書いたりして、性格悪いなぁ。ファンに怒られるな。

12月21日
Maazel/VPOのMahler 5。72分もかかってる。第1楽章は途中、止まるんじゃなかろうかというくらいテンポを落としたりして、何やらくどい。第2楽章は輪をかけて遅く、ここをじゃかじゃかとやって欲しい私はひたすらじれったい思いをした。第3楽章からあとは食器を洗ったりしだしたので、きちんと聴いてない。終楽章の最後はもう一つだったような…。1番より音がすっきりして聴きやすいなと思ったら、この5番の方が3年古い録音。…こっちの方がいいように聴こえるんですけど(笑)。

12月20日
忘年会へ行く途中にCDを購入。Solti/CSOのBeethoven全集。1、5、6番とLeonore Ov. No.3以外はもう持ってたりするけど。2、4番は特殊なリマスタリングだし、他は軒並国内盤なので、リマスターされている今回の方がきっと音はいい…はず、多分。今月、一日一枚ペースかも?ちょっと買い過ぎか。

12月19日 その2
こんなものが届いた。Mravinsky Concert Listings。有名な(?)天羽健三氏の製作。製作の過程の一部が記してあったが、いやいや…よくやりますな。感動的な完成度でお届け。これの話はいずれおいおい。とりあえず、Mravinskyの最後の演目がSchubertの未完成とBrahmsの4番だったということが、何とも。どちらの曲もこの指揮者の演奏が最も好きなので…。

12月19日
最近はYudinaでばかり聴くことの多かったBeethoven: Piano Sonata No.28、たまにはと思い、Polliniを取り出して聴いてみたところ、「ああ、そうか」と思うところがあった。最近、あまりこの曲を聴きたいと思わなくなった理由も判明。まず、Yudinaでは駄目なのだ。それは私がこの曲の第4楽章のフーガに求めているものと彼女が行っていることの間にギャップがありすぎるから。では、どんなものを求めているのか?この第4楽章の95小節から205小節くらいまで(手許にある楽譜はDover)、ここが決め手。提示部をやたらめったら速く弾いたYudinaはここへきて突然じっくりと弾き出すのだが、これでは困るのだ。フーガで声部がくんずほぐれつしながら上へ向かっていく様子を力強くやってくれないと、どうも駄目らしい。Polliniはこの辺を一気に弾き切るのだが、こういう迷いのない感じはOK。というわけで、あれこれ引っ張り出して聴いてみた。Pommier…いけそうでいけないもどかしさが何だか嫌。"Hammerklavier"以外はあまり面白いと思えないのもこの辺に原因がありそう。Gilelsのフランスでのライヴは切迫した感じがいいのだが、最後の最後でちょっとひよったのか自制心が働いたのかブレーキがかかる。6年後のスタジオでは同じ部分が肥大化したスケール感を伴って現れ、うーん。久し振りにこの曲を色々聴いてみたくなった。CD屋さんには近づかない方がいいな(笑)。

12月18日 その3
Maazelと海もない国の田舎オケで世界一下手くそな世界最高のオーケストラ、Wiener PhilharmonikerのMahler: Sym. No.1。第1楽章は結構楽しめた。表情付けがやたらといやらしくてちょっと困ったけど。しかし、この曲の山場は終楽章(と決めつける)。で、このオケの金管ではどうにもならない部分が噴出。Brucknerなんかも含めてでかい音を出さなきゃいけない曲は大抵向いていないと思っていたりするんだが、この曲も多分に漏れず。へっぴり腰みたいな金管がえも言われず、響きはすっからかんのすっかすか。打楽器をかなり叩いてその隙間を埋めようとしているのか、それがかえってすかすか感を強調しているような…。表情付けのくどさなど、聴かせるところがないではないんだが…。

12月18日 その2
どうにも止まらない。全ては50%引きセールのワゴンでHamelinのMozartを見付けたことから始まった。タワレコの200円引クーポンを使うにはあともう一枚必要と思って探し出したのが運の尽き。一枚で済むわけないじゃん。というわけで、4枚増えた。Hamelin plays Liszt (Hyperion)、Reiner/CSOのBartok: Con. for Orch. (xrcd2)、Solti/VPOのVerdi: Requiem。Hamelin plays Lisztは未だに無いのは問題なので…。ReinerはBeethovenでころっとやられてしまったので、Bartokも。55年の録音だから、まだ完全にできあがってはいないんだろうけど。Requiemは今更という感じがしないでもないが、無いわけにもいかないので。CSOとのRCA録音は持ってるので、VPOで敢えて買う理由なんて殆んど無い。The Classic Soundのものを購入。国内盤だが仕方がない。普通サイズの2枚ぐみを買うのはスペース的に問題なので。

12月18日
一部にしか関係ない話。Quinhentos Cruzados = Five Hundred Cruzadosだそうな。ポルトガル語らしい。Cruzadoが何か…。Caminhos Cruzadosが十字路で、Caminhosが英訳だとPathsになるので、十字架かな?通貨の単位かとも思ったけど、違うみたいだな。うーん。十字架5百本って…。

12月17日
騙されて(笑)買ったReiner/CSOのxrcd2。出だしから顎が飛びそうになった。凄い音がしてまっせ、これ。人知を越えたくどいのを通り越した密度感に唖然呆然。熱くて厚い。「CDが本気になったらどうなるか見てろぉ」というJVCの鼻息が聞こえてきそう。音の広がりとか、確かに全てにおいて万全とは言えない面があるのではあるが、それでもCDでこんな音が出るとは。これを聴いてしまうと、普通のCDはちょっと距離をおいたような、冷めたような感じすらする。やられました。残響が随分と多いようだが、失敗したと言われる改修前のOrchestra Hallはこんな音がしていたのかな?

12月16日
Temirkanov/Leningrad POのProkofiev: Sym. Nos.1 & 5。1番は聴き始めからやられた。いや、演奏にではなく。なんじゃこりゃ。もはや何がどうなっているのかがどうでもいいくらいおかしな録音。ひょっとして逆相?木管なんてあらかた左側からしか聴こえないし、弦の配置も古典だか現代だかよく分からないし、あああああ、とにかく変。ゴミ変。変すぎて演奏なんて聴いている場合ではなかった。やってくれるじゃないか、Leningrad Masters。うってかわって5番はやや晴れ時々曇りの音調ではあるものの、いたってまとも。こっちの方が一年古い録音なのに…。第2楽章あたりの躍動感はなかなか聴けるものだったが、肝心の(?)終楽章のできが今一歩二歩散歩…(すいません)。何だかやたらと平べったく聴こえる。アクセントが丸まっているような感じ?タイムはかなり速いにも関わらず、実感としてはもっと遅く感じる。彼ならもっとテンションの高さがあってもいいようにも思うが。就任するかしないかの時期の演奏なので、まだ彼の意のままになっていないということか、それともこの辺が限界なのか、さてさて。

12月15日 その2
BoletのLiszt (Everest)を聴いていたらなかなかひどいことになっていることが判明。Sonataの1分50秒くらいで、いきなり、左右が反転する。おいおい。1分位して、元に戻る。おーい。Mephisto Waltzに至っては、何度反転を繰り返したことか。トランスポーテーションをかますなんて、すごいぜ、Bolet!!…なわけなかろう。ここで編集したんだなってのはよく分かるが、それがどうした。適当すぎて顎が外れそう。2年ぶりくらいに聴いたが、2年前も何だか定位の仕方が変だと思って聴かなくなったんだっけ。ここまで変だとは思わなんだ。Sony以外がSBMを使うとよくあることらしいが、ちょっと高音がキンキンしすぎる気がする。演奏自体は前から好きな方だけど。

12月15日
二日続けて埼玉なんぞへ行ったりした日にはそりゃCD購入も止まらない。クーポン券の恩恵なんぞどこ吹く風。そんなわけで8枚ほど。Repin, Berezovsky & D. YablonskyのTchaikovsky: Piano Trio & Shostakovich: Piano Trio No.2、ArgerichのTchaikovsky & Schumann: P. Con.他(KORD)、Fazil Sayの「春祭」、MullovaのBach: Partitas、ReinerのBeethoven: Sym. No.5 & Coriolan Ov. (xrcd2)、StarkerのBach: Suitesとあと一枚(自分の分ではない)。Repin他のTrioは前から買おうと思っていたので、ここぞとばかりに。Argerichはそんなに興味があったわけではないけど、セールでやたらと安かったので。Sayは、まあ、なんとなく。Mullovaは輸入盤で欲しかったので、見付かったら即買い。Reinerは、もう持っている演奏だけど、Victorにだまされてみることに。私がMunchなんて買ってもしょうがないしね。どこまで音が良くなっているのかが見物。変わっていなかったらどうしてくれようか?Starkerは、ピアノ編曲版を先に聴いてしまうのもどうかと思ったので。MercuryのLiving Presence。演奏も録音も良いと信じよう。研究室の机の上はいよいよ大変なことに。誰か何とかしてくれ。

12月12日 その2
明日のゼミの準備をしながら。OborinのBeethoven: Piano Sonata No.31 & Chopin: Piano Sonata No.3。Oborinに関しては割と節度のある弾き方をする人というイメージが何故かあったのだが、このCDを聴く限りでは、けっこうやかましい。録音も録音で、強いところでもろに潰れたりする。Chopinの終楽章は非常に弱く弾き初めて、ずんずんと音量を上げ、迫ってくるのが妙にものものしい。

12月12日
というわけで、ケーブルを某R企画に注文。WireworldのEclipse III。現在、CDプレーヤーとプリアンプ間に使っているものですな。今度はプリ・パワーアンプ間の接続に使おうという魂胆。プリは2番ホット、パワーは3番ホットなので、注文時に入れ替えを頼んでおいた。さ、届くのはいつかな?クリスマスにはさすがに間に合わないだろうな。年明けくらい?ま、自分へのお年玉ということで。

12月11日
最近、エントリーシートを書いたり、履歴書を書いたり、ゼミの準備をしたり、お仕事だったりでさっぱり落ち着いて音楽を聴いていなかったが、30分ちょっと時間を(半ば強引に)取って、ばしっと聴くことに。でも、出してきたのは新譜じゃなかったり(笑)。そんなわけで、飽きるほど聴いているはずのMravinsky/Leningrad POのBrahms: Sym. No.4。この演奏だけは譲れない。私にとっては「こうでなくてはいけない」と思わせる演奏だから…。まあ、頭が固くなってるんだろうな、この辺は。ま、それはとにかく。ケーブルを交換してから聴くのは初めてかな?ケーブル交換の後もこまごまとやってるけど。第1楽章は、まあこんなもんか。第2楽章でちょいと耳をひかれ、第3楽章で「お、いい感じ」。で、第4楽章。体調は決して良い方ではなかった。集中力はそれでもあったかも知れない。聴いていて、魔法をかけられたような気分になった。あるべきものがあるべき場所で鳴っていて、f、D両レンジの狭さを引っくるめた上での音色感。「ほう、こんな音で鳴るものか」と今更ながら感心してみたりして。こういうことがあるから、オーディオに歯止めが掛からなくなるんだよなぁ。…今日は帰りが遅くてケーブルを注文し損ねたけど、明日は注文しようかな?

12月9日 その2
密かに考えていた計画をついに実行。手芸屋(!)で厚手(2mm)のフェルトを購入してきた。こいつを、音楽を聴くときはテレビの前に垂らしてやるのだ。前から、テレビが邪魔だなぁと思っていたのだが、これで少しは改善されるか?結果は、もろに高音が吸音されるからか、何か生気がない音になった反面、音の広がりは改善。そこで、部屋のカーテンを開け閉めして、響きを確かめてみる。開けすぎると響きすぎてやかましいが、丁度いいところに何とか落ち着いた。端から見たらもはや正気の沙汰ではないんだろうな…。というわけで、しばらく我が家ではカーテンはちょい開きになりやす。

12月9日
池袋の山野楽器へ行ったら、980円セールのワゴンが出ていた。買わないわけにはいかないでしょう(笑)。というわけで、Ormandy/Philadelphia OのShostakovich: Sym. No.15(High Performance)、Pahud, Abbado/BPOのMozart、Reiner/CSOのR. Strauss: Don Quixote, Don Juan、Berezovsky, DuchableのRachmaninov: P. Con. Nos.2 & 3。研究室の机の上がひどい状況になりつつある。

12月7日
でかい音で聴かないと低音が聴こえないと評判のNanasakovのAlkan、しばらくぶりに聴いたら、めっちゃ出てる(笑)。倍音が少ないから?一応うちのスピーカーは32Hzまで出ることになってるからねぇ。そんなことしている場合でもないんだけど、下の「クラシック マジでやばい話」をあっと言う間に読んでしまった。鈴木敦史は書きたいように書いていて、爽快感を一段と増している(ように私には思える)。主犯(?)の許光俊先生はというと、うーん。この人はどこへ行くのだろう?いつにも増して真剣な文体で、切実さを訴えようとしているのは私なんかが読んでも感じられるが、その立場が「正しき道へ導く使徒」のようになってきている気がする。これって彼がともすれば小馬鹿にしている宇野こーほーと方向性や方法論は違うとは言え、近い路線じゃあないんだろうか?後半のもっと気楽に書いた(と思われる)文章は相変わらず効きすぎなくらいに皮肉が効いていて、まだ救われる感じがしたが、でも、そこかしこで「こうあらねばならぬ」が顔を出す。そんな書き方をする人だったろうか?と思わないでもない。平林直哉という人が録音、リマスタリングについて書いている文章はへえ、と思う部分もあったが、そんなに目新しいことばかりではなかった。いちいち例に出されるのが殆んどFurtwaenglerというのがちょっと…。ただ、音質の評価法は一面的かな、と思わないでもない。…Furtwaenglerじゃモノラルばっかりだけど。残りのお二方の感想はまたいずれ。

12月6日 その2
J1 ProjectのSQ5519を購入。これだけでは分からない人には何のことかまるで分かるまい。世間の言うところの「インシュレータ」の一つで、オーディオ機器の足の下にひくゴム板(そんなに単純な組成ではないらしい)みたいなもの。これまでは手製の八重ブチルゴムをテフロン・シートでくるんだインシュレータを使っていたのだが、それっきり「足回り」には手をつけずにいた。というのも、インシュレータ交換のためにラックから機器を引っ張り出すのが億劫だったから。しかし、意を決して交換することにした。とりあえず、CDプレーヤに使うことに。実際には、ラックから引っ張り出さずに済んだ。対角線上で交換していくことで、プレーヤを持ち上げたりしなくても、隙間にすっと入れてやればOK。で、音を出してみたところ、少し伸びやかになったのと、音の分離がよくなったのとで、とりあえず満足。実は、J1 Projectでは本当に狙っているものがあったりするんだが…。ま、まだ先だし。

12月6日
許光俊編著の「クラシック恐怖の審判」シリーズ第3弾、「クラシック、マジでやばい話」を買った。出たのは結構前なのかな?まあ、この本は私の担当か。Lebrechtの「誰がクラシック音楽を駄目にした」(和訳)もあったので、ついでに買おうかと思ったが、別に私が和訳を買わんでもよかろうと思い、「やばい話」だけにした。で、思ったが、Lebrechtの英語版、普通に手に入るんだろうか?…まあ、手にいれても読むのはしばらく先になりそうなので、急ぎはしないんだが…。

12月5日
Maazel/COのBeethoven。4、5番。4番は第1楽章が結構面白かった。ヴィオラがいきなり飛び出してきたり、チェロが飛び出してきたりと「飛び出す絵本」みたい。5番は昔持っていた演奏ではないかと…貸したまんまでもう5年くらい?まあ、いいや。終楽章のデュナーミク操作で、「えっ」と思わされたりした。どちらも食事の用意をしながらなので、まあこんなところで。BeethovenつながりでCianiの"Hammerklavier"とSonata No.32。Polliniより上という噂があったりしたので、思いっ切り期待していたのだが、うーん。全く駄目とは言わないが、これでPolliniより上ってのは…。音楽の流れの悪いところが多発するのはどんなもんだろう。最近は凄い"Hammerklavier"が多いしなぁ。

11月30日
昨日の今日で何だが、N響。Dutoitの指揮だし…。曲は、Mozart: Eine Kleine Nachtmusik、R. Strauss: "Der Burger als Edelmann"suite、Stravinsky: Le Sacre du printemps。どんな組み合せだ?Mozartはもうおなじみ過ぎる曲ですな。演奏自体、悪いとは言わない。でも、あまりにもおなじみ過ぎる点が出ていて、聴いていて嫌だった。Dutoitがお洒落にやろうとしている部分とオケがもともと持っている真面目な正確がバッティングしているというのも勿論あって、それはそれで何だかなぁという感じではあったのだが、それ以上に、どの奏者を見ても全く面白くなかった。機会仕掛けの人形を見ているように、淡々と弾いている。聴きながら、「この人達は別にこんな曲を今更弾きたくないんじゃないの?」と思ってみたりした。Dutoitはこの曲に限らず、随分と一生懸命に動き、さらには唸り声を上げたりまでしていた。この唸り声、オケのメンバーはどんな風に捉えたんだろうねぇ…。R.Straussは非常に編成が小さい曲なので、その分だけオケと指揮者のやり取りもうまくいっていたように思う。面白い曲だとは思うが、ピアノがねぇ…誰か連れてきたら良かったのに。で、後半は期待の「春祭」。例によって(?)席を移動。木曜日なので、かなり空席があった。二階席の前から4列目、中央よりやや右側。音がぜーんぶ上の方を通り過ぎていくような感じが何とも。で、演奏だが、出だしからかなりマッシヴな感じで、少々予想と異なった。金管は「おいおい、大丈夫?」と心配になるほど鳴らしていて、結構どきどきした。低弦の効かせ方が面白いなぁとか思っていたら、テューバが思いっ切り入るとこ間違えたりして、ちょっとひいた。なかなか爆裂していた演奏だが、Dutoitの完全に君臨しているような指揮が印象的だった。でも、彼のやりたいことがどこまでできていたのか。それにしても、昨日の今日では視覚的にはDutoit以外は見るべきものがなかった…というのは言い過ぎか?

11月29日
お楽しみのAbbado/BPO。曲はBeethoven: Violin Concerto & Symphony No.6 "Pastoral"。ソリストはHilary Hahn…若くて細いねぇ(ついでに、オケも若い人が多かったなぁ)。19か20歳?(好みかどうかは別として)見た目も音も綺麗だった。オケの編成は1st Vn 12人、2nd Vn 10人、Va 8人、Vc 6人、Cb 4人。協奏曲ならこんなものか。オケも巧かったとは思うが、この後が凄かったので…。アンコールにHahnがたどたどしく、「よはん・せばすちゃん・ばっはのむばんそうソナタいちばん、フーガ」と言ってから弾き始めたりして、微笑ましかった。で、「田園」。これは本当に凄かった。編成は前半と変わらず、少々こじんまりとした印象だが、結果として管楽器が綺麗に浮かび上がり、これはこれでいいんではないかと思う。とにかく、もう巧いことにかけてはこれ以上のオケは考えがたい。Pahudがいなかったとは言え、木管も金管も本当に良いヨーロッパのオケの音がしていた。第4楽章はしっかりうるさかった(笑)。終楽章の弦楽器の透明感はえも言われず、知人曰く「磨き抜かれた鏡面のよう」。技術面の完成度の高さだけでも舌を巻くが、各奏者の熱意にも恐れ入った。Abbadoの大振りな指揮に素晴らしい反応を見せ、積極的に音楽を造っていこうという姿勢が見て取れた。どこかの手抜きオケとはえらい違いだ。

11月28日
SzellのDSDリマスター盤が出たから、ひょっとしてと思いつつ、特にチェックもしていなかったが、やはりSACDになっていたのだな。てことは、ついこないだ出たSonyのBest 100のシリーズも全部SACDで出る(出た?)のか?…にわかに雲行が怪しくなってきた。Deccaが大量に出したりした日には、SACDプレーヤーを買わないわけにはいかなくなるな、立場上(どんな立場だ?)。その辺、どうなっているのかなぁ?調べりゃいいんだが、いっぱい出てるぅなんてことになったら怖いからなぁ。我が家にもう一台プレーヤーを置くスペースはないし…。

11月27日
1st Vn.10人は1、2、4、8番ですな。失礼。で、1、2番を聴いてみる。5、6、7、9番がライヴで、あとは全部スタジオらしい。1番はまぁそんなに聴いている曲ではないが、よく仕上がってるんじゃないでしょうか。まとまりとバランスの良さ、各奏者の巧いこと…これに尽きるな。速めのテンポではあるけど、案外落ち着いて聴こえる。2番はやっぱり終楽章。コーダのぶんにふにふにふに…(音楽を表現しているとはとても思えない…)の部分、1stが10人だとすると、バスは2人?しっかりぶにぶに言ってますな。作業しながらなので、細かいことはいずれ。

11月25日
Abbado/BPOの7番の日。…行きたかったぞぉ。本当に良かったらしい。…行きたかったぞぉ。でも、水曜日には聴けるからいいのだ!「田園」だけど…。くやしいので、CDの7番を聴いてみたが、ああ、やっぱり弦楽器は少ないねぇ。1st Vn.が12くらいじゃないか?1、4、5、8番(で合ってたっけ?)は1st Vn.10人という話だが。第1楽章はこのくらいずんずん進むのがいいねぇ。しかし、何と言っても目玉は終楽章だな。本気で狂ってる。電話で一度は聴いているというのに、それでも腰が抜けそうだった。巧いことに関してはもはや文句のつけようがない。その上で、全員が一丸となってひたすら前へ前へと進んでいく。それが、進めと言われて進んでいるのではなく、進みたくて進んでいる…言葉にならんな。このオケ、本当に素晴らしい状態にあると思う。ついこの間、(確か電話をしながら)テレビで見たMahlerの3番のやる気ゼロな様子はどこにも聴かれない。2、3番あたりが楽しみ。私の周りでは、この全集を聴かずにオケを語ってはいけないことになっているらしい(笑)。

11月24日 その5
WeissenbergのChaconneを聴いていたら、奇妙な音が…。ペダルを踏ん付ける音?…ちょっと違うな。「がこっ」ていう音。聴きながらずうっと気になっていたんだが、布団に入ったところで、ペダルを踏んだときに中の機構が動く音かぁ?…なんて思いついたりした。そんなもの、聴こえるかな?確かに、随分とピアノに接近した感じの録音ではあるけど…天下のEMIですよ…。

11月24日 その4
別の後輩(爆演大好き君)には炎のバカケン…失礼、コバケンこと小林研一郎が名古屋POを振ったShostakovich: Sym. No.5を聴かされた。燃えてりゃいいのか?じゃあ、消防隊員にでもなったらどうだ?…と言ってしまいそうになった。後輩をいじめてはいけません。やかましいことこの上ない上、バランスとかいう言葉すら出てきそうにない演奏で、楽譜の半分も聴こえない。なかなか終わっていた。この曲でなければいけなかった理由も必然性もなく、ただただ燃え燃え。400mを適当なフォームで全力疾走したりするのと何が違うのか?まあ、彼もこういうものをあまりに期待されてしまっているがために、後に引けないというところもあるんだろうが。でも、少なくとも、こういう人ではオケは育たないと思う。

11月24日 その3
時間軸上で話が揺らいでしまったが、ひどい買い物をする前に、駒場祭なるものに行ってきて、サークルの様子を見てきたのだった。Celibidacheを聴かせてくれるというので、"Eroica"を聴いたのだが…うーん。誉める人はやたらめったら誉めるけど、そんなにいい指揮者なのかなぁ?確かに、曲がどう書かれているかはよく分かる演奏だと思うが、このテンポで分からなくなる方がおかしいのでは?オケも誉める人は誉めるみたいだが、そうべらぼうに上手いとは思わないなぁ。ヨーロッパのちょっと上手い方というくらいじゃないの?やっぱり、生で聴かないと駄目なのか?タイムマシンがいるな。"Eroica"と言えば、早くAbbado/BPOを聴かなくては。

11月24日 その2
そういえば、レジに並んでいるとき、後ろにいたカップルと思しき二人組がこれまた奇妙な会話を繰り広げていたっけ。Bernsteinのベルリンの壁崩壊記念(?)の「第9」の話をしていたのだが、歌詞の変更の部分。「友よのFriedeがFreedomになってるんだよ」…おーい。さあ、間違いはどこでしょう?まず、"Friede"は「友」ではないですね。「友」は"Freund"。"Freedom"…こりゃ英語ですな。いくらBernsteinがアメリカ人だからってドイツ語の中に英語を放り込むことはしないって。"Freude" (喜び)が"Frieden" (平和)になっているのが正解ではなかったかしら?"Freude"ではなく、"Freund"が"Frieden"になっているんだったかも知れない。うーん、どっちだっけ?

11月24日
なかなか今月は終わっている。Tower Recordsへ行ったら、10%オフ・セールをやっているではないか。ついでに、50%オフのワゴンもある。ここで私が逃げていい道理があろうか(山ほどありそうだ…)?ともかく、進んで相手の戦略の波に乗ることに。何でだか、DonohoeのBeethoven: Son. 28 & Diabelli Var.を50%オフで。あとは10%引きでSolti/BPOのMissa Solemnis、Solti/LPOでHaydn: Sym. 97 & 98、F.P. ZimmermannのBeethoven: Vn. Con.。ついでなのでOistrakhのBeethoven: Vn. Con.も国内盤で値引き無しだが、買ってしまった。今月、狂ってるなぁ。

11月23日
Kyung Wha ChungのBach…これだけなら買っていないだろうな。一緒にSolti/CSOとのBerg: Vn. Con.が入っているので…。Bergは私にはまだよく分からないので、まあいずれ。BachはPartita No.2とVn. Son. No.3どちらも割と好きな方。ヴァイオリンに関する知識なんてこれっぽっちもないので、さくっと結論だけ。うーん、熱いねぇ。胸焼けしそうだ。最近の好みからすると少しくどすぎるかな。…誰だ?くどいものばかり聴いてるくせにとか言ってるのは?

11月22日 その2
ふふふ。どうやら入手できそう。Abbado/BPOの来日公演。オークションで落札成功。「田園」の日だが、この際贅沢は言えまい。今日からもりもりVn. Con.と「田園」の予習をするとしましょうか。とりあえず、Soltiの旧盤でも買ってこようか?うちに今ある「田園」といったら、Soltiの新盤、Maazel/CO、Mravinskyの新旧盤、Scherchen(笑)、E. Kleiber/RCO、Kluytens/BPO、Ferencsik/Hungary PO、Kegel/Dresden PO、Tennstedt/LPO、Abbado/BPO…こんなところか?おおっ、何故11種類もある?いつからこの曲がそんなに好きになったのだ?でも、そのうちの4枚はまだ未聴で研究室の机の上だが…。一方でVn. Con.は…うーん、Morini, Szell/COくらいしかないかも。やっぱり片寄ってるのかな?

11月22日
生協にCDが届いたかどうか確認しに行く。届いていたので、買って帰ってくる。買ったのは、MravinskyのBeethoven: Sym. Nos.4 & 6とAbbado/BPOのBeethoven全集。最近、流行ってるな、Beethoven。Mravinskyは49年のスタジオ録音。これで、彼の4番と6番は全部揃ったかな?Abbadoは、これまでの彼とは別人のようになっていると大評判。Abbado 2000かmeか。

11月21日 その2
引き続きMaazel/CO。1番を聴き直す。終楽章より、むしろ第1楽章の方がぶちきれてて面白い。こんな曲か?って気もするが…。ついで6番を聴いたんだが、何と言うか、このオケがこんな曲でこんなに荒らくなっていいのかねぇ。Szellの手を離れて8年…それで、もうここまで落ちるものなのか?それとも、Szell以外の指揮者が振ったのでは駄目なのか?Szell以外では駄目なんてオーケストラは本当に上手いオーケストラなのか?うーん。などと考え込んでしまった。Szell時代に他の指揮者が振った録音、何かなかったかな?とりあえず、このオーケストラの弦はずれてはいけないと思う。

11月21日
迷った。大いに迷った。Argerichのリサイタル。結局、行かないことにした。S席が残っているとは言え、手はおろかArgerichの顔さえ拝むこともままならないような席ばかりだろうし、決して安くない。好きなピアニストだったら、払っただろうけど、今のところのこの人は私好みであったことがあまりない。加えて、今回予想される曲目…Prokofiev以外はどうだろう…今、私が聴いてもねぇ。その上、今夜は徹夜が確定している上、既にそれほど万全な体調でもないと来ては、ちょっとお財布の紐も硬くなるというもの。でも、聴きたかったなぁ…。

11月20日
2、7番はもう一息な感じが強く残ったMaazel/COのBeethoven、今夜は1番。うーん、どういうことかな?録音はこっちの方が良いぞ。2番とほぼ同じ日に録っているはずなのに…。2番ほど高域の劣化が感じられない(=ぼけぼけ感が減少)。テープの保管状態とかの影響?実際、あまり保管状況は良くなかったようだし(ノイズが入るとか、音が揺れるとかいう注意書があり、実際に起こる)。やはり金管に多少不満はあるものの、こちらは結構楽しい演奏になっている。作業しながらで終楽章しかまともに聴いていないが、デュナーミクの幅が広く、ぱきぱき進む。1番は随分聴いていないような気がするが…。一緒に入っている6番にまでは手が回らなかった。

11月19日
さっそくMaazel/COのBeethovenを家に持ち帰る。どれから聴こうか?2、7番から聴いてみることに。録音は親の敵のように悪い。わざとぼかしてるんじゃないかと思うほど。リマスターしていないとは言え…。音の広がりが希薄で音像はぼけぼけ。どうにかしてくれ。死なないとリマスターしてもらえないんだろうか?さて、演奏だが、うーん、難しいねぇ。時期としては少し半端かなぁ。Szellの影響もまだ残っているな。特に低弦の辺り。Szellの音楽の特徴の一つとして、時として強引なほどの音の階層化が挙げられると思う。オーガンジーに描かれた絵を幾重にも重ねて、手前のものも奥のものも見えるような(勿論、必要に応じて順番が入れ替わったりする)…。それがオケに浸透するほどに、オケの側もそれに向けて最適化されていったはず。でも、このMaazelの演奏ではそれがどこかおさまりが悪い。どうもべたっとしたというか、ぼてっとしたというか、そんな印象が付きまとう。一番気に入らないのが、音が全く前に出てこないこと(空間的に、ということではなく)。何か遠慮がちに聴こえる。勿論、録音のせいも随分あるだろうけど…。第2番で言えば、終楽章。タイムは相当に速いけれど、体感的には案外そうでもないように聴こえる。例のコーダの低弦ぶにぶには恐れ入るけど、これでなくては、というほどではない。7番は終楽章でアクセントの付け方が、「あら、こんなんだったかしら?」と思わされたりしたが、一番の問題は金管。はっきり言って、上手いオーケストラの金管に聴こえない。これは一番不満。ホルンとかかなり危うさを感じる。コーダのトランペットにしても、うーん、どうかなぁ。何はともあれ、この曇ガラスから向こうを見るような録音の悪さだけはどうにかして欲しい。

11月18日
もうどうにも止まらない。廃盤フェアにて、嵐のように袋へとCDを掻き込み、袋が一杯になったところで検索一時停止。選別、選別。何でも50点までの制限があるとのこと。これがなかなか中途半端で、「ああ、これも欲しい、あれも欲しい」となったりして、時折人混みの中へ再突入したりしながら、選びに選んだ50点。後で振り返ると、「こんなもん、よく買うよなぁ」と思うであろうことに疑いの余地がないのは言うまでもない。MravinskyのWagner (VE)、Ferencsik/Hungarian POのBeethoven: Symphonyを全部(笑)、Beroff & CollardのPiano Duo集、清水和音のBeethoven: P. Son. 21, 23 & 14、Levine/METのBerg、Giulini/La Scala POのBeethoven: Sym. 1, 2, 7, 8、Giulini/RCOの「新世界」、Cluytens/BPOのBeethoven: Sym. 5 & 6、Haenchen/Netherlands POのMahler: Sym. 7、Serkin, Szell/COのBrahms: P. Con. 2、WildのTranscription集(Sony) 、Kagan & RichterのBrahms: Vn. Son. 1, Shostakovich: Vn. Son.、MaazelはPittsburgh SoとのSibelius: 1, 2, 4, 5, 6, 7、Tannhaeuser、COとのBeethoven: Sym.(9番以外全部(笑))、Berlioz: Sym. fantastique、VPOとのMahler: Sym. 1 & 5、OborinのBeethoven: P. Son. 31, Chopin: P. Son. 3, Scriabin: P. Son. 2、MTT/LSOのColin Matthews; Machines & Dreams, Hidden Variables, Memorial, Quatrain、ZwedenのShostakovich: Vn. Con. 1、Stokowski/New Philhamonia O, LSOのBrahms: Sym. 4 & Mahler: Sym. 2、AccardoのElgar: Vn. Con., Walton: Vn. Con.、NikolayevaのProkofiev: P. Son. 8他、JandoのLiszt: P. Con. 1 & 2、BeroffのDebussy: 12 Etudes、Sanderling/Berlin SO, Kegel, Dresden POのBeethoven: Sym. 5 & 6、SeraphimのRomantic SymphoniesとClassical Symphoniesという箱物、あとはHeifetzが10枚だか11枚だか。よう買うわ。「最後の偉大で気高い指揮者の一人」は残念ながら一枚だけ。ま、こんなもんか。Maazelがごろごろ落ちていたのは嬉しかった。特に、Berlioz。Ferencsikは何故か全部買ってしまった…。Victor EntertainmentのMravinsky、もう廃盤なのかぁ。家になんて置いていたら邪魔でかなわないので、とりあえず研究室に持ってきてはみたものの…どこに置いても邪魔なものは邪魔だわ。これからDiscographyに全部打ち込むとしますか。いや、大変だ、全く。

11月17日
我が家にNanasakovがやって来た。彼の(?)CDだけど。Cello Suiteの編曲版。さあて、その前に元曲をきちんと聴いておかないとな。

11月16日 その3
このままだと一連のコンサート強化月間のトリとなるOzawa/VPOのコンサート。曲目はBrahms: Symphonies Nos.3 & 2。前半の3番。なかなか終わっていた。徹頭徹尾へろへろ。アンサンブルが適当なことと管楽器の田舎臭い音がえも言われない。ああ、やっぱりへったぴなオケなんだなぁ。気に入らないアーティキュレーションもいっぱいあったが、そんなことをどうこう言える次元になかった。この組合わせなら嵐のような拍手が期待できそうなものだが、拍手に全く勢いが感じられなかったのは私の気のせいばかりではあるまい。演奏前から小澤はオケにへこへこしまくり。出てくるなり、コンマスは勿論、他の弦楽器の首席とも握手を交わす念の入れよう。この3番のゴミ演の後も管楽器奏者を立たせたりと大忙し。「演奏の後は必ず立たせるからな。ブーイングを浴びせられたくなかったら後半はましにやれよ」ということを言う人ではないだろうしなぁ。彼も大変だぁ。さて、この3番に「涙が出るほど感動した」というもはや耳無し芳一状態の客もいたという話にひきつつ、後半。依然として全く改善されない。ヴァイオリンなんてコン・マスしか聴こえないぞ。後ろの方の連中は本当に弓が弦に触れていたのかすら疑わしい。プロ意識のかけらも感じられない、だらけたつまらない、空しい時間がどんどんと過ぎていく。ああ、このオケはもはや伝統という看板を惰性で背負っているだけなんだなぁと思いつつ、Maazelとの「新世界」はこんなんじゃないのに、などと考えたりしていたら、それは起こった。終楽章も終盤、何が起こったのか、突如精度の向上したアンサンブル、張り切る金管。ほんの数秒前までの1時間以上を信じ難いへろへろ演奏で通してきた楽団とは思えない。「俺達が本気になればこれくらいはできるのさ」…そういうことなのかも知れない。つまり、彼らはそれまで「本気で」手を抜いていたのだ。馬鹿にされている。小澤も、聴衆も。もろにこちらを向いて吹いていた金管はそれはそれはうるさかった。そして、用意されていたかのような「ブラボー」。こんなんで嬉しい輩は最後の3分だけ聴きに来ればよろしい。アンコールは「芸術家の生活」とPolka schnell。実に楽しそうに弾いていたが、それだったら最初からAll Strauss Programにでもすればいいじゃん。死ぬまで踊ってろ。一連のコンサートで今のところ一番高かったのに、一番悪いというのはどういうことだ?詐欺に近い。MaazelやRattleなど、期待が持てそうな指揮者でない限り、この「世界一下手くそな世界最高のオーケストラ」を聴きに行くことはもうないだろう。誰だ、こんなゴミ・オケが世界一だなんて言ってるのは!?金返せ、どろぼー!ああ、これで終わらせたんではあまりに尻切れとんぼ過ぎるぞ、この強化月間。

11月16日 その2
極秘(?)情報をもとにお茶の水へ急行。HamelinのCBC盤Godowskyをようやく入手。中古だが、致し方がない。この件に関しては方々にご迷惑をお掛けしました。

11月16日
ちょっと気に入った文章があったもので。

Not blessed with imagination or, sometimes even professional techniques, they manage to make the music sound metronomic and dull.

Schonbergが"authentic instrument"を弾く奏者について書いたもの。読んでて笑ってしまった。Norringtonが思い出される?「時としてプロとしての技術すらない」…なるほど。そういえば、装飾音ってOrnamentなんだねぇ(そのまんまではあるけど)。英語の方がおしゃれな感じがするのは気のせいかな?やっとこさ最初の2章が読み終わったところ。ふう。最初から読まんでも、と言われたけど、まあ、せっかくだし。Mozartの話とかも割と面白かったな。日本語に訳してその雰囲気を伝えられるかは…あやしいな。

11月15日
ちょっと前のコンサートでもらったMullovaのオペラシティでのコンサートのビラがちょっとお気に入り。Philipsのディスコグラフィーで写真を眺めていると、C.P.E. BachのConcertoでのきりっとした感じも結構好き(ちょっと怖いけど)。Through the Looking Glassのちょっとどきっとさせられる感じも良いねぇ。もう30代も半ばかひょっとしたら後半くらい?女性は30からが勝負だな、やっぱり。…異論が随分ありそうだけど。えっと、ビラの「鑑賞」ってことで。それに引き換えファースト・ネームで大々的に(?)売り出し中のChebotarevaのビラは…何か、ちょっと、いや、相当違うというか間違っているというか…。ラスト・ネームの響きがあまり綺麗ではないのは確かだけど…。何かイメージとして間違っているような…。そういえば、Anastasia嬢はKoganが使っていたStradivariusを使っているんだよねぇ。難しいねぇ、この手の話は。

11月14日
Szell/COのCDじゃない方の"Eroica"。これはFMのエアチェックだな。それっぽいノイズが全体的に見事に乗ってる。演奏は、うーん、ホルンの配置が違うぞ(演奏の話は?)。真ん中やや右寄り?この時はたまたまこういう配置だったのか、それともこの時期は全部こういう配置だったのか…。第1楽章の10分くらいのところかな?ヴァイオリンの弦が切れたような音がしてるな(やっぱり演奏と関係ない…)。金管がうるさく(私にとって悪いことじゃない(笑))なっているけど、他の管楽器も総じて自己主張?が強くなったように聴こえる。終楽章だったか、一瞬木管(オーボエ?)が飛び出したかな?と思ったら弦がすうっと立ち上がってきて引き込まれそうになった部分があった。まるで飛び出した(ように思えた)木管を合図にするかのように…。で、問題のコーダ。音そのものからも、定位の仕方からもはっきり分かる。大阪では同じことをしたのかな?

11月13日
最近、Deccaの70年代のものでも録音に古さを感じる…。あ、下で嘘書きました。Reiner/CSOではなくLevine/CSO。Reinerは一緒に入っているCarnaval Ov.でした。

11月12日
Szell/COの東京ライヴ後半。Sibeliusの2番…随分前からそれほど好きな曲ではなかったけど、これだけやられると恐れ入るなぁ。音質に問題があるとか無いとかいう話があったような気がするが、出だしは若干ノイズが多い。各楽器の音の鮮度感はそれほど落ちていないようにも思うが、最後の拍手の音がかなり硬い。テープの保存状態にばらつきがあったのかも知れない。CDじゃない方の盤との比較はまあそのうち。あれ、どこかで呼ばれてる…。「新世界」…うちにゃBernstein/NYP、Reiner/CSO、Solti/CSO、Szell/COくらいしかなかったはず。しかも第3楽章が好きとか。

11月10日 その2
これはコンサート強化月間の中にはもはや入れられないだろうなぁ。N響。指揮はKrivine。Mendelssohn: "Die Fingals Hoehle" Ov.、Elgar: Sea pictures、Brahms: Sym. No.4というプロ。Elgarは歌曲で、独唱はNathalie Stutzmann (contralto)。何と言いますか…下から引っ張ってくるわけじゃないけど、許光俊が日本のオケなんてもう聴かないと言っているのがよく分かる気がした。指揮者のせいも勿論あると思う。随分とおおざっぱな指揮だったし。でも、前後のつながり、相互の連携…こういったものがあまりにも欠けているように感じられた。管楽器が勝手に突出するせいで響きがすかすかになったり、指揮者がヴァイオリンの方を向いているのをいいことに(と言いたくなるほど)低弦が無神経な弾き方をしていたり…こんなものなのかねぇ。各管楽器奏者の技術レベルなどもはや言うに及ばず。月末、Dutoitが「春祭」を振りにやって来てくれる。そこではもっとまっとうな姿が見られるはず。リハーサル内容以外の違いがきっと感じられるはず。

11月10日
下の話、落ちをつけるのを忘れてた。その投稿、実は宇野こーほー自身が投稿してたりして。…意地が悪い?今に始まったことではないので。物心ついたころから悪かったような…(やなガキだ)。

11月7日 その2
「レコ芸」の今月号。はぁ。読者投稿欄にとんでもないものが載っているというので、生協へ行ったついでに注文コーナーで立ち読み(←こら)。要約すると、「宇野こーほーは良い文章を書く」、「演奏者は皆頑張っているんだ」、「宇野こーほーはそれを分かった文章を書く」、「最近の(おそらく許光俊や鈴木敦史辺り)の嫌みで下品な物書きは嫌い」、「皆宇野こーほーみたいな文章を書くべきだ」といったところか。若干の誇張は(意図的に)あるものの、大筋では間違っていないと思う。そんなにいいですかぁ?「結晶化」したとかしてないとか、分かったような分からないような不明瞭でいい加減な一言で片付けてしまうのが分かっている人の書く文章かねぇ?別に擁護するわけじゃないが、個人的には許光俊や鈴木敦史の文章は好きだ。特に彼らの主張に共感したりするわけではなく、むしろ「そうかぁ?」と思うことの方が多いかも知れない。それでも、彼らが何とかして自分達の思うところをそのままの形で読み手に伝えよう、どうにかして興味を持ってもらおうと奮闘し、工夫を凝らしているのはよく分かる。嫌みで下品な文章もその手段の一つであろう。それに比べれば宇野こーほーの文章は惰性で書いているとしか思えないほど適当な表現と甘い構成のオン・パレード。構成の「こ」の字も感じられない彼の指揮した演奏に似つかわしいとも言えるが。「皆頑張っている」…その通りでしょう。でも、頑張っているのを見に行くだけなら、近所の子供の発表会でもいいはず。頑張って最高のさらにその上を行こうとする楽団だってあるんです。

11月7日
先週注文したAbbado/BPOのBeethoven全集を取りに生協へ行ったら、まだ入っていなかった。ふと見ると、ポスターをただでくれるというので、何があるかしらとがさごそやってみたら、Szellがあった。Szellの来日時の写真(両脇に着物を着た女の子が並んでいるもの)。どうやらSonyの新Best100シリーズからのものらしい。…欲しい方います?って、お一人くらいしか思い当たりませんが…

11月6日
Solti/CSOのBerlioz: Symphonie fantastiqueの古い方。DohnanyiやDutoitの探し物は一向に見付からないのに、Soltiの探し物はあっと言う間に見付かってしまった。見付けてもらってばかりでは何なので、あちこち遠征してみましょうか。どこならありそうかな?さて、演奏だが、うーん、第1楽章から派手にやってくれてますねぇ。爆裂しっ放し。こんな曲だっけ?録音場所のKrannert Center、前から割とよく響くホール(?)だと思っていたが、この録音でも同じ。University of Illinois at Urbana-Champaignにあるらしい。Foellinger Great Hallかな?第4楽章もやかましいことやかましいこと。打楽器、金管は勿論、他の楽器も吹きまくり、弾きまくり。全体的にやかましい。第5楽章、鐘は舞台の袖から聴こえてくるようだ。仰天したのが最後から10小節くらいのところ。こんなに他の金管が強奏していたら普通、ホルンは埋もれると思うんだが、はっきり聴こえる。おそるべしCSO。え、「幻想」はどこだって?ま、いいじゃないですか。

11月5日 その2
MullovaのVieuxtemps: Violin Concerto No.5。実はこの曲、結構好き。終楽章が1分しかないとか、おしゃれでいいと思うんだけどなぁ。Mullovaのヴァイオリンは一言で言うと、凛としている…こんな漢字、普段は使わないな(使えない?)。高音から低音まで筋が通っているというか、統一感のある音がする。かなり余裕を持って弾いているんだけれど、静かな緊張感がある。案外こういうのも好きなのだな。今度は何を買ってみようか?

11月5日
どうにも止まらないコンサート強化月間。Matsuevのリサイタル。舞台の上にはYAMAHAのピアノが…スポンサーの関係か?颯爽と登場したMatsuevはやはりでかい。背も高いが、体格がいい。凄いことをしてくれそうな雰囲気たっぷりである。まずはSchumannのSymphoni Etude。左手ばっかり聴こえるぞ(笑)。第4変奏辺りでは早くもいっちゃった感じのそぶりを見せ始める。総じて重心が低めというか、周波数特性が綺麗に高音へ向かってなだらかに落ちているというか(笑)、要するに低音がごわんごわん。第8変奏は左手しか聴こえなかったぞ。最後は猛烈に弾き切って、まずは満足。続いてBeethoven: Piano Sonata No.23 "Appassionata"。第1楽章は彼向きだねぇ。席が丁度彼の背中が見えるところで、表情を確認することはあまりできなかったが、完全にいっちゃってたに違いない。テンポやデュナーミクの幅が広く、感情の起伏が何とも激しい。第2楽章を結構女々しく弾いた後にやって来た終楽章!鍵盤を叩く叩く。しかも凄いスピード。例によっていっちゃった感じになったり、思い入れたっぷりにしてみたりするのだが、それでも手許の時計では4分37秒(←計るなよ…アナログ時計のおまけ機能で、音はしない)。いいぞ、Matsuev。見たまんまの剛腕ピアノ。開演前も相当困った会話をされてひいたのだが、後ろの席の女性2、3人のグループはどうやら音大生であったらしいが、ひどい会話を聴いてしまった。A:「私、最近Schumannにはまってて、謝肉祭も聴いたし、ソナタとかも聴いたし、あ、あとクライスレリアーナ」 B:「え?」 A:「だから、クライスレリアーナ」 B: 「え?」 A: 「え、嘘、知らないの?」 B:「ピアニスト?」…あああああああああああっ!この会話は一体ぃぃぃぃぃ!?しかし、信じ難いことにさらにひどい会話がこの直後に繰り広げられたのだ!A:「来ないだの試験の問題でさぁ、知ってないと答えられないような問題とかあって嫌だったよねぇ」 B:「あ、思った、思ったぁ」 A:「ホルン、イングリッシュホルン、チューバ、トロンボーンの中で一つだけ違うのはどれかって問題さぁ、私イングリッシュホルンって書いちゃったんだけどぉ、後で考えたらさぁ、トロンボーンだけがこうやって(トロンボーンのスライド管を動かすまね)吹くから、トロンボーンって答えなきゃいけなかったんだよねぇ」 B:「あ、そうかぁ」…本当に、本当に、本当にそうかあああああ?!知らないって凄いことだと思うが、音大生でしょう?足し算できない人が数学科へ行くようなものではないのか?こんな奴等が○○年△△音大卒とかの触れ込みでピアノを教えるようになったりするかもしれないとは何とも由々しき事態である。「先生、くらいすれりあーなって知ってる?」「うん、ピアニストだよ」…こんな会話が繰り広げられていたりするかも知れないわけだな?こんな奴等にピアノに触って欲しくない。…すっかり関係ない話になってしまった。やれやれ。気を取り直して後半。なにぶんにも寝不足でやって来たため、この辺で少々緊張感が途切れ気味。Chopin: Ballade No.4は「こんなにやかましい曲だっけ?」。Mephisto Waltz No.1も中盤以降は跳躍をばんばん決めたり、ごきごき叩いたりでまあ面白かった。締めはHungarian Rhapsody No.2。ラッサンをたっぷり弾いた後、フリスカを驚異的なスピードでぐわんぐわん弾く。そして、やってくれた!Cadenza突入。最初は、うーん、という感じだったが、だんだんとテンションが上がっていくとともに腕もどんどん動き、そして!Cadenzaの締めは超高速オクターヴ連打ぁぁぁぁ!もはや肉眼では捉えきれないほどの驚異的なスピードでずごごごごごごごごごごごごご…そのまま猛り狂ったまま一気にフィニッシュ。うひょお。こいつは凄い。アンコールは4曲。Schumann: Treimerei、Rossini=Ginsburg: Figaro's Cavatina、成田=Matsuev (!): 浜辺の歌、Matsuev: Impromptu。最後のImpromptuはジャズっぽい要素も入ってたりして、あら誰の曲かしらと思っていたら本人の。得意技を目一杯披露。うーん、これで5000円は安い。来年も来てくれい。サイン会があるというので、Mephisto Waltzの入ったCDを買って、サインをもらいに行った。ProkofievのCDを持ってきておけば良かった…。英語は少しなら分かるということなので、簡単に「素晴らしかった、是非来年も来て欲しい」と(一応)英語で言ってみたら、体格に似つかわしい低い声で"Thank you"とだけ答えてくれた。

11月4日
どうにもならないOB会からさっさと引き揚げて知人宅で限りなくひどいものから凄いものまで聴かせてもらう。ここに書けるものとしては、ひどかったのがDePassのDanse macabreとNorringtonの「幻想交響曲」。良かったものはMTT/SFSの「幻想交響曲」やBerlioz=Liszt=Duchableの「幻想交響曲」。エアチェックのMaazel/VPOの「新世界」や「こうもり」序曲も楽しめた。DePassは史上最も下手な演奏家ではないだろうか。こんなものが商品として売られていていいのか?Norringtonもあちこちで誉められているようだけど、私にはさっぱり。当時においてはこれで良かったのかもしれないが、今の時代にこんな演奏ではもはや満足できないと思う。各奏者の技術、指揮者の力量ともに完全に不足していると思う。古楽器でなければならなかった理由どうこう以前の問題だと思う。Soltiが「現在ではもっと簡単に綺麗な音が出せる楽器がせっかくあるというのに何故古い楽器を使う必要があるのだ?」と言っていたっけ。Norringtonには嫌な思い出がある。それはまだ私が音楽の「お」の字も知らなかった高校生になりたての頃のお話。当時はまだカセットで聴くことが多かったのだが、家にはそれなりのオーディオがあったのに、父親が週末ちょこっと鳴らすだけという不憫な状態におかれていた。そこで、というわけでもないのだが、使わないなら私が使ってやろうということになり、CDを買うようになったのだ。初めて買ったのは忘れもしない、日本へ一時的に帰国したときに買ったMaazel/VPOのTchaikovsky: 1812 Ov.(当時のベスト100シリーズの一枚)だった。別に音質なんて気にもしていなかった頃だが、それでも徐々にCDは増えた。既にカセットでMozartも聴いていた。35番と40番の交響曲の入ったカセットではなかったか。40番が特に気に入り、CDでも聴いてみようということで、CD屋で手に取った中の一枚がNorringtonの38、40番のCDだった。オケはThe London Classical Players。仰々しい名前のオーケストラより楽しい演奏を聴かせてくれるに違いない、そう思って数あるなかからこれを選択したのだ。当時、今ほどにはひねくれていなかった私は期待に胸を膨らませてCDをかけた。ひどい、あまりにひどい。自分の耳では一度聴いただけではこの演奏の良さが分からないだけなのかも知れないと思い、何度も聴いた。感想は変わらない。緊張感のないテンポ、冴えない音色…期待は見事なまでに裏切られた。そのときの傷は結構引き摺ったようにも思う。Mozartは私にとってしばらく鬼門だった。気が付けばそんなことはどこへやら、という具合だが。Norringtonの「幻想交響曲」を聴いて、こんなことを思い出したりしてしまった。MTTは自分でも買うとしましょうか。Berlioz=Liszt=Duchable…元曲を知らないのでは話にならないだろうな。

11月3日
まだまだ終わらないコンサート強化月間。本日はその目玉、Maazel/BRSOのコンサート。Hanna Changの独奏による自作自演の後、Berlioz: Symphonie fantastique。自作自演もそれなりに良かったのだが、しかし、後半は衝撃的すぎた。出だしは予想していたより遅いかな、と思ったが、一つ一つの音が弾き分けられていて、おお、さすがなどと思っているうちに盛り上がってきて、70歳になったというMaazelも頑張る頑張る。しかし、この曲の聴きどころはやはり最後の2楽章。第4楽章は速めのテンポでざくざく進む。途中で指揮台の上で行進するような身振りを示す余裕すら見せる。オケも本当に上手い。弦も、管も、打楽器も。揃うのは勿論だが、音色が何とも…。ヨーロッパの上手いオケはこんな音がするのですなぁ。演奏に戻ると、終楽章はこれまた速いテンポなのだが、途中からどんどんきれるきれる。凄いことになった。阿修羅のように棒を振る振る。舞台の袖にいる鐘に対してピンポイントで指示をするなんて当たり前。あっち向いて、こっち向いて、あそこに指示を出して、こっちを振って…うひゃあ。とんでもないテンポで怒涛のように突き進みつつも全く崩れない。金管も吹く吹く。べらぼうに上手いんですけど、どうなってるんですか、このオケ?一流ってのはこんなに凄いものなのかぁ〜!アンコールはBizet: Farandole (from L'Arlesienne)。これがまたとんでもなかった。「幻想交響曲」で上がりきったテンションをそのままに滅茶苦茶なテンポでどんどん進む。とんでもないことが起こったのは最後。既におかしいテンポであったのにも拘らず、とどめとばかりにスパーーーーーク!常軌を逸した加速、指揮台から曲の終わりとともに飛び出すMaazel…凄い、凄すぎるぞ。これはやられた。収録していたようなので、CD化されたりした日には皆さん、即買いするように。カメラも入っていたけど、On Airされたりしないかな?オケを中央に固めていたのは収録への配慮なのか、それともそうMaazelがしたかったのか?ステージいっぱいに弦が広がると録りにくそうではある。何はともあれ、凄かった…もうこの一言に尽きる。参りました。

11月2日 その4
ぱっと見て何のことか分からなかった人には、多分全く関係のない話。

Ahhhh, ladies and gentlemen, I have an important announcement to make. We have a little surprise. Originally, when we corresponded about programs, if it stated definitely, that no national anthems will be needed to play. And I just learned that the EXPO and everybody connected would like us to play our national anthem and theirs. Unfortunately, we haven't taken ours along, but I trust that if we say "B-flat", then everybody will play. Then we will get not only the tune but also some bits of harmony into it. And the Japanese anthem has been put into your folders you will have found it by now.

You have no part?

I think ours comes first, I believe.

No? What? Who said so? What? Alright, then let's try the Japanese first. Ahhh, this is the question of foretold courtesy. I don't think I'm the one to decide. What can we do? Do we play ours first?

Alright, alright. Shhhhhhhh.... Alright, first the Japanese anthem please played from the... from the ahhh, slip. Can you play standing and read? Like this. Once through, once through. We will play the Japanese, please. Tempo is one, two, three, four....

Now, this I can assume is completely clear. This will take place tonight and with all due reservations, according to what I have been told at the moment, at the first concert in Tokyo. But we must be pick out for changes. Now, let's touch our repertoire.

下線部分は多分嘘。私の耳と英語力では聞き取れなかったのだ。文章の分け方やカンマの付け方は私の好きにやったので、文法上おかしかったり、必ずしも本人の発言の調子に合わないところもあると思う。「ここおかしい」とか「ここはこうした方がいい」というご意見がありましたら、何なりと。

11月2日 その3
Szell/COのTokyo Live。顎外れそうなくらい弦が揃うWeber、全部聴こえる上に凄い推進力のMozart…一枚目を聴いただけでかなりやられた。もう私ごときが評価したりしてはいけない演奏ですな。保存状態はともかく、殆んど使われていないであろうマスターからの音質は非常に良好。左右方向の音の展開の仕方がもう一つに感じられないでもない部分も見受けられるが、些細なこと。Szellは冷たいと言っているのは誰だ?むしろホットな方の演奏だと思う。

11月2日 その2
ケーブル君は絶好調。このメリハリくっきりがたまらない。しばらく音楽を聴いてへらへらしながら過ごせそうだ。

11月2日
下で押しが弱いと書いたMidoriだが、一緒に入っているTchaikovskyではそうでもない。うーん。

11月1日 その4
誰がこんなものを誉めているのか知らないが、Knappertsbuschの"The Great"。長すぎるので、とりあえず終楽章だけ。出だしでこけそうになる。このテンポは何だぁ〜!?その後もそんな感じ。やっとこさ順調に進み出したなぁと思っていたら、思い出したようにテンポがガクンと落ちる。顎が外れるって。しかし、VPO相手によくこんなことができたなぁ。やはり、当時は実力があったとされていたということなのか?しかし、好きでもない指揮者のCDばかりよく買うな。誰が責任を取るんだ?

11月1日 その3
オーディオが変わると新しく買ったCDをしばらく聴かなくなったりするのだが、最近はそうも言っていられない。Midori, Abbado/BPOのShostakovich。第1番の方。結構期待していたんだけど、うーん。結論から言うと、私好みではない。音の正確さという点においてはもうこれが一番であろうとは思われるんだが、どうしても駄目だなぁ、という点がいくつか。まず、ヴァイオリンの押しの弱さ。実際にライヴで聴いたらどうなる、という話は抜きにして、やはりヴァイオリンが控え目すぎるところが多いように思う。ただでさえでかい音が出ることで評判の伴奏がついているとあっては、ますますその点が際立って仕方がない。もっとでかい顔をしていいんではないかと思う。次に、テンポ設定。基本的に割と遅いと思う。第2楽章の冒頭、終盤は遅すぎるとすら思う。間の持つ曲ではないとかいう点は置いておいて、一番気になったのが、細かい音が並んでいるようなところで突然テンポが扇られるところ。あからさま過ぎて、ちょっと…。伴奏も何だかまとまりがないように聴こえる。木管が好き勝手に吹いているようなところがあって、これもちょっと…。そんなに頻繁にやっている曲ではないんだろうけど。

11月1日 その2
帰宅後、ケーブルの繋ぎ替えのため、オーディオ機器と格闘すること約1時間。部屋が狭いとかベッドがあるとか机があるとか食器棚があるとかいう関係で、ラックの後にろくにスペースがない(やっと電源タップが置けるくらい)上、ほこりよけも兼ねて後ろに部分的に仕切り板がついているので、機器の後ろに回って繋ぎ替えることはもはや不可能に近いのだ。ラックの中の掃除も兼ねて、機器を引っ張り出してやることになった。ついでに、バランス端子は全く使っていなかったので、接点の掃除もする。結局、CDプレーヤとプリアンプを引っ張り出すことになった。外したついでと、プリの出力側の端子も掃除。天板の上のほこりも拭き取ってやる。とまあ、こんな具合でやっとこさ繋ぎ替えて、まずかけたCDは私のお気に入りの…ではなく、Audio Check Disc。正相信号と逆相信号を再生してみて、位相があっていることを確かめた。我が家のVRDS-25x君はカタログ上では3番ピンがホット(+)となっていたが、最近になって実は2番ピンがホットであったことが判明したのだ。受け側のプリアンプも2番ホットなので、普通に接続すればOKなはずだが、まあ、念のため。結局、2番ホットであることは間違いないことが確定し、とりあえず一安心。いよいよ、音楽CDをかける。とは言え、時間も時間だったので、食事の準備もしつつ。まずはSolti/CSOのMahler 5番。古い方。第1楽章から、「こんなに違うのはおかしい、おかしい」とにやにやしながら料理(←危ない)。低音の伸び方が全然違うんですけど。このCDはこんな音ではなかったはず。金管の音の立ち上がりの良さにもうメロメロ。うききき。前後左右の空間感と音像の実体感の違いは顎が外れそうなほど。アンプも暖まってきたところで、FaureのPiano Quintet No.2。いよいよおかしい。プリアンプを替えたとき以上に、定位の決まり方の向上が激しい。弦楽器とピアノの位置関係が(そんなに良い録音でもないのに)呆れるほどに分かっておかしい。パッケージには評価は100時間以上鳴らしてからしてくれと書いてあるが、既に相当おかしいんですけど。ケーブル一本でこんなに変わっていいのかぁ?伝送方式も変わったので、一概に全てがケーブルの効果とは言えないんだけどね。さて、お払い箱になったSAEC SL-1990 (0.7m)、どうしようか?もとは3万位した代物だけど。ビデオ・デッキに繋ぐには配置の関係上、短すぎるし…。中古屋に売り飛ばそうか?ここをご覧になっている方で欲しい方がいれば安く譲ってもいいですよ。貸出ししてもいいし。…そんなことしたい人はいないかな?

11月1日
起きて、ぬぼーっとしていたら、佐川さんがやって来た。間違えた、佐川急便。送り主は某R企画。中身は、怪しいビデオ…なんかではありません。ケーブル。アメリカはWire WorldのEclipse IIIのバランス・タイプ。今日は休んでしまおうかと思ったけど、さすがにねぇ。帰ったら、オーディオ機器と格闘だ!

10月31日
我が家でいまだ衰えを知らないShostakovich: Vn. Con. No.1。Oistrakh, Mitropoulos/NYPの演奏。世界初録音らしい。ミトプーと言えば(誰が言ってるんだ?)、バケツ太鼓。そうティンパニの活躍する曲じゃないけど、やはり期待されるところか?第1楽章はヴァイオリンの前後の音のつながりが悪いように感じられる部分がいくつかあった。うーん。第2楽章はスタジオ録音だし、そう凄いことにはならない。第3楽章、Cadenzaと来て、第4楽章で事件は起こった。いや、そんなに変なことではないんだけどね。頭のティンパニがぼわーんという音なので、出だしをもろにくじかれる。ありゃ、と思っていると急に扇ってみたり…帳尻を合わせたことになるのかな?ヴァイオリンは端から扇られた結果としてのテンポに合わせるつもりだったようだけど。録音はMelodiya、Pragaよりも随分と良い。でも、個人的にはMelodiya盤の(録音面での)妙な生々しさも捨てがたいと思う。

10月30日
Horowitz, Walter/NYPのTchaikovsky。アマチュアの未放送音源とか書いてあるぞ、大丈夫か?一緒に入っているBrahmsは途中でディスクが一枚割れていたのでToscaniniとの演奏で補填したとか書いてある…おいおい。で、Tchaikovskyだが、Szellとのものよりこちらを誉める人も多いとか。まず、録音面ではWalterの完敗(録ったのは彼ではないが)。ピアノがちょっと頑張るとすぐ音が潰れて、何が起こっているのか分からなくなるし、オケなんてもう終わってる。さすがMusic & ArtsのAAD。第3楽章のオクターヴでずごごごごごご…とやるところはかなりきてる。録音面でもやはりきているが。Brahmsは食器を洗っていても分かるほど、補完部分の音が違う。「その貧相なヴァイオリンはNBC SOですな」と。録音も全然違うけどね。

10月29日
別にもったいつけていたわけではないのだが、下のKoganのCadenzaのお話。凄いことが起こったのはCadenzaも終盤に差し掛かろうかというところ。消え入りそうになるほどに音量が小さくなったかと思った次の瞬間、とんでもない威圧感を持ってヴァイオリンが一気に立ち上がる(正しくは音が、だけど)。対比とかいうレベルの話じゃない。岩を削るかのようなヴァイオリンの音が、その瞬間は岩をも砕こうかというほどに。もともとデュナーミクの幅を広く取る人だと思っていたけど、これには参った。必ずしも全てにおいて完璧とは言い難いこの演奏だが、ここだけは何者をも寄せ付けないものがあると思う。

10月28日 その2
Abbadoの新譜を電話越しで。これは凄いぞ。最も完璧に狂った演奏。2番や7番の終楽章なんてどうかしている。「Wandの爺ばかり誉めやがって、俺のことは馬鹿にしていた奴等め、思い知ったか!」といわんばかり。Beethovenの書いたメトロノーム設定について「不可能ではない」と言って自ら、それも完璧な形で実行してのけた。ちょっと彼に対する評価を変えないといけませんな、これは。まさかこの期に及んでAbbadoのBeethoven全集を買わなくてはいけなくなるなんて思いもよらなかった。生協で注文するとしますか。輸入盤は紙ケース入りなので不可。

10月28日
Ashkenazyが渋谷HMVに来るというので、行ってみた。トーク&サイン会。本当にピアノは弾かないで帰った。信じ難い。「10時から3時までオケとリハをしていたので、弾ける状態にない。今弾いても芸術ではなく単なるショウになってしまうが、皆さんが期待しているのはゲイジュツでしょう?」そうかぁ?Oborinはあまり教えてくれなかったらしいとか、Philharmonia Oを初めて(代理で)振ったときの打ち上げで「全然振れていなくて、ごめん」と言ったら、オケのメンバーに「あなたができないことなんて最初から分かっていましたから」と言われたとか、取りようによっては何だかなぁな話がてんこ盛り。質問コーナーで、「ArgerichとのChopinの協奏曲を聴きましたが、ご自身のピアノでの再録は考えていないので?」と訊かれて、「あれ、前のじゃダメ?」とのお答え。笑いの中に失笑が混じっていたようだったのは気のせい?ちなみにサイン会はHMVで彼の新譜を買った人のみ。TestamentのCDを持って行ったが、思惑が外れた。まぁ、あんなに並んでまでもらおうとも…。たくさんの人が並んでいるのを、「よくそんな高い(3000円)CDを買ってまでサインをもらう気になるな」とばかりに、CD探し。目的のものはなかったが、ことのついでにMullovaのPaganiniとVieuxtempsとCianiの"Hammerklavier"を購入。ちょっと買い過ぎかも知れないと思わないでもない今日この頃。

10月27日 その2
ShostakovichのViolin Concerto No.1を2枚。まずはKogan, Svetlanov/USSR State SO。第1楽章の木管はそんなんでいいのかぁ?とまあ、この困ったおじさんらしいと言えばらしい、やや無神経気味な伴奏はさておき、Koganのお腕は1976年ということで若干衰え気味かも知れない。ところどころ音が甘くなる。もっとがちがちの音になると思ったのだが。そういう音を指向しているというのならそれまでだが、どうも小指の押さえが弱いような…。それでもKogan節は健在と言うべきか、特にCadenzaでの岩を削り取るような音は何とも。そしてこのCadenzaも終盤を迎えようかというところで凄いことが起こるのだが、ちょっと説明に困るところでもあるので、これはまたいずれ。終楽章はやや技術的なゆとりがないというか、かなり限界付近で演奏していると思う。破綻こそないものの、聴いていて少々はらはらする場面が見受けられる。関係ないが、この録音、左右に音像がぶれるのはどうしたものか。もう一枚、Mullova, Previn/RPO。そんなに期待はしていなかったが、これが意外なほどよかった。演奏の評価は終楽章が決め手なのだが、好き嫌いとなると、実は第3楽章の方が重かったりするのだが、その第3楽章がこの演奏では絶品。全体的に言えることだが、彼女のヴァイオリンは基本的には音の線が細いように思えるが、高音にどぎつさやヒステリックな感じがないので、聴いていてあまり疲れない。で、第3楽章に戻ると、これが何とも良い。良いと言っているだけでは話にならないんだが、一言で言うと表情が柔らかいというか優しいというか。音の消え際や弱音のコントロールが素晴らしい。そういう曲か?と言われると、考えるものがあるが、こういう演奏が一つくらいあるのもいいんではないかと。薄暗い、どろどろしたような感じがしない、清潔なというのとも違うけど、不健康ではない演奏。一方、伴奏のPrevinは人の良さそうな顔をしているくせにでしゃばり過ぎ。LicadのSaint-Saensでもなかなかのでしゃばりぶりだったが、相手がピアノなので結果的にいい勝負。しかし、こちらは相手がソロ・ヴァイオリン。せっかく繊細な表情づけをしているところへ土足で上がり込むような無神経ぶりはことによってはSvetlanov以上か。思わず、「お前ら、うるさい」とか思ってしまった。

10月27日
ようやっとSzellの東京公演入手。結局、頼んでいたもう一枚のCDは入らなかったので、MidoriのShostakovich: Vn. Con. No.1を買った。最近、この曲ばかり買っているな。やれやれ。

10月25日 その2
騙されてKnappertsbusch/VPOのSchubert: Sym. No.9 "The Great"なんぞを買わされた。そろそろ責任を取ってもらいたいところ。ついでにOistrakh, Mitropoulos/NYPのShostakovich: Vn. Con. No.1も買ってみたりした。やっぱりティンパにはバケツの底になっているんだろうか?一緒にRostropovich, Ormandy/Philadelphia OのVc. Con. No.1も入っていた。こっちはどんなもんでしょう?

10月25日
まだまだ終わらないコンサート強化月間。今月の華(?)の一つ、Maazel/BRSO (Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks)のガラ・コンサート。一曲目はいきなりの目玉かも知れないGlinka: "Ruslan & Lyudmila" Ov.。その前に、これは私が突っ込まないといけないんだろうなというのが。Lorin Maazel conducts the Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks。プログラムの表紙から。何でこんな半端なことになっているのだろう?別にBavarian Radio Symphony Orchestraでもいいと思うけど(実際に、開場の挨拶(スポンサー紹介?)では英語表記を採用)。まあ、そんなことはおいておくとして、演奏。始まってすぐの感想としては、あら、遅いじゃない。3大Ruslanの中にあって唯一の5分台だったが、それでも遅く感じた。結果として、この人はこの曲を運動会のようにするつもりはないのだなぁと。木管はよく歌わせていたし、このテンポでも十分に生き生きとしていた。最後の方はだいぶテンションが上がっていたが。続いて、Hanna ChangのチェロでTchaikovsky: Rococo Variations。この曲、同じ独奏者で3年くらい前に聴いたっけ。当時は本当に小さな子供という感じで、チェロに抱えられるようにしてステージに出てきたように記憶している。当時の印象は結構よかったが、さて17歳の今回は?結論から入ると、今回も好印象。ちょっと鼻息が荒らかったかな(失礼!)?よく弾けていたし、よく鳴っていた。終盤、低い方の音がごーごー言っててなかなか大変だった。前半の締めくくりはRavel: Tzigane。ヴァイオリンはDAISHINこと樫本大進。去年だったか、Temirkanov率いるSt. Petersburg POとShostakovich: Vn. Con. No.1で対決(?)して、徹底的に痛め付けられていたのではなかったっけ?おそるるに足らずと言われたとか、とにかく私の周りでは(私自身も含めて)さっぱり評価が上がらない人。さて、この曲、聴いたことあったっけ?と思っていたら、どうも知っている。誰で聴いたのだっけ?後で調べたらRicciでした。というわけでそんなに聴いてもいない曲で感想も何もという感じだが、以前聴いたときほどだめだめという印象はなかった。Hanna Changと拍手の量が違いすぎると思うんだが…。後半はMozart: Sym. No.39。席の関係上(この点は後で)、低弦は何をやっているんだか分かったような分からないようなという漢字だったが、ヴァイオリンはちょっと独特の音(上手く表現できない)だが、非常に綺麗で気に入った。上手いと言われるMaazelの指揮だが、もはやこの曲くらいでは大した指示も必要ないのだろう、非常に簡素で時々遊びのような動きすら見られた。彼の10倍動いて10分の1も成果が出ない指揮者の多さを考えると、何とも。アンコールはR. Straussの「バラ騎士」。今日のプログラムで一番多くの団員がステージに上がったように思われる。響きが何ともいやらしかったとか、色々あるのだが、一番私が注目したのは金管。ヨーロッパの上手い金管というのはこういう音なのだなぁ、と。朗々と鳴るとはこういうことか。ちょっとうるさかったけど。演奏はまあ、この値段では多いに満足なところだが、問題は席。オペラシティの3階、ステージの真横ではステージが頑張っても1/3しか見えない。ましてや、普通に座っていたのでは、私の身長ではMaazelの頭すら見えない。このホール、何かが間違っていると思う。結局、かなりの時間、前傾姿勢を強いられたのだった。それでも、低弦や金管は全く見ることができなかった。

10月24日 その4
Solti/CSOのShostakovich: Symphony No.10…。別にそれほど期待していたわけではなかった。1990年の録音だから、アンサンブルもだいぶ甘くなっていただろうと思っていたし、Orchestra Hallの響きが良くないのも分かりきっていたこと。それでも、このコンビだけは私を失望させないはずだった、いや、失望させてはいけないはずだった…。聴き終わった直後の正直な印象は、「上手くないぞ、このオケ」。いや、上手くないなんて生易しいものじゃない、下手くそだ。知る限りにおいてこのコンビで最も甘甘なアンサンブルだし、金管もおっかなびっくり。木管も頻繁に響きから飛び出す体たらく。ティンパニをはじめとした打楽器にも全く切れがない。これがかつて「完璧且つ最強」と謳われたオーケストラの姿か?勿論、このコンビがShostakovichを演奏するようになって間も無く、書法に不馴れであるとか、ライヴであるとか、Dohnanyiの完全無欠演奏を聴いた後だとか不利な要素はいくつかある。でも、だ。それらをもってしても言い繕いようのない欠陥の嵐が吹き荒れているのだ。私はこのコンビが心から好きなので、ちょっとくらい変な演奏でも強引に弁護するつもりではいた。ファンだから。だけれど、こればっかりはどうにもならんよ。誉められる個所すらないもの。できることならこの演奏は聴かなかったことにしたいくらい。本当にショックだった。親が死んでも、(いもしない)恋人が浮気をしてもこんなにショックを受けることはないだろう。この演奏だけは二度と聴きたくない。この演奏、「技術は完璧だが曲への共感が皆無」としてどこかの本で紹介されていたと思うが、どこの猿だ、こんなものを引っ張り出してきて恐れ多くも「完璧」などと言ってのけたのは?耳のついている人間の発言とは到底思えない。1970年代…このオーケストラは確かにThe Cleveland Oに迫ろうかという精度と世界最強の金管軍団で「完璧且つ最強」であった。しかし、その面影すらこの演奏からは感じ取ることができない。Barenboimごときがいまだに君臨しているとあっては、もはやかつての栄光は永久に戻ってこないのかも知れない…。こんなはずじゃあ、なかった。こんなはずじゃ…。せっかく探してもらった8番、しばらく聴く気にならないだろうなぁ…。

10月24日 その3
Solti/World Orchestra of PeaceのBartok 「オケコン」。All-Starということで世界中のオケから奏者をかき集めた混成オケ。やっぱり揃わないんだなぁ。世界平和なんてそう簡単に達成されないことを示しているような…。このオケが揃ったとき、世界に平和が訪れる?

10月24日 その2
Mariss Jansons/Oslo POのBrahms: Sym. No.4を試聴。下手くそすぎて話にならない。このオケ、10年以上レベルが上がっていないと思う。こんなことだからSIMAXに落とされるんだ。冒頭からのんきすぎる金管が馬鹿馬鹿しい。こんなBrahmsの4番はどこかで必要とされているんだろうか?全集シリーズとかいう触れ込みだが、1番なんてやめた方がいいと思う。絶対ろくな演奏にならないから。かつて彼に期待していた時期もあったのだが…。

10月24日
サークルのOB会の店を選んだ帰りにCD屋へ。4枚購入。Shostakovich: Vn. Con. No.1をMullovaとKoganで。前者は伴奏がPrevin/RPO。ろくなことになってなさそうだな。後者は録音が1976年。ちょっと技巧的に陰りが見えてくるんじゃなかろうか?しかも伴奏がSvetlanov/USSR State SO…うるさいんだろうなぁ。他に、Kyung Wha ChungのBerg: Vn. Con.とDu Preの新譜を買ったりした。前者はBachのPartita No.2とSonata No.3が入っている上、伴奏はSolti/CSO。しかも安い。そりゃ、買うでしょう。Du Preは買うのは初めてかも知れない。Teldecからの発売がやはりポイントか。EMIでは買う前にげんなりしてしまうので…。Saint-Saens: Vc. Con. No.1は結構好きなので、安かったこともあり、購入。Mravinsky/USSR State SOのTchaikovsky: Sym. No.4が落ちていて、持っていたどうかが思い出せなくてしばらく悩んだが、結局置いてきた。仮に持っていなかったとしても、そんなに聴きたい曲じゃないし、Leningrad POじゃないし、録音なんて絶対に悪い(Russian Discでしかも1959年)。先程チェックしてみたところ、所有していたことが判明。めでたし、めでたし。

10月23日
久し振りに一日何も聴かなかった。とても聴ける状態ではなかったから。耳の状態が健康状態のバロメータとなっている今日この頃。睡眠不足はいけません。

10月22日
Shostakovichの10番を次から次へと引っ張り出してきたりしてみた。Konwitschnyは案外金管ばりばりじゃないんだなぁとか、Mitropoulosはバケツの底叩いてるようなティンパニだとか、Kondrashinは異様にくどい表情付けをしてるとか、Temirkanovは若さ炸裂だなぁとか何とか…(以上全て第2楽章のみ)。で、肝心のDohnanyi。これは狂ってるなぁ。弦が徹底的にそろってる。人数少ないんじゃないの?とか思ったりしたが、音の広がり方からすると、減らしてなさそう。全てにおいて丹念と言えばいいのか、とにかく揃ってる。勿論、管楽器も巧いし、打楽器なんて信じ難い精度で叩いてるんだけど、一番驚いたのが1分をちょっと回った辺り。楽器の数が増えて音量が上がっていくのが分かるんだが、それがあんまりにも自然に上がっていくのがかえって不自然。ヴォリューム回しているみたい。コンピュータ制御のような演奏とはよく言ったものよ。Karajanの旧盤は全曲を作業しながら聴いたが、教会の残響の多さもあいまってか(もともとうるさいオケだが)、凄いど迫力。超重量級戦車が全力失踪しているよう。金管の音と弦(特に低弦)の音との相性の良さは素晴らしいものがある。金管浮きっ放しの某アメリカ系オケも好きだけど(でも時期限定)。

10月21日
久し振りにMravinskyのShostakovich 10番を聴いた。あら、こんな音だったかしら?オーディオ更新後に聴くと記憶の中の印象と違ったりして、戸惑ったりする。ミスが訂正されたり、テンポが変わったりすることは決して無いのにね。思い出したようにこのCDを引っ張り出してきたのは他でもない、下のヤミ取り引き(?)で購入&お借りしてきた10番を検証しようと思ったからなのだが、この時間の無いのだけはどうにもこうにも。Dohnanyiは第2楽章だけなので、聴くだけならさらっと聴けるが…この演奏、少し気になる点があるので、感想はもう少し後で。

10月20日 その3
どうでもいいことを思い出した。「ホルストステイン」って誰だ?石○電気、センス無さ過ぎ。

10月20日 その2
まだまだ終わらないコンサート月間。N響今月2回目。Ashkenazyの指揮&ピアノでRautavaara: Piano Concerto No.3とShostakovich: Symphony No.13。Rautavaara…誰それ?フィンランド人らしい…。そういやSibeliusに通じるようなものがあったかな?そんなに聴きにくいとは思わなかったが、うーん、というところはいっぱい。今回、この曲を聴きたかったわけでも、"Babi Yar"が聴きたかったわけでもない。お目当ては初めて聴く生のAshkenazyのピアノ。録音とは全然違うと評判なので。とは言え、こんな曲を聴いたことがあるわけもなく、比べようが今のところ無いのだが、明日の夜のBSを録画しておけば少しは比較になるかな?で、実際に聴いた音だが、硬い音ではなかった。柔らかいことは柔らかいけど、綿みたいなふにゃふにゃという感じでもなく…。高音が特に特徴的だった気がする。水滴が水面に落ちるような…うーん、表現しにくい。関係ないけど、Ashkenazyが出てきて、まず最初に思ったのが、「小さい!」ということ。予想よりずいぶんと小柄だった。話を演奏に戻すと、後半のShostakovich、私は全く好きでない曲なのだ。14番はたまに思い出したように聴くことがあるが、13番はこういう機会でもないと聴こうとも思わないかも知れない。どう聴いていいのかさっぱり。いちいち歌詞を読むのを面倒くさがっているせいでもあるんだろうけど。その点、今回は字幕付きなので、いちいち歌詞を追っていったりしなくて済んだ。おかげで音楽と詞の内容との関連がはっきりして、ああ、こういう曲だったのかということが今更ながら分かった。やれやれ。演奏は…どう評価していいのかやっぱりよく分からないが、独唱のバスは重々しくて良いと思ったし、金管なんかも破綻がなかったので、まあ満足していいんじゃないかと。これを機にこの曲をもっと聴くように…はならないんだろうなぁ。ちなみに、Ashkenazyの指揮はちょっと上手とは言えないなぁ。何かせせこましい感じがする。拍子くらいちゃんと刻もうよ。

10月20日
ヤミ取り引きにて(?)Solti/CSOのShostakovich: Sym. Nos.8 & 10を入手。ついでにDohnanyiサンプラーとKarajan/BPOのShostakovich: Sym. No.10もお借りして、詳細に検討すべしとのお達しを受けた。駒祭用の原稿も書かないといけないというのに。これで書く?それはくどい。

10月19日
Dutoit/OSMのShostakovich: Symphony Nos.5 & 9を入手。見付けて、これは私の担当なのだろうか、Dutoitだぞ、としばらく考え込んだが、Shostakovichの5番とあってはやはり私の担当分であろう、ということでやむなく購入。2854円也。高い、高い、高いぞ。どうなってるんだ?ここ数年で一枚当りの値段が一番高いCDだ。この国はどこかおかしい、おかしいぞ。さて、肝心の演奏は…ちょいとお待ちを。まだ書いてはいけないことになっているのだ(?)。

10月18日 その3
もはやいちいち本屋へ読みに行きたいとも思わなくなったレコ芸の月評。U先生がまたやってくれたらしい。「冒頭から弦が結晶しきって〜」とかなんとか。どんな結晶でしょう?やはり、ペロブスカイト型でしょうか?冒頭からわけわからん。それ以上に、この人の語彙の無さは数ある評論家の中でも群を抜くと思う。やはり、本人が指揮するときのリハーサルでも弦の奏者に「ここは結晶化してください」とか言ってたりするんだろうか?困るだろうね、団員は。

10月18日 その2
電話しながらふとテレビを見たら、ひどいものをやっていた。要するにテレビ通販なのだが、今回の目玉(?)の一つが「無指向性スピーカー」らしい。無指向性ならどの位置で聴いてもステレオで聴こえるとか適当なことを言っていた。嘘つけ。左右のスピーカーから等距離でなくなったらちゃんとしたステレオにならないってば。しかし、とんでもなかったのは宣伝の終わりの方。無指向性スピーカーの機構を説明していたのだが、これが目を剥く単純さ。フルレンジコーンを下向きにつけて、その下に(その役割を果たしているかは別として)拡散用のドーム型プレートがついている。それだけかぁ〜!?さて、お値段は!私は9980円と予想。電話の向こうの知人は10000円ポッキリの予想。結果は、知人のピタリ賞。下のへんてこなプレートを外して、普通に前向けて聴いた方がいい音がするんじゃないかと思ったりして。

10月18日
知人の音大生(正確には音大大学院生)と電話で話していたら、PommierのBeethovenを聴いてみたいというので、本人が現在練習中という28番を聴かせてみる。終楽章を聴かせながら、「割とゆっくりでしょう?」と言ったら、「え、これ、遅いの?」と訊かれた。…「普段、誰で聴いてる?」の問に帰ってきたのが、「Ashkenazy」…。Pollini、Brendel、Ashkenazyにちょっと素行の悪いArgerichを加えた4聖人しか音大生は聴いていないなんてどこかの本に書いてあったが、冗談じゃないらしい。Yudinaのかっ飛ばし&急ブレーキ演奏を聴かせたらひいてたし。ロシア人の前で弾くことになったとか言ってたから、きっとこういう演奏が受けるに違いない。ちなみに、上の4聖人、Pollini以外は皆好きじゃないのはどうしたことか。

10月17日
Solti/CSOのShostakovich、10番は見付かったらしい。ということで、今度は私がDohnanyiかDutoitを探す番?Dohnanyieの10番の第2楽章だけが入ったサンプラーを電話越しに聴かせてもらったが、うーん、つるつる。のっぺらぼうみたい。小太鼓が病的に巧いのがおしゃれ?第4楽章はどうなっているんだろう?聴いてみたいぞ。現在東京、大阪、横浜の三地区で捜索中。東京、横浜はほぼ全滅の模様。やれやれ。
話は変わって、下の続き?Tchaikovskyの6番、CSOとの演奏は第3楽章8分06秒。"Anna Karenina"のサントラのおまけに入っているSt. Petersburg POとの演奏は8分17秒。一番新しいのはBPOとのということになるのかな?CSO盤を聴くとこのオケもこの頃(1970年代半ば)は相当巧いなぁと改めて思う。べたっとしない、少し乾いたような弦の音が私好み。でも、何と言ってもこのオケは金管。時に唐突すぎるくらいの音の立ち上がりの良さ。澄みきった青空のような音がこの曲に合うのか、という疑問がどうでもいいくらい気持ち良く、しゃきしゃき、はきはき進んでいく。手許にあるのはおそらくリマスターしていない輸入盤(ドイツのEmotionenというシリーズ)なので、ここらでDecca Legendsから出て欲しいと思ったりする今日この頃。

10月16日 その2
Solti/BPOのライヴから。Shostakovich: Sym. No.9とTchaikovsky: Sym. No.6。作業しながらなので、きちんとは聴けていないけど。どちらも第3楽章が注目点であることが共通している曲(だよね?)。まずはTchaikovskyだが、後半のどろどろティンパニは凄いものがある。やりすぎ?巧いのだけど、所々で「俺が、俺が」という我の強さが出るのか、ややアンバランスに聴こえるところも(終盤の木管とか)。タイムは8分27秒。昔の録音よりやや遅くなったけど、遅さは感じない。強弱の対比の激しさがいかにも。でも、個人的にはもっと軽快に駆け抜けて欲しいかなぁとも。Shostakovichのこの曲はCDで何種類か持っているけど、殆んど聴いていない。今更私がBernsteinやHaitinkで聴いてもねぇ。Solti/VPOもそこそこ楽しめたが、しかし言ってもVPO。実に苦しそう。このしんどい第3楽章を天下の名技集団がどう料理してくれるのか、結構楽しみだったが、それでもなかなかつらそうだ。もうそういう曲なのだということだろう。でも、VPOではぼけぼけになってよく分からなかったフレーズの処理を力づくで処理していくのは天晴れと言うかあきれると言うか…。小品集みたいなものだと思えば、この曲も結構楽しめるのかも知れない。ちなみに、これ、おそらくFMのエアチェック。最初CSかしら?と思ったりしたが、音の輪郭のぼけ具合い、迫力の低下、立ち上がりの悪さは…周波数レンジを調べれば一発じゃないのかな?FMって15kHzまでだったと。Tchaikovskyでのバスドラム、もっと凄い音がしてたんじゃないかなぁ。

10月16日
生協へ注文しておいた東京公演を取りに行くも、やっぱりもう一枚が届いていない。どうなってる?ろくな目にあわないな、最近。

10月15日
無いときにはどこにもない。実家へ帰ったついでにと思い、横浜まで足を伸ばして探してみたものの、やっぱり無い。Solti/CSOのBerlioz: Symphonie fantastique旧盤、Shostakovich: Sym. Nos.8 & 10、Dutoit/OSMのShostakovich、Dohnanyi/COのShostakovich: Sym. No.10。全部Decca。こんなものが置いていないなんて話にならん。後半なんて二人がかりで探しているというのに。参るね、本当に。

10月12日
近々取り替えるので今更文句もないだろうとも思うが、我が家のCDプレーヤー・プリアンプ間はSAECのSL-1990というRCAケーブルで繋がっている。このケーブル、コネクタがロック式になっていて、端子に差してから、コネクタ部分を回して、締め付ける構造になっている。おかげでしっかり接続できて、めでたしめでたし…なら文句も言わないのだが、それがねぇ。先日、何だか音が右寄りになる気がして、モノラルのソースを試してみたところ、どれもこれも右に片寄る。こいつはおかしいと思って色々調べたら、このケーブルの左チャンネルの出力側が少し緩んでいたのだ。通常の構造のコネクタであれば、バネ式になっているのでそんなことは起こり得ないのだが、ロック式であるが故か、バネは全く無いため、ロックが緩むと本当にゆるゆるになってしまうのだ。こんな構造はどうかしら?あと2週間ほどで到着する新ケーブルはXLR型なので、こんなことに悩まされる心配もない。音質も良くなる、はず。

10月11日 その2
とりあえず、Solti/VPOから片を付けてみようか。Beethovenは作業しながら何で、細かいことまで聴いていなかったが、全体的にリズムが重い。テンポは決して遅くないと思うのだが。強めのアクセントをそのまま引き摺っているような感じかなぁ。その辺の細かい話は、またいずれ。事件は演奏の最後に起こった。最後、頑張るVPO、扇るSoltiの果たし合い(そんなに凄くないけど)が終結したまさにその次の瞬間。拍手が始まろうとしたその矢先に、「べん」という少し鈍い音が…。へ?巻き戻してみる。やっぱり入ってる…。新楽譜発見かぁ〜!?そんな馬鹿な。そんなところで音を出してるへっぽこ奏者は誰ですか?話にならん。で、本題の「オケコン」。まさかVPOでこのとんでもない曲をやろうとは。100% Soltiの意向と見た。色々おかしいところはあるんだが、分かりやすいのはやっぱり終楽章だなぁ。前半、「ずらして甘い音を出すなんてみっともない」と言われた弦が一生懸命弾くんだが、一生懸命ずれるんだなぁ。しかも、間違いなくMusikvereinのものであろう、豊か過ぎる残響で甘いアンサンブルがさらにぼけて広げるという悪循環。はっきり言って、何を弾いてるんだかわからん。それはともかく、この演奏が疑いもなくSoltiのものであるという刻印はしっかりと聴かれた。リズム、テンポ、アクセント?この辺も勿論なのだが、この曲に関しては終楽章のアーティキュレーション。冒頭、弦がぎゅいんぎゅいんやってる中に木管や金管がひょこ、ひょこと出てきたりしているうちに盛り上がって、また弦がぶにぶに言い出すんだが、この木管の「ひょこ」を他の指揮者よりかなり弱めに吹かせているのだな。これはCSOとの演奏と全く同じ。この控え目な「ひょこ」がその後の盛り上がりに一役買っていたりするわけで、私は結構気に入っている。以前、「オケコン」のブラインド・テストをしたとき、他の指揮者の演奏では一様にこの部分に違和感を覚えた。他の指揮者でそれほど聴いていなかったので、そんなことになっていることすら気付かなかったのだが。「君達はこの後も出番があるんだから、こんなところからでしゃばらなくてもいいんだよ」ということかな?単にうまく盛り上げるため、というのが正解かも知れない。でも、VPO盤ではMusikvereinの残響で、田舎の、霧の立ち込めるお風呂場で湯船から蛇が顔を出しているような光景を連想してしまうのは私だけ?VPOの演奏に戻ると、木管の音が数珠繋ぎになってたり、金管が怪しかったり、うーん、何でこんなオケが誉められてるんだろう。こんなこと言いながら高い金を払って聴きに行くと言っているやつも珍しいんだろうが…。次はConcertgebouwとの演奏を買わなくてはいけないんだろうなぁ。

10月11日
買う買う。しかも全部CDじゃないし。終わってる。Solti/VPOでBeethoven: Sym. No.7、Bartok: Orch. Con. (!)、Mozart: Sym. Nos.35, 39 & 40、Solti/BPOでShostakovich: Sym. No.9、Tchaikovsky: Sym. No.6、Szell/COでBeethoven: Sym. No.3 & Vn. Con. (with Morini)。VPOで「オケコン」…信じがたいほどにチャレンジングな企画。Maazelの「春祭」とはるな。ConcertgebouwとのBartokやCSOとのBruckner 4番のライヴなんかもあって、全部買いそうになった。破産するって。"Haffner"は多分、正規では録音がないので、楽しみ。BPOとのTchaikovsky…良い企画。70年代のCSOとのものも相当狂ってたが、この顎が外れるくらい巧いオケでどんなことをやってくれたのやら。そして、1967年"Eroica"…ある事件が起こるのだな。電話越しに聴かされたときは(話は聞いていたが)、かなり驚いた。さてさて。

10月10日 その2
初めて曲を聴く時ってどきどきする。「金返せ、どろぼー」というゴミ曲だったらどうしようとか、「うおおおおおお、超名曲ぅ〜!!」ってなことになってCD屋で棚を引っくり返してでも他の演奏をほじくり出したりしなくてはいけなくなったりしたらどうしようとか。Lyatoshinsky: Symphony No.3…の前に、LyadovのThe Enchanted Lake (魔法にかけられた湖だっけ?)とBaba Yaga。「湖」はやっぱりシベリアの方の湖だなぁ。Baba Yagaはほうきに乗った魔法使いのおばあさんが飛んでくるんだっけ?もう、どうでもいいや。素直に本題へ。Lyatoshinsky…他にもCDが出ているようだが、Mravinskyが振っていなければ知ることすらなかったかもしれない作曲家。この曲は1951年の作。この辺のロシアの作曲家がこの時代に書くものということで、ある程度予想はつく。出だしが物々しいとかいろいろ思ったりもしたのだけど、結論を言うと、Honnegerの同じ番号のついた交響曲に似ている気がする。4楽章構成だったり、違う面はいっぱいだが、取り扱っている内容(Honnegerに限らないか)、全体に使われる響き…。とここまで来て、Honnegerなんて長らく聴いていないのに、とも思ったりして。最後が平和にならないのはくぐり抜けてきたものの違いと言うべきか。名曲か?う〜ん、別にぃ(笑)。その後のShostakovich: Festive Ov.の冒頭はモスクワ・オリンピックで使われたのだそうな。こういう曲も書くんだねぇ。彼にしては後ろ向きな部分が(Mravinskyの演奏であっても)感じられない。Prokofievに(書法的に)近いものを感じたりしてみる。結構面白い曲だと思うけど、あまり弾かれていないんだろうなぁ。

10月10日
1967年の"Eroica"ねぇ…。ちょっとひく値段だなぁ。うーむ。生協に注文していた東京公演は届いていたが、もう一枚が届いていないので、買えずに帰ってきてしまった。2枚まで15%引き、3枚以上なら20%引き…。適当なのを棚からとってきて買ってしまうという手もあったんだけど、そうするともう一枚が届いたときにもう2枚買わなくてはならないわけで…買う枚数が倍になるな。最近ちょっと国内盤に(音質面で)疑問を抱く身としてはあまり増やしたくない。MidoriのShostakovichで3枚にしてしまおうかと本気で思ったりもしたんだけど、輸入盤で手にはいるものは輸入盤の方がいいかなぁと思ったりする今日この頃。

10月8日
先日BSで流していたAbbado/BPOの「第9」、弦を少し減らしてるねぇ。(電話しながら)確認できただけでも、バスが6、チェロが8。順当に行くと、ヴィオラ10、2nd ヴァイオリン12、1st ヴァイオリン14か。"Eroica"のライヴでは1stが12人だったらしいし。Abbadoよどこへ?ちなみに、以前騒ぎになったSonyから出ている「第9」はジャケットの写真を見る限り、1st 16、2nd 14、Va 12、Vc 10、Cb 8となっている。コントラバスの略ってCbでいいんだっけ?Dbかも。ま、いいや。さてさて、新しく発売された全集では弦が何人になっているのやら。

10月7日 その2
Oistrakh & Mravinsky/Leningrad POのShostakovich: Violin Concerto No.1。面白いお話を聞いた。Oistrakhがでてきたとき、Heifetzが慌てて練習を始めたそうな。それはさておき、録音は1955年のMelodiya。勿論(?)、モノラル。問題はマイクのセッティング。思いっ切りソリストの目の前に置いてるなぁ。ヴァイオリンばっかり聴こえる…。ソリストとオケの音量的なバランスはちょっと…。個人的にはソロとオケの果たし合い的状況(Tchaikovskyのピアノ協奏曲みたいなのとはちょっと違うが)になるくらいでないと、と思っている曲なので、これは痛い。木管が歪んだり、潰れたりとまあ録音面で期待していなかったとは言え、なかなかの惨状(笑)。それでも、Czech POを同じ指揮者が振ったPragaでのライヴのようにオケが鈍くなったり、もたついたりということがないのはまあ分かる。もっと後の時代はどうか知らんが、この頃のOistrakhは本当に巧い。ちょっと太めの音(これが好き)で細かいパッセージも一つ一つの音がしっかり弾かれている。こういうところで前後の音がぐちゃっとなってしまったり、弾き切れていなかったりするとげんなりしてしまう。でも、本当に良いと思ったのは実は第3楽章。今書くと感情論で終わってしまいそうなので、ま、おいおい。こうなるとKoganやMullovaの演奏も聴いてみたくなる。そういえばRussia Revelationでも一枚出ていたけど、誰だったっけ…。Kremerもあるんだっけ?我が家でこの曲、大ブレイクの予感?

10月7日
後輩にSchonbergのThe Great Pianistsという本を借りた。最初の数行をちらっと読んだだけだけど、割と分かりやすく、それでいておしゃれな表現が多くて気に入った。英語がちょっとはできて得したという気になったことはあまりなかったが(学術論文なんて専門用語で結局つまずいたりするのでそんなに得はしない)、少しは元がとれるかな?面白いお話を見つけたら載っけたりしてみましょうか。って、この週末で20本文献を引くべしという命が下っていたりするので、快調に読み進むのは難しそう…。時間が欲しい!

10月6日 その2
ご覧になっているかどうか分かりませんが、in the eyes of the world: 「世界的に見て」、within living memory: 「記憶として残っている中で」…ちょっと意訳気味かな?後者はlivingがポイントでしょうな。つまり、伝え聞いている話ではなく、実際に聴けた中で、ということか。以上は私信。さてと、本題。コンサート強化月間ということで、また懲りずにN響へ。Svetlanovの指揮でTchaikovskyのバレエ曲ばっかり。どういうわけか女性の比率が異常に高かった。おっと、演奏。まず、プログラムが大幅に変更。いきなりThe Nutcrackerの第1幕第1場第6曲から。こんな曲しらんって。続いて第7曲、それから第2場。後半はThe Swan Lakeから第1〜3曲とThe Sleeping Beautyの第3曲以外。意図がいまいち分からない。こういった曲で感想も何もという感じなので、ま、簡単に。象が踊っているみたいだった。特にThe Swan LakeのWaltzの終盤の重々しいこと。有名な第1曲も物々しく重苦しいし。とてもトゥ・シューズを履いて踊るとは思えないが、ロシアのバレエ・ダンサーって皆さんとんでもなくでかく、少し離れていてもどたんばたん言っているのが聴こえるくらいなので、こんなもんで丁度いいのかも知れない。金管や低弦が活躍する曲を振らせてあげないと、The Sleeping Beautyの冒頭で大暴れしそうになったりするから危ないって。

10月6日
昨日、バイトの帰りにオーディオ関係の本を一冊買ったのだが、次世代オーディオのマルチ・チャンネルに関して、こんなことを書いている人がいた。「前4チャンネル、エフェクト用3チャンネル、低音用1チャンネル」。どこまで本気だ?そりゃスピーカーを増やせば音場は出るだろうさ。スピーカーはそんなに高価なものでなくてもいいって、結局音色がどうこうとかで高いのを薦めるのがあんた(オーディオ評論家)の仕事じゃろうが。ついでに言えば、安くて小さいスピーカーと言っても結局はスタンドを使ったりしなくてはいけないわけで、そうすると占有スペースはたいして変わらないんじゃないの?そんなものを2つ置くだけでも多くのおうちは家族と揉め事になったりしているというのに、8つも置ける家がどれだけあると思ってる?そんなことができるおうちはもっと凄いスピーカーを買うことが許されていることが多いので、前に4つもスピーカーを置かなくても大丈夫じゃないのか?結局、部屋中をスピーカーで埋め尽くすのが一番とでも言いたいんだろうか?話にならん。だいたい、エフェクト用3つのうち、一つは天井につける?2つに減らして斜め上方につけたのではだめなのか?スピーカーを増やせば部屋の影響が減る?大丈夫、皆が同じことをすれば結局今とおんなじように差が出るから、結局皆部屋の影響を気にするようになるって。大鑑巨砲主義みたいで安易すぎる。耳は二つしかないんだよ。

10月4日
最近売り出し中(?)のダイアナ湯川というヴァイオリニスト、安達祐実にそっくりだと思うのは私だけ?

10月3日
アンプのエージングが進んできたなぁと思う今日この頃。購入当初より弦のきつさが解消されてきた。某お宅のアンプもそろそろ音がこなれてきたのではないかな?最近、音楽を聴いていられる時間が少なくって困る。聴きたいのがあるに…。

10月1日
今月と来月はコンサート強化期間である。その第一段として、Freddy Kempfのリサイタルをオペラシティくんだりまで聴きに行った。何であそこはあんなに駅から遠いのかね?ちなみにこのFreddy君、有名なWilhelmの息子である。…嘘。孫。…これも嘘。お父さんが遠い親戚という程度のつながりらしい。お母さんが日本人ということで、西洋系の男前の顔にしてはきつさがないなとか、鼻がそんなに高くないなという疑問が解決された。余計な話はこの辺で、演奏に関して。前半がLisztの「超絶技巧練習曲」全曲。後半がProkofiev: Piano Sonatas Nos.1 & 7というプログラム。「超絶技巧」を12曲、休みなくってのはどんなものか。軽い足取りで舞台に登場したFreddy君、軽くお辞儀をして座ると、すぐに弾き出した。これから12曲を弾き倒そうというピアニストがそんな安易に弾きはじめていいのかぁ〜?と思う間もなく、なかなか凄いことが始まった。頭から快調に飛ばし、豪快に叩く。2番辺りでちょっと音の分離が悪いなぁと思ったが、多分ペダルの使い方の問題。スポンサーの関係でYAMAHAのピアノでしか弾かせてもらえないという鬱憤を晴らすかのごとく、ピアノがこわれんばかりの打鍵。Mazeppa辺りからいよいよ楽しみになってきた。このMazeppaも相当なスピード。しかも叩く、叩く。このスピードでは跳躍を外したりというのは仕方の無いところか。「鬼火」辺りで本調子か、指の回りと打鍵の冴えが増してきたように思われる。6番はどこまで音圧が上がるのやらというくらい。基本的に歌うところは歌わせるのだが、切れ始めると止まらないらしい。8、10番辺りももう大変。結局最後の2曲までうるさくなった。凄いパワーと体力。どきどきわくわくしながら後半。1番は正直なところ、あまり印象に残っていない。次が強烈すぎたから。7番、出だしこそ割と繊細に始まったが、盛り上がり始めるともうどうにも止まらない。極めつけはやはり終楽章。最初、このテンポだとちょっと今時の7番としては厳しいかな?と思ったりしたが、すぐにヒートアップ。あきれるくらい簡単に燃え燃えになってしまう。もう弾く弾く。凄い勢い。例によって音の分離がいまいちよろしくないので、後半は音が塊になって膨れ上がるようで、もはや何が起こっているのやら。終盤、少しひより気味になりそうになったところを力で立て直し、強引に突き進んでそのまま曲を捩じ伏せてしまったのには感動。アンコールはLisztのConsolationとChopinが2曲。ChopinはLisztと同じ方法論。やめとけば良いのに。さすがのFreddy君もお疲れか、最後は打鍵にも力強さが欠ける場面が多くなり、腕の支えがやや弱くなって、肩が落ちそうになっていた。顔だけ見るとアイドル系ピアニストかと思うが、とんでもない爆演系である。現在23歳(私と同じ年の生まれ…若い!)で、3年前にすでに結婚してしまっているというのもアイドル系で売り出すにはマイナスか?でも、アイドル系だと思って見に来た音大生の女の子が触発されて、爆演お姉さんが大量発生したりしたら面白いかもと思ったりもする。演奏とは関係ないが、オペラシティのあの2階席、何とかならんのかね?首やら腰やら、疲れてかなわん。手がよく見えるのはいいけどさ。

9月30日
Ovchinikovの「超絶技巧」。何でこればっかり聴いているんだ?という疑問は明日解決される(はず)。音圧だけなら間違いなく一等賞の誉れ高い一枚。4、8、10番あたりはこれでも良いと思うが、最後の2曲までうるさいのは一体全体?最初、録音レベルが低いのかな?とおもってヴォリュームを1ステップ上げたら、途中から結構しんどくなった。

9月29日 その2
N響のヴァイオリニスト、根津氏が「ひとりごと」でFMの音の録り方が変わったようだと書かれているが、実際にマイクの種類とセッティングが少々変わったようである。中央に比較的指向性の限られていそうなマイクが5本、両翼に二本、後ろにもう4本ほどといった感じだったと思う。後ろの方のアンビエンス用と思われるマイクの取り付け位置(と、たぶん本数も)が以前とかなり異なる。中央のマイクも変わったのではないだろうか。マイクで世界の最先端を爆走していると評判の国営放送、いや公共放送。個人的には中央のマイクがぶら下がっているツリー(?)の中央にある円盤状のものが気になる。左右のセパレーションに貢献しているとかか?そんなことするのかな。

9月29日
期待は裏切られないはずだった。それどころか、期待を上回る予感は何度となくあった。Svetlanov/N響のMahler: Symphony No.5。この指揮者、大音響系のドンのようにみられがちだが、決してそれだけではないはず。そう思いつつ国営放送ホールへ足を運んだのだ。確かに、でかい音は随所で聴かれた。問題は、そこまでの過程。闇雲にでかい音を出す人ではないことがわかった。第2楽章の中程、非常に細かい強弱で巧みにオケを煽り、音響がせり上がってくるように鳴った瞬間は心底感動した。終楽章コーダも、アッチェレランドとの合わせ技でうまく盛り上げていた。遅いところはさらに遅くの象のように身じろぎしないテンポでのしのしと進む第一楽章も好き嫌いは別として、この人ならではの重量感を感じさせてくれた。でも、だ。曲の開始でいきなりホルンがこけるのはどうしたことかしら?終楽章冒頭のクラリネットなんてこれ以上ないと言うほど痛いミス。金管がへなへななのは普段より人数も多いことだし、致し方のない部分もあったにせよ、ホルン、トランペット、トロンボーンと仲良く順番に音が引っくり返る第3楽章は一体何だ?第3楽章だったか、終楽章だったか、ファゴットが思いっ切り入りを間違えてたし。やる気あるのか?木管が一斉に吹くところで派手にずれるなんてどういうこと?もう、勘弁してよ。こんなに状態の悪いN響は久し振りじゃなかろうか。夏休み呆け?夏休みったって定期公演がないだけで活動はしていたろうに。確かに、最後は見事な盛り上がりを見せた。立派なものだった。けれども、そこまでに至るあまりのお粗末な過程から、私にはとてもこの演奏を誉めるわけには行かないのだ。例によって「ブラボー」を叫ぶ輩がいた。幸せなことだ。人間がやるんだからミスは付き物とかそういうことではないのだ。ミスはそのまま演奏者の信頼の低下を意味する。つまり、最初でこけたりすれば、聴く方はその先ずっと、「またミスするんじゃないか」とおせっかいな心配をしなくてはならないのだ。これは音楽そのものへの集中力の低下に直結する。長い曲だ。名誉挽回、汚名返上のチャンスはいくらでもある。しかし、悲劇が何度となく繰り返されたとき、聴く方はもう音楽どころではない。まるであら探しをしているように思う人もいるかも知れないが、ちょっとどころでない派手なミスを連発されても平気だなんて、何も聴いていないのと変わらないんじゃない、と思う。聴いていないものは気にならないからね。Svetlanovの低弦の扱い方など見事だった。土台がしっかりしているだけでなく、それが「主張する土台」となって普段埋もれてしまうようなフレーズが浮き出てきた。しかし、そんな感想が今更になってしまうほどに今日のN響はひどかった。来週も聴きに行くことになっているが、どうしたものか。その後はAshkenazyと朝比奈という演奏の質はともかく、オケを鍛え直したりということでは期待できない指揮者が続くのが痛い。早く戻ってこい、Dutoit。

9月28日
VolodosのRachmaninov: Piano Concerto No.3。確かによく弾けております。細かいパッセージを高速で駆け抜けるのが気持よい。で、バックだが、Levin/BPO。体格なりと言うか何と言うか…そのまんま。鳴らす鳴らす。こんなに巧くてでかい音がなっている伴奏は聴いたことがない。曲に関係なく一大スペクトル…失礼、一大スペクタクルが展開される。ちょっと先の細いピアノとアンバランスかなぁ何て思っていたら、そんな生易しいものではなかった。吹く吹く、叩く叩く。アメリカ版のゴジラを観ているような気分。これはこれで面白いとは思う。いつも聴くにはちょっと疲れる演奏だなぁ。

9月27日 その2
本当は書きたいことがあるんだけど、テニスで馬鹿みたいに消耗しきってしまったので、集中力皆無。耳の記憶に自信がないので、また明日。ごみのような更新だな。

9月27日
買う買う。買いすぎた。ああ、10枚も買ってるぅ〜。頭悪い。以下内訳。Temirkanov/Leningrad POのProkofiev: Sym.1 & 5、KnappertsbuschのTill他、OistrakhのRCA2枚組、DanteのGilels、Ovchinikovの「超絶技巧」、Horowitz, Walter/NYPのTchaikovskyとBrahms、SolomonのBeethoven: P. Son.23, 28, 30 & 31、VolodosのRachmaninov。VolodosのRachmaninovはめっちゃ弾けてると大評判らしい。Solomonは特に好きな曲の28、31番の両方が入っていたので、買っちゃった。HorowitzのTchaikovskyはSzellとのもの程の白熱はないものの、その分破綻がないという話。「超絶技巧」が何故かうちで大流行だが、それはとあるコンサートが近いため…。Gilelsはおそらく持っているものと大半がかぶるのだが、SchumannのToccataはどうなってるんだろう。Hungarian Rhapsody No.6は持っていたんだっけなぁ?OistrakhはMravinsky/Leningrad POとのShostakovichの1番が入っているのだな。この演奏、ずっと探していたのだが、こんな形で出ていたとは。KnappertsbuschのTillは史上最大のでたらめ演奏で必聴らしい。責任は薦めた人にとってもらおう。TemirkanovのProkofiev、正規で出ていないよね?1989年と1990年の録音だから、正しくはSt. Petersburg Philharmonic Orchestra。本当はもっともっと長いのだけど、忘れた。探していたものがぽろぽろ見付かってちょっとご機嫌。財布はかなり寂しくなったけど…。

9月26日
3、4日前に立ち読みしたレコ芸の月評、お目当てがもう一つあったことをY田とかいう人の適当な文章にぶちきれていたら忘れてしまっていたので、お仕事帰りにチェック。こちらはY田より遥かに「大物」の文章。うのこーほーによるMravinsky来日公演の月評。Shostakovichの方。Beethovenは書かせてもらえなかったらしい。で、何でこの人はいつもこういうことになるんだろう?言ってしまえば何も言っていないに等しい内容。彼の常套手段の一つが、本来相反する要素が同居しているというような書き方だが、それがなぜ可能であったのかが全く示されていないので、結局読み手には何も分からない。相反する要素を同居可能たらしめている要因を説明するのがあんたの仕事じゃないのか。さらには適当な、殆んど造語とも言っていいような言葉でお茶を濁す。極端な例が「結晶化した」。この言葉で何が起こっているのか、果たしてどれだけの人が分かるというのか。この人、結晶が何か分かってるのかな。六方最密充填が何か答えられないでこんな言葉は使って欲しくないなぁ、なんて。音大では文章の書き方なんていちいち教えてもらえなかったであろうとは言え、この人の何について書いても同じになってしまう金太郎飴のような文章はどんなものかと思う。それ以上に、こんな文章に共感するのか、信者と呼ばれるような人が大勢いるらしいという現象を誰か説明してくれないかな、と思う今日この頃。21世紀に伝えたいCD5枚のうち3枚がKnappertsbuschだなんて、21世紀の人が気の毒でならない。

9月25日 その2
スピーカーの設置法と無関係に気になるのが、Szellの新世界。第3楽章、どう聴いても変。逆相なんじゃないか?この楽章だけというのも変な話だし、管楽器はそれほど不自然に聴こえないし、うーん。随分使われたマスターだという話だし、テープがへたってたとしても、こういう劣化の仕方をするんだろうか…。逆相かどうかを確かめるのは単にスピーカー・ケーブルの+−を入れ替えればいいことなのだが、片チャンネル当り2組(高音用と低音用)のケーブルを末端処理無しで繋いでいる身にはこの楽章のためだけに繋ぎ変えるのは…繋ぎ変えて、戻すだけで半日つぶれそう。位相反転スイッチのついているアンプかプレーヤーがあれば一発なんだがなぁ。ちなみに、逆相で記録されちゃってるCDって結構あるらしい。誰か調べてくれないかなぁ(←他力本願)。気になって夜も眠れない…ほど神経が細くないのだな。

9月25日
スピーカーのセッティングをほんの少しだけ変更。たまにぶつかったりしているせいか、下に敷いているボードごとずれるようで、右スピーカーが左より4mm近く前に出ていてちょっと驚き。左右スピーカーの位置を間のオーディオ・ラックとの距離を計ることで合わせて(オーディオ・ラックの精度が悪かったらおしまい(笑))、少し内振りを強める(ほんの1、2度くらい)。左右の広がりがやや狭めになった反面、楽器の実体感は上がって、難しいところ。しばらく置いておくとするか。

9月24日 その2
賛否両論が渦を巻く横山幸雄の「超絶技巧」。私はいいんじゃないかと思うんですがね。よく弾けてます。録音もいいし(ちょっと遠いけど)。細かいことはもう私の口出しする領域ではないんで遠慮。

9月24日
どうも評判がいまいちのRepinのShostakovich。よく考えてみりゃ自分もあまり誉めていないじゃないか(笑)。やはり思うのが、この人は本当に巧いのか?という疑問。結構苦しそうなところがあちこち…。でも、第3楽章を聴くと少し納得。この人はこういうことがしたいのかな?と。この楽章、随分女々しく弾いてる。こういう方が音色も含めて、合ってるんじゃないかと思う今日この頃。同じ楽章をVengerovが弾くと、逞しすぎちゃって、おや、どうしたのかしら?という気分に。Repinに戻ると、第3楽章の出だし、オケが軽すぎ。ピクニックにでも行きそうな勢い。これはどうか。

9月23日 その2
え、暴れてる?いつものことです…。それはさておき、新世界。演奏と全然関係ないことが気になった。第3楽章。弦楽器が一気に左右にベッタリ寄ったように聴こえる…。CBSはこの時期、何チャンネルで録ってたんだっけ?単にテープの劣化のせい?演奏は、50年代も最後の年ということもあってか、強烈なダイナミズムからより柔軟な演奏へと志向が移りつつあるように思えるところが随所に。コーダで凄い勢いで張り切り出したと思ったら、肩透かしを食らわされた。うーむ。とりあえず、第3楽章がちょっと気になるな…体調や耳の状態もあるのでちょっと断言はできない。

9月23日
ちょっと寝坊して、オリンピックをぼおっと見たりしていたら、ふと、今日がWand/NDR SOの来日公演発売日であることを思い出した。本当に来るのかねぇ。来るとしたら、まあWandの意思なんだろうし、と思って電話してみたら、あっけなく完売の宣告。発売開始から4時間以上経ってたしなぁ。しかし、意外に(?)大人気だな。思っていたよりブランド性があるってことか。ま、来るといいですね、ということで。

9月22日 その2
SzellのDvorak。とりあえず8番。好きな人は好きらしいが、私はあんまり好きではないな、この曲。それはさておき、50年代も終盤、いよいよ戦車がチョロQになって走り回っている感じで、曲と関係なく面白い。温度感は少々低め。冷たい演奏というわけではないが、透明感がありすぎるクリスタル・ガラスのような感じ?と思っていたら、終楽章コーダで俄然張り切って凄いことに。この辺の繋がりはどうなのかしらと思わないでもないが…。しかし、戦車がチョロQみたいにって、とても誉めてるように聞こえませんな。

9月22日
きれます、よろしく。「レコード芸術」、俗に言う「レコ芸」を立ち読みしてきた。お目当てはSzellのDSDリマスター盤の月評。以前ちょこっとここで書いたら少々騒ぎになってしまった"Eroica"の編集ミス疑惑の件。これ自体は、乱暴な言い様かも知れないが、分かる人にはあからさまに分かるし、分からなければ気にせず聴いていればいい。問題は、この月評の書かれ方だ。このYという評論家、文章の前半でDSDリマスター以外の盤を持つ人でも買い換える価値があると書いたくせに、文章の最後になって、「手許のサンプルでは第1楽章の途中に音飛びがあるのが気になる」といったようなことを書いている。心配ご無用。私の手許のサンプルも知人の手許のサンプルにも同様の現象は起きている。ついでに言えば、旧CBSのCD最初期の盤でも同様。これは前にも書いたな。そんなことはどうでもよくって、私が気にくわないのは、前の盤を持っていた人でも買い換える価値があるとあたかも他の盤との比較を行ったように書いているくせに(本当はどうだか怪しい、というよりそこまできちんとやってないんじゃないの?)、手許の盤には傷があるのが「気になる」という。気になるんだったらちゃんと調べろよ。気にするだけなら私にだって出来るぞ。嘘でもプロだろ?ひょっとしたらDSD盤に特有の傷があるのかも知れないと思わせておきながら(実際は特有ではない)、買い換えを薦めるとはどういう神経だ?読者を馬鹿にしてる。もっと言ってしまえば、自分で「音飛び」を発見したかどうかも怪しい。こんなのが偉そうに評論なんかしてるから、「日本の評論家はBudapestの聴衆以下だ」と言われるんだ。紙面の制限?そりゃあるだろうさ。でも、他に書き方はいくらだってあったはずだし、それくらい出来ないで文章でお金を稼いだりして欲しくはないね。ああ、馬鹿馬鹿しい。

9月21日
結論。現代配置のTchaikovsky後期交響曲は全部駄目。とか言いつつ、普段聴くのはSoltiだけど。コンサートでもきちんとした席だと同じだと思うけど、音響バランスの問題。普通の現代配置(右に低弦、金管)だと、どうしても右側ばかりに音が片寄る。普通の曲ならそれでもそんなに問題はないのだが、この作曲家はトランペットを大活躍させてしまうので、聴いていて右耳ばかりが疲れたりする。さらに、第一ヴァイオリンが孤立無援の状態になったり。だいたい、この現代配置ってStokowskyが提案したもの(とBlomstedtが何かの番組で言っていた…この辺、誰かきちんと調べてくれないかな?)。要するにそれ以前は皆古典配置だったわけで、作曲家だってそれを前提とした曲作りをしたに違いない。作曲家の意図を忠実に再現した演奏がベストだとは思わないが、あからさまに音が片寄るような場合はそれなりの処置があってもいいと思う。別に古典配置だけが解決策ではないだろうし。MravinskyのMelodiyaへの5番の録音を聴くと、本人がどこまで意図していたかは別として、左側が空虚にならずに済んでいることに敬意を表したくなる。そういえば、実演に接した評論家の一人が、右の金管と左の低弦が同質の音を出していた、というようなことを言っていたっけ。最近古典配置が見直されているのは個人的にはいい傾向だとは思うが、その配置にする必然性が感じられない演奏はしないで欲しいと思う今日この頃。

9月20日
Szellの来日公演発売。私は勿論発売日当日に…生協で注文しにいこうかな(笑)?LuganoでのRakoczyをようやく聴いたが、狂ってるなぁ。終盤はさすがにしんどそうだ。でも、それより気になるのが、ToscaniniのMozart。どういう風の吹き回しか?いや、ちょっとね…。

9月19日
先日散々扱き下ろしたShallonだが、つい3日ほど前に亡くなったらしい。あらま。良し悪しは別として、随分と元気な指揮をしていたのに。図らずも彼の最後の来日を目撃した一人となってしまった。将来彼の録音が突如馬鹿売れしたりしたら自慢できるのかな?いつのことだろう。3年ぶりにやってきた異国の地で死ぬとは不本意だったことだろう。一方で足元すらおぼつかなくなってきたというWand。本当に来日させる気か?しかも3日連続の公演。これもどこまで本気かわからんな。
ほぼ私信。え、CD評?そんな大層なものではないですよ。せいぜい感想。買うには買ったけどいまいち聴く気が起きず、何となく聴いてみたけどやっぱり興味を持てないなんてケースも多々あるわけで。ちゃんと聴いてもどれほどのことが書けるか、まあ怪しいもんですが。

9月18日
どうにも止まらない。秋葉原石丸でレーベル別セールなるものが行われており、SymposiumのコーナーでWakefieldのLisztを発見。全然安くないとか思いつつ購入。似非CDコーナーではKoganのBeethoven: Vn. Con.のみ(!)のものがあったり、Laus Tennstedtと書いてあるものがあったり、どこまで本気だか…。そういえば、Szellの"Great"があった。でもClevelandではない模様。HaydnやMozartもあったけど、誰か買わないかな?Solti/CSOのBarberと「展覧会の絵」なんてのもあった。これも収録時間40分少々。どこまで本気だ?

9月17日 その3
Karajan/BPOのMahler: Sym. No.6。1975年。オケの状態はなかなかよろしいようで。でも、随所で「ああああ、何でぇ〜?!」と言いたくなる部分が。終楽章の「ぱんぱかぱん」はないだろう。特に気になったのがトランペット。何か女々しい鳴らし方。また、こういう(爆裂金管系の?)曲でないとなかなか分からないのだが、金管が本気で強奏したときの安定感はChicagoの方が一枚上手かな。でかい音が出てりゃいいってものではないんだけどさ。第3楽章が粘着質なのは誰の影響かな。基本的に割とストレートな演奏だと思うが、それ故に稚拙な部分が露骨に露出したりするのが厳しい。難聴になるほど叩かされたというティンパニはさすが。個人的には好みの音触(←造語かも知れない)ではないが。

9月17日 その2
一緒に入っていたProkofiev: Piano Concerto No.3。おや、どうしたのかしら。無難というか、安全運転。もっと煽り立てるようなところのある曲だったはず。慌ててKapellのCDを取り出してきて一安心。あ、やっぱりこういう曲だ。

9月17日
下でおかしいと書いたSzellのProkofiev。極めて個人的な見解だが、この時期のロシアの戦争物の曲(Shostakovichの交響曲7、8番、弦楽四重奏曲第8番など)は膨大な暗さとともに、生死の瀬戸際に立たされる緊張感を抱え込んでいる。このProkofievの5番の終楽章にしても、本来このテンポで弾けばオケの限界ギリギリの状態になるはず。このミスと紙一重の緊張感の維持がこういった曲では重要なんじゃないかと思う。ところが、文字通りThe Cleveland Oは巧すぎるのだ。この曲にこれ以上を望むのは不可能に近い。決して緊張感のない演奏ではない。しかし、その緊張感は曲が本来持ち合わせていたものとすり代わってしまっているように感じられてならないのだ。ただ、曲に対して演奏者が優位に立ちすぎている、といったところだろうか。ピアノ等でも難曲と位置づけられている曲があまりにも簡単に弾かれてしまったとき、どこか白々しさが顔を覗かせることがあるが、それに近いと言ったら怒られるだろうか?

9月16日 その2
目撃情報を頼りに新宿へ。が、ない。ない、ない、ない〜!その一方で、こんなものを見付けた。Mravinsky/Leningrad POのLyatoshinsky: Sym. No.3他。随分前から探していたのだが、ついに発見。ろくな曲でないであろうことは9割がた間違いないと思われるが、こういうものは持っていないと話にならないので…。もう一枚はいまだ衰えぬヴァイオリン・ブームを反映してか、Repin & BerezovskyのProkofiev: Vn. Son. Nos.1 & 2, 5 Melodies。これはどんな演奏になっているか楽しみ。とある方に頼まれていたCDも発見し、結局肝心なもの以外は全て見付けた。ここまでしてぶつからないのは、避けられているとしか思えんな。見つからないので、やけになって横山の全集に手をかけそうになったが、思いとどまった。代わりにこういう発散の仕方をした。何だかなぁ。

9月16日
奈良に来ると言われていたLibettaが急病とやらで公演中止になったらしい。どのみち、大雨で新幹線が止まりそうなので、来ても行けないかも知れないが。え、私は奈良まで行ったりはしませんよ。というわけで、旅費が浮いてしまった某氏が私に代わって横山のBeethoven全集を購入してくれるらしい。ふふふ。良かったら私も買うってことで。

9月15日
Szell/COのProkofiev: Sym. No.5。こんだけ巧いとかえっておかしいと感じてしまう。終楽章でトランペット足しまくるし。だが、一番おかしいのが解説。入っていない「オケコン」のことなんて書かれても困るって。流用とは言え、これはさすがにどうか。時に、下の横山のBeethoven、「冷めた」感じがするけど、淡々としているというのとも違うのだな。結構歌い回しがくどかったりするし。ピアノの響きが固めであっさりしているというのがかなり効いているのかも知れない。Polliniのライヴのような荒々しさがなく、整然とした印象があるからかな?

9月14日 その2
で、その横山幸雄のBeethovenだが、時間の都合により(?)"Appassionata"の終楽章と"Hammerklavier"の第1、4楽章のみを聴いてみる。良く弾けてると思う。特に"Hammerklavier"のフーガなど、「全部聴こえる」演奏に仕上がっていて、結構好きではある。その一方で、やや冷めたと言おうか、曲から距離をおいた感じがあるのは確か。それが結構露骨に感じられないでもない部分があるので、好き嫌いはかなり別れるところかも知れない。全体的に高音よりになっているようにも思え、低音炸裂系Beethovenが好きな私には少々欲求不満になる部分も。"Appassionata"では特に。普段おかしな演奏で聴きなれてしまっているせいが多分にあるんだろうけど…。ところでこのCD、全集の演奏とは別物。95年のスタジオ録音。最近とみに顔のでかい演奏をするようになったと言われるが、98年のライヴではどうなっているのだろう?と言うわけで、全集も買わなくてはいけない雰囲気濃厚…。

9月14日
コンサートと来たら次はCD。と言うわけで、先日注文したCDを取りに行ってきた。SzellのDSD盤からDvorak、それに賛否両論が渦を巻いている横山幸雄のBeethovenと超絶技巧。生協にはRepinはありませんでした。あれば2割引だったのに。

9月13日
何が楽しくてか、2時から9時過ぎまでを溜池山王で過ごす。下手すりゃ研究室に一日にいる時間より長いぞ。そんな羽目になった責任の一端が今夜の都響のコンサート。曲はGlazunov: Vn. Con.とShostakovich: Sym. No.7。Glazunovは多分、随分前に生で聴いていると思う。全然印象に残っていないところから、好きな曲じゃないんだろうな、と思いつつ…。Shostakovichの7番は実は生は初めて。ちなみに指揮はDavid Shallon。Hans Swalowski(スペル怪しい)の弟子らしい。…大丈夫かぁ?などと思っているうちに演奏開始。Weithaasという女流のソロでGlazunov。前半さんざん退屈した後、後半に差し掛かって、ああ!という局面に。Glazunovという人はあの時代にこんな可愛らしい旋律を馬鹿まじめに書いた人なのだったっけ。そういえば彼の交響曲も…。大の大人が何十人と集まってこんな旋律を奏でようとは!何だか滑稽な感じすらしたが、それこそがGlazunovの目指していたところなら、それはそれで大したものだと思う。ただのアル中親父だったという話もあるが…。ヴァイオリニストの方は、いかにも女流という感じの甘甘な音色でお届け。私の耳には合いませんな。さて、注目のShostakovichは、出だしをなかなか快調に滑り出し、少々腰が軽い印象があったが、まあ許せるでしょうというレベル。ところが…例の「ボレロ」風の部分でどんどん盛り上がって、ああああ!そこでテンポを落とすなぁぁ!音響が局所的に一気に肥大してさあ大変。ほとんどカオス状態の大音響。CDでしか聴いていないからということもあるんだろうが、これはどう考えてもやりすぎ。第一、そんなに肥大化させたらその後との繋がりがおかしくなるじゃない。一番許しがたいのがティンパニ。何を考えていやがる。あんたが勝手な叩き方をするから余計おかしくなるじゃないか。バランス感覚ゼロ。思いっ切り叩いて、見事なまでに浮いてしまってる。第2楽章も何か変なところがあった気がするが、その前の楽章がそれ以上に強力な印象を植え付けてしまったので、覚えていない。第3楽章は終盤寝かけた。弦の響きはなかなか良いんだが、疲れきった状態ではどう頑張ってもこの楽章は厳しいな。で、終楽章…。ああああああああっ!またティンパニぐゎあ!何考えてんだぁ。叩きゃいいってものじゃないでしょうに。テンポはもう少し速くないとこの楽章は厳しいな。アクセントの付け方でやり過ごすこともできるんだろうけど、どうしても間が抜けやすく聴こえるんだな、この作曲家の曲は。作曲家本人は相当なテンポを要求したという話もあるし。Toscaniniみたいになってしまうのもどうかとは思うが。最後、「太鼓がずれてるよぉ」と苦笑しかかっていたところへ、ブラボー馬鹿が残響も消えないうちから「ぶらぼぉー!」。しかもこの声が真っ正面から聴こえてくるってのは…。長くなるので、「言いたい放題」にでも書くとしよう。そんなに良かったかね、この演奏。でかい音が出りゃ満足、という人ならそうかもね。ちなみに演奏後、指揮者が主な奏者を立たせていったが、ティンパニのときに私は全く拍手をしなかったのは言うまでもない。仮に指揮者の解釈だとすれば見識を疑うし、奏者の暴走ならクビにすべき…というのは言い過ぎか?少し口が悪いのは疲れているせいということにしておいて下され。

9月12日 その2
Mravinsky/Leningrad POのGlinka: "Ruslan and Lyudmila" Ov.。プリアンプ購入後、初めて聴く。どうにもならない録音なんだが、それでも奥行きはきちんと感じられるし、何と言っても音の立ち上がりや切れ込みがたまらない。残留ノイズさえ何とかなれば、本当に文句がないんだがなぁ。明日、エレクトリに電話するか…。

9月12日
お仕事帰りに本屋を探して高田馬場駅周辺をうろついていたところ、「ムトウ」というCD屋さんを発見。国内盤オンリーだが、品揃えは悪くない。「楽譜は向かいの建物」ということで、お向かいの建物に入って、あら、びっくり。ここ、知ってる。でじゃぶ?いや、思い出した、思い出した。某アイドルも通っていることで評判の某大学の合格発表を見に行ったときだったか、入学手続きをしに行ったときだったか、高田馬場の駅へ向かって友人と歩いて帰ったときに、偶然見つけて入って、確かSolti/CSOのMahler: Sym. No.7を買ったのだった。懐かしいねぇ。5年も前のことだ。結局その大学は蹴っ飛ばして、入学金を損したんだっけ。どちらかというと事故紹介のネタだけど、CDがらみということで、勘弁。

9月11日
Solti/VPOのElgar: Enigma Variationsを聴く。へ?というのが正直な感想。弦がすかすかかすかす。まるで弦楽器奏者の半分が神隠しにでもあったかのよう。編成が小さいというわけではない。やや空気感、空間感を重視したような録音のせいもあるんだろうが…。で、久しぶりにCSOとの1974年録音を取り出して聴いてみたところ、これこれ!全盛期のアンサンブルを軸に金管は吹く吹く、ティンパニは叩く叩く。弦の存在感もばっちり。Solti/VPOの組み合わせって必ずおかしな演奏になるなぁ。…と思っていたら、変な結論にたどり着いてしまった。LPOとの"The Marriage of Figaro" Overtureを気まぐれに聴いていたら、あら不思議。VPOとそっくりな音がするじゃないですか。ということで、結論。Soltiが振るとVPOもLPOも同じになる。LPOがレベル・アップするのか、VPOがレベル・ダウンするのか、さてどっちでしょう?弦ががしゃがしゃ言い出すところなんて本当にそっくり。
作業しながらなので、正確なことは言えないが、ShostakovichのVn. Con. No.1、Oistrakh & Mravinsky/Czech POの演奏でとどめを刺された。私が持っている演奏の中では一番しっくり来るなぁ。Czech POとは言え、Mravinskyの意思は十分に伝わる。ティンパニがバケツみたいなんて何のその。曇り時々雨でモノラルの録音。とても誉めているとは思えないな。でも、良いと思う。終楽章のオケとソリストのバランスと緊張感に最も優れた演奏かも知れない。

9月10日
全然関係のない話だが、うちのプリアンプにはビデオがつながっている。というわけで、その気になればテレビの音声をオーディオで聴くことができるわけだが、これはこれで結構面白い。ニュース番組でスタジオ内の雑音(?)が聞こえたり、CMが凄いことになったり。きっと映画なんかも面白いのかも知れないが、あまり映画は見ないのだな。
Knappertsbusch最晩年の指揮を見て、「腹で振っているようだ」と某評論家の大先生は評したらしい。Brucknerの7番の第2楽章だったか、居眠りしていて起きたらまだやっていて恐れ入ったとか。ある意味、やっぱり凄い指揮者ではあるのだろうな。R. Straussの"Til"を買わなくてはいけないんだったっけ?本気で言ってるとは思えぬ。

9月9日
下の三曲(Faureの1、2番、Griegの3番)を聴き直す。とは言ってもあれこれ作業しながら。やっぱりFaureは、うーん。悪いとは言わないが、聴きたいと思わせるものに欠けるなぁ。Griegも終楽章が思ったより安手な感じが。もう一つ惹き付けるものが欲しいな。我が家のヴァイオリン・ブームもそろそろ下火かな。

9月7日
電話がらみで、というわけではないが、先日買ったFaureとGriegのVn. Son.を電話をしながら聴いた(おいおい)。当然細かいところはおろか、話に夢中になっていた箇所は軒並記憶から抜け落ちてしまっているわけだが、Griegの3番は私好みかも知れない。ちゃんと聴こう。

9月6日 その2
私なんぞの口出し無用の領域なんだが、FriedmanのLiszt: Hungarian Rhapsody No.2。この間の取り方は…うーん。息もつかせぬと思ったら、たっぷりと。でも録音が…。1930年。文句を言ってはいけません。

9月6日
電話越しにSzell/COのBartok: Con. for Orch.の終楽章を聴かせてもらったが、うーん。ここまで来るとおかしいとしか言いようがないな。それとは関係なく、あのカット、そして余計(?)なフレーズは…。50年代と60年代の違い…確かに。

9月5日 その3
DemidienkoのBach=Busoni集。BWV 532が入っていないのが個人的にはちょっと寂しい。ピアノでやるなら552より好きかも知れない。で、そのBWV 552 "St. Anne"だが、Spadaの(録音のせいも少しはあるとは言え)ぺたぺたな平べったい演奏ではなく、結構楽しめる。しかし、鍵盤を端から端までフルに使った表現意欲はすごいと思うが、原曲が一番良いなぁ、なんて言ってはいけない。Toccata, Adagio & Fugue BWV 564のToccataはこのCDで気に入った。MedtnerのConcertoも買ってみようかな?オケ、大丈夫?

9月5日 その2
RepinのMedtnerを聴いていて、「あれ?」。ジャケットをみて納得。この演奏で彼が使っているのはGuarneriなのだな。普段はStradivariusで、Shostakovichもこっちのはず。私はStradivariusとあまり相性が良くない気がするのが、気のせい?Kyung Wha ChungもGuarneriだったな。Vengerovはものは違えど、どれもStradivariusだったはず。彼の場合はどれでもくどくなるので、楽器がどうこうという話ではなくなるんだが。ちょっと我が家じゃサンプル数が少ないか。あ、樫本大進もStradivariusじゃなかったっけ?やっぱり相性が悪いのかも…。

9月5日
SzellのLeningrad公演、相当お客さんが入ってますな。Mravinskyの演奏会でも柱と柱の間の立ち見席(?)には結構お客さんがいましたが、これは相当。はみ出して落っこちそうになっている人までいるし。

9月4日 その3
というわけで、たまには新譜を。出たのは1995年だが、RepinのShostakovich: Vn. Con. No.1。やっぱり私好みの音が出ていて、ヴァイオリンはよろしゅうございます。オケは…頑張ってね。予想していたよりは下手じゃなかった。怪しいところを挙げたらきりがないけど。完全にヴァイオリン主導型になっていることは予想していたものの、やっぱりどうかなぁという気にさせられる。ちょっとバランスが悪いな。特に、終楽章は対等な勝負ができていないと、陳腐になってしまう。もう少し言えば、オケが少し能天気に響く。後ろ暗さを演出できていないと、浮いてしまう。Repinはたしかに巧いんだが、一部完全に捌ききれていないように感じた。で、Vengerovが出てくるわけだが、巧いしRepinで気になった部分も弾ききれているのだが、ああああっ、くどい。ありとあらゆるフレーズはもとより、一音一音が徹底してくどい。ここまでできりゃそれはそれで立派なものだが、ちょっと食あたりしそう。最近のBrahmsは意外なほどさっぱりしてたけど。終楽章のタイム、後から出したRepinの方がわずかに速い。この辺にこの二人のライバル心が見え隠れ?

9月4日 その2
WCLVでShostakovichのSym. No.7を流していた。このごみ録音、このあきれた集中力と推進力はぁ!やっぱりMravinsky。こんだけ特徴のあるファクターが多いと、パソコンのスピーカーで聴いていても簡単に判別できるな。しかし、ラジオがこんな演奏流していいんですか?いや、いい演奏だけど、録音がねぇ。しかも電波に乗るわけで、余計に劣化して…ノイズにしかならないんじゃあ(笑)。

9月4日
やっぱり気になる残留ノイズ…。RE-9の早期導入の必要性大。そういうときに限って雨が降ったりして出掛けにくくなるのだな。プリはだいぶ音がこなれてきた。音場は、それほど深くないが、スピーカーのラインを挟んで前後に展開される感じで、奥行き方向の情報量としてはまずまず。具体的に言うと、協奏曲でソリストがスピーカーの少し前、オケがスピーカーのラインから後ろという感じ。オーディオを更新してしまうと、新譜を聴かなくなるので、この日記にはよろしくないな(笑)。

9月3日
今日はグミの日…多分、嘘。たまには真面目に書いてみますか。オーディオのお話。先日もプリアンプを買ったりして、結構な額を使っているわけだが(学生とは思えん)、そこまで至らなくてはならなかった事情について。別にそんな装置を使わずとも、音楽を聴くことはできる。知人の言葉だが、楽曲の違いからすれば演奏の違いはマイナー・チェンジでしかないし、演奏の違いに比べれば、装置の違いなんて更にマイナー・チェンジでしかない。皆が皆そこまでやる必要はないのだ。しかし、厳然たる事実として、出せない音は聴けないのだ。スピーカーの周波数特性が一番分かりやすいが、50Hzまでしか出せないスピーカーでは30Hzの音を聴くことができない。ここで問題なのは、聴けなくて困るかと言うこと。音楽経験の豊かな人なら、経験からの類推で出ていたであろう音を想像することもできるかもしれない。だが、私の音楽経験はちょっと乏しすぎる。聴こえないものは私には分からないのだ。だから、私にとってオーディオとは耳の補助みたいなもの。音感もリズム感もあるんだか無いんだか分からない程度の耳では、このくらいの装置でようやっとスタート地点かな、という感じ。一方で、楽器経験豊かな人でもオーディオを趣味としている人だっているわけで、その人はその人で別な理由かもしれない。趣味の理由なんて人それぞれであって当然だと思うが、言いたかったのは、「こんなスタンスでオーディオやってます」ということ。スタンスはスタンスであって、いい装置を聴いてどきどきわくわくしたりするわけで、そういった愉悦感を与えてくれるものの一つがオーディオであるのは言うまでもない。

8月31日 その4
調子に乗ってじゃんじゃん更新。Szellのお話、同じ日付なのに既に下の方へ行ってしまった…。タワレコのクーポン券が今日までだったので、使いに行ってきた。戦果: SzellのDSDリマスター盤からProkofiev、Repin, Nagano/Halle OのShostakovich: Vn. Con. No.1とProkofiev: Vn. Con. No.2、RabinのPaganini: Caprices、Duchableの「超絶技巧」、GrumiauxのFaure: Vn. Son.。Faureは安かったから。とりあえず、どんな曲かくらいは分かるでしょう。DuchableはFreddy Kempfのリサイタルの予習に向けて。RabinはSzellが誉めていたらしいな。さてどんなものでしょ。Repinは最近好みのヴァイオリニスト。きっと私好みに仕上がっている…はず。でも、オケが…。Halle O、巧かったという話を聴いたことがない。Skrowaczewskiがしぼってもあの音だからなぁ。Szellはオケコンも買おうかと思ったけど、ちょっと予算をオーバーしてしまうので、私の好みとしては60年代より50年代の方が合うだろうということで、Prokofievを選択。オケコンもそのうち買うけどね。

8月31日 その3
ちなみに、買ったプリアンプはないないずくし。リモコン無し、トーンコントロール無し、バランス調整無し、電源スイッチすら無い。入力も4系統しかない。シンプルにも程があるな。コンセントに差したら、電源は入りっ放し。でんこちゃんに怒られるな。でも、真ん中のLEDが青紫色に妖しく光って、何とも格好いい。

8月31日 その2
では、プリアンプ到着顛末記と行きますか。事故紹介にも書いたが、到着がえらく遅れたため、届いて配線して、ちょこっとだけ音を出して、すぐ出掛けてしまった。でも、この時点でむふふな状態。で、帰ってきて下のチェックをしてから、気になる音の方を…。結論、プリでこんなに変わるのはおかしい。スピーカーの感覚と試聴距離の関係で、音場を出そうとするとどうしても中抜け気味になり、そのバランスがなかなか取れずにいたのが、一発解消。ちょっと呆れた。これまでさんざんスピーカーを中へ、外へ向けていた努力は一体?オケ曲ではスピーカーの外まで音が広がる感覚というのを家では初めて体験した。が、一番凄かったのは意外にも(?)室内楽。FaureのPiano Quintet No.2で、冒頭でピアノに続いて弦が一つ一つ旋律を受け渡していくような部分で、各楽器があんまり見事に定位し、その場で音が立ち上がるような感じがして(ああ、表現が下手)、ぞくぞくした。これだよ、これ、私がオーディオに求めてたのは!ライヴ録音の最後の拍手なんかリアルすぎて笑ってしまった。音は基本的にくっきりはっきりなのだが、音の懐の深さとでも言おうか、ピアノの左手オクターヴの響き方なんかなかなか良い。ただ、一つだけ問題が(そのうちもっと出てくるだろうが)。残留ノイズがやけに大きい。十中八九、アースを取っていないため。以前、X-Canでシャーシを開けた際にアース配線が外れて、残留ノイズがでかくなったという話も聴いたことがある。というわけで、RE-9の出番かな?ああ、お金がない…。

8月31日
プリアンプ到着!…が、その前に。Szellの"Eroica"第1楽章9分30秒付近の件、私の中ではほぼ決着がついた。きちんと聴いてみたところ、ぶち切れているのはヴァイオリンの最後の音ではない。でも、その部分で「あれ?」という感覚が。テニスで例えるなら、フレームに当たったボールがストリング面に当たって、それから相手コートへ帰ったときのような…。その最後の音とその一つ前の音の間に間があるように感じた。もう一度聴くと、間ではなく、音のつながりのギャップみたいなものといった方が良さそうだ。最後の音が、その前の音の途中でいきなりすぱんと入ったような感じ。で、この件の第一発見者(?)にこの旨を伝えたところ、彼が問題にしていたのは、最初からヴァイオリンの最後から2番目の音だったのだそうな(この辺、私の勘違い)。この8分音符が半分になっていて、その後の音の後に少し空白を足したように聴こえるという。だから、小節単位での辻褄はあっていることになる。なるほど。でも、「編集したようには聴こえない」という意見もあるし、本当のところは当時のプロデューサーにでも訊かないと分からないかも。「そんな昔のことは忘れた」で終わりそうだな。ともあれ、この演奏が凄い演奏(色んな意味で)あることに変わりはないんだな。

8月29日
"Eroica"のコーダ…今思えば、我が家にこの曲のCDが結構あるのも、コーダに物足りなさを覚えてのことではなかっただろうか。結局、その当時はToscaniniが速いけど音がどうにもならず、そのうちに興味が他へ移ってしまい、"Eroica"もそんなに増えなくなった。そう言った意味では、Szellの演奏はその本来の欲求を満たしてくれる演奏であったはずなのだな。え、今?第2楽章をおどろおどろしくやってくれるのが好みでございます(笑)。

8月28日 その2
最近、KoganのCDが良く鳴ってくれる。気のせいとか、体調とか、集中の度合いの関係が殆んどなんだろうが、ヴァイオリンの質感がきちんと分かる。新プリアンプ登場前だが…。Bachの無伴奏ソナタ第3番やChaconneなど、襟を正して正座して聴きたい気分。実際には、正座を長いこと出来ない体質だし、床に座ってしまうと高さの関係で…。ProkofievのSonata No.1もようやく聴けるようになってきた。プリアンプの到着が待ち遠しくて仕方がないのでした。

8月28日
というわけで、秋葉原へ行ってきた。プリを探してる、X-2を聴きたいと言ったら、あっさり繋げてくれた。ちょっと拍子抜け。で、AccuphaseのC-265と聴き比べ。CDプレーヤーはEsoteric P-50W、パワー・アンプはAccuphase P-450、スピーカーはInfinity Kappa 100。我が家のラインアップに可能な限り近付けてみた。ソフトは以下の通り。Licad, Previn/LPOのSaint-Saens: P. Con. No.2の第1楽章、Repin & BerezovskyのMedtner: Vn. Son. No.3の終楽章、Solti/CSOのMahler: Sym. No.5の終楽章、LewenthalのAlkan: Le festin d'Esope (High Performance)、A. Jansons/The Lithuanian RTV SOのMozart: Requiem。正直なところ、違うことは分かってもどちらがよいとはとても言い切れない。単純に好き嫌いだなこりゃ。ただ、条件が少し違うんだなぁ。C-265は行ったときから既に電源が入っていたけど、X-2はコンセントに繋いですらいなかったからなぁ。実際、後半の方が印象が良くなっていったし。C-265は弦の肌触りの良さが秀逸。ただ、少し大人しくなるのと、高音がきらきらしすぎるかなぁ…。X-2は音の立ち上がりが良く、輪郭がはっきりする感じ。C-265の方が音の余韻が深まったように感じる反面、余計な音が付きまとっているとも取れる。長い時間ゆったりと楽しむならAccuphaseの方が向いているのかも知れない。でも、私が選んだのはX-2。本当に好みの世界だな。とにもかくにも、ものは木曜日の午前中に届くのだ。届いて聴いて、本当の勝負はそこからだな(いつから勝負に?)。
ほぼ私信。Szellは棺桶から一番遠い位置に現在おりますのでご心配無く。我が家のCD収納状況は、400枚くらい入るラック、200枚くらい入るタワー、棺桶(段ボール)。ラックにはMravinsky、Solti、Szellと室内楽、ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、ギター、オルガンの順で収まっており、はみ出していった指揮者たちはまずは200枚タワーへ。そこからもはみ出した者たちは有無を言わせず棺桶へ。でも、ラックがそろそろどうにもならなくなってきたので、室内楽やピアノの一部をタワーへ飛ばす計画が発動。で、一昨日の大移動計画となったわけで…。え、ラックを増やせ?どこに置くんでしょ?キッチンかしらん。夜になって冷蔵庫が開かないことに気が付いて、「おや、どうしたのかしら」と言ってみるのも悪くないかも。何か色んな人の話がごちゃ混ぜになってるけど、気にしない、気にしない。

8月27日
金曜日に仕事帰りに秋葉原へ行ったら、私が普段からお世話になっているお店のPass Lab X-2が復活していた。相変わらず、SACDコーナーに設置してあったが、絶対にどちらか買うから、と言えば繋いでくれるよね。向こうだって商売なんだしさ。顔馴染みの店員さんがいると一番やりやすいんだが…。とりあえず、明日はいざ秋葉原、ということで、試聴用のCDを選定中。とりあえずはMravinskyのBrahms: Sym. No.4でしょ、Soltiの古い方のMahler 5、RepinのMedtner: Vn. Son. No.3、あ、低音の具合いを確認するのに、PrestonのBachもいるな。ピアノは何がいいかな。HorowitzのHigh Perfomanceものでも良いな。Concertoもあった方がいいな。あんまりごっそり持っていくとひかれるかも…。試聴させてもらえなかったりして…。そんなことはないさ、うん、ないに決まってる。

8月26日
CDの置き場所にいい加減困ってきたので、この先聴かないだろうなぁというCDをどんどん段ボールに積めた。売ってはいけないらしい(笑)。がんがん積めた。BernsteinやToscanini、Walterといった世間一般ではおよそそのような扱いを受けていないであろう指揮者たちが我が家では真っ先に棺桶の中へ。彼らが日の目を見るのはいつのことか…。光が当たらない分、保存状態が良好で、長生きしたりして。

8月25日
Szellの"Eroica"、やっぱり編集ミスだなぁ。どう聴いてもヴァイオリンの音がちょん切れて聴こえるし、我が家にある10種類(実はScherchenを見逃していたので、本当は11種類…なんでそんなにあるんだ?)の"Eroica"でもそんなことになっているのはSzell 盤だけ。ちなみに、見付けたのは私ではないぞ。見付けた当人曰く、「寝ててもおかしくて目が覚める」のだそうな。LPなんかでもやっぱり同じなのかなぁ?

8月24日
Szellの"Eroica"に編集ミス疑惑浮上。皆さん、第1楽章の9分30秒前後に注意。

8月23日 その3
Roge, Quatuor YsayeのFaure: Piano Quintet No.2。第1楽章の出だしから、ニュアンスが豊かで(表現として合ってるのか?)、柔らかさ、優しさを感じる。…が、私とはすれ違い。これはこれでよく分かるし、好きな人もいるんだろうが、私がこの曲に求めているものとは方向性がかなり違うのだな。初めてこの曲を聴いたときに、甘ったるさの中に怖さを感じた。何かに怯えているような感じと言えばいいかな?それが、この演奏では希薄なのだ。繰り返すが、悪い演奏ではないのだ。すごく丁寧で楽器の掛け合いも素晴らしいと思う。第4楽章はよくまとまっているし。でも、私には…。良い演奏なのにすれ違ってしまうというのは、何だか寂しいな。

8月23日 その2
演奏はTozerでした。

8月23日
現在、WCLVでBach=BusoniのPrelude & Fugue BWV 532がかかっている。誰の演奏だろう?パソコン用にスピーカーを買おうかとか馬鹿なことを考えている今日この頃。

8月22日
CohenのSaint-Saens=Liszt: Danse Macabreを食事中に聴いていたら、余計なフレーズてんこ盛りで吹き出しそうになった。慌てて原曲をDutoit/LPOの演奏で聴き直して、記憶が間違っていないことを確認。Horowitz EncoresのSaint-Saens=Liszt=Horowitzは大丈夫。逆にますます???に。話によるとNaxosにはこういうことが他にもあるらしい。
久しぶりにRostropovichのSaint-Saens: Cello Concerto No.1を聴いたら、うーん弾く弾く。バックのオケも頑張ってる。Sargent、他にもう一種類しか演奏は持っていないけど、良い指揮者だ。

8月21日
最近、研究室でWCLVを聴いていることが多い。と言っても、パソコン経由。「この巧いのはやはりCleveland Oか?」と思っても、最初から最後まで聴いているわけではないので、演奏の紹介まで行き着かないことが多い。ヘッドフォンでじっくり聴くか?ちなみに、今聴いていたRossiniの曲はOrpheus COの演奏だったらしい。

8月20日
色々書くことがあるのだ。まずは、Wigglesworth/BBC National Orchestra of WalesのShostakovich。3曲入っているうちの一曲のみを聴いてから3週間近くが経ってしまった…。今回は残りの、Sym. Nos.5 & 6。正直なところ、あまりどうこう言いたい演奏ではなかった。何を書いても悪口にしかならない気がする。おおざっぱな言い方をすると、何も解決されていない以前に、何の問題提起すらされていない。「こうであらねばならない」と思わせるような説得力も、「俺はこうしたいんだ、文句あるか?」というような強引さもない。第1楽章のカメさんテンポもただ遅回しにしているようにしか聴こえないし、終楽章の超スローテンポでの開始→半端な加速→Bernsteinばりのコーダでの猪突猛進も「やってみた」という以上のことが見受けられない。悪意的な受け止め方をすれば、最後の強引で(でも適当な)追い込みはみっともない演奏を早く終わりにしたいという羞恥心からではないのか。…悪口ばっかりだ。もう一つだけ。何より気に食わなかったのが、弱音がことごとく女々しく聴こえること。ダイナミック・レンジを広く取った演奏であるだけに、余計気になる。5番で大いに気分を害してしまったため、6番は流してはいたものの、もはや殆んど耳に入れていないに等しい。最初の数分でやはり弱音の女々しさが気に入らなかったのだけは覚えている。大した演奏にならないのは分かっていたはずなのに、やはり文句が出てしまう…。
気分の悪い話ばかりでも仕方がないので、気分のいい話も。先日、珍しく映画のサントラを買った。Anna Karenina。知っている人は知っているだろうが(知らなくても生死に関わらないので問題なし)、Solti/St. Petersburg POの演奏なのだ。TchaikovskyのSym. No.6とSwan Lakeが中心。おまけにSym. No.6の第3楽章がついているのが非常に嬉しい。多分、全曲の録音はしていると思うんだが…。この指揮者はオケによっては高弦がかすかすの音になってしまうことがあるのだが(特にVPO)、この演奏もややそういった傾向が見られる。しかしながら、80歳をとうに過ぎたお爺さんが元気いっぱいにこの曲を演奏しているのは驚きである。8分13秒というタイムを示せば分かるかな?オケの配置を本来の配置ではなく、弦を現代配置に、ホルンを左側に持ってきている辺り、この人のちょっと(相当?)我が儘なところが見え隠れしているが、その我を通せる実力がこの歳にしてまだ残っていたのも事実。金管の吹かせ方など、普段のこのオケとは明らかに違う。アンサンブルが多少緩くなる箇所も見受けられるが、この歳でぎちぎちに締め上げるのも無理な話か。大太鼓の低音が随分下の方まで伸びているのには圧巻。
そんなわけで、気になってくるのがSoltiがCSOとやった"Pathetique"。こちらは8分06秒。ただでさえ速い上、間違いなく全盛期と言えるアンサンブルの緻密さ、そして何よりもリズムと明晰な大音響へのこだわりが非常に楽しい。クライマックスを最後へ持ってきた上で、そこまでの過程を大事にしたような感のあるSt. Petersburg POとの新録と違い、最初から前回ばりばりなのもこのころならではかも知れない。あくまで基本的なアプローチが変わっていないというのもまた楽しい。
さあて、調子に乗ってどんどん書くぞ。楽しいと言えば、下の衝動買いで手に入れたHorowitzのCarmen Variation。この1970年ライヴは「ハイテクニックを披露するたびに観客からどよめきが起こる」ということで一度聴いてみたかったのだが、実際に聴いてみると、観客のどよめきは演奏技巧そのものだけではなく、Horowitzの表情やしぐさに呼応しているようである。「きっとここで、こっち向いて笑ったりしたのに違いない」なんて想像しながら聴くことができる。指が回るということに関しては、RCAのHorowitz Encoresに入っているものの方がいいのかな、とも思うが、楽しいことにかけては文句なくこっちのライヴ。終盤の気合いの入り方も素晴らしい。あんまり楽しいので、こればかりかけていた。あ、ちなみにこれ、思いっ切り膝上。でも、音質は悪くない。この時代、どうやって膝上で録ったのだろう?と疑問が湧かないでもないんだが…。1967年ライヴのRachmaninov: Sonata No.2はちょっと音質的にしんどい。CBSのスタジオ盤もやはり必要かなぁ…。

8月19日
衝動買い。MTT/LSO (ここまで略すと何のことやら)のMahler 7、Roge, Quatuor YsayeのFaure: Piano Quartet No.2 & Piano Quintet No.2、Vladimir Horowitz in Recital。HorowitzはMusic & Artsの1967&1970年ライヴ。Carmen Fantasyは前から聴いてみたかった演奏。RachmaninovのSonata No.2が入っていたのは予想外。時期的にはCBSへの録音とRCAのライヴ録音の中間になるのかな?音質的には期待できなさそう…。
関係ないが、元SPEEDの今井絵里子(字、あってる?)の割と最近の曲(…多分)のイントロの一部がエヴァンゲリオンのオープニングテーマにそっくりだと思うのは私だけ?今井絵里子のCD?…買ってません。今研究室の先輩がかけているのをたまたま聴いただけ…。
Szellの"Eroica"大阪公演に関して吉田秀和が素晴らしい文章を書いておりますな。一人の演奏家を誉めるために別な演奏家を貶めるのは評論なんて言わないでしょうな。あまり気にしないことです。ちなみにこの日記は評論ではないので、そういうことは結構してるだろうな。基本スタンスとして、起きてる現象の評価に努めようとはしてるんだけど…。

8月18日
Wandが来るかも知れないらしい。多分、来ないと思うし、来ても行くかどうか…。BPOの来日公演のチケットがYahooオークションなどで凄い値段になっているのを見ると、日本で聴かなくてはいけない理由なんてあるんだろうかという気にすらなる。どうせ普通に電話をかけたって繋がらないだろうし。はるばる飛行機でやって来てへとへとの状態で演奏したのを聴いて彼の芸術の真価を見聴きしたことになるのか?個人的に、この話は好きじゃないので、これ以上は書かない。

8月17日 その2
Solti/LPOのElgar。2枚組の一枚目を聴いてから随分経って、ようやく2枚目を聴く。Overture 'In the South'は悪くないと思った。Sym. No.2は私が持っているElgarのイメージとよく合う。どっちも作業をしながら聴いていたので、細かいことは抜き。

8月17日
SzellのMozartスタジオ録音、ロンドンで録ったのは40番だけのようですな。やっぱり41番はSeverance Hallか。8月5日の私の予想、まずは大当たり?右から左…よくあることです。講義なんて大概そうだしなぁ。

8月15日
CherkasskyのChopin: Piano Sonata No.3。1985年の録音だから、76歳のときの演奏か…。一緒に入っている、68年のPreludesより音が曇っているのはライヴだから?レポート書きながら聴いていたので、細かいところまで聴けていないが、テンポは遅いのにモタモタした感じがあまりなかったような…。Preludeは高音がころころと綺麗に転がってた。左手も色々やっていたような気もするが、レポート書きながらなんで覚えていない。私がこんなにいっぺんにChopinを聴くなんて珍しいことだし。

8月14日
教育テレビのお楽しみ企画(?)「20世紀の名演奏」第8夜。最初の小澤征爾の若い頃の映像と、最後の中村紘子以外は今一つ惹かれるものがなかった。小澤はBerlioz: Symphonie fantastiqueの終楽章を狂ったように振っていた。速い速い。でも、この曲の背景とかからは全く関係なくなっている気がする。幻想は幻想でも、慣れないフルマラソンを走りきって力尽きたランナーが見るような…。この曲とこれだけ関係ないように感じた演奏はSolti/CSOの旧盤以来(←これも探さなきゃ)。戦前戦後の辺りで頑張った日本人指揮者が結構動いていたが(音も勿論あり)、一番聴き劣りがすると一部で言われている斎藤秀雄のVivaldi: 「四季」は確かに変だった。やたらとギクシャクしていた。時代を考えるとしょうがないのかなという気もするし、今でもたまにギクシャクした演奏に出くわすこともあるし…。歌手の方々その他はパスするとして(失礼)、最後の中村紘子、ありゃ何だ?着物着てピアノ弾いてる。しかも、会場はBBCだというではないか。そういうことをするから、外人に日本じゃいまだにKabukiとSumohとGeishaしかないとか言われるんだ。そこに居合わせたお客さんの中に、帰宅後、家族に「今日Geisha Girlがピアノを弾いたよ!」と報告した人が少なからずいたことだろう。賭けてもいい。受けを狙いにいったとしか思えない。馬鹿馬鹿しくて、演奏は聴いてなかった。どの道Chopinのピアノ協奏曲第1番じゃたいして聴いていないから私ごときに評価なんかできないが。

8月11日
楽譜購入。Beethoven: Sym. No.2。そこまでせんでもと思わないでもないけど…。例の場所は…ふむふむ。コーダの前じゃなくて、コーダの前半でしたな、失礼。380小節目付近かな?低弦だけじゃなくて、ヴィオラも同じ音型で鳴らしているところを見ると、ヴィオラの聴こえ具合いが鍵かもしれない…。後で見ながら聴いてみよっと。

8月10日
ラスト1分〜1分半の辺りかなぁ(低弦がぶんにふにふに〜)。こういうくどいことをするのはSoltiくらいなのかもしれない。Szellだと全部聴こえてきそうなので、強調感はないかも知れない…。それはさておき、下の二人の演奏も聴いてみた。Mravinsky/USSR SOは1940年の録音…当然のごとくごみ録。何が起こっているのかすら判然としないところもある。この未発表録音シリーズの中でも選りすぐりに状態の悪いものの一つであるらしい。低弦はぶんにふにふに〜の片鱗が聴こえたような、聴こえなかったような…。一方のScherchenは…久しぶりに聴いたけど、オケがへったくそ。大丈夫か?とか思いながら終楽章を聴いていて、さあ問題の箇所!案外大したことなかった。やっぱりSoltiがやりすぎているだけなのかも知れないと思わないでもない今日この頃。やり過ぎの多い人だしね、もともと。

8月9日
そんなこんなで突発的にブームになってしまった下の曲。SoltiがBPOを振ったものは(CDじゃないよ)、ぶんにふにふにふにふに〜が少し艶と言うか粘りといったものがあって、笑いをとるにはもう一押しかなぁ。って、笑いをとってどうする?こうなると、我が家にあるこの曲の演奏を全部聴いてみたくなるなぁ。ScherchenとMravinsky以外にあったかなぁ?

8月8日
Szell/COで聴いてみたい曲…最近はBeethovenのSym. No.2。終楽章、コーダのちょっと前(合ってる?)の低弦がぶんにふにふにふにふに〜と言うところ(笑)がどうなっているのか気になる、気になる。Solti/CSOはここのところが凄すぎていつ聴いても爆笑。

8月7日
調子が悪い…オーディオではなくて、私自身。夏風邪?何でこっちのページに書いたかというと、調子の悪さを真っ先に知らせたのが耳だったから。何か普段より聞こえがよくないなぁと思っていたら、頭痛と腹痛のダブルパンチが襲ってきた。熱も少しあるみたい。こんなときに何を聴いても正しい評価なんて出来ないので(健康なときだって怪しいけど)、今日は特になし。
全然関係ないが、最近小物を買った。と言っても指輪やネックレスじゃないし、ケーブルやヘッドフォンではない。ブロアー。カメラのレンズの埃を飛ばすのに使う、シュッ、シュッて風を送るやつですね。これがいい。ふーって息で吹いただけでは飛ばないような埃も、ブロアーならどんどん吹っ飛ばす。結構気分が良いので、おすすめ。

8月6日
MarantzのPM-99SEはPM-88SEの後継機というわけではないかも。価格帯が違うような…。それはさておき、DSDリマスターやら何やらで"Eroica"を聴く機会が増えた今日この頃だが、私のイチオシはやっぱりMravinsky/Leningrad POなのだな。しばらく聴いていなかったのを改めて聴いて思った次第。確かにオケの純粋な腕前という点に関してはClevelandなどの方が一枚も二枚も上手。ライヴの一発録りが殆んどという点を考慮しても、そう思う。木管などいかにも安っぽい音がするし、金管はがさつになりがち。弦だって各奏者の楽器は決して良いものではない。Mravinsky以外の指揮者が振った場合はそういった点が特に目立つことがある。しかし、Mravinskyが振ったとき、それらの「欠点」が必然になっているような感じがするから面白い。特に弦がそうだ。あの鋭すぎるほどのアタックの要とすら言えるヴァイオリンは、痩せ気味の音の楽器ではじめて生きると思う。これがもし豊穣な音色だったりしたら、あれだけの厳しさは感じられないだろう。では、彼の芸風がこのオケの特色に合わせたものであるのかというと、やや疑問が残る。数少ない上、ろくでもない録音ばかりだが、他のオケとの演奏でも基本となるアプローチは変わっていないからだ。Leningrad POが彼の芸風に順応していったということもあっただろうが、他の優秀なオケを彼が振って同じ結果にたどり着いたかどうかは大いに疑問である。相性の一言で済ませてしまうのもどうかなぁ…。前置きばっかりになってしまったが、演奏は第2楽章が聴きどころ。確かに第1楽章の叩き付けるようでありながら身を裂く鋭さを持ったアタックと推進力、第4楽章の音が迫ってくるような迫力も良いのだが、第2楽章にここまでの充実感を持たせた演奏は珍しい。テンポはやや遅めで、弦のフレーズがどれもこれも切り裂かれそうな痛々しさ。「英雄」の葬送行進曲というよりは、死んでいく過程といった方が正しい気すらする。録音は悪い。1968年なのにモノラル。拾えていない音は念力で補うしかない。でも、拾えている音だけでも十分に凄い。私には念力がないので、拾えている音をスピーカーが鳴らし損ねないように努力するだけ。

8月5日
Marantz PM-99SEは99年ではなく92年の発売だった。じゃあ、92SEにすればいいのにとか思わないでもないが…。情報提供のKさんに感謝。さてさて、SzellのDSDリマスター、Mozartの方、いってみましょうか。Sym. No.39は初めて聴く演奏。普段聴こえないような音がいっぱい聴こえてくるのはこの指揮者ならでは。でも、終楽章はもっとテンポが速い方が好み。ライヴなら結構凄いことになりそう…ないかな、ライヴ録音?さて40番は既に持っている演奏なので、録音を比べてみよう。なるほどねぇ。程度の差こそあれ、下の"Eroica"と似たような印象。全体的なS/Nの向上、ホールの残響その他細かい音が鮮明になる、低音の解像度の向上…こんなところかなぁ。低音の違いは、ぶにぶに言っているところより、後ろでさりげなく弾いているようなところでより違いが出るように思える。ところで、この40番はロンドンでの録音だったのだなぁ。41番はどこで録ったものなんだろう?ホール・トーンが違うように思えてならないんだが…。Severance Hallかな?はずれだったら悲しいな。

8月4日 その2
無断リンクはいけませんねぇ〜…なあんて(いつぞやのお返し?)。私が金管に一番違いを感じたのは、普段から金管を気にして聴く癖があるというのもあるかと。Szellだと他のお気に入り指揮者より金管に注意が回る比率が下がっているはずだが、やっぱり耳が金管に一番敏感に反応する気がしますなぁ。新アンプはなかなか好調のようで、何より。これからStraussもいっぱい聴けることでしょう(笑)。飲み過ぎにはご注意を(おせっかい、失礼)。以上、ほぼ私信…相手方のページを知らない人には何のことやら…。
バイトの帰りに楽譜屋さんへよってみた。MedtnerのViolin Sonata No.3の楽譜が欲しかったのだが、置いてもいなければ、扱ったこともないらしい。出版社が分かれば、取り寄せ出来るそうだ。CDのジャケットに書いてあったような気もするが…。それ以前に、取り寄せられる頃には興味は他の曲へ行ってしまっているんじゃなかろうか。銀座まで足をのばそうか。うーむ。

8月4日
やはりばればれ(苦笑)。Marantzには99SEってのもあったような…。これは99年のスペシャル・エディション?記憶違いかも…。わざわざペンギンさんにお辞儀して頂いて恐縮です。さてと、今度は自分の番だな…。プリアンプ、あそこで買うしかないのかなぁ…。使ったことのない店でいきなり試聴&購入ってのはちょっと怖いなぁ。来日公演は大阪ではなく、東京公演の方か…。これ、もう音が出てるしなぁ。CDじゃないけど。

8月3日 その3
CDを買ったついでに、ちょっと「音友」を立ち読み。某評論家U氏が暴れているとの情報。3人くらいで討論しているのだが、他の二人は、賛同するかどうかは別としても、それなりに理論的な発言をしているのに、一人感覚勝負に出ている…。言いたい放題言えている数少ない評論家であることは認めるが、感覚の共有を強いられるのはちょっと。同じ言いたい放題でも、私が許光俊氏や鈴木淳史氏を評価するのは、それが強引であっても理屈を通そうとするから。賛同はできなくても、考え方に納得はできる。U氏の場合、賛同と納得は切り離せないものになっているように思われる。何がどうなっているかをすっ飛ばして、良し悪し、好き嫌いの話になってしまうからだろうか。って、評論家の意見を参考にしなくなって久しい私が言ってもしょうがないか。

8月3日 その2
宣言通り、DSDリマスター盤を購入。BeethovenとMozart。ついでに、何故かSermetのAlkanを買ってしまったりして…。しかもこれはそんなに良くないらしい…。とりあえず、"Eroica"を聴いてみることに。私には相当音質が良くなっているように思える。敢えて「私には」という限定をつけたのには理由がある。私が持っているリマスター前のCDは、CBSから出ていたCD最初期のもので、コピーライトが1981年なんかになっているもの(新聞広告みたいな、クリーム色のジャケットのやつ)なので、それ以降に出たものより音が悪い可能性が高いのだ。というわけで、その分差し引いて読んで頂きたい。全体的に解像度は間違いなく上がっている。私は金管に一番違いを感じるが、低弦も随分印象が違う。ティンパニもすぱーんと決まって気持ちいい。しかし、一番向上したのは、楽器の実在感ではないだろうか。もやもやっとしていた弦楽器群がぴしっと定位するのはなかなか気持ちがいい。特に、この時代の録音の一部は変にステレオ感を強調するあまり、真ん中が抜けてしまったようになることがあるのだが、これはそんなことはない。4トラックからミックスダウンしたのだろうか?マスタリング手法とかろくに書いていない上、過去のライナーから流用ばっかりのライナーは、確かにどうかと思う。とりあえず、私はこのリマスタリング、結構気に入ったのだ。次はMozartを聴かなくては。こちらはSony Classicalの盤との比較になるので、これでリマスタリングの効能がよく分かるかな?

8月3日
三日ほど前のアンプ推薦の件、どうやらAccuphase E-211+オプションでまとまったようで。Marantzの方が素直かな?と思わないでもないんだが、実は個人的にはAccuphaseを押してたりして。なるべく個人的感情をはさまないように書いたつもりだったけど、結構ばればれだったかも(笑)。Accuphaseはあまり値引いてもらえないので、まず妥当なお値段でしょう。声をかけてもらえないのは困りますが、声をかけられた挙げ句に、全然聴きたくないものを延々と聴かされるのも困りもの。慣れてしまえば、私みたいにずうずうしく、その日は買わないのに、音だけ聴かせてもらったりもできるように(冷やかしと言われたら反論できないな)…。明日到着とのこと。結構重たいので(20キロ弱)、お気を付けて。本来の性能を発揮するには、しばらく鳴らし込みが必要かも。また、電源を入れた直後より、30分〜1時間後の方が生き生きと鳴るでしょう。我が家のパワーアンプも温かくならないと本来の切れのよさがでないしなぁ。がんがん鳴らしていると、結構温かくなって、冬場は暖房の助けに、夏場は…。さあ、今日はSzellのDSDリマスター盤を買いに行くぞ!(少し出遅れた…)。

8月2日
ShostakovichのSym. No.8。演奏は勿論、Mravinsky/Leningrad PO。BBC盤。何度聴いても、凄いことが起こっていると思うんだなぁ。一番「正しい」音が出ていると思う。音程とか、アンサンブルもだが、それ以上に音色や雰囲気が。録音は当時としてもそれほどいい方にはならないだろうが、Melodiyaよりは遥かにましだし、こういう演奏の骨っぽいところをえぐり出したような録音は嫌いじゃない。聞き所はいっぱいあるが、とりあえずは第3楽章だろうか。弾力のある低弦の土台が見事。打楽器も頑張ってる。あんまり何度も聴きたくなる曲じゃないが、たまに聴くと、よくできた曲なように思える。

8月1日
Wigglesworth/BBC National Orchestra of WalesのShostakovich: Sym. No.10。指揮者はBPOもRCOも振ったことがあるとか、オケは日本にも来たことがあるとか。ライナーを指揮者自身が書いているのはよいことだと思うが。BISで録音は優秀。ちょっとレベルが低いようにも思われるが。ちなみに、5、6番との組み合せの2枚組。どうやら全集シリーズの第2弾らしい。さてさて、演奏はというと、言ってしまえば下手なんだなぁ。特に金管。強奏はまだいいとして、弱奏は話にならない。音の芯がすっかり抜けてしまう。これではちょっと…。弦もさっぱりそろわない。そこまで期待してはいないんだが、やっぱりこれは…。第1楽章の肝心なところで、だらだらと横へ流れていってしまうのはどうか。ぶつ切りになるのを覚悟の上で切り込んでいくくらいの気概がないと。第2楽章は4分05秒で頑張ってるなと思ったら、Mravinskyのステレオ盤は3分59秒。御本人の連弾盤では3分46秒。締まりがないせいもあって、体感速度は決して速くない。打楽器は頑張っているが、録音がいいせいも多分にあると思う。第3、4楽章もとりたてて誉められるものではない。創立して20年にも満たないオケだそうなので、これから頑張りましょうというところか。5、6番が残っているが、聴くのが少し億劫になってきた。

7月31日 その2
Solti/CSOを聴かれるのでしたら、是非70年代のものから!最初のBeethoven全集から好きな曲、Mahlerの5、6番、Brahmsの交響曲…ぱっと思いつくのはこんなところかなぁ。

7月31日
秋葉原へパソコンの下見のついでにオーディオ屋さんへ。今回は自分のためではなく、さる方へアンプをおすすめしたものの、一応念のためもう一度自分で聴いておこうと思ったため。某店1Fでまずは試聴。LUXMAN L-507sII、Accuphase E211 & E306V、Marantz PM-14SA、Denon PMA S-10IIIを聴く。スピーカーはB&W CDM1SE、CDプレーヤーは最初Denon 1650AZ、その後Marantz CD-17Da。試聴ディスクは店頭にあったDohnanyi/COのMahler 5の第2楽章。自転車でさんざん走った後だったので、最初のLUXMANについては耳の状態が怪しいので、感想は書けない。Accuphaseの2機種は高音が綺麗に伸びることに関しては文句無し。上級モデルの方がより腰の座ったと言うか、芯のある音になる。価格差を考えれば、しょうがないところか。Marantzはシンバルの余韻の消え方が一番素直だったように感じた。Denonは…好きな人には申し訳ないが、私には全く駄目。ぶにぶに低音がどうにもこうにも…。私についた店員がどうやらDenonの回し者(派遣販売員とも言う)だったらしく、やたらとDenonを褒めちぎる上、意味不明な理論まで展開してくれてかなり閉口した。途中から殆んど聞き流し。もう、CDプレーヤーもアンプもDenonで買わせようという意図が見えすぎ。こういう店員さんには要注意なのだ。私みたいにはなっから店員さんの意見なんかより自分の好みで決めてしまう人間なら問題ないんだが。DenonのCDプレーヤー&アンプで聴かされたオルガンの低音にあたってしまい、適当に切り上げて4Fへ。スピーカーもパワーアンプも実はここで買っているので、店員さんとは結構顔馴染み。自分で買うわけでないことを伝えても、嫌な顔一つせず、アンプを聴かせてくれた。感謝。ここではLUXMAN L-507sII、Accuphase E306V、Sansui 907NRAを聴いた。スピーカーはInfinity Kappa 90、CDプレーヤーはAccuphase DP-75V。試聴ディスクはDutoit/OSMのBerlioz: Symphonie fantastiqueの第4楽章。Accuphaseに関しては1Fで聴いたときとほぼ同じ感想。SansuiはAccuphaseの後に聴いてしまったせいが多分にあるのだろうが、高音が伸びきらない印象を受けた。Accuphaseのすっきり系とはまた違う、さっぱり系とでも言うか、これはこれでしつこくなくていいのだが。LUXMANは一番暖色系。ちょっと粘り腰かな?店員さんはこれが気に入っているらしい。とりあえず、そのさる方へおすすめした内容が概ね合っていたことが確認できて、満足。ついでに、実際に見た感じで言うと、MarantzのPM-14SAは角が丸いせいか、少々ずんぐりむっくりな感じ。優しそうな熊さんのイメージかも(デザイン面で)。Accuphaseはキリッとした真面目そうな感じ。LUXMANはもう少しくずれた感じかな?DenonとSansuiは…そのまんまだなぁ。私が書けるのはこのくらいかな?あとは実際に、見て、触って、聴いて、選んで下され!ちなみに、ここの4FのPass Lab X2(私のプリアンプ購入候補)は現在故障中らしい。出来ればここで買いたいんだがなぁ…。むう。

7月30日
Jochum/Staatskapelle DresdenのBruckner: Sym. No.5。随分前のセールで買ったきりになっていたもの。第1楽章のコーダの落ち着きの無さは何だかなぁとか、金管の危なっかしいのはちょっとなぁなどと不満ばかりあげていたせいかどうか知らないが(ちゃんと、このスケールの大きさは凄いもんだなとか、誉めたりもしたぞ)、終楽章の14分過ぎの辺りで、突然挙動がおかしくなった。盛大にノイズまみれに。慌ててCDを止め、トラック1をかけてみたところ、正常。どうやらプレーヤーの故障ではないらしい。とりあえず、その時点で聴く気を失い、そのCDはケースへ納めた。我が家にはCDラジカセもあるので、原因を突き止めるためにこちらでもかけてみればいいのだが、このラジカセがまた曲者で、もう5年も経っているせいか、頻繁にエラーが出る。CDを認識できなかったり、出来ても再生中に止まったり…。どうしたものかな?仮にCDに原因があったとしても、セールで買ったCD、返品不可能なのだ…。C. KleiberのSchubertといい、どうして返品できないものばかりがおかしくなってるかなぁ…。

7月29日
サボっていた分、一気に挽回。まずはNHK CD2枚目。Shostakovich: Sym. No.5の東京公演。勿論、Mravinsky/Leningrad PO。Beethovenより、高音の寸詰まり感がないと思ったら、時折感じる部分もあったりするので、ホールのせいばかりでもない様子。テープの状態にばらつきがあったのか?終楽章で木管が飛び出してしまったり、ややミスは見られるものの、一番気になったのは金管。明らかに抑えている。実際にこういう音だったとかいう以前に、これはレニングラードでの演奏と吹かせ方が違う。解説には実際はMelodiya等で聴かれるほど刺激的な音は出していなかったのだろうといったことが書かれていたが、これは録音の違いだけでは説明できないと思う。ホールの映像を見れば分かるが、Leningradのホールはもともと舞踏会の会場をコンサート・ホールに転用したもので、奥行きが相当ある。このホールで金管の音を響かせるには、それなりの音量が必要だったはずだ。それをそのまま文化会館でやったら…鼓膜が困ったことになる人が続出したはずだ。というわけで、これを持ってLeningrad POの真実の姿だと言い切ってしまうのはどうかなという気もするのだった。でも、録音のよさは申し分なし。
Rozhdestvensky/Leningrad POのTchaikovsky: Francesca da Rimini。同じオケが続いたのは、たまたま。Mravinskyの演奏が耳についてしまっている身としては、ちょっとテンポの遅さが気になる。と思っていたら、最期につじつまを合わせるかのように加速し、一気におしまい。うーん。ところで、個人的にはこの人の名前を一発で書ける人ってすごいと思うんだが、どうでしょう?ちなみに、私は何も見ないで書いたら、hとdが逆になってしまいました。
Knappertsbusch/Berlin SOのHaydn: Sym. No.100 "Military"。法外なくらい遅いかと思ったら、そうでもなかった。ちょっと期待を外された。一緒に入っているGlinkaは喧嘩を売っているとしか思えない遅さ。何度聴いてもおかしい。

KoganのBach: Sonata for Solo Violin No.3とProkofiev: Vn. Son. No.1。ヴァイオリン強化月間ということで。どちらも厳しくて本来なら私好みなんだが、最近甘いものがブームな我が家では、ちょっと…。いっそのこと女流なんかを買った方がよいのかも。この人が弾くMozartのMenuetteはどうかと思う。うまいとか下手とかいうだけが問題ではないのだな、やっぱり。

7月25日 その2
というわけで、NHK CD1枚目。Mravinsky/Leningrad POの東京公演。「偶然」(笑)、テープが発見されたらしい。Beethoven: Sym. No.4、Lyadov: Baba-Yaga、Glazunov: Entr'acte to Act3。実はこれ、全部音は持っていることが判明。Russian Discだけど…。Mravinskyの録音としては、まず間違い無く最も良いものの一つ。特にダイナミックレンジに関してはMelodiyaは勿論、Victorの80年代のものですら遠く及ばない。弦の高音がやや寸詰まりだが、これはホールのせいもあるだろうし、楽器のせいもあるだろうし…。ホールは死ぬほどデッド。残響はお情け程度。ともあれ、解像度の高さと言い、この時期の録音としても相当な水準であることに疑いの余地はない。受信料を払ってない人間がこれを聴いていてもいいんだろうかと思わないでもなかったが…。

7月25日
NHK CDを2枚購入。詳しくは明日の更新で。

7月24日 その2
Rowicki/Warsaw POのShostakovich: Sym. No.5。この曲、何枚目だろう。第1楽章はやや遅め。展開部であまりホルンを強奏させないなど、お、と思わせるが、だまされてはいけない。このオケのホルン、大きな音を出さないのではなく、出せないのだ。それはさておき、行進曲の部分のティンパニがすんごい変。ぽこぽこ言ってる。大丈夫か、このオケ?弦はそれほど下手ではないので(とりたてて誉めるほどでもない)、第3楽章なんかはまあまあ。第2楽章で何だか少し違和感を感じたのだが、第4楽章でそれが何であったか判明。要するに、ぎくしゃくしているのだ。思い返してみれば、第1楽章から決してスムーズに流れてはいなかった。だが、この終楽章はどうだ。弦が細かい音形を必死でさばこうとするあまり、リズムやアクセントはそっちのけ。変にスタッカート気味になったりして、ちょっとなぁ…。実はこのオケ、木管もあまり音量コントロールができないらしく、随所で場違いなほど木管が飛び出す。コーダは高速で一気に終了。でも、ティンパニの音は変。よく買うな、こんなもの。
下のMedtnerの"Epica"、一言で表現すると闊達だが陰のある美人。この組み合せだからだろうけど。他の人が弾いたら印象が全然変わりそう…。

7月24日
最近、本気ではまり気味なのがMedtner: Violin Sonata No.3 "Epica"。最初から最後まで全部好き。第2楽章のテーマなんてすっごい陳腐とか思ってしまわずにいられないんだが、その後の発展がお見事なので許してしまう。スコアが欲しいな。

7月23日 その2
テニスの帰りに秋葉原へ寄って、アンプの下見をしてこようと思ったのだが、候補の2機種両方を置いているのは、数店を回った中でやはり一店のみ。しかし、その一点も候補のうち一機種を次世代オーディオ試聴専用にしてしまっていたため、同一条件でのもう一方の機種との比較は無理とのこと。こまったなぁ。価格はここが一番安いんだが…。むぅ。

7月23日
というわけで、タップをつないで音の変化を検証。昨日聴いたときは低音が出過ぎとすら思えたが、今日はそれほどでもない。多少はエージングが進んだのか?音は、結構変わった。低音の解像度が上がるとともに、ごりごり言うようになった。音の切れ込みに凄味が加わったような感じ…と言えばいいんだろうか。ピアノの高音は音が少しきらきらしたような感じになって、これは好き好きかな。一番分かりやすい変化は、ティンパニ等の打楽器。音の立ち上がりが明らかに速い。金管はやや朗々と鳴るようになったように思われるが、気のせいと言われれば、否定しにくい。奥行き感も以前より出ている気がするが、これも微妙なところ。とりあえず、もう少し聴き込んでみないと最終的な判断はしかねる。

7月22日
タップが届いた。振り込んだのは昨日だから、すごい反応の良さ。って、通販は初めてなので、実は普通だったりするのかも。とりあえず、つなぐだけつないだが、出掛ける直前だったので、音を出すまでには至らず。帰ってから、じっくり聴くとしましょうか。

7月21日
決意したからってぽいっと買えるものでもなく、試聴のための計画を立てねばならない。店は多分、選びようがないように思われるため、あとはいつ行くか…。それはさておき、CDならざるもの最終企画(?)。Solti/BPOのShostakovich: Sym. No.5。1993年のライヴ。さすがにうまい…んだが、うますぎてかえって変。うまいことが悪いわけではなく、あまりにもSoltiの癖をストレートに出してしまうので、聴いていて窮屈さを感じることがある。CSOならその辺をうまく流すし、VPOはそこまで出せないので、また別な感じの演奏になるのだ。第1楽章は行進曲の部分でやや鈍重さを感じるなど、若干???な部分も見受けられたが、おおむねOK。第2、3楽章もまあいいでしょう。期待の第4楽章。ちょっと遅めの開始かな、と思ったところでぐいんと加速。ティンパニは猛然と叩き鳴らされる。BPOのティンパニって純粋にでかい音が出る気がするのは私だけ?とにかく、叩く叩く。結構爽快。テンポもなかなか快速だが、細かいフレーズまできっちりついてくる弦や木管はある意味偏執狂的。Soltiのかくかくした振り方をそのまま音に出しているようだ。コーダは猛烈な突進、かと思わせておいて、最後で踏み止まる。Soltiが振ればこうなるという典型的な演奏ではあるが、私は結構好き。録音も上々。

7月20日
プリアンプ購入を決意。というわけで、試聴用CDを吟味し始めることに。オケ、ピアノ、弦、合唱といったところか。合唱はA. JansonsのMozart: Requiemで決まり(好きな演奏だから)。弦はRepin & BerezovskyのMedtnerか。ピアノは2枚くらい持っていってもいいなぁ。オケも2枚くらいかなぁ。結構いっぱいだな。

7月18日
どういう風の吹き回しか、Elgarをかけたりしてみる。少し前のセールでつい買ってしまったもの。Solti/LPO。Cockaigne Ov.は随分前にも聴いたことがあったが、こんなに迫力のある曲だったかな?装置がすっかり変わってしまってるからなぁ…。Sym. No.1は初めて聴く。いい曲なのかな、これ?私にはどうも…。第2楽章はそこそこ良かった。Scherzoだからか?Adagio Karajanに対抗してScherzo Soltiを出せばいいのにと書いている人がいたと思うが、この人はScherzoとの相性が本当にいい。ストレス社会と言われる現代に必要なのは癒しではなく、このような溌剌さではないかと思ってみたりする今日この頃。Scherzo Solti、出たら多分買ってしまうと思う。

7月17日 その2
ちょっぴり影響されて、家でもMahlerの3番。我が家にはこの曲が2組だけある。どっちもSolti。一つはLSOとのもの、もう一つはCSOと。普段聴くのは当然後者。今日も同じ。こんなに金管がうまいのはやっぱりおかしい。軽々と大きな音が出るのがこのオケの凄いところ。耳を疑うような箇所がいっぱいある。Bimm Bammもよく歌えてる(どんな曲だ?)。どろどろし過ぎないのも良い。ただでさえ長ったらしいんだし。

7月17日
MTT/PMFO(何の記号だ?)のゲネ・プロを見てきた。曲はMahlerの3番。コンサート・マスターと首席ホルンがVPO、トロンボーンの首席がLSOの首席だそうな。こんなところへ来ていていいのかね?通しでやることを今度こそ期待していたのだが、やっぱり途中で止められる。しかも、どんどん飛ばす。第1楽章で聴きたかった部分(行進曲、コーダ)は軒並飛ばされた。聴きたきゃ本番へ来いということか?以前のGergievのときと違い、もうのりのりのゲネ・プロだった。Tilson Thomasもおどけたり、ジョークを飛ばしたり、日本語を言ってみたり、サービス満点。オーケストラの雰囲気もアメリカみたいだった。圧巻だったのは第5楽章。最初、合唱、特に女声合唱がとんでもなく粗くて、「こいつはいかんなぁ」と思っていたら、Tilson Thomasが幾つか指示を与えただけで見る見る良くなっていった。これにはちょっと感動。やはり、彼は良い指揮者だ。飛んだり跳ねたり、彼がBernsteinの弟子であることを思い出させる場面もあったが、汗臭さの無いところは好感が持てる。出てくる音楽の洗練度では比較にならない。きっと今夜の本番はなかなか良い演奏となることでしょう(私は行かないけど…)。

7月14日
アメリカへ留学する友人の送別会の前に時間があったので、新宿Tower Recordsへ。探し求めていたKnappertsbuschのGlinka: Ruslan and Ludmilla Ov.を発見。即買い。一緒にKoganのBach: Son. No.3 for Solo Vn.やProkofiev: Vn. Son. No.6の入ったCDも購入。送別会後、実家へ帰ったため、Glinkaを妹のラジカセで視聴。誰だぁ〜!こんなものを誉めるやつはぁ〜!挑戦的なまでの遅さ。曲も聴いている人間も馬鹿にしているとしか思えない。最後、ぐしゃっとか言ってるし。こんなものを勧めた人は直ちに警察へ出頭し、その罪を洗いざらい懺悔すべし。こいつは本当にいい指揮者なのか?

7月13日
空前の弦楽器ブームということで、ShostakovichのViolin Concerto No.1が2回連続でかかったりもする我が家。Vengerovはなんやかんや言ってもうまいのだ。くどいのはご愛敬?Oistrakhをそのあとに聴いたが、皿を洗いながらなので、聞き流しただけ。この曲の第3楽章に心惹かれてみたりして、末期症状な今日この頃。こうなるとRepin盤が気になる。そんな一時の流行とは別に、常に大繁盛なのはオケ軍団。CDならざるものが再び登場したりもする。Solti/BPOのBeethoven: Sym. No.2とMendelssohn: Sym. No.4。BeethovenはさすがはBPO、本当にうまい…のだが、妙な温度感の低さを感じる。Soltiの棒によくついていっていて、時にそれが行き過ぎにすら感じるのに、テンションが低い。客演だし、指揮者の個性とオケの特性で相容れない部分なのかも知れない。それはともかく、聴きどころは終楽章の終盤。低弦が凄い勢いでぶにぶにぶにぶに…。このオケ、本当にいいオケなんですか?私ゃ笑っちまいまいしたぜ。やりすぎ。Mendelssohnはうまいんだがこももう一つ二つ。こちらは純粋に楽器のバランスの問題。木管が変に突出したりして、結構気分が悪い。こんな曲だっけ?

7月12日
敷居値ってのは何にでもあるものだが、その境界がどこにあるかというのは結構曖昧なものだ。「美人ではない」のと「不細工である」の違いみたいなものだな。こと嗜好に関しては明確な境界を設けることは不可能に近い。「すごく旨い」のと「めちゃくちゃまずい」の間には明確な差があるが、「そんなに旨くない」のと「ややまずい」の差なんてあるんだかないんだか。というわけで、そのような境界付近ではなかなか一つの結論を導くのは難しい。で、何故このような前置きになったかというと、ついに我が家にもその時がやって来たからだ。そう、スピーカー・ケーブルの剥き直しである。裸の状態でつなげているため、どうあがいても導体は日に日に酸化していく。それでも、最初の数ヵ月はむしろ音がこなれていくような感じで、だんだん聴きやすくなる。しかし、剥き直してから半年も経つと、だんだん雲行きが怪しくなる。我が家では真っ先に高域に変化が感じられる。抜けが悪くなり、高音が丸まったようになるのだ。高音の抜けの良さを重視する私としては、ちょっとどころでなく嫌な現象である。それでも、ある程度までなら気にならないし、我慢もする。我が家ではバイワイヤ接続がなされているため、通常の2倍のスピーカー・ケーブルが使用されている。つまり、剥く導線の数も、+-で2本x左右2つのスピーカー分xアンプ側とスピーカー側で2箇所xバイワイヤで2倍=16本。ちょっとしたお仕事になってしまうのである。なるべくならやらずに済ませたい。しかし、時の流れとは無情なもので、昨晩、ついに我慢の限界に来た。最近ヴァイオリンを多く聴いていることも無関係でないのだが、とにかくもういてもたってもいられなかった。そんなわけで、帰宅後、作業に取り掛かる。結局1時間かかる大仕事になってしまった。で、つないで出した音は予想通り、少しギラギラした感じがして、ちょっとくどい。これから、端子の増し締めを少しずつしていくなどして、こなれていくことだろう。

7月11日
我が家にて空前の弦楽器ブーム到来の予感。今まで手を出すのを控えていた(というか、手が回らなかった)分野だが、自分の好みが分かってくると、買わずにはいられまい。まだまだ少数勢力の我が家の弦楽器集団にあって私のお気に入りは、Repin & BerezovskyのMedtner: Vn. Son. No.3、KoganのChaconne、Ma & MaazelのSaint-Saens: Cello Con. No.1など。次は何を買おう?

7月9日
タワレコのセール最終日ということで、CD購入。NAXOSのLiszt全集第1弾(Saint-Sains=Lisztなどの入っているもの)、Repin & BerezovskyのRavelとMedtnerのViolin Sonatas、Sokorov, Jarvi/USSR SOのTchaikovskyとSaint-SaensのPiano Concertos。SokorovのSaint-Saensの2番はタイムが外からは分からなかったので、早速開封。終楽章6分45秒…。今時そんなタイムでは駄目っす。それでも聴いてみたところ、そう悪い演奏でもなかった。高音が少しきんきんするが、実はそういう音は嫌いじゃない。高音が丸まっている方が私は苦手。全体的にはほどよくまとまっていて、木管が安っぽいとか、金管と打楽器がやや突出しがちになるとか、低弦がごりっとしているとか、いかにもロシア・オケな感じはあるが、さほど気にならなかった。ただ、終楽章の終盤で疲れてきたのか、少々ひより気味なのはいただけない。Repin & BerezovskyのRavelとMedtnerのViolin Sonataは少し前から気になっていたものの一つ。正確に言うと、気になっていたのはMedtnerのViolin Sonata No.3 "Epica"。この手の曲としては珍しく(?)、40分以上もかかる。小品が苦手な私にはこのくらいの長さは歓迎したいところ。このMedtnerという人は本当に良い曲を書く。具体的な良さを述べるには私の知識、語彙はまだまだ不足だが、もっと録音されてもよいと思う。終楽章の猛々しさすら感じる開始からあの神秘的な終結を予測することは私にはとても出来ない。とりあえず、気に入ったことは間違いないので、もっと聴き込みたい曲である。それはさておき、演奏だが、Repinのヴァイオリンは以前FMで聴いたときから相当私好みの音だと思ったものだが、今回それが確信に変わった。Vengerovもうまいのだが、音は私の好みからすると少し太すぎるのだ。Repinのは細いと言っても、線が細いとか言うわけではなく…この辺の感覚的なことを文章にするのは難しい…。何はともあれ、Repinもお気に入りになったということか。

7月6日
GranteのGodowsky: Passacaglia。「こんなに弾けないのはおかしい」とすら言われる演奏。Hamelinの来日公演の前に予習で聴いて以来。当時は他の演奏を知らなかったし、楽譜もきちんと(今でもきちんとかどうかは怪しい)見ていなかったので、こんなものかと思っていたっけ。で、改めて聴いてみると、もうぐちゃぐちゃ。主題以外は何をやってるんだか良く分からない。あらまあ。取って付けたように盛り上がるし。さすがにこれはあかんでしょう。

7月5日
Szell/COのMozart: Sym. Nos.35 & 40。食器を洗いながらなので、おおざっぱな印象だけ。どちらもオケのうまいこと。個人的にはもう少し弦のエッジが立っても面白いと思うが、Mozartだしねぇ。Szellって顔のせいか、ぎすぎすした演奏をしてそうな印象があるが、この2曲を聴く限りでは(練習で相当締め上げてはいるのだろうが)きびきびとした高い運動性を感じさせる。適度に柔らかい表情も見せるし。ところで、Szellと言えば、お気に入りのページがあるのだが、先日から更新をお休みしておられる。…と思ったら、昨日はパーミッションまで切れてた。理由は「いつもの気まぐれ」と書いておられたが、これも気まぐれのうちなのだろうか。ま、気長に復活をお待ちするとしましょう。

7月4日
先日、先輩に部屋を襲撃された際に大好評だったSolti/CSOのBeethoven: Sym. No.3の旧盤。一つじっくり聴いてみることに。確かに全体に、そして何よりも細かな部分に神経が行き届いている。と言うより、一部の弦の刻みかたなど偏執狂的ですらある。ここまで徹底させるには、このテンポでないと難しいのかも知れない。新盤はテンポが速くなり、全体的にややおおざっぱなノリの良さを重視しているが、それと対照的。第2楽章はあっさり弾かれるのが苦手な私にはちょうどいいくらいのテンポ。このコンビでの初めてのBeethovenの録音ということで、完璧を記したということだろうか。その点で、新全集はもっと気楽に、ある意味でやりたいようにできたということかも知れない。さすがに歳も歳なので、そうぎゅうぎゅうと締め上げられなくなったというのもあったのだろうが…。

7月3日
HorowitzのRachmaninov: Piano Sonata No.2。1980年録音。って、この演奏、4枚目。ぜーんぶリマスターが違うのだ。というわけで、リマスターごとの音質比較。Great Pianistを基準に。K2を用いた、RCA Red Seal盤は、解像度がやや上がっているものの、高音が硬直した感じでレンジが狭くなったような気がする。低音がさっぱりなのはどんなものか。で、今回新登場のHigh Performance盤。やはりこのリマスターの低音は凄いのだ。低音の深さ、余韻の自然な消え方はこれがダントツ。高音はややおとなしめ。私はHigh Performanceを文句無しの一等賞に選ぶ。世間様がどうするかまでは知らない。

7月2日
Szell/COのMozart。35、40、41番が入っているが、気になっていたのは"Jupiter"。Concertgebouwとのライヴはもっともお気に入りだったのだが、手兵相手では果たして。結果から言ってしまうと、不安がかなり的中した。スタジオ録音ということで、ライヴのあの異常な興奮は求められないだろうと思っていた通りになっていた。アンサンブルの精度では比較にならないし、Szellの意思も行き届いていると思う。だが、私はライヴの方を取りたい。Concertgebouwのこの曲の演奏に限らず、Szellの本当に凄いところは、興奮してどんどんテンポが上がっていってもオケを完全に制御下に置けるところだと思う。このライヴの場合はそれが顕著で、とんでもないスピードで突き進みながらも強引にフーガさせ、驚異的な立体感を生み出している。先にアンサンブルの精度について触れたが、常識的な見地からすれば、また、普段のこのオケから考えれば、これでも大変立派なものである。COとのライヴ録音ってないのかなぁ?

7月1日 その2
そんなわけでチケットが取れず落胆しつつ、とあるイベントが我が家で開始された。サークルの先輩がCDをごっそり持って乗り込んできたのだ。まずはKlemperer/Philharmonia OのMahler7番、ついで同じ曲をMichael Tilson Thomas/LSOで。うーん、頭からくどい。しかーし、メイン・ディッシュ…じゃない、メイン・イベントはブラインドでの聴き比べ!まずはBartok「オケコン」。5種類ほど。しかもどの演奏が入っているのかすら分からない中。録音3点、アンサンブル6点、アーティキュレーション6点、総合5点の20点満点で評価。Soltiの演奏が特定できたのは正直に嬉しかった。ちなみに最高評価はReinerの演奏。その後Boulez/NYPのBeethoven: Sym. No.7を聴いたりして休憩(?)した後、続いて「弦チェレ」ブラインド・チェーック。しかも今度は9種類。ここでもSoltiの演奏を当てることには成功。何とか面目は保ったか?またもReinerが最高評価。一方で録音で1.0点をつけられたBoulez/CSOの4D録音って一体…。その後は我が家にあるCDと持ってきてもらったCDを聴き漁る。Solti/CSOのBeethovenの旧録は良い演奏であることが確定。全集で買わなくてはいけないらしい。Klempererの60年代後半はやはり(良し悪しは別として)凄い、など非常に有意義…だった、多分、きっと。ゼミ発表を二日後に控えているとは思えない有り様で、10時間ほどぶっ通しで聴きまくった一日だった。

7月1日
朝から大変だった。そう、BPOの来日公演チケット前売り開始日だったのだ。余裕でつながらない。10時から何度NTTのお姉さんの声を聞いたことか。ようやくつながったのは12時を回ってから。売り切れ。すこーん。某国立大学助教授が昔某雑誌に、チケット代は倍にするべきであるというようなことを書いていたらしいが、倍でも全然へっちゃらなんじゃないのか?しょっく。この後、恐るべき所業に…。

6月29日
A. Jansons/Leningrad POのBerlioz: Symphonie Fantastique。噂のインチキレーベル(?)ICONEから。一応、これ、ビクターが正規輸入してたりするんだなぁ。そんなことはさておき、演奏は、まあ格別破綻なく。第2楽章がちょっと踊るのにはしんどそうだとか、木管が相変わらずの安手な音だとか、???な個所もあるものの、総じて悪くない。アンサンブルもMravinskyが振っているほどきちきちではないにしろほどよくまとまっているし、金管も吹くところでは吹く。打楽器もどろどろ鳴る。…第4楽章までは。しかーし、この終楽章は何だぁ〜!?妙にアクセントを強調した結果、魔女と言うよりは酔っぱらいの踊りになってるぞ。木管の安手な音色との相乗効果でとんでもない千鳥足演奏と化している。まぁ、ここまで言うほど実際はひどくないんだが、でも、結構笑った。実は結構面白いことができる人なのかも。他の演奏も聴きたいな。

6月27日
Kertesz/VPOのMozart: Requiem。最初の3曲と最後の曲だけしか聴いてないけど。セールで安く落っこちていたもの。後輩のおすすめ盤だったような…。彼がハンガリー人であることをよく表している演奏だと思う。複数声部の精緻な描き分けによる各声部の素晴らしい分離の良さは得がたいものがある。男声合唱がやや強めであるとか、発音、録音の関係もあるのだろうが、お気に入りのA. Jansons盤とあまりに異なる印象を受ける。というわけで、A. Jansons盤を引っ張り出して聴いてみる。合唱は女声が完全に主導権を握っている。そのおかげで、全体的にすっきりと透明感を持たせていて、Kertesz盤のごつごつした感じ(あくまでこの2枚を比べるに於いて)と対照的。オーケストラもこちらは非常に控え目。全体的な印象としては、各声部をユニットとしてKerteszが把握しているのに対し、A. Jansonsは各声部の足し算としての全体のハーモニーを重視していると言えよう。どちらがいいとか悪いとかいうより、完全な方向性の違い。各声部の動きがくっきりはっきりしているKertesz盤の方が、タイム的には大差ないA. Jansons盤より体感速度は遥かに速い。他にアクセントの付け方やリズムの刻み方の違いなど、それこそ挙げていけばきりはないが…。

6月25日
朝起きたら、ラジオでChopin: Piano Concerto No.1が流れていた。「結構うまいなぁ」と思っていたら、Zimmermanだった。この曲もちょっとは聴いておかないとなぁ。

6月20日
KoganのBach: Chaconne。寝惚けながら聴いていたので、細かいことは抜き。でも、何だか引き込まれるような演奏だった。もっとちゃんと聴かねば。って、聴いたところでヴァイオリンをろくに聴いていない私じゃ大したことは言えなさそうだが。

6月18日 その2
で、Solti/BPOのMahler 2。天下のBPOがあのSoltiとMahlerをやるんだから、さぞかし凄いことだろうと期待しつつ。結論から言うと、さっぱり良くない。Soltiについて行きかねているような部分が随所に見られるし、おっかなびっくり弾いているようなところも見受けられる。金管のミスも目立つ。何でやねん?と思っていたら、録音が1979年。これはもしかすると、この曲をこのオケが初めてやったものかも知れない。となると、今でこそAbbadoの間の抜けた指揮にまでしっかりついていってしまうBPOが腑甲斐無い演奏をしているのも理解できる。終楽章でようやく落ち着いた感じだが、ちょっとなあ。期待を裏切られて傷ついている今日この頃。

6月18日
CD様物質の中身。Solti/BPOのMahler: Symphony No.2、Beethoven: Symphony No.2、Mendelssohn: Symphony No.4、Shostakovich: Symphony No.5。Mahlerは狙っていたが、残りはちょっとした発見。Mendelssohnはこれで、Israel PO、CSO、VPO、BPOとそろったことに。ShostakovichはVPOしか正規では出ていないので、楽しみ。言っちゃ悪いが、VPOはへたくそ。他の指揮者とやっているときはまだいいときもあるが、Soltiとはもっとも相性が悪い。とは言っても、BPOでなくとも、この曲なら買わずにいられないんだが…。最近、聴くのが楽しみなCDが増えてきた。そうなると、セールのときに勢いで買ってしまったCDたちの出番が後回しになりそうだなぁ。

6月17日
PletnevのBeethoven: Piano Sonatas Nos.14, 21 & 23。一音一音の分離が凄く良い。右手がころころと気持ち良く転がる。こういうのを弾き流すようにされると非常に気分の悪い私としては、この演奏はなかなか気分が良い。低音の効かせ方もなかなか。実はピアニストとしてこの人の演奏を効くのは随分前にLiszt: Sonataを聴いて以来だったりする。指揮者としても案外出来る人なのかも知れないと思っているのだが、今後の展開に期待。

6月16日
全然日記の主旨とは関係ない話。「今日は早く寝よう」と思って、10時半くらいに、オーディオの電源を切って、風呂に入ろうかと思いつつもテレビをつけたら、「紅の豚」をやっていた。ふと、「ビデオにしたらどうかな?」とアンプの電源を再投入し、ビデオに切り替える(ビデオの音声はオーディオにつないである)。これが結構面白い。飛行艇が画面の手前から奥に向かって飛んでいくシーンとか、後ろから音が来たように感じられたし。2チャンネルでもちゃんとサラウンドするじゃない。

6月15日
お父さんの「田園」。誰やねん?と思った方は二日前参照。ゼミの準備をしながらなので、殆んど流していただけ。でも、第3楽章の終盤がおかしかったような…。もう少しきちんと聴かないとな。レポートやらゼミやら、ちょっと仕事をため気味なので、つらい。

6月14日
Dohnanyi/COのMozart: Concerto集。Clarinet, Oboe, Bassoonの順。だんだんのどかな空気になっていくのが良い。たまにはこういうのも。OboeのMackは某女史のお気に入りだったかな。そういえば、Oboeはやたらキーの音がペタペタ聴こえて、最初ノイズかと思った。どの楽器もClevelandの首席が吹いておられるのかな?

6月13日
E.Kleiber/ACOのBeethoven: Symphony No.5。第一楽章は、Carlosの演奏に近いものがある、多分。Carlosのはかれこれ5年ほど貸したまま。いい加減、「貸した」とは言わないのかも知れない。とにかく、速めのテンポでぐいぐい引っ張る。かと思えば、ちょっとロマンティックになってみたり。第2楽章はちょっと弦がぎすぎすするが、木管がおしゃれ。第3楽章はホルンが吹く吹く。第1楽章でも思ったが、金管の腰のある響きは、今のConcertgebouwには絶対聴かれないもの。第4楽章は大暴れするかと思っていたら、意外なほど遅めのテンポ。堂々と押し進めていく。コーダでも羽目を外さず。やるな、お父さん。
昨日に引き続き、雷ガードの効果検証。結論から言ってしまうと、効果あり。Godowsky: Passacagliaでほぼ確信を得た。このde Waalの演奏はすぐ音がだんご状態になってしまうんだが、雷ガードを冷蔵庫に装着後、かなりほぐれてきた。分解能が上がったと言えばいいのかな。特に、低域の解像度に改善が見られる。但し、いずれも記憶の中のこれまでの音との比較なので、実は気のせいだったという落ちもありうる。いちいちつけたり外したりするのめんどいし。

6月12日
久しぶりに更新。でも、少し主旨とは違う話。「雷ガード」を導入した。雷から大事なオーディオを守るため…ではない。こいつをオーディオ以外の機器につけるのだ。ノイズフィルターが入っているので、電源ラインへのノイズの混入が減るのだそうな。三つ又になっているので、冷蔵庫と電子レンジを差してみた。電子レンジはともかく、冷蔵庫はモーターが頻繁に稼働するので、いかにも悪そう。で、つけて、変化は…変わったような気がする。細かい音が随分聞き取れるようになったような…。でも、気のせいかも。ま、こういうのって使っている人が気分良くなればいいわけだし。さしあたって、我が家の冷蔵庫と電子レンジは雷が落ちても大丈夫になった?

6月8日 その2
N響のコンサート。北爪道夫の「始まりの海から」、Stenhammar: Serenade、Beethoven: Piano Concerto No.3。指揮はAlan Gilbert、ピアノはAndre Watts。プログラムではBeethovenの方が先になっていたのだが、どういうわけか順序が入れ替わった。場内アナウンスがあったとか無かったとか。帰宅してから新聞のラジオ欄を見たら、やはり入れ替わっていたので、急に変更したというわけでもなさそう。Wattsが寝坊したのか、とか色々想像していたのだが…。北爪の曲は、悪い意味で予想通り。そんなに沢山聴いているわけでもないの言うの何だが、何で日本人作曲家の曲ってここまで奥行き感を欠くんだろう。浮世絵みたいな海だった。Serenadeはそこそこ楽しめた。曲はどう聴いてもいいとは思えないが。指揮はさすがDohnanyiの弟子。お上手。Beethovenは、プログラムの順序変更の理由が分からなかったので、ひょっとしてWattsの体調不良だったりしないかとひやひやしながら聴くはめに。第1楽章のピアノの入りが遅かったり、早かったりして、何とも間が悪い。全体的にはそう破綻はないが、特に何かを提示できているとも思えなかった。悪い意味で普通な演奏。

6月8日
「クラシック名盤ほめ殺し」。期待の鈴木淳史氏の最新の著書である。が、はっきり言っていまいち。ほめ殺しという言葉の裏にもっと毒のある言葉を期待していいものだと思っていたのだが、どうも中途半端で終わった気がする。彼の持ち味であるストレートな毒舌が、「誉める」という迂回路を経由することで本来の切れ味を失っているように思われる。結局一番楽しめたのがあとがきの一つ前のコラムのようなコーナーだったし。ま、外れもあるさ。次に期待。

6月6日
Mozart: Bassoon Concertoなんぞを聴いてみる。こういう曲がこの日記に登場するのは珍しいかも。演奏はDohnanyi/CO。バスーン(ファゴット)って普段はあまり目立たない楽器なので、こういう曲は少し違和感を感じる。端役でしか見たことのなかった俳優さんがいきなり画面の中央に踊り出てきた感じかな?でも、実はなかなかの実力派だったというのがこの演奏になるんだろうか。この曲についてのお話は某女史が以前述べておられたような…。ま、私でもたまにはこんな曲も聴くということで。

6月4日
ラケットを張り替えに出した帰りにタワレコに寄る。戦利品: Kogan大全集5、Berlioz: Symphonie fantastique (A. Jansons/Leningrad PO)、Schumann: Sym. No.2, etc. (Szell/CO)、Shostakovich: P. Con. No.1の楽譜。Koganは後輩のヴァイオリン・マニアが誉めるので、一つ買ってみようかという気になったため。最近お気に入りのChaconneが入っているもの。BerliozはMozartのRequiemで超名演があるA. Jansonsを聴いてみたくて。あれは単に合唱が良かっただけなのか、それとも指揮者の能力なのか…。Szellはまず間違いなく、以前Ermitageで出ていたもの。音質は良くなっているんだろうか?ま、そういう面で当てにならないレーベルであることは、MichelangeliのCDで実証済みか。どれも聴いてみるのが楽しみ。楽譜は…何となく。もともと音の悪いCDで聴いているから、聴こえない音がいっぱい分かって面白いかも。

6月3日
HorowitzのBeethoven: Piano Sonata No.23 "Appassionata"。1959年RCA。指が回るだけなら、彼より凄かった人は当時もその前も、今もいると思うが、独特のバランスは彼だけのものであろう。バランスと一言にしてみたものの、テンポ、強弱、音色その他沢山を含めてである。そんなことを言ったらどのピアニストも独特ではないかという話になってしまいそうだが、それが抜きん出ているということが言いたかったわけで…。前置きはさておき、演奏はその独特の低音の出方が何とも。Rachmaninovの2番のSonata(新録)やLiszt: Ballade No.2でも聴かれる、あの低音。何かが吠えるような感じ、と言えばいいのかな?これが随所に聴かれる。終楽章はかなり遅めのテンポなのだが、体感速度はさほど遅くない。時折襲い掛かってくる低音と、「来るぞ!」と身構えているところですっと落として見せたりと、聴いていて飽きさせない。最後はハチャメチャにしてみせるかと思ったが、案外そうでもなく、充実していた。Sonyへの「月光」、「悲愴」、「熱情」の録音を聴いたときはまだピアノを全然聴いていない頃だったので、大した感想もなかったが、今聴くとどうだろうか、とちょっと楽しみになった。

6月2日
HaendelのMessiahを聴いてみたりする。演奏は勿論(?)Solti/CSO。意外なようだが、バロックの合唱系の曲は割と好き。この演奏は弦に透明感があっていいんだが、世間での評判は知らない。他の演奏まで聴きたいほど好きな曲でもない。ただ、年に一回くらいは聴いているかも。

6月1日 その2
やっと読み終わった「オペラ大爆発」。例によって許大先生と鈴木氏の文章は痛快。内容に共感しなくても笑えてしまう。でも、今回はやや許氏の文章はまじめかも。その分、若干言いたい放題ぶりが控え目。寺倉氏の字幕に対する疑問はまさに私が映画の字幕に対して感じていた違和感、嫌悪感を過不足なく説明するもので、これはこれでよかった。しかし、この本で一番考えさせられたのは、実は「あとがき」。それも「追記」の部分。その内容をここに記して、賛同を求めてもいいのかもしれない。だが、この「日記」を読んでいる人の数などたかが知れているし、私自身はその指揮者に対して特別な思い入れがあるわけではない。そんな私が書いても偽善以上には決してならない気がする。でも、そこには重大な意味があると思う。一つには指揮者の人材が本格的に不足していること。巨匠不在と言われるが、それより深刻なのが巨匠候補の不在ではないかと常々思う。RattleやSalonenは素晴らしい指揮者だと思うが、今後の展開は不明。DohnanyiやDutoitだって年齢的にはぼちぼち巨匠の域だが、いわゆる「巨匠」という言葉がもたらすイメージとは違うと思う。もう一つには巨匠信仰がある。朝比奈のコンサートを例にあげるまでもないが、巨匠不在と言われる一方で「最後の巨匠」などと呼ばれている指揮者たちは年齢からしてかなりのオーバー・ワークを強いられているのではないか。若いころならいざ知らず、高齢になってからも常に最高水準を保つというのは不可能。実際、朝比奈のコンサートでもひどいものは本当にひどい。解釈の好き嫌い以前に、「振れていない」という感想を抱かざるを得ないコンサートがある。しかし、信者の方々はそんなことを気にしていないのかも知れない。どんなにひどいコンサートでも、必ずステージ前に人だかりができるのだから。でも、それは間違っている。断言してもいい。そのような行為は「自分達の巨匠」をおとしめる。悪いものは悪いとはっきり言うべきだ。どんなにひどい演奏でも人が入り、しかも感動してくれると分かれば、事務関係は是が非でも呼ぼうとするだろうし、オケは手を抜くかも知れない。その結果、本人のベストとは程遠い条件での公演を余儀なくされることになる。それは信者の方々が良い演奏を聴く機会を自ら奪うことになりはしないか。馬鹿馬鹿しいことだ。本当に良い演奏が聴きたかったら、高齢指揮者には(休養も含めて)どれだけの時間が必要なのか、考えてみた方がいいのではないかと思わされた。Celibidacheは「俺の演奏が聴きたきゃここまで来い」と言ったとか言わなかったとかいう話だが、全くだ。老人をひっつかまえて飛行機に10何時間も乗せようなんて正気の沙汰ではない。何だか長い上にあちこち矛盾だらけかも知れないが、とりあえず、来日するとか言って目の前で無邪気に喜んだりするやつを見掛けたら殴り飛ばしてしまうかも知れない、今日この頃。あ、講義に遅れる。

6月1日
昨日の続き。今日は4-6番。4、5番は今一つ好きになれなかったが、6番は結構好きかも。例によってご飯をつくりながら、食べながらなので、きちんとした評価には程遠いが。最近はこうして流しながら聴いて、耳に止まったものを後でじっくり聴くというパターンが多い。ひょっとしたら素晴らしい曲を聴き落としているかも知れないけど、本当に素晴らしい曲ならきっとどこかで気付く…はず、多分。

5月31日
ProkofievのSonata全集から。ピアノはフィンランドの速弾き王子(誰だ、こんなこと言ってるのは?)Matti Raekallio。他にもフィンランドの千手観音とか、ろくな呼ばれ方をされていない。聴いたのはVisions FugitivesとSonata Nos.1-3。Visions Fugitivesは全曲を聴くのは初めてかも。料理を作りながらなので、細かいことは忘れたが、高音がころころと気持ちいい曲もあったような…。ひょっとすると宝石箱みたいな曲なのかも知れない。でも、そういう小品の集まりってどれを選んでいいか迷うからちょっと苦手だったりする。どれか突出したものがあれば、迷わず選べるんだが…。Sonataは「前半のなんてあまり聴かないよね」と先輩に言われてたものの、聴いてみるとこれはこれで面白い。2番の両端楽章は結構好きかも。もう少し落ち着いて聴いてみたい。

5月29日
Kondrashin/Moscow POのShostakovich: Symphony No.10。その前に買ったKarajanより燃えた演奏で、一時期かなり聴いたが、その後Konwitschnyに押され、Mravinskyによってその存在感が我が家では一気に希薄になってしまった演奏。最近、サークルの後輩があんまりにも誉めるので、聴き直してみる。私がそんなにこの演奏を高く評価しないでいた理由はすぐに判明。第1楽章だ。テンポが遅すぎる。速ければいいというものではないだろうが、このテンポでこの曲を魅力的に聴かせてくれるほど、Moscow POの木管は綺麗な音がしない。どうしても間の抜けたような感じがする。確かに、第2、4楽章は凄い演奏ではあるが、Konwitschnyの第2楽章の後半はこれよりも相当大変だし、第4楽章はMravinskyの超絶演奏がある。その他、Mitropoulosの仰天演奏や御本人によるピアノ・デュオ・ヴァージョンなどもあり。でも、最近聴いてみたいのは…。

5月27日
コンサート@オペラシティ再び。やっぱり、Composium 2000。Xenakisという名前に惹かれて。演奏はArditti SQ。曲はXenakisのTetras他。全4部のうち前半2部だけ。最初のStravinsky: 3 Pieces for SQ以外は印象に残っていない。寝不足だったし。Tetrasはなかなか面白かった。他の曲目とは一線を画した感があった。どうせ現代音楽をやるならこうでなくては。ノイズみたいな音を使いまくっていた。細かいことや難しいことまではさっぱりだが、聴いた満足感では一番だった。第4部のSchnittkeも聴きたかったが、OB会があったので、こちらは断念。

5月24日
GodowskyのPassacagliaを楽譜とにらめっこしながら聴く。演奏を見ても、聴いてもとんでもない曲だとは思っていたが、いざ楽譜をめくっていくと、だんだんとんでもないことに。人でなしな曲だ。Hamelinの演奏会の時は卒論間際ということもあり、とてもきちんと楽譜を見ている余裕はなかったが、今見てみると、この楽譜を本気でお勉強しようなんて考えたら間違いなく卒論は書けなかったと思う。腕が2本ではどう考えても足りない。

5月23日
コンサート@東京オペラシティ。Composium 2000とかいうイベントらしい。Andriessenなる作曲家のDe StijlとDe Tijdという曲。「オランダの前衛」らしい。前衛も何も、オランダ人の作曲家なんて思いつかないなぁ。と言うわけで演奏だが、要するにミニマル。一曲目のDe StijlはPA機器を持ち込んだり、スポットライトに照らされた歌手がホールの後ろから歩いてきたりしたが、別にこんなものはTDLでもやってるぞ。しかももっと派手に。サックスや金管をぶおーっと鳴らすのを聴いて、「Khachaturianの交響曲みたい」とか思ったりした。色んな手法を取り入れていると言えば聞こえはいいのだが、逆に言えば独創性、目新しさを欠くということにもなるか?De Tijdはひたすらたんたんと進む。時間的な流れを限りなく制限する代わりに、左右に均等に配置された打楽器間のやり取りによる空間的な揺らぎを創出する…と、素直な感想で終わるのは何だか騙されているような気もする。中央に半円状に座った女声合唱…あれは…。ここから先を欠くと品がなくなりそうなので、やーめた。
帰宅後、電話越しにひどいSaint-Saens=Liszt=HorowitzのDanse Macabreを聴かされる。こんなに下手なのはおかしい。そこら辺のピアノを習っている小学生をつかまえてももう少しましになりそう。その後、同じ曲を某氏の極限演奏で聴く。こんなに弾けているのはおかしい。

5月19日
本嫌いの私がまた本を買った。「オペラ大爆発」。編著はかの許光俊大先生。オペラなんぞほとんど聴かない私だが、つい買ってしまった。いや、だからこそ共感できる文章も多いに違いない。読むのが楽しみな本。いずれ感想なぞを書きやす。

5月17日
HamelinのChopin=Godowsky。Op.10からのものをとりあえず聴いた。私ごときがどうこう言ってよいものでもないのだが、率直な感想として、すごく自然に弾けていると思う。左手のみの曲も、曲を知らなければ両手で弾いているんだと言われても違和感を覚えないかも知れない。左手だけでこれだけのことを表現するのがどれだけ大変かは、実演を見るとよく分かるのだが、Godowskyが書きたかったのはそういう技巧的な面だけでなく、ここに見られるような自然な表現なのではなかろうかと思ったりする。自然な表現のためには比類無い技巧が必要なわけで、何だか矛盾しているような気もしないでもないが…。大変な曲を大変そうに見せないというのがプロ、とどこかで書いている人がいたっけ。

5月16日
Solti/CSOのBerlioz: Rakocz March。Szellの来日公演ほどではないにしても、これはこれでうまい演奏。金管が騒々しいが、ま、行進曲ということで。こういう小品でもやたらめったらスケールが大きくなるのはいいのか悪いのか。

5月12日
今度はN響のコンサート。指揮はDavid Robertson。Boulezの弟子らしい。この経歴と、曲の並べ方(Haydn、Varese、Mozart、Bartok)から察するに、「古典より20世紀の音楽の方が面白いよね?」という意図であろうと信じて疑わないまま、ホールへ向かう。そんなわけで、不安でいっぱいの中始まったのはHaydn: Sym. No.93。初めて聴く曲だが、透明感のある弦、すいすい進みながらも決めるところをきちっと決めるので、流してしまったようにならないなどなど、なかなかよろしい。意外と良い演奏であったことに気をよくしたが、次に待ち受けるはVarese: Integral。楽器の構成の関係で、椅子を運んだり、大太鼓を運んだりとなかなか曲の始まる前から大変だった。注目はString Drum/Lion Roar or Bull Roar。これって、作曲者の意図としては生きているライオンか牛をひっぱたくか何かして吠えさせるってことなのか?そんなわけでNHKホールに牛が出現…するわけもなく、おそらくString Drumと思われるもので代用されていた。紐みたいなものを引っ張ると「ぼぉーっ」という音がして、滑稽。曲は、ぜーんぶ無調ってわけでもなく、案外聴けた。拍手で舞台に出てきたときに、オーボエ奏者に後ろから抱きついて見せたりと、なかなかお洒落なセンスの指揮者である。後半は2階席右側に忍び込んで。Mozart: 「踊れ、喜べ、幸いな魂よ」Motetはソプラノ独唱付。森麻希という人。このホールで歌手はきつかろうと思ったが、声がよく伸びていて、なかなかようございました。ここでも、Robertsonのきびきびとした指揮がよかった。で、注目のBartok: Miraculous Mandarin Suite。他はともかく、この曲だけはいい演奏をやってくれると思ったから聴きに来たようなもの(実際は他もよかったが)。さて演奏だが、期待以上。鋭いリズムでぐいぐい引き回す。オケの反応もなかなかよい。金管も頑張ってた。顔真っ赤だったし(笑)。ちょっと期待の出来そうな指揮者だ。

5月11日
そんなわけで、Temirkanov/読売日響のコンサート。曲はSchubert: Sym. No.8 "Unfinished"とShostakovich: Sym. No.5。まずは未完成。オケの方の技術的問題がちらほらとするものの(チェロで出るのが早い人がいる、ヴァイオリンの最後がずれる人がいるなどなど)、まあ悪い演奏ではなかった。ただ、曲が単調になる部分をばか正直に処理してしまって興を削がれてしまう感もあった。後半は期待と不安の入り交じる中。第1楽章の出だしはなかなか気合いが入っていてよろしい。行進曲へ行くまでの過程から、行進曲の部分にかけての迫力は大したもので、やや迫力にごまかされているのかも、という気がしないではないにしても、ライヴで聴く分には満足。行進曲の部分の後にぐっとテンポを落とすのは好き好きか。ここを速めに進めると結構面白いと思うんだが。Rodzinski辺りがやっていなかったっけ?第2楽章は速めのテンポでさくさく進む。第1楽章から思っていたのだが、木琴のお姉さんが叩く叩く。しかも、最後にずれるし…。ソロ・ヴァイオリンが甘ったるすぎるのはマイナス。Temirkanovもやはり自分のオケとは勝手が違うのか、かなりあれこれと指示を出していた。「あんたはもっと上げて、お前は下げろってば」という感じかな?第3楽章はクライマックスへのもって行き方等を含めて、可も不可もなく。で、問題の第4楽章。CDはここが駄目だったがゆえに私は駄目演と断定せざるを得なかった。出だしはやはりそんなに速くない。その後の加速でどこまで行けるか。結果から言ってしまうと、もう一押し。もっと扇ってもいいのに。半端だなぁ。最後の大太鼓が控え目だったりと、やや不完全燃焼な感じが残った。しかし、現在聴くことの出来るこの曲の実演としては随分よい方かも知れない。アンコールにElgar: Enigma Variationから第9曲があった。これはお洒落。

5月10日
次の日の読売日響のコンサートの予習と思い、Mravinsky/Leningrad POのShostakovich: Sym. No.5の終楽章を聴く。1966年ライヴ。Russian Disc。当然、音は良いはずないんだが、やっぱり凄いのだ。この日記にも何度となく登場しているが、改めて聴くと、普段あれこれと買って聴いている演奏の数々が全部空の彼方へ消えていく。軟弱な演奏が多すぎ。さて、明日はTemirkanovの指揮だが、果たして。CDはさっぱりだったからなぁ…。ライヴの勢いに期待。

5月8日
De WaalのGodowsky: Passacaglia。Hamelinの公演直前にどこの店でも売り切れたと評判の一枚から。やっぱり大変な曲。こんなもの、どう頑張っても録り切れん。録り切れたところで、完全に再生するのはまず無理。それでも、音が積み重なり膨れ上がるような部分の一端は見えた(聴こえた?)かな。評判通り、よく弾けております。なるほど、Granteじゃ駄目だと言われるわけだ。

5月7日
Borodin QuartetのBorodin: String Quartet No.2。本場物の演奏、ということになるのかな?ある程度予想はしていたが、出だしの甘ったるいこと。旋律をたっぷりと歌わせる。今一つ好きになれないでいた終楽章も、この演奏なら納得。強弱の付け方その他、Brodskyのものとは随分違う。別の曲に聴こえる。この曲にどっぷり浸るには良い演奏かな。配置が、左から1st Vn、Vc、Va、2nd Vnというのも独特?古典配置なのかな?

5月6日
Solti/CSOのBeethoven: Sym. Nos.2 & 4。70年代の最初の全曲録音シリーズから。eloquenceで。このリマスター方式ってあまりいいと思わないんだが…。それはさておき、演奏はもう大変。Beethovenの、それも交響曲を聴いてこんなに笑ったのはScherchenの全集以来ではなかろうか。とりあえず、2番の第1楽章からもうSolti節全開。リズムを刻む、刻む。横の流れを半ば無視したかのような刻みっぷりは天晴れですらある。その上、低弦がぶにぶにぶにぶにと唸ること唸ること。打楽器も叩く叩く。終楽章も最後の方は大変。4番はそこまで極端でないにせよ、やっぱりリズムの刻みがSoltiな演奏。Mravinsky程ではないにしても、快速テンポでしかもこのリズム。体感速度は結構速い。終楽章もよく頑張っております。久しぶりに、聴いていて顔が緩むのを止められない一枚だった。いい演奏か?と聴かれると、むぅ。ただ、6番や8番と、どうも偶数番号の曲は面白い演奏となる傾向があるようだ。3番はそれなりだが、5番はちっともだし、7番ももう一つ、9番はなかなかだが決め手をもう一つ欠く。

5月5日
丸四日ほどお休みさせていたオーディオを叩き起こす。やっぱりちょっと音に元気がない。一時間ほど鳴らして、ようやく本調子に。Chung, Foster/LSOのSaint-Saens: Vn. Con. No.3を聴いてみたりする。もうちょっとヴァイオリンが艶っぽくなるといいのかなぁ?スピーカーユニットの関係で、ヴァイオリンの高音が少しすっきりしすぎる気がしないでもない。明日から、ぼちぼちたまってきた未開封CDを聴き始めますか。

5月1日
Solti/CSOのMahler: Sym. No.2。アンプが変わってから聴くのは初めて。第1楽章からパワー全開。終楽章も金管炸裂。でも、アンプが変わって一番良くなったのが合唱。綺麗で、それでいて人数による圧迫感みたいなものを感じさせる。プリアンプを買い換えたいなっと。

4月30日 その2
Solti/Bayerisches StaatsorchesterのWagner: Die Walkure。指揮者Soltiとしての録音ではもっとも古いものではないだろうか。KulenkampffとのBrahms: Vn. Son.の一部が1947年1月。何れにしても、最初期の録音であることには間違いない。オペラの良し悪しなんて書けるほど聴いていないので、感想は無し。ま、こんなCDも出ていたんだなぁということで。

4月30日
…とか言いつつ、随分先伸ばしになってしまった。曲はMozart: Sym. No.39、Bartok: Concerto for Two Pianos, Percussions and Orchestra、Ravel: "Daphnis et Cloe" Suite No.2。場所はサントリー・ホールMozartはお話にならなかった。演奏ではなく、席が。前から2列目、センター一番右側。要するに、チェロの目の前。各チェロ奏者の音がくっきり分離して聴こえる上、コントラバスがぶにぶに言い出すと木管なんてまるで聴こえない。1st Vn.の前から2番目客席側の人の弓が時折ぶれるように見えたのが気になったり、とにかくMozartどころではなかった。終いには酔っぱらった。そんなわけで、後半は2階席左側へ移動。ここはここで、左にある壁からの反射がきつくて、金管や打楽器の音が左耳に痛かったりしたが、相当まし。でBartokだが、ひょっとしてと思っていたら、やはりSonataのオケつきヴァージョン。打楽器はもう少し切れがほしいところかも。ピアノは頑張っているんだが、オケに掻き消されることが頻繁で、ちょっと気の毒な感も。で、Ravel。予想以上に金管がよくなっていたが、ちょっと打楽器が騒々しすぎるような気も。これって、こういう曲だっけ?そりゃ、盛り上がることは盛り上がるんだが…。

4月27日
Ervin/日フィルのコンサート…について書きたいのだが、今日はちょっとしんどいので明日。

4月25日
Solti/CSOのBartok: Divertimento for Strings, Miraculous Mandarin。Divertimentoは以前、Solti/VPOのライヴをラジオで聴いて以来。その時は今一つな感じを受けた。で、CSOの弦だが、もう素晴らしいの一言。やっぱりこのオケの弦はうまいのだ。「役人」はあんまりきちんと聴いたことがなかったが、何だか困った曲だ。今度N響で聴くんだってっけな。CSOの金管や打楽器も好きだが、弦も結構好きなんだな。鋭く切れ込んだり、刻んだりするのはこのオケの弦が一番いいと思う。The Cleveland Oのつるつるした感じの弦やBPOの腰の座ったもったりとした弦もいいが。

4月24日
Inbal/NHK SOのShostakovich: Symphony No.10。割と好きな曲ではあるんだが、CDはそんなに持っていないかも。6枚くらいかな?で、演奏だが、うーん。このオーケストラにしては驚異的に金管が良かったとは言え、取り立ててどうという感じでもなかったなぁ。第3楽章のホルンの伸びは素晴らしかったし、その後の盛り上がりでも金管は頑張っていた。でも、もう少し迫ってくるような感じが欲しいなぁ。全体的に破綻がなく、よく整った演奏だったので、生で聴いたらそれなりに感動したり、興奮したりしたのかも知れない。あ、終楽章の木管ピロピロ、ピョロピョロはもうちょっと頑張って欲しかった。

4月23日
PommierのBeethoven: Piano Sonatas Nos.28 & 29。まず、この演奏は「名人芸披露大会」ではない。そのため、爽快感を得ようと思って聴くのなら、他の演奏を選ぶべき。元々そんなにべらぼうに弾ける人ではないのかも知れないが、自分の限界よりはるかに遅いテンポを採用しているため、技術的な観点から見るものでもない。一つ一つのフレーズを丹念に弾き分けていく。構築感のある演奏と評されていたように思うが、曲の構造的側面に注目した演奏であることは間違いない。曲からちょっと距離を置いて見ている、そんな感じ。それでいながら、時折ひょこっと感情的な面が顔を覗かせる。それは左手の強調であったり、テンポの変化であったり…。決して興奮できる類の演奏ではないが、丁寧で破綻がないため、聴いていて窮屈さも感じさせない。知的というか、大人というか…。ま、こういう演奏を聴くのもたまにはいいかも。30番の終楽章の変奏の弾き分けは期待できるんじゃなかろうか?とも思うが、さて?

4月22日 その2
YudinaのBeethoven: Piano Sonatas Nos.28 & 32。28番の終楽章と32番の第1楽章。電話で聴かせた知人が「この人ってこんなに弾けたのか?」と言っていた。彼女のCDはこれが初めてだったので、やる人なのだと思っていたが、世間ではそう認識されているわけでもないらしい。フーガがBachみたいになったり、急加速急ブレーキの連続など、いい演奏か?と聴かれるとやはり即答しかねる。面白いことに関しては保証致します。

4月22日
昨日購入分の内訳。Solti: 9枚、その他オケ曲: 8枚、協奏曲: 2枚、ピアノ曲: 12枚、声楽: 1枚。Soltiだけで全体の3割ってのは…。意外とピアノを買っていることも判明。とりあえず、研究室の机の上に当分置きっ放し。少しづつ聴いていくとしよう。一日1枚、新しいのを聴いていけば、一ヶ月はもつぞ。

4月21日
タワレコにてセール。30枚。My Discographyにアップするのが大変だ。その上、いつ聴くんだ?どうなる、来週のゼミ発表あーんど輪講3連発!?

4月20日
Skrowaczewski/Saarbrucken RSOのBruckner: Symphony No.5。実は昨日も聴いてるんだが、他研究科の履修届を一生懸命書いていたので、きちんと聴くのは今日が初めて。でも、今回も論文読みながら。要するに片手間。そんなことはさておき、演奏は意外と良かった。この人の演奏は妙にギクシャクしたところがあって、何だかなぁと思うものが多いが、この曲のこの演奏に関しては流れが不自然になるようなことはなかった。楽器バランスが妙だったが。金管を思いっ切り抑えて、第1ヴァイオリンを強調してみたりというのはまだしも、終楽章コーダのいよいよ盛り上がろうというところでも金管を限界まで抑えて、木管をピロピロ言わせる辺りは思わず吹き出した。これはやり過ぎだろう。面白いけど。オケも、随分頑張っていた。キチキチのアンサンブルが少し窮屈そうだが、鳴らすところでは金管もちゃんと鳴っていた。たまに変な音が出るのはご愛敬?Arte Novaの廉価盤でこの演奏なら、十分おつりが来るというもの。今度は8番を買ってみようかな。

4月19日
ArgerichのProkofiev: Piano Sonata No.7。最近発売された、Amsterdamでのライヴ。この人のCDを買うのは、実はこれが初めてだったりする。(色んな意味で)凄い人だとは思うが、私には合わないような気がする。そんなに聴いているわけでもないので、断定はできないが。先日、知人に電話越しに聴かせてもらったAbbado/BPOとのTchaikovsky: Piano Concerto No.1は良いと思ったし。で、この演奏に話を戻すと、ちょっとねぇという印象を受けた。第1楽章中盤以降、曲が複雑に入り組んでいくのをそのまま弾いてしまっている感じで、全部がごっちゃになって出ている感じがする。終楽章は3分05秒。常識的な見地からすれば相当速いはずなんだが、2分台が何種類も出てしまっている現在、あまり速いとは思わなくなってしまった。Matsuevのように、映像付きだとまだ面白いのかも知れないが。あと、全体的に細かい音型をたらららっと流してしまうのはあまり好きでないなぁ。
Szell/The Cleveland OのMedelssohn: Symphony No.4。皿を洗いながら。第1楽章序盤での低弦の強調に始まり、随所で独特な楽器バランスが聴かれる。彼の凄いところは、それが「全部聴こえる」ように感じさせるところではないだろうか。単純に全部を一緒にならしても団子みたいな響きが出来上がるだけで、「全部」どころか何も聴こえないという結果になるだけ。個の集合としての全体を構築できると言えば当たってるだろうか。一緒に入っている、「夏の夜の夢」も強烈。やっぱりうまいなぁ。明後日、セールがあるんだが、SzellのCDが落ちてたら買うとしよう。
Shostakovich自作自演のPiano Concerto No.1も久しぶりに聴く。REVELATIONから出た、旧録の方。新録はやや落ち着いていて(それでもめっぽう速いんだが)、これはこれでいいんだが、ショスタコ先生の暴走ぶりが楽しいのはこの演奏。トランペットもオーケストラも言ってしまえば下手くそなのだが(このスピードでは仕方がないという点を差し引いても)、まあ、ピアノに注目して聴いてる分には爽快感No.1だろう。そんじょそこらの名手のお株を奪わんばかりのスピードには唖然呆然。このスピードでミスするなというほうが無理というもの。ところで、TokarevのピアノとNakalyakov(スペル違うかも)のトランペットでこの曲をやったら話題にならないかな、なんて思っているのは私だけ?
調子に乗ってぶち切れ系協奏曲を続ける。Gilels, Reiner/CSOのBrahmsの2番。十分凄いんだが、RichterのRCA録音を聴いてしまっていると、もっと頑張れと言いたくもなる。Richterのは完全にピアノ主導型になってしまっていて、これはこれで困ったものなんだが。
続いて、Licad, Previn/LPOのSaint-Saensの2番。Licadで良いと思ったのはこれだけ。まあ、そんなに難しい曲ではないと言ってしまえばそれまでだが、よく弾けてます。Houghが近いうちに全集を出すというが、さて、2番の終楽章のタイミングやいかに。

4月18日
Mravinsky/Leningrad POのShostakovich: Symphony No.11。これも改めて聴くと大変な演奏。第2楽章や、第4楽章の前半の何の躊躇もなく突き進む様子は狂気に近い。テンポについて訪ねると、オーケストラではとても演奏できないスピードでピアノを弾いて見せたというShostakovichであるから、これが理想に限りなく近いテンポであったのかも知れない。彼が書きたかったのは、ただ革命の様子を描写しただけの曲ではなく、そこに含まれる狂気だったのではないだろうか、なーんて書き方は私らしくないか?ところで、この曲、最後で凄いことをやった演奏がある。Rostropovich/National SO。最後で打ち鳴らされる鐘が特注品で一つ100kgもあるという。延々と続く余韻がかえって空虚な感じがして(悪い意味でなく)、なかなか効果を上げていると思う。Mravinskyのスパンと断ち切るような終わり方も、無慈悲で、これはこれで曲に相応しいように思われる。
Szell/The Cleveland OのBeethoven: Symphony No.3。とあるページに刺激されて、久しぶりに聴く。うーん、うまいっ!こんなに揃うのはおかしいとすら思える。細かい音型がしっかり弾かれているのには改めて感心。初めて聴いたときには第2楽章があっさりしすぎかな、とも思ったが、これだけ聴いてみるとそんなこともないような気がする。Mravinskyが極端なだけかも。終楽章のコーダはやはり注目してしまう。ホルンが3本になってるよぉ。もっとも、2本で凄いことやるお爺さんもいたが…。

4月16日
Chailly/Royal Concergebouw OのMahler: Symphony No.4。来日公演。第1楽章は途中から各楽器がバラバラになっていたように思えたんだが…。対抗配置(古典配置ではない)だったことを差し引いても、う〜ん。第3楽章の終盤の盛り上がりが思いっ切りイタ・オペ風なのはご愛敬か?ここぞってところで弦がずるるとずれるのもねぇ…。第4楽章はテンポ設定に疑問あり。あんなに緩急の差をくっきり目立たせる必要があったのかどうか。どうでもいいが、解説が各楽章間に入るのはどうか。しかも第3楽章の前に出てきた歌手を指して「豪華な衣装ですねぇ」ってのは一体?楽章の間に拍手する以上に迷惑だと思うんだが。初心者の方に役立つお話をってのならまだしも。

4月15日
Inbal/NHK SOのShostakovich: Symphony No.5。定期演奏会の模様をBSで流していたものをビデオに録って観た。第1楽章は、遅いテンポで始まる行進曲の部分など、工夫が見られるが、そう奇抜な演奏でもない。第2、第3楽章も言ってしまえば普通。注目の第4楽章だが、遅めのテンポから徐々に加速をつけていく。この加速の仕方が一つのポイントなのだが、まあ、可も不可もなくといったところ。しかし、アクセントの付け方妙で、強弱の取り方も不思議なものがあった。トータルで見ると、やはり平均的演奏という印象が強いが、生という条件が加われば、それなりに楽しめたのかも知れない。

4月11日 その2
Mravinsky/Leningrad POのShostakovich: Symphony No.7。先日、留守電のBGMに使って、「やっぱりいい演奏だなぁ」と思い、改めて聴いてみる。1953年のMelodiya録音で音がいいはずもなく、普段はJansons/Leningrad POやTemirkanov/St. Petersburg POで聴くことが多いのだが、そんなハンデも何のその。やっぱり凄い演奏だ。例えば第1楽章の有名な(?)ボレロ風な繰り返しの部分。上っ面は安手なメロディがただ繰り返されているだけなのに、その後ろに暗いものがうごめいている感じがある。だんだんと盛り上がるにつれ、その暗い部分が膨れ上がり、終いには炸裂する。安手のままで終わってしまう演奏の何と多いことか。Toscaniniが一番ひどかったように記憶している。さて、もう一ヶ所。終楽章の前半の強烈な進行はどうだろう。一糸乱れぬ、軍隊、それも精鋭揃いのような行軍。いくらJansonsの演奏が比較的速いとは言え、これに比べればまだまだ甘い甘い。楽員の自発性なんかでこういう演奏は生まれない。指揮者が完全に統御していればこそ。民主主義の旋風吹き荒れる現在、こんな演奏ができる指揮者、オーケストラがどこにあるだろう。それにしても、Mravinskyはこの曲を演奏会で15回ほど取り上げているはずだが、他に録音は残っていないのかね?いくらうちの装置で聴いても限界がある。

4月11日
先日購入したPragaの4枚組箱、7曲中5曲は既に持っている演奏で、残りの2曲のうち1曲はBMGから同一音源で(おそらく)より高音質で出ているものであることが判明。ひどい話だ。しかし、肝心の5番はバラ売りしているのを見掛けないので、しょうがないのだ。買わなくてはいけない箱だったのだ。決して損などしていないのだ。と、自分に言い聞かせてみる。

4月9日 その2
ビデオに取っておいたChung, Myung Whung/France State Orchestraの演奏会。Tchaikovsky: Violin Concerto。ソロは諏訪内晶子。このヴァイオリニスト、もう随分前からよいと思ったことがない。と言っても、CDは聴いておらず、生もNHKホールという悲惨な状況での感想だからあてにはならんが。で、今回はサントリーホールなので、条件としては随分よいはず。だが、やはりよいと思えん。音に伸びやかさが全く無い。それ以上に艶のようなものを著しく欠くように思える。艶やかな舞台姿とギャップすら感じる。ヴァイオリンはそういっぱい聴いているわけではないので、具体的にどこがどうとまではなかなか言えないが、どうにも好きになれない気がする。どうでもいいが、この人、舞台での露出度が上がってないか?この演奏会でも背中あきまくり。

4月9日
Mravinsky/Leningrad POのShostakovich: Symphonies Nos.6 & 12。Pragaのもの。6番が1955年、12番が1961年の録音。が、実はどちらもPragueでのライヴではないことが判明。6番は実は1972年のMelodiyaのものと同一の音源。モノラルになっているので、だまされそうになった。どうりで音がよいわけだ。12番は1961年のスタジオ。最後の拍手は偽物か。むむ。6番は例によって素晴らしい緊張感漲る恐怖の演奏だが、これが55年にもう達成されていたのか?と訝しく思っていたら…。12番の第1楽章は凄いの一言。ムチャムチャなスピードで突き進む。革命どころの騒ぎではない。怖い、怖い。

4月5日
Mravinsky/Leningrad POのShostakovich: Symphony No.5。Pragueでのライヴ(1967年)。おそらく、1968年録音として発売されていたものと同一音源。日付はこちらが正しいと思われる。もうこの組合わせでこの曲を聴くのは幾つ目か…。演奏は、もうお馴染。鋭い弦が強烈な厳しい演奏。寝惚けながら聴いてたので、細かいことは置いておいて、録音レベルが不安定で、音量がふらつくのは気分が悪い。ちなみに、終楽章は65年のものに近い解釈。冒頭部分で首を絞めるようにぎりぎりとテンポを上げていくのはさすが。最後は今一押しが弱いので、やや物足りなさを感じる。

4月4日
Klemperer/Symphonie-Orchester des Bayerischen RundfunksのBeethoven: Symphonies Nos.4 & 5。まずは4番。遅いねぇ。タイムを見ても、演奏を聴いても、とにかく遅い。一つ一つ積み上げていくような独特な構築感はあるが、歌い回しにはちょっときついものがある。緩徐楽章の方が力感があって、聴きやすい気がした。5番の第1楽章は妙な強弱の付け方が変。この曲をこの人で聴くのはこれが初めてだが、いつもこうなのか?終楽章でのどんちゃん騒ぎを期待する向きには合わないかと。

4月3日
Maxim Shostakovich/USSR SOのShostakovich: Symphony No.5。親の七光り程度だろうとたかを括っていたら、これが以外とやる。第1楽章は暗さを極めた演奏の一つ。この低弦バリバリオーケストラの低弦を抑え気味にし、ヴァイオリンを引き立てる辺り、なかなかやってくれるじゃないか。遅めのテンポながら緊張感を途切れさせること無く、尚且つ行進曲も変に楽天的になったりせず、前後のつながりがスムーズ。その分、第2楽章が凡庸に聴こえてしまうのは仕方の無いところか。第3楽章は非常に繊細に弦をコントロールしつつ、時折低弦をグイッと効かせる辺りが巧み。注目すべきはやはり終楽章。最初の和音をゆっくりとクレッシェンドさせていく。それによって素晴らしいスケール感が得られている。その後を速めのテンポで突き進むが、雑にならず、特に弦の扱い方が独特。ティンパニをかなり強く叩かせて、アクセントをつけている。金管とのバランスはやや特殊で、少し違和感を覚える。コーダに向けてかなり速めのテンポで入るため、「コーダは遅めのテンポが正しいって言ってたのはMaxim本人じゃなかったか?」と心配したが、コーダでテンポを落とし、Mravinskyの演奏に近い締め方となった。意外といい指揮者なんじゃなかろうか、と思わせられた一枚。

3月28日
Ficsay/RIAS SOのStravinsky: Le Sacre du Printemps。めっちゃハンガリーな演奏。アクセントの付け方とかそのまんま。楽器のバランスが独特で、弦を抑えて管楽器を強調してみたり、なかなか面白い解釈が聴かれる。「大地の踊り」などでも、必要なときにはきちんと盛り上げ、迫力満点。モノラルだが、音質はまあまあ。

3月27日
Horenstein/Vienna Pro MusicaのShostakovich: Symphony No.5。第1〜3楽章までは、遅いテンポで、木管や金管がへんてこな音を出したりしているが、ほどほどの緊張感が保たれ、トータルで見るとそう悪い演奏でもない。で、注目の終楽章だが、これも一般的に見ればかなり遅い方のテンポで始まる。常々ここで遅いのは駄目だと言ってきたが、この演奏に限ってはそうでもない。遅くても十分な緊張感が保たれている。アクセントの付け方が巧みなのと、楽器バランスに少し手を入れているためだろう。出だしのへんてこ金管など、バランスがおかしい部分もあるのだが、その後はうまく処理できている。であればこそ、緩やかな部分に差し掛かる直前の加速も生きるというもの。この終楽章冒頭以外には取り立ててどうこう言いたい演奏ではないが、この部分だけでも、聴く価値ありと見た。
もう一つ。同じ曲をFedoseev/Moscow RSOで。爆裂火吹き系コンビがこの曲で何をやってくれるか。とりあえず終楽章だけ聴いてみた。こちらも遅いテンポでの開始なのだが、残念ながら緊張感がなく、だれ気味。accerelandoの指示で急加速するのもいただけない。ここはもっと自然に処理してほしいところ。この部分の処理で一番凄いと感じたのはMravinskyの1965年録音。首を締め上げられるような感じすらする凄味は彼の同曲の演奏の中でも抜群。さて、Fedoseevに戻ると、随所に彼独特の解釈が見られるものの、どれも成功には遠い。終楽章を狂ったように太鼓を叩きながら畳み掛けるのは笑い話にいいが、それ以上のものではない。いずれきちんと全曲を聴いてみようとは思っているが、それほど高い評価をする気にはならないだろうなぁ。先日のVSOとの来日公演、行こうかなとも思ったが、やめて正解だったかもしらん。卒論発表目前だったし。

3月26日
ちょっとぐちゃぐちゃいらいらしているので(ひどい表現だ)、ScriabinのPiano Sonata No.3 (Gilels)を聴いたら余計頭の中がひどいことに。そこでFaureのPiano Quintets Nos.1 & 2。普段はこ〜んな甘ったるい曲聴かないんだけどね。最近出番が多いな、特に2番は。やれやれ。

3月25日
Jansons/Oslo POのMussorgsky: Pictures at an Exhibition。テンポに違和感を覚える部分が多かった。オケの反応の悪さもあるのかも知れないが、テンポの速い部分では性急な感じがするし、遅い部分はもたれる。総じてまとまりのない印象をうける。最後を立派にまとめても、何だか嘘臭い。1989年の録音ということで、まだオケが仕上がっていないということか?しかし、彼がこのオケの監督に就任したのは1979年なので、もう10年経ってるんだけどなぁ。90年代に入ってからのSibeliusやStravinskyに聴かれる、ちょっとくすんだ、味のあるホルンもこの演奏ではさっぱり駄目。その上ウルトラゴミ録。

3月24日
ちょっとページの主旨と外れるけど…。うちのオーディオでゲーム音楽なんぞを再生するとどうなるんだろ?と思い、実家に放置してあったFinal Fantasy IVとRomancing SagaのCDを持って帰ってきて、かけてみた。アホみたいに迫力があって、少々びっくり。これで聴きながらではゲームにならんだろうな。ベースの音が出すぎてかなり耳につく。まあ、打ち込み系でもそれなりにいけるらしい。かといって、そのような系統のCDを買う予定はないんだが…。

3月21日
拳銃のようなピアノを弾くと噂されるTokarevのリサイタルが31日にあるのだが、その日は北海道へ行っていることが判明。がーん(撃たれた?)。プログラムは聴きたい曲ばっかりだったのになあ。

3月20日
Rostropovich/Moscow COのShostakovich: Symphony No.14。人気無いんだろうな、この曲。あまりCD出てないみたいだし。全曲入れてる人以外で入れてる人はいるんだろうか、などと思いつつ。私でもこの曲はBernstein/NYPのものを随分前に買ったきりだし。結構好きなんですがね、こういう徹底的に暗い曲。で、演奏だが、モノラル。ちょっと驚き。これはRostropovich本人が随分気に入って、全集にわざわざ組み込ませたものと同一の音源だったと思うが、ステレオじゃないのかぁ…。演奏はBernsteinのあっけらかんとした、さっぱり系(?)の暗さとは違い、もっと純粋に暗い。深さの違いとでも言えばいいのかな。歌手、特にソプラノの発狂ぶりが結構来ていて、ちょっとひきそうになる。なるほど、今の可もなく不可もなくといった演奏の多いRostropovichではできない演奏かも知れない。

3月19日
Jansons/Oslo POのBrahms: Symphonies Nos.2 & 3。何故にこのコンビで?と思いつつ買ってしまった。実際の演奏もまさにその通りになってしまった。まず、ブラームスを演奏するには弦の音が薄すぎ。北欧系の作曲家ならいざ知らず、2、3番とは言えBrahmsを演奏するにはちょっと、という気がしてならない。解釈にしてもとりわけ独創性があるようにも思われず、彼が来日した際のBeethovenの演奏の時と同じく、別に彼がやらなくても…という印象ばかりが残った。EMIからSIMAXというレーベルに移ったものの、音質面でも特に改善されたとは思えない。彼のShostakovich: Symphony No.7とSibeliusは私のお気に入りなのだが、どうもその後に出るものには失望を禁じ得ない。BrahmsをやるならPittsburg SOの方がいいんじゃないか?という気もする。プログラムからオーケストラの選択まで、考え直した方がいいんでない、というのは余計なお世話?
最近読んだ本。鈴木淳史氏の「クラシック悪魔の辞典」。単純に読み物として読んでも十分に面白かった。最近、こういう毒舌全開、皮肉りまくり系の本によくはまる。性格悪いのかも。

3月18日
Tennstedt/LPOのMahler: Symphony No.6。1991年のライヴ…とは思えぬゴミ録音。バケツかぶって聴いてるかと思うほどひどいピンぼけ音質でお届け。最初の2楽章は、それほど速いテンポではなく、とてつもない重量感を持ちながら推進力が維持されているというなかなか見事なもの。金管などの限界を感じる場面が多々あるが、そんなけちなことを言ってはいけまい。第3楽章は木管が時折突出しすぎるのが耳につくのが残念。終楽章の序奏は、この指揮者が一部で(?)「暗い演奏をさせたら右に出るものはいない」と言われているのがよく分かる、常軌を逸した暗さ。この楽章全体を通じて感じたのは、ひとしきり盛り上がった直後のアタックが非常にソフトであること。録音のせいもあるのかも知れないし、Soltiの筋肉ムキムキ演奏が頭に残っているせいかも知れないが、それでも拍子抜けの感は否めない。ハンマーが炸裂した直後の虚脱感はとんでもなく、曲が空中分解したかのよう。こういう演出を白々しくならないようにするのは結構大変だと思う。ただ、やや演出過剰に思える部分もあり、前半に見られた推進力が若干失われているようにも感じられる。それでも、この人が高く評価される訳が少し分かったような気がする。それにしても、この録音の悪さは本当に悲しい。しっかりしろ、EMI。

3月16日
朝から騒々しかった。BSでSultanovのリサイタルの模様を流したりしてたから。寝起きにあの左手はしんどい。顔洗ったり、弁当作りながら何で正確なことは何一つ言えそうにないが、頻繁に左手が暴走・炸裂してた気がする。
Solti/CSOのTchaikovsky: Symphony No.5。旧録の方。新録では金管の音が刺々しくて聴いていられなかったが、こちらはそうでもない。新録は響きの良くないOrchestra Hallだったのに対し、旧録はMedinah Templeでの録音だったためと思われる。個人的にこの寺院(?)の音は好き。いまどき終楽章に13分もかかるのはどうかと思うが、やっぱりうまい。出だしこそややホルンが出すぎる感じがしたが、ここぞというときの力とバランスはさすが。Tuttiがきちっとそろうのは気持ちが良い。おおよそロマンティシズムとは縁の深くない演奏ではある。ついでに、4番や6番ほど金管に機動力が要求されないため、このコンビとは少し合わない。新録を聴いても思ったことだが。曲の作りは良く分かるんだけど。

3月14日
Virtuoso Pianoを聴く上で避けては通れないと大評判のFiorentinoのLiszt集。Hungarian Rhapsody No.6が好きだったりするのだが、なかなか良い演奏だった。最後のスピードもなかなか。この人、ライヴでのりのりになったらもっと凄いことができたんじゃないかと思う。料理しながら聴いてたので、細かいことは抜き。

3月9日
Ancerl/Czech POのTchaikovsky: 1812 Ov.。大砲が入っていない。だから駄目。この曲にそれ以上のことを私は期待してません。それはともかく、リズムの取り方に違和感を覚えた。Czech系は皆こうなのか?

3月8日
早速9枚。うち6枚がオケ。オペラが1枚、ピアノが2枚。先月ピアノを買い過ぎた反動か?
久しぶりに色々新しく聴いた。GilelsのBeethoven: Piano Sonatasから。29番。知人が「耳に痛い」と言っていた通り、ちょっときついものがある。特に第1楽章の右手が厳しい。元々硬質な音色が持ち味の人だが、これはちょっと裏目に出た感じがする。その後のMelodiyaのライヴではそれがだいぶくすんで聴きやすいのだが…。録音のせい?続いて30、31番。死ぬ直前の演奏。はっきり言うと、弾けてません。事故などの突然死ならいざ知らず、十分お年を召して亡くなった(と言っても70歳前だが)方の死の直前の演奏なのだから、全盛期同様バリバリの方がおかしい。悠然という言葉を通り越して遅い。もはや時間軸で計ってはいけない演奏。この全集企画が完成を見なかったのがよく分かる。もはや彼に残された時間はわずかだったのだ。その時間軸を超越したテンポは死を目前にしたものの天への歩みとでも言えばよいかな?こういうことを私が言っても説得力がないか。
叩き売られていたのを拾ってやったのはBarenboim/BPOのBruckner: Symphony No.5。呆れて笑い、バカバカしさに怒りを覚える演奏。頻発するaccelerandoはすべからく意味不明。扇られているオケの方が実は案外冷めてるんじゃないか、というのがまたバカバカしい。おおよそ落ち着いて聴いていられないほど頻繁なテンポ変化に加え、このオケとしては信じがたいほどtuttiが汚い。要するに楽器間のバランスが滅茶苦茶。Soltiの演奏は金管が明らかに突出していても、他の楽器がそれに合わせているため、トータルで見るとバランスが取れている。しかし、この演奏は何だ。ホルンが飛び出したかと思ったら木管がピョロピョロ間抜けに出てきたり、音だけやたらと立派なティンパニといい、聴くに耐えない。挙げ句の果てに終楽章では金管がさっぱり鳴り切らず、不快感すら覚える。Celibidacheのように最後の最後で高揚感を作り出すためにそこまで抑えておくというならともかく、頭空っぽで振ってたらそうなったとしか思えない。この指揮者が私の大好きなCSOと新譜を出すたびに試聴で聴いてはがっかりしたものだが、今回きちんと聴いてみて、改めてゴミ指揮者だと思った。Rattleを選んだBPOは正解と言えよう。一方で契約延長なぞしやがったCSOは何だ?もういいんじゃないか?あわよくばBPOの監督に、なんて色気を出した指揮者をわざわざ引き留めなくてもよかろうに。バカにしていると思わんのかね?それとも、「アメリカ7大オケで最低」なんて評価を下されて、そのプライドも地に落ちたか。何にせよ、私としては早く実力と人気のある指揮者が颯爽と現れて、Barenboimの尻を蹴飛ばす位して欲しいものだ。
もう一枚。Ancerl/Czech POのShostakovich: Symphony No.5。これもひどかった。へんてこなリズム感の上でフレーズが寸断され、前後の脈絡を限りなく欠く。終楽章だけ取ってみても、出だしから遅いテンポ且つそのへんてこリズムが容赦無く曲の緊迫感を取り去り、あとに残るはただただ間抜けなへっぽこ音響のみ。穏やかな部分に差し掛かる直前の急加速なんぞもはや意味があるとは思えない。指揮者がふと楽譜を見たらテンポを間違えてることに気付いて、大慌てで扇った…なんて話が出てきても不思議じゃない。1961年の録音ということで、まだShostakovichという作曲家が根付いていなかったであろうことを考慮しても、ちょっとひどいと言わざるを得ない。Mravinskyのものが絶対だとは思わないが、異なるアプローチをするからにはそれに見合うだけの説得力が提示されていないことには評価しようがない。そういった意味ではBernsteinのような演奏の方が、彼流を貫き通したということでよほど評価できよう。最近この曲の演奏は骨無しが多くて困る。

3月7日
死ぬほどたっぷり寝たおかげで、どんどん鈍くなっていた感覚が一斉にリフレッシュした。耳が鈍くなって、テレビの音量をいつもより一つ上げないといけなかったのが、元の音量でも少し大きく感じるほど。一安心。さて、長らく自宅のシステムで聴くことを拒んできた中村おさむ(手偏に耳が三つ。どう打ち込むと出てくるか不明)のAlkan。Solo Concertoはまだ頑張っているのだが、Grand Sonataは…無惨。お指の限界を完全に曲に越えられている。食事中に聴いていたのだが、第1楽章を聴いた時点で諦めがついて、おかげで食事に集中できた。あと2枚組の選集を残しているのだが、これらが聴かれるのはいつの日か…。耳直しに(?)Furtwaenglerなんぞを聴いてみる。我が家で初かも知れぬ。曲はBrahms: Symphony No.4。この人の曲の中では好きな方。1948年のライヴ(EMI)。急き立てられるような第1楽章や感情の起伏のとんでもなく大きな第4楽章などなど、Barenboimがいくら真似しようと到達できぬ境地が垣間見られる。本家の本家たる所以であろう。生で聴くかのごとく、一回、思いっ切り集中して聴くと良い演奏であろう。音楽の生まれる様を同時体験する、とでも言えば当たってるか?

3月4日
で、二日目。大腸菌をインキュベータに放り込んでから颯爽と出かける。4時間後に戻ってこないことを知りながら…。まずはBeethoven: Rondo Op.52-2。彼にとっては準備運動にすらならないかも知れない。こういう曲では、彼が腕のたつだけのピアニストでないことがよく分かる。今回はピアノの音も良く、まさに透明な音色だった。おつぎはSchubert: Piano Sonata No.21。始まる前と、始まった直後の携帯の着信音は最悪。そんな奴は家で寝てればよろしい。ホールも、電波を遮断しておけばいいのに。そういうわけにもいかんのかな?第1楽章はその透明な音が冴えに冴えた。第2楽章の弱音といい、どうやったらこんな音がするのやら。第3楽章は音がころころと転がるのが気持良かった。第4楽章は予想より遅いテンポだったせいか、周りの評判は今一つだったが、あれはあれでいいのでは?というのはひいき目過ぎるかな。休憩後は予習不足が否めないGodowsky: Passacaglia。結局Granteしか手に入らなかったし。で、結論。予習するだけ無駄でした。あんなのはマイクに入りきるわけがない。途中から、もう目の前で鳴っているのがピアノとは思えなかったし、目の前で弾いているのが人間だとも思えなかった。音が積み重なり、膨らみ、炸裂する…私にゃ表現しかねます。腰が抜けた。冗談でなく。プログラムのラストはKapustin: Piano Sonata No.2。一昨日のアンコールでConcert Etudeを2曲、切れ良く演奏してくれたので、大いに期待のできるところ。始まっていきなり迷子になりそうになった。めっちゃ速い。ここまでやるかぁ?というくらい速い。しかもGodowskyを弾いた直後でっせ。やっぱり人じゃない。さすがにGodowskyのあとでは軽く聴こえるかと思ったが、それだけでなく、実際に軽く弾むように弾いていた。何はともあれ、第3楽章後半の超特急には脱帽。ロシアの豆タンク親父が弾いていたのとは別の曲です。アンコールはお洒落なものばかりを5曲。最初は一昨日弾いた自編もの。次がCrazy Waltz。去年も弾いてたかな。再び一昨日弾いた自作のLendler。その次は曲名が聞き取れなかったが、非常に短い小品で、弾き終わって拍手の中、袖に下がるところを再び椅子に座ったかと思うと、もう一度同じ曲を。おっしゃれ〜。最後にもう一曲やっておしまい。で、慌てて研究室へ〜。以下事故紹介へ続く。

3月2日
Hamelinコンサート。卒論なんて余裕でほっぽり出す。翌日発表練習を控えてるなんて、知らない、知らない。まずはJ.S. Bach: French Suite No.5。Allemandeは予想より随分遅いテンポで、綺麗にたっぷりと弾く。そのあとのCouranteはかなりのスピードで、耳で音を拾うのがちょっと大変だった。ま、この曲は準備運動といった感じか。Hamelinにとっても、聞き手にとっても。で、早速注目のBach=Busoni: Chaconne。緩急の幅をたっぷり取った演奏で、結構カロリーあり。強打したときの音の立ち上がりの鋭さはさすが。French Suiteの時にも感じたのだが、ホールの2階がすいていたせいか、響きが結構ごわんごわんしたのと、ピアノ自体がかなり金属的な音がしていたのが惜しまれる。お次はLiszt: B.A.C.H.。これは凄かった。Fugueの途中からはもう目を剥きっ放しだった。こんなに弾けるのはおかしい。人知を越えすぎ。Hamelinの来日も三度目だが、何度来ても驚愕させられるのが凄い。とんでもないピアニストであることを改めて認識させられる。休憩後にReger: Bach Variation。予習不足だったのだが、それでもお気に入りの第14変奏を格好良くきめてくれて、フーガも見事。アンコールはGodowsky(曲名失念)とKapustinのConcert Etude No.7 & 8、自編が一曲と、自作のLendler。おそらく日本初演、とKapustinの7番を弾いたあとに、"Well, here is No.8"と言って第8番を弾き始めるなどお洒落なサービス精神も。本当に良いピアニストです。卒論は…しーらないっと。

2月29日
結局今月はCD29枚、楽譜4冊。そりゃ金ない。

2月27日
徹夜を目前にして家でBrahms: Symphony No.4を聴く。演奏は勿論、と言っていいのかな?、Mravinsky/Leningrad PO。聴きあきるほど聴いている演奏だけど、やっぱりいいなあ。一つも感傷的にならずにぐいぐい進む推進力。高弦のきれ、低弦の押し出し。特に両端楽章はいつ聴いてもぞくぞくするなぁ。

2月25日
某コンサートの予習の時間が家で取れないため、研究室のパソコンのスピーカー何ぞで聴いてたりすることが多くなったが、久しぶりに家で腰を落ち着かせて聴くと、今までよくあんな音で聴いてたなあ、と思うことしきり。くらべる方が悪いか。

2月20日
一時期狂ったように聴いていたHigh Performanceで出たHorowitzのLiszt: Ballade No.2、改めて聴くとほれぼれする。何でピアノでこんな音が出るんだ?他の誰が同じように低音をオクターブで叩いてもあんな音はしないだろう。録音もそれを見事に捉えている。このシリーズでもっと彼の録音がリマスターされてくれんかな?

2月19日
SpadaのBach=Busoni Complete Transcriptions for Piano Vo.1 & 2。タイミングで大まかに想像がつくが実際問題、安全運転。Chaconneなど、ここはどう考えてももう少し速く弾くだろうというところも含めて一切合切懇切丁寧。面白味は全く感じられない。全集を作るという資料的価値しかないのではなかろうか。オルガン曲の編曲ものも、オルガンでやってる曲をピアノでやってみたという以外のものは感じられない。冴えがないということになるのだろうか。フーガのアクセントの付け方も何だか変。安物買いのなんとやら。

2月16日
CD5枚、楽譜一冊。CDはBach=Busoniばっかり。Michelangeliのスタジオとライヴ、Spadaと言う人のComplete Transcriptions for Piano Vol.1 & 2。だが、最大の収穫は、Atamianの「春祭」一代ピアノ版。内容以前にジャケットデザイン。なんじゃこりゃ。ブーツをはいたAtamianが腰に手を当てて仁王立ち。私には言葉にできません。ともかく変。史上稀に見る最悪級のデザインであると断言したい。この右に出るのはちょっと大変ですぜ、旦那。

2月14日
研究室でCDをMP3に落としたら、ノイズだらけで聴いていられなかった。なんで?エンコーダの質?それともパソコンの性能?こっそり某コンサート予習用MP3ファイル集を作ろうと思っていたのに。むむむ。
Offenbach: Gaite Parisienne (arr. Rosenthal)。Solti/Orchestra of Royal Opera House, Covent Garden。どうしようもない曲に真っ正面から挑む姿勢がいい。結果はやっぱりどうしようもないが。Can CanやVivoをあんなに真面目にやられてもねぇ。

2月13日
Shostakovichという作曲家について、Mravinskyという指揮者について少し考えてたりする。もうそろそろ原稿書くのはやめにしようかな?

2月12日
黙々と某コンサートの予習に励む。

2月11日
一昨日買った「こんな「名盤」は入らない!」をもう読んでしまった。自分の研究に関する論文なんて死ぬほど読むのが遅いくせに。この本の執筆者4人の中で、宮岡氏は少し特殊な存在なのだが、残りの3人の中ではやはりと言うべきか、許氏の存在感が圧倒的。鈴木氏の文章もなかなか面白いとは思うが、多彩な表現力、圧倒的で有無を言わさぬ強引な説得力、ほとばしる毒舌…誉めてんのか?とにかく、許氏の文章には善し悪し、好き嫌いを越えて迫ってくるものがある。彼の書くこと全てに賛同するわけではない(むしろ、そうかいな?と思うことの方が多いこともある)が、面白おかしく読めるという点においては比類がないと思う。そういう読まれ方をご本人がお望みかどうかは知らぬが。真ん丸な評論家がでかい顔している中、許氏には是非これからもあちこちを容赦なく突きまわしてほしいものだ。

2月10日 その2
何か書き過ぎだな。Skrowaczewski/Hale OのShostakovich: Symphony No.5。もう、この曲は何枚目か忘れた。さて、このアンサンブル・ギチギチおじさんにはMinnesota Oと61年にやったものもあるが、それは学園祭の原稿でも触れた。このおじさんは常に前後の流れに関係ないことをする癖があるようで、ギクシャクした感じがすることが多い。随分前に店で流れているのを聴いたBrucknerの9番もへんてこな演奏だった。で、この演奏は90年の録音。30年ぶりの再録ということで、果たしてどのような変化があるか。まず、出だしのかっ飛ばし何じゃこりゃテンポはなくなった。割と遅いテンポでじっくりと進めていく。こういうのは案外嫌いじゃない。しかし、行進曲の部分でテンポをぐいんと上げるのだが、これがどうもスムーズではない。ギクシャクぶりは相変わらず。しかし、下手くそであろうと思われたHale Oのアンサンブルは徹底的にたたき直したようで、弦もおそらくこのオケに期待できる最高水準であると思われる。金管も破綻がない。だが、弦の音に潤いがないのはN響とBrucknerの7番をやったときと同じ。かすれたような音ばかりが耳につく。録音のせいもあるのかも知れないが…。第2楽章はまあ危なげない演奏。第3楽章はこの音量の出ない弦楽器がうまくマッチして、これはこれで良いと思える。で、第4楽章。出だしのテンポはもっとも遅い方に位置する。このままで行けばこれはこれでおもしろいなと思いきや、accelerandoの指示で急加速。でも、その加速の仕方がぎこちなく、若葉マークの人が運転するマニュアル車のよう。最初の部分が肝腎要な部分だけに、ここで緊張感を失うのは痛い。後はどうでもよくなってしまう。打楽器を一生懸命叩かせていたが、白々しくて聴いていられなかった。アンサンブルをキチキチに締め上げるという点では確かなものがあるとは思うし、全部聴こえる演奏ではあるのだが、構築感、特に立体的なものを著しく欠くように思う。同じく「全部聴こえる」という表現が相応しいSzellのMozartなどは全部聴かせながらコントラストつけ、遠近感を持たせているのとは対照的だ。Skrowaczewskiからは非常に平板な音響しか聴けないような気がする。彼はまた国内のオケとBrucknerをやる予定だったと思うが、果たしてどうなることやら。私は今更積極的に聴きに行こうとは思わない。何かが足りないという思いでホールを後にするであろうことが見えているから。それだったら、馬鹿みたいにやりたい放題やられて、「ばっかだねぇ、あっはっは」と言っていられる方が後味はいい。「おしい」と思わせるのが実は一番罪なんじゃないかと思う今日この頃。やっぱり書き過ぎだ。

2月10日
CD3枚、楽譜3冊。そりゃ金ない。まずCDから。DuchableのSaint-Saens: Etude Op.52。Laneのは音が曇りがちなのと、少々切れ味が鈍いので、何となく満足がいかなかったのだが、音質改悪名高いEMIのリマスターとは言えHyperionよりはましな音がしており、切れもなかなか。洗濯物干しながら聴いていたので、細かいところは聴き飛ばし気味。
WeissenbergのBach集。と書いてあるが、編曲ものばっかり。お目当てのBusoni編Chaconneはなるほど誉められるわけだ。音が団子にならずにすぱすぱと処理されていく。もっと機械的な響きのする人かと思っていたが、清潔な感じでそんなに冷たいという印象もなかった。これがもっと濃い曲になるとそういう印象を持つようになるのかな?
楽譜はBach=Busoni: Chaconne、J.S. Bach: French Suites、Medtner: Sonata Reminiscenza。前二者は予習用。Medtnerは心の底から好きな曲なのだ。Hamelinの磨き抜かれた綺麗な演奏も良いのだが、私はGilels。慈しむように音を一つ一つ並べていくところと激しく時として乱暴な部分の落差が何とも。この曲を「忘れられた調べ」の中の一曲と捉えるなら、Hamelinのように弾く方が後の曲とのつながりがよいように思われる。が、私が好きなのはその中のこの一曲なので、これだけで完結させてくれる演奏がいいのだ。何分にも楽器経験の乏しい身としては音符を追っ掛けていくだけで一苦労。小学生の頃ピアノをやめてしまったことを今悔やんでも仕方がないんだけどね。仮に続けていたら今の自分があったかと言われると、違う気がする。とりあえず弾くことに関しては才能のかけらもなかった私がCDを買ってまで聴こうという気になったかどうか。「何でこんなに弾けないかなぁ」と思って接している曲を聴くくらいなら、自分とは無関係なところにある曲を聴くだろうな。そしたらオケ曲は聴いていたのかな?それとも「クラシック」を一括りにして聴いていなかっただろうか。「もし」ばっかではあまり建設的な話にならないな。何だか無駄にいっぱい書いてしまった。

2月9日
GouldとKempffのBach: French Suite No.5。Gouldはせかせかしていて何だか私には抵抗があるのだが、今の時代、踊るにはこれくらいせんといかんのだそうな。Kempffはその点、踊るにはちと苦しいが、すっきりと聴かせてくれる。ゆっくり本でも読みながら聞き流すにはこっちだな。ところで、第6番の1曲目がメリーゴーランドに聴こえるのは私だけ?Gouldで聴いてるせいか?

2月7日
GouldのJ.S. Bach: French Suites Nos.1-4。思ったよりはだいぶ遅い演奏。何でも、この録音の前にピアノが壊れたので直したら鍵盤が重くなったのだとか。でも、やっぱりGouldの音。5番を聴きたくて買ったのだが、せっかくだから全部聴かないとね。
MichelangeliのBach=Busoni: Chaconne。1988年ライヴでデジタル録音って書いてはある。書いてあるだけ。いや、デジタルなんだろうけど、DATかMD。マイクの設置場所はズバリ客席の誰かの膝の上と見た。こういう録音の方が案外臨場感があったりして。スタジオの方も買っておこうかな?

2月6日
E. Kleiber/Berlin State Opera OのMozart: Symphony No.39。Eroicaのようなかっ飛び演奏を期待していたのだが、全く違った。むしろ、遅めのテンポでダイナミズムの幅をとった演奏。こういうMozartはこの頃(1929年)の流行りだったのかも知れない。
Krauss/VPOのHaydn: Symphony No.88。こぎみ良く進む、耳辺りのいい演奏。オケもしゃきっとしていていて、今のふにゃふにゃ演奏をしているVPOとはまるで別物。少しHaydnを聴いてみたい気持ちにさせてくれた。
Schubert: Piano Sonata No.21。内田光子で。最初はとても聴いていられないと思っていた曲だが、何度か聴くうちに少しは聴けるようになった。もう少し聴いていかねば。
スピーカーの配置をちょこっとだけ変えた。今まで、60cm X 40cm X 2cmのMDFボードを縦向きに置いて、その端の方にスピーカーを置いていたのを、ボードの真ん中の方へずらした。端っこよりは安定するだろうという目論み。何となく音がしっかりしたように思われる。気のせいと言われりゃそうかも知れない。

2月4日
N響のコンサート。曲はBrahms: Hungarian Dances Nos.11, 4, 21 (arr. by I. Fischer)、 Double Concerto、猿谷: Flairs of Seeds、Stravinsky: Firebird (1919)。指揮はIvan Fischer。Hungarian Danseの最初の2曲は純粋にFischerの編曲によるオケ版。21番はDvorak編に手を加えたものだそうな。最初の2曲には凄まじい違和感を覚えた。響きが地味で、且つ小ぶり。アクセントの付け方もちょっと厳しいものがあった。21番はどの程度手を加えたのかまでは分からなかったが、それほどでもなかった。Double ConcertoはチェロのPerenyiが非常に地味で渋い響き。ヴァイオリンのEhnesはよく鳴らしていて、このホールでも十分聴けた。曲全体としては可もなく不可もなく。後半は日本の作曲家によるゲンダイオンガク。こういうのは私には分かりません。音符の黒い丸が種で、その連なりが遺伝子のよう?って言われても…。さて、締めは焼き鳥…じゃなかった火の鳥。全曲やるかと思っていたら、組曲で一安心。全曲は最後まで集中力が持たない。序奏から、Fischerのやる気が明らかに違う。鳥が羽ばたく音の描写は見事だった。これだけで今日は満足できる。N響もやればできるじゃん。どうも前半とは明らかに練習量が違うように思われ、オケが指揮にピッタリついていて、非常に反応が良かった。魔王の踊りなどではハンガリー魂が炸裂?鋭いリズムの刻みが心地よい。金管も少しミスがあったものの、上出来。木管も、Hungary Danceでは結構怪しい音があったが、ここではなかなか健闘。トータルで見ると、なかなか良いコンサートでした。

2月2日
久し振りにCDを買いに渋谷へ。買う買う。気が付いたら16枚。金銭感覚がかなりおかしいかも知れない。さしあたって聴いておかなくてはいけないものが少し多いな。

2月1日
Rzewski: The People United Will Never be Defeated!を聴いたあと、立て続けに甘ったるい曲を聴いたら糖尿病になるかと思った。Faure: Piano Quintet Nos.1 & 2のあとに、Borodin: String Quartet No.2。たまーに甘ったるい曲を聴きたくなるときがあるのだが、以前はそんな系統のCDが家になくて困ったりしたものだ。それから比べると、少しはレパートリーが広がったということかな?甘くなり過ぎたので、Shostakovich: Prelude and Fugue No.24を聴いて少し締めてみる。最後にBeethoven: Piano Sonata No.28の終楽章を聴いておやすみ。この曲もどちらかと言えば甘い曲かも知れない。終楽章を目の前で本当に楽しそうに弾かれたりしたらめろめろかも。もちろん、ちゃんと弾けてないと駄目。

1月31日
Solti the Operatic Conductorを聴く。やっぱり騒がしくて大変。料理しながら聴くには丁度良かったけど。
Kyung-Wha Chung, Previn/LSOのSibelius: Violin Concertoを聴く。何だかヴァイオリンの音が細い気がすると思ったら、1970年録音。この頃はまだStradivariusを使っていたのでした。こんなことを気にしているくらいだから、演奏についてもあまり感想のようなものがない。それ以前に、どうもこの曲はあまり好きではないらしいことが判明。初期の作品に後期の雰囲気を求めてはいかんのは分かっているのだが…。ちなみに彼女がGuarneriに楽器を変えたのは1973年頃かららしい。
ところで、最近、Borodinの弦楽四重奏曲第2番がちょっとお気に入り。特に第1楽章の甘ったるいのがいい。甘えたくなってしまったりしたときにおすすめ。って、がらじゃないな。

1月29日
家で療養中。時間だけはたっぷりあるので、ここぞとばかりにSolti/CSOのWagner: Die Meistersinger von Nurnbergを全曲聴いてしまった。結局頭がぼおっとしてたので、あまり覚えてない。Act Oneの最後が楽しかったっけなあ。こんな状態では何を聴いても駄目。馬の耳に念仏。早く回復せんとな。

1月28日
Guldaが亡くなったそうです。また少し寂しくなるな。

1月27日
Gergiev/Kirov Operaのゲネプロ招待券を後輩にもらったので、見に行く。曲はMahler: Symphony No.2。殆んど普通のリハーサル。一応一通りやるのだが、所々で止めては指示を出して、弾き直す。あっさり、無表情だったのが、熱く、濃くなっていくのが分かって、面白かった。金管や合唱、独唱は本番に備えてか、少し抑えていたように思われる。

1月25日
新星日響のコンサート。曲はWeber=Berlioz: Invitation to the Dance、Rachmaninov: Symphonic Dance、Beethoven: Symphony No.7。指揮はVerrot。一曲目を振り出したのを見て、酔っぱらってるんじゃないかと思った。ひどい指揮の仕方だ。変なボディアクションは小澤譲りか(師事したことがあるらしい)。演奏は、盛り上がるところを盛り上げただけ、という感じ。Rachmaninovも同様の印象。後半はオケを前から聴く。実はその前から心配していたことがあったが、的中してしまう。ヴァイオリンが少ないのだ。1st 14、2nd 12、Va 9、Vc 10、Cb 8。絶対低弦が多い。そのため、ちょっと低弦が頑張り出すと、2nd Vnが何やってんだかさっぱり分からなくなる。元々ヴァイオリンの音が痩せ気味なので、余計につらいところ。ホルンがちょっとなのは、日本全国共通の問題か?盛り上げるところだけ盛り上げて、あとは適当に流した感じで大雑把な演奏。アンコールで第2楽章をもう一回演奏したのは、初演時のエピソードを踏まえてのことなのか、それとも第1楽章で弦を切ってしまったヴァイオリニストがいたため、第2楽章でヴァイオリンを取りに行っていて一人奏者が欠けてしまったことへの配慮か?

1月24日
OppensのBeethoven: Piano Sonata No.29。知る人ぞ知る、Rzewskiの曲を録音したりしている人。あまり重たくない、キラキラした感じの音で進める。終楽章は、最初フレーズが寸断されたようにつながりが悪く、ちょっとなあと思っていたが、後半はそれもなくなり、まずまず。全体的に音が軽めなので、低カロリー(?)。こざっぱりとした演奏。

1月23日
Ivan Fischer/N響のDvorak: Symphony No.7。BSで流していたもの。何でも、「弦が厚みとしっかりとした芯を持つ」らしいがI. Fischerってそんな指揮者だったっけ?ばりばりハンガリー人の演奏をする人ではなかったか?そんな疑問を持ちつつ聴いたが、実際にいい演奏ではあった。そんなに聴いてる曲ではないが…。それでも金管の状態が良かったのがやはりこのオケのポイント。他のパート(特に弦)は大体破綻することがないが、金管だけは駄目なときは本当に駄目なオケ。この演奏に限って言えば、非常に良く吹いていた。で、弦だが、「厚い」か?アクセントの鋭さとアンサンブルの良さから、非常に鋭い印象を受けた。低弦も比較的良く締まっていたようだったし。むしろ少し細身な感じがしないでもなかったなあ。あれ?

1月21日
最近またブームの(?)Shostakovich: Symphony No.5。Rostropovich/NSOの新録。ちなみに、旧録は未聴。第1楽章は行進曲へ至るまで、非常に繊細で大事に大事に弾いていく。行進曲の部分はかなり性急な感じを受けるが、これはこれでいいとも思える。当時のソ連の状況ではちんたら行進なんてしてられるかぼけ、ということか(笑)。第2楽章はテンポの揺らし方などがうまく、単調にならない。第3楽章は第3主題の前の盛り上がりで楽器のバランスが悪く、木管が飛び出てしまうなど、少々難あり。第4楽章は遅めの開始から徐々にテンポが上がり、かなり速くなるが、練習番号111の辺りで急ブレーキ。そこから常識を越えた遅さで一音一音刻み付ける。計り知れないスケール感が生まれ、これは一本取られた。これがあればこそ、コーダの遅いテンポで一撃ずつ刻み付けるのが生きる。正直なところ、この人には指揮者としてさほど期待していなかったし、7番や11番は、駄演とまではいかなくても、さほど凄い演奏とも思わなかった。しかし、この演奏ではこの曲の悲劇性に全く新たな側面からのアプローチが行われ、それが成功している点において名演の一つに数えても良いだろう。旧録も聴いてみたくなった。

1月20日
後輩が三人ほどうちへオーディオを聴きに来た。それなりに満足して帰ってもらえた模様。

1月19日
Temirkanov/St. Petersburg POのShostakovich: Symphony No.5。はっきり言って、物凄く期待していた。実際の演奏は、決して悪くなく、この曲の水準以上のものであることは確実なのだが、期待は裏切られたとしか言いようがない。何よりも、このヘボ録音は何だ?ホールの残響を多めにしたホールトーンの再現とでも言うつもりかもしらんが、これはただ曇っているだけ。風呂場サウンドとはまた違う。どこかで変なフィルターをかませてるんじゃないかと思うほど酷い。特に弦がさっぱり入っていないのには閉口。金管が強いのは分かるが、弦はこんなに弱々しくないはず。これならまだMelodiyaの70年代のものの方がまし。と話が演奏とはだいぶ違う方向へ行ってしまったが、戻すとしよう。第1楽章は総じて良かった。行進曲の部分でグインと加速するなどやや小細工に感じかねないところをうまく処理している。第2楽章はこの演奏ではもっとも質が低いと言わざるを得ない。もう少しユーモアと言うか、変化をつけないと、つまらなくなってしまう。第3楽章は弦の弱々しさがはかなさに通じるが、本来の演奏の姿ではないはず。第4楽章。もっと速くて良かったはずだ。もっと速い演奏ができるはずだ。ライヴならもっとオケを扇ってもおかしくない指揮者だ。しかし、ここで繰り広げられる演奏はやや遅めのテンポで曲の構造を極めて明快に一つ一つ指し示すようなものとなっている。極めて分析的。確かに、弦のフレーズなど、速いテンポでは弾き飛ばしたようになってしまうものがきっちりと一音一音弾かれており、こういう演奏は斬新である。しかし、それが明晰であればあるほど曲とは距離ができるように思われる。明晰であることが悪いのではない。ただ、明晰であることにあまりに重点を置きすぎたがゆえに曲が生きていない。横の流れが極めて不自然且つ推進力を欠くのは、致命的ですらある。コーダは遅いテンポを最後に向けてさらに遅くしていくことで異様な感じを与えるが、時既に遅し。冒頭での生命力の無さを引き摺り、結局その盛り上がりとスケールの増大に何の意味も感じられない。私はこの指揮者に非常に期待している。彼はMravinskyの陰から逃れようと必死であったであろうし、その努力の跡は彼の特にShostakovich演奏に強く見られる。しかし、その意識が時として強すぎ、結果としての演奏が歪んでしまうことがある。別にMravinskyの陰が付きまとおうが、彼はもっと自由に演奏していいと思う。実際、先日の来日公演ではMravinskyから解き放たれた姿が垣間見られたように思われる。彼の本来の素質としては、速いテンポのなかに自在な表情づけを振幅の大きなダイナミズムで行うというの向いているのだと思う。来日公演の感動が大きかっただけに、このCDを聴いて、彼の将来に一抹の不安を覚えないわけにはいかなかった。今度読売日響とこの曲を振ると言うが、果たしてどうだろうか。もちろん、客演のハンデは大きいだろうが…。あの来日公演が彼のここ数年での著しい進歩の結果であると信じたい。…ふぅ、少し書きすぎた。

1月15日
HorowitzのRachmaninov: Piano Sonata No.2。1980年RCAのもの。新しいシリーズから、OrmandyとのPiano Concerto No.3とのカップリング。Great Pianistsで出ているものとの音質比較。Great Pianistsの紙ジャケが嫌いというのもあるが…。ピアノは全体的に、Great Pianistsのものよりやや固めの音になる。その分、解像度があるように感じる。客席ノイズなどはこちらの方がかなりくっきり入っている。High PerformanceのLiszt: Ballade No.2のように、低音の伸び、迫力が全く違うといったことはなかったが、音の印象は随分異なった。個人的には、精細さに勝るRCAの新シリーズの方に軍配。鍵盤の動きなどもこちらの方がよく分かる気がする。

1月11日
Celibidache/Munchner PhilharmonikerのBruckner 5。タイムも実際の演奏も覚悟していたほどは遅くなく、そんなに無理のあるテンポではなかった。最後の盛り上がりは凄いものがあるが、そこへ至るまでずっと「金管、もっと吹けるんじゃないか?」という気がしてならなかった。最初は全体のバランスを考えて意図的に金管を抑え気味にしているのかと思ったが、聴き進むうちにどうもこれはバランス云々より、パワー温存ではないかという気がしてきた。で、ラストがこれだと、少しわざとらしさが頭の隅に残る。私がひねくれてるだけかな?BPOと弦の音色が似ているという話もあったが、こちらの方が腰が高く、やや細身。録音のせいなどもあるのだろうが…。

1月10日
Inbal/Philharmonia OのStravinsky: Petrouchka。春祭ではまだ細部へのこだわりが生きていたように思われたが、この曲ではちょっとどうか。勿論、細部をないがしろにして勢い一本で行かれるのでは困るが、それなりのテンポでないと躍動感のあるリズムが生きてこないように思える。そういった意味で、この演奏はどうしても退屈に感じてしまう。
Philharmonia Oつながりということで、最近お気に入りなのがDutoitが振っているSaint-Saens: Danse Macabre。青白い骸骨が墓場でヴァイオリンを弾いてるなんて、お洒落じゃないですか。このほねほねサウンドに最近はまってる。ピアノ版は…あれ、また見たいなあ。

1月9日
山下和仁のMussorgsky: Pictures at an Exhibition。なかなか良くできた編曲だと思うが、ダイナミックレンジだけはどうにもならない。味のある音でいいと思うが、曲自体が元々好きではないので…。

1月8日
Miaskovsky: Symphony No.15。ところによってはおもしろいところもあるが、また聴きたいと思う曲ではなかった。Audiophile Classicsというだけあって、録音はなかなか。でも、本当に1963年録音かどうかは知らない。演奏はKondrashin/USSR TV and Radio Large Sympony Orchestra, Moscow。
New Century Chamber Orchestraによる、Shostakovich=Barshai: Chamber Symphonies。SQ8からのものと、SQ10からのもの。この編曲版は水戸室内管やJansons/VPO(8の方のみ)聴いたことがあり、いつも感じるのはきれがないこと。これもやはりそう。緩徐楽章は音に鋭さがあり、ちょっと冷たすぎるところがかえって異質な感じを与えないでもないが、これはこれで良いと思う。問題は急速楽章。どう考えてもテンポが遅い。これでは緊迫感が出ない。べんべんべんべけとかやられてもねえ。Shostakovichの曲って、概してやたらと緊張感を要求するくせに、すぐ緊張の糸が切れそうになる気がする。でも、そこで切れてしまうようでは、いい演奏にはならない。実際に本人がとてもオーケストラでは演奏しきれないテンポをピアノで独楽鼠のようになって弾いて見せたそうだし。そういう曲を書いた人なのだ。

1月6日
壁コンセントを松下のホスピタル・グレードに交換する。これでアンプの3Pプラグが変換プラグを介さずに差せる。音はびっくりするくらい良くなった。低音も高音も比べもんにならないほど伸びる伸びる。パイプオルガンの見事なこと。前後感もバッチリ。全体的に響きがきれいになったので、残響がすうっと消え入る感じがよくでる。これだからオーディオいじりはやめられません。

1月5日
Mravinsky/Leningrad POのShostakovich: Sym. No.5。これで彼の演奏だけでこの曲は9枚目。Audiophile Classicsという少々怪しげなレーベルから出ている。タイムから予想するに、1966年のライヴ。でも、ジャケットには1983年の録音とある。で、実際問題、ものはRussian Discから出ている1966年ライヴと同じ。音はこちらの方が良い。特にダイナミック・レンジの広さが大分違う。AADとADDでは比較にならんか。このアンサンブルは80年代のものではまずないので、Russian Discの表記のほうが正しいと思われる。
WildのSaint-Saens: Piano Concerto No.2。オケはLeibowitz指揮のRPO。第1楽章こそ曲を崩壊の一歩手前で保つ拍子の取り方が面白いと思えるものの、他は特にどうと言うほどのものではなくてがっかり。

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