聖セバスチアノ殉教者(1月20日)聖セバスチアノ

セバスチアノはフランスのナルボン市に生まれ、若い頃に洗礼を受けました。この頃(3世紀後半)はキリスト教迫害のもっとも激しかった時代でした。セバスチアノは苦しむキリスト信者を少しでも助けたいという気持ちからローマ市の兵士となり、忠実に軍務を果たし、その一方どこでも出入りができたので、獄中のキリスト信者を慰め力づけていました。しかし、セバスチアノを寵愛していた皇帝に彼が信者であることがわかり、すぐ死刑となりました。矢で射かけられましたが生きのびたので最後にはこん棒でなぐり殺されました。中世では矢を浴びる美青年として描かれ、兵士・弓兵の守護者とされました。

聖アグネスおとめ殉教女(1月21日)

アグネスは3世紀の終わり頃、ローマの名門の家に生まれました。アグネスは当時激しく迫害されていたキリスト教徒の壮烈な殉教のありさまを見聞するにつけ、この世の富、名誉、快楽よりもさらに尊いものがあるに違いないと考え、カタコンブ(地下墓地)へ行ってミサにあずかるうちに神に身を献げようと心に誓うようになりました。そして13歳の時、求婚者たちをしりぞけたためにキリスト教徒として訴えられ、処刑されました。その際、着衣をはがされましたが、奇跡によって髪の毛がのび、体をおおったといわれています。13歳で殉教したアグネスは少女の守護者とされました。

聖パウロの回心(1月25日)

パウロは小アジアキリキア州タルソ出身のユダヤ人で「生まれながらのローマ市民」でした。元の名をサウロといい、エルサレムで当時のユダヤ教の最高指導者ガマリエルのもとで学んだことのある熱心なユダヤ教徒でした。サウロはユダヤ教と反するキリスト教を嫌い絶滅させようとしていました。キリスト教徒を迫害するためにシリアのダマスコに赴く途中、突然強烈な光を受け倒れ、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」というキリストの声を聞き、この体験からキリスト教に回心しました。この回心は同時に異邦人伝道に従事することへの召命でもあり、それ以後パウロと名を変え、3回の異邦人への伝道旅行をし、多くの教会を設立しました。

聖ヨハネ(ボスコ)司祭(1月31日)

ドン・ボスコは1815年北イタリアのベッキという寒村に貧しい農民の子として生まれ、信仰深い母に育てられました。学費や生活費のために働きながらの苦学生活をへて、神学校に進み26歳の春に司祭に叙階されました。その後トリノの貧しい青少年を集め、その教育に専念しました。彼のモットーは「愛なくして信頼なく、信頼なくして教育なし」であり若者を愛するゆえに若者を信頼していたドン・ボスコは、若者からも愛され深い信頼を得ていました。
1859年にサレジオ会という男子修道会を創立し、1872年扶助聖母会という女子修道会も創立し、両会ともめざましい発展をとげ、日本を含め全世界に広まっています。

日本26聖人殉教者(2月5日)

1549年にイエズス会士、フランシスコ・ザビエルによって日本に初めてキリスト教が伝えられた。宣教師の献身的な活動により、多くの日本人が洗礼を受けた。しかし、当時の政治的要因からキリシタンの迫害が始まった。秀吉は1596年キリシタン26名を逮捕した。その中には64歳の老人や12歳のあどけない少年の姿もあった。京都から長崎までの長い道程を、見せしめのため引き回された。現在、西坂公園となっている長崎の丘の上で彼らは十字架につけられ殺された。

聖バレンチノ司祭殉教者(2月13日)

2月14日といえばバレンタインデー。日本ではお菓子屋さんが大繁盛だが、ハートもともとは3世紀のローマ人、バレンチヌスの遺徳をしのぶための日だった。バレンチノ神父は人格的にすぐれた人だったので、人々に愛されていた。キリスト教徒を迫害していた当時の皇帝は、彼をくじくことが迫害の成功につながると考え、彼を捕らえた。そこでバレンチノは目の見えない人を癒す奇跡を行い、人々を回心に導いたので、かえって恨みを買い殴り殺された。中世からの伝えによると、破局をむかえた恋も聖バレンチノに祈れば復縁されるという。

聖ガブリエル(悲しみの聖母)修道者(2月27日)

ガブリエル・ポセンティは1838年イタリアのアシジで生まれた。裕福な家庭に育ち、この世の快楽を享受する生活を送っていた。しかし突然の病に倒れ、この世のはかなさを悟り、もしもこの病気が治ったら修道会に入ろうと決意した。この祈りが聞きいれられたのか彼の病気は治り、18歳の時御受難会に入会した。「悲しみの聖母のガブリエル」という修道名が彼に与えられた。悲しみの聖母に対する深い信心をもち、人々にもそれをしめした。1862年彼は肺結核におかされ、2月27日に天に召された。彼のモットーは「些細なことにおける忠実」であり、彼の理想は聖母のために「イエスの分身」となることであった。
詳しくは『ガブリエル キリストの受難に魅せられた若者』(ドン・ボスコ社 定価1300円)。

ローマの聖フランシスカ(3月9日)

1384年、彼女はローマの貴族の家に生まれました。11歳の時から修道院に入りたいと望んでいましたが、父親の意向で結婚することになりました。「結婚している女性は、祭壇の前で神を賛美している時でも、もし夫や子供たちに呼ばれたならば、神を祭壇に置いて立ち去り、家庭の仕事のなかで神を再び見出さなければなりません。」彼女は家庭のなかでこの言葉を実践しました。最初は平和な結婚生活を送りましたが、戦争をきっかけに夫を捕虜に捕られ、子供を病気で失うという不幸に見舞われました。しかし彼女は、幼少の頃から育んできた厚い信仰心により、自分の不幸もかえりみず他者に仕えるということを忘れませんでした。彼女は世俗にあっても貧しい人々のために働くグループをつくり、慈善事業に尽くしました。

聖パトリック司教(3月17日)

パトリックは385年スコットランドに生まれました。少年時代にアイルランド人に奴隷として売られましたが、神の保護のうちに脱走に成功しました。故郷に戻ってからは神学を志し、やがて司教に叙階されました。少年時代の辛い思い出は、カトリックが浸透していないアイルランドの地での宣教を思い立たせました。アイルランドが熱心なカトリック教国となったのには彼の布教活動によるところが大きいと言われています。

「キリストは私とともに、私のなかに、私の後に、私の前に、私のそばにおられる。キリストは私を慰め、回復させて下さる。キリストは私の下に、私の上におられる。静けさのなかにも、危険な時にも、キリストは私を愛するすべての人々の心のなかにおられる。キリストは私の友達と、他人を通して私に語りかけられる。」(聖パトリックの言葉)

聖ヨセフ(3月19日)

大工ヨセフ  / ジョルジュ・ド・ラトゥール聖書によれば、ヨセフはイスラエル民族の英雄であったダビデの子孫であり、謙遜で律法に忠実な「正しい人」でした。大工として生計を立てていましたが、神の計らいによりマリアと婚約しました。しかし、結婚する前にマリアがすでに身ごもっていることを知り、密かに縁を切ろうと決心しました。ところが、天使が夢に現れて「恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名づけなさい」というお告げを受け、イエスの父親としての使命に殉じることにしました。伝承によると、ヨセフはイエスが30歳になる前に亡くなったと言われています。マリアとイエスに付き添われた平安な臨終を迎えたヨセフは、臨終の苦しみを和らげてくれる保護者として崇められています。


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