イエス・キリストは十字架につけられたのち3日目に復活され、40日間たびたび弟子たちに現れた。そして弟子たちに命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたはまもなく聖霊による洗礼を授けられるからである」(使徒言行録1:4〜5)。また、「…あなたがたのうえに聖霊が下ると、あなたがたは力を受ける。そして…地のはてに至るまで、わたしの証人となる」(使徒言行録1:8)と言われた。イエスは弟子たちに聖霊がくだることを約束し、福音(救いについてのよい知らせ)を全世界に伝えるように命じた。そのあと、「イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった」(使徒言行録1:9)。すると、白い服を着た二人の人が「あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じありさまでまたおいでになる」(1:11)と言った。
過越祭から50日目の五旬祭の日、イエスが約束されたとおり集まった弟子たちの上に、聖霊がくだりました。
五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊≠ェ語らせるままに、ほかの国の言葉で話しだした。(使徒2:1〜4)
聖霊は、彼らの信仰を固め、「キリストの十字架と復活」という出来事にかくされた神秘を深く理解できる恵みを与えました。聖霊から勇気と力を与えられ、弟子たちはその日からキリストの生涯とその復活の証人となって宣教を開始しました。弟子たちの力強い語りかけにその日のうちに3000人の人々が洗礼を受け、仲間に加わりました。
ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼(バプテスマ)を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。(使徒2:41〜42)
これが教会の誕生となり、キリスト教はこの日を教会発足の記念日として祝います。また、2000年たった今も、この聖霊の導きの下に教会は歩んでいます。(キリスト教の三大祝日(クリスマス、復活祭、聖霊降臨祭)のひとつです。)
この日をもって復活祭から50日間続いた復活節は終了します。
五旬祭(ペンテコステ・ギリシャ語で50の意味)は、ユダヤ教の祭りで、収穫を感謝する祝いであり、また、シナイ山においてモーセに律法を授けられたことを記念する大きな祭りでした。
キリスト教では唯一の神は父と子と聖霊の三つの位格(ペルソナ)からなると信じられています。これを三位一体の秘義といいます。秘義というのはわたしたちの理解の及ばない神秘に属することがらなので説明することはできません。わたしたちに求められていることは、この神秘を信じ、信仰・希望・愛の徳を実践することです。
キリストの聖体の秘義を祝って、13世紀末からヨーロッパではこの日に聖体行列や聖体礼拝式が行われるようになりました。聖体とはミサの際に捧げられるパンのことを直接指しますが、キリスト信者にとってこれはキリストの体そのものです。
この日、カトリックでは神であり人間である主キリストの愛のシンボルとして、キリストの心臓を崇敬します。
聖母のみこころは、剣に刺し貫かれ、白百合・赤バラを組み合わせてつくった冠をいただいた姿で絵画などによく表されています。白百合は一点の汚れもない清さ、赤バラは燃えるような愛を象徴し、剣は人類の贖いのために我が子を神に捧げた聖母の悲痛を意味しています。
『6日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。』(マタイ17・1〜3)
この事のある前に、イエスはご自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、3日目に復活することになっていると打ち明けられている。主の変容の直接の目的は、この弟子たちの動揺(十字架のつまずき)に耐えられるように、彼らの心を準備することであった。
教皇ヨハネ・パウロ2世が日本に来られた時(1978年)広島で、「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うことである」と言われた。戦争を振り返り平和を思う時、平和は、単なる願望ではなく、具体的な行動でなければならない。そこで日本のカトリック教会は、広島に原爆が投下された6日から、15日の日本敗戦までの10日間を『平和旬間』と定め(1979年)、いろいろなところで平和への祈りをこめて行事が行われる。
伝えによると、聖母は聖霊降臨後まもなく小アジア(今のトルコ)のエフェソに行き、十字架上におけるイエスの遺言どおり、聖ヨハネの保護を受けながら15年間この世に留まられたと言われている。そのご死去は、聖母にとって、長い間待ち焦がれていた永遠の幸福への門出であり、天にいます御父と御子のもとに行くという喜びに満ちた死であったに違いない。1950年の諸聖人の祝日(11月1日)にあたって教皇ピオ12世は「神の無原罪のおん母、終生処女マリアが地上の生活を終えて霊魂と同時に身体をも天の光栄に上げられた。」と宣言し、聖母被昇天を信仰箇条とした。
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