十字架称賛(9月14日)十字架/カール・ブロック

「私たちを救うため、偉大な犠牲を献げられたキリストおよびその道具となった十字架に対し、私たちは大きな尊敬を示さなければならない。十字架を礼拝するのは、十字架はキリストを示すからである。私たちは十字架の木材を礼拝するのではなく、十字架を通じて示されるキリストを礼拝するのである」と、ダマスコの聖ヨハネは言った。十字架の称賛は、十字架上の死に至るまでへりくだった主イエスへの称賛にほかならない。
9月14日というのは、コンスタンチヌス大帝が335年、キリストが死去されたゴルゴダの丘に十字架聖堂と復活聖堂を建て(現在は聖墳墓教会)、献堂式を行い聖十字架(ゴルゴダの丘から発掘されたキリストの釘付けられた真の十字 架)を安置した日である。

ロザリオの聖母の記念日(10月7日)ロザリオの聖母

1571年10月7日ヨーロッパのキリスト教連合軍は、イスラム教を奉じるトルコ海軍をレパントの海戦で打ち破った。この大勝利はロザリオの祈りの賜であると教皇ピオ五世は認め、この日を記念の祝日として祝うよう命じたことに由来する。以降1883年9月にレオ十三世(1878〜1902)は、10月を聖なるロザリオの月として聖母に奉献された。
現在もカトリック教会では一年中、特にこの10月と聖母月である5月に毎日ロザリオの祈りをするよう勧められている。

諸聖人(11月1日)

諸聖人の像すべての聖人、有名無名を問わずこの世の苦しみに耐え抜き、悪の力との戦いに勝って天の祖国に凱旋した人々を記念し、祝う。4世紀にキリスト教がローマ帝国の国教になるとあらゆる神をまつっていたパンテオンという神殿は聖堂に改築され、かつて神々の像があった所に諸聖人の聖像が安置され遺骨もそこに移された。教皇グレゴリオ4世はこの聖堂をすべての聖人に献げることにし11月1日を諸聖人の祭日と定めた。この世のかなたに死後の世界を意識し、目に見えない世界に入った人々とのつながりを感じ、永遠の生命への希望を抱きながら、天国にある諸聖人が神のもとにあって私たちのために取りなしていることを信じ、その取次ぎを願う。

死者の日(11月2日)

教会は天国の諸聖人を祝った翌日に死者の霊を記念する。この習慣は998年にクリニュー修道院長オディロンによって始められ、そこの修道士たちの影響によって11世紀には広くヨーロッパで行われるようになった。教会ではこの日、信徒にゆかりのある人々とすべての死者のために祈り、終わりの日にキリストによって復活することを祈願する。
今日の福音は次のように宣言される。
〔そのときイエスはユダヤ人に仰せになった。〕「わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」(ヨハネ6・38〜40)

私たちはミサのなかで「・・・聖霊を信じ 聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活 永遠のいのちを信じます」と祈ります。この「聖徒の交わり」とは、この世のわたしたちと天国の聖人と死者の魂とが神の生命と愛によって結ばれており互いに助け合うことです。教会はこの交わりをよく認識し、キリスト教の初期から死者に対して深い敬愛の念を持ち続けてきました。そのために特にミサの中でかれらを記念し、そのほかにも死者のために祈りをささげてきました。

王であるキリストの日

王座のキリスト/ジョットキリストは天地万物の王である。その王権は神から出て、その権限は全宇宙のすべてのものに及んでいる。この王国は広く人類に及び、終わりがない。しかしイエスの王国は、「この世のものではない」(ヨハネ18・36) キリストの王国は精神的なものである。ここの王国に入るには回心が必要であり、信仰と洗礼によって入国するのである。この王国は悪霊の暗い権力に反対する。キリストは真理であるから、キリストに従わない者は真理に逆らう。真理に逆らう者は闇の中をさまようことになる。
 キリストは道である。滅びたくない者はキリストの教えたこと、勧めたことを実行しなければならない。この道によらなければ真の幸福に到達できない。
 イエスは最後に「十字架の死」に至るまでのへりくだる道を通ることによって、または自分のいのちを与え尽くした愛によって、「すべての人をご自分のもとに引き寄せる王」(ヨハネ12・32)となられた。


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