霊能力者、長南年恵(ちょうなんとしえ)のなぞ

  長南年恵は庄内藩の給人(下級武士)の子として1863年に生れました。

  そして、21才の頃から、彼女の体にふしぎなことが起こり始め、間もなく何も食事をとらなくなりました。しかし肌も髪もつややかな少女のままで、14年間も食事をしないのに27リットルの水が入った大きな桶を、かんたんに運んだり、1時間で鳥海山に登って来たりしてひとを驚かせました。

  彼女は神様と直接話をしたり、欲しいものを神様から授けられたりしましたが、とくに珍しいのは、病気の人が名前を書いた札をはった空ビンを前において年恵が神様に祈ると、それぞれの人に合った赤や青やいく通りもの薬の液体が目の前のビンに満たされることでした。

  年恵は学校にも行かず、学問もないのに、太い筆で漢字の詩をすらすら書くこともありました。そしてこれは弘法大師様が自分の手を持ってお書きになったのですと話しました。この漢詩を書いた紙は、今も鶴岡市の千葉さんの家に残っています。(1028、1029頁)

  このような霊能力ぶりを当時の新聞が書きたてたので、医者でもないのに病気をなおすのはけしからんという人も現れ、とうとう訴えられ、1900年には神戸地方裁判所で裁判が開かれました。

  裁判長は、神様にお祈りをして空ビンに薬を満たすことができるのならここでやってみてくださいと言いました。そこで年恵は電話ボックスをかりてその中で祈り、神様の水が入ったビンを見せましたから、裁判長はすっかり感心して、無罪の判決を言い渡しました。

  霊能力者年恵は人々の病気をなおして、楽にしてあげたので、「極楽娘(ごくらくむすめ)」と言われ、多くの信者が集まってきましたが、お礼にもらったお金や品物は、困った人にどんどんあげてしまう慾のない人でした。なにしろ彼女は何も食べる必要のないからだだったのです。(最近の資料参照)